第十一回:つぶやき
悠介の趣味はというと、専らパソコンでインターネットに接続してネット漬けになることだった。ネットの回線は家族で共用して使っているので通信料金は親持ちだし、パソコンも恵介のお下がりのやや旧式のものではある。悠介にとっての収入といえるらしきものも優子からの手間賃程度のお小遣いなので、新型のパソコンやスマートフォンを買えるようなお金なんぞ、もちろんない。
それでも、SNSの「ツイッター」などにつぶやきを書き込んだり、他のユーザーのつぶやきの投稿を見たりなどすることに毎日多くの時間を費やしていた。その間に「フォロワー」と呼ばれる、友達というべきか、自分の投稿が配信される相手という存在がどんどん増えていき、気がつけば今やその数三千人を超えていた。悠介自身も昼夜問わず、日に何十回もあれこれとつぶやきを投稿する。または他のユーザーのつぶやきを、ときには同意の意味で、ときにはさらしあげるような意味で、拡散する。
「つぶやき」のたびに「三千人の友達」の中から悠介の投稿に賛同してくれる人がいつでも何人か、ときには何十人か現れる。だけれど、「三千人の友達」のうち実際に会ったことがある相手はおそらくひとりもいないであろう。「相川悠介」という戸籍名すらひとりも知らないのではないだろうか、いや、それを知られていたらむしろ悠介にとっては困ることになるのだが。たまに他のユーザーともやりとりをしたりする。ときには言い合いになったりもする。どうしても嫌な相手はブロックする、要は自分の目につかない場所に追いやる、そうすればいいだけの話、なのだから。
さて、そんなネット漬けの毎日を送る中、悠介はツイッターでもそのとき話題になっているアカウントを知る。それは「こひつじちゃん」などという名前で情報を発信しているのだが、キリスト教の豆知識などを面白おかしく、いわばエンターテイメント的なコンテンツとして発信しているのだ。しかも、このアカウントの「中の人」には「黒羊」と「白羊」というふたりがいるといい、そのどちらかが投稿しているようだ。フォロワーの数も悠介のとはまさに桁違い以上の五万人超を誇り、かつその数をどんどん伸ばしている。
「こひつじちゃん」のつぶやきが拡散して、悠介の目に止まるところにも回ってくることが多くなってきたので、悠介も流行に乗り遅れないようにと「こひつじちゃん」をフォロー、つまりはその投稿を購読できるようにする。
「速報! クリスマス、いよいよ来月に迫る! あなたは今年のクリスマス、どう過ごす?」
そんな「こひつじちゃん」のつぶやきが投稿された日は十一月一日。ああ、確かに来月は十二月だよな。もうすぐ年末なんだよな。今年も一年無為に過ごしてしまったかと、今年一年、これまでのことを思い巡らす悠介。
「こひつじちゃん」はとあるキリスト教会の広報アカウントとのこと。しかし、キリスト教、かぁ。一昨年知り合ったサンドラのことを、ふと思い出す悠介。工場でたった一週間だけ一緒だったけれど、キリスト教への勧誘らしきことをも受けてちょっと腹立たしくも思ったけれど。そのサンドラも今はフィリピンに帰って、もう会うこともないんだろうな、と。
サンドラのことが恋しいわけではない。ただ、これからクリスマスや年末年始に向けて街は華やいでいくであろう。日本の今の現状では「性夜」などと揶揄されるように、クリスマスには男女カップルになって過ごすべきみたいな風潮があるのでは。そう感じる悠介。無職のひきこもりである悠介にとっては恋人なんて到底無理な話ではあるが。クリスマスの本質も知らないで「性夜」を迎える日本での世の中のカップルらに対してあんたら何やってるの、と思ってしまう。
そもそもクリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日であるはず。そのイエス・キリストは「姦淫は罪である」とも言っていたはず。それなのに敢えて、クリスマスを「姦淫」の日とするなんて、これはキリスト教への冒涜ではないだろうか。悠介はそんなことをも思い巡らす。
ツイッター。今はそのサービス名までもが変わってしまったようですが。あくまでも執筆当時の状況です。この部分を書いたのも実に三、四年前ですね。また、その頃から(旧)ツイッター上で話題になっていた、あるアカウントを「こひつじちゃん」のモデルにしているんですよ。いうならば、そのアカウントが存在してくれたおかげで構想を得て生まれたのが本作とさえいえます。