幕間・コレットのため息
ルイの故郷での一コマです。
ルイが村を出てからしばらく経ったある日の午後のこと。コレットは自室の窓辺で長く大きなため息をついた。これで本日何度目のため息なのか、コレット自身わからないほどため息をついている。
「そんなに気になるなら一緒についていけばよかったんだよ」
などと実の兄バレットは簡単に言うが、そのようなことを言われるたびにコレットは
「お兄様?ルイお兄様は真剣に魔法を学ぶために村を出ていったのですよ?なのに、私が軽い気持ちでついていっていい訳ないじゃないですか」
と言い返すのだった。だがしかしコレットはわかっていた。それが自分に言い聞かせるための建前だということを。本当は一緒に行きたかったのだ。しかしルイに向かって「一緒に行く」と言い出せるほどの大胆さや我を押し通す強さを、コレットはまだ持ち合わせていなかった。
ため息がモヤになって雲になってそれに飛び乗って、ルイお兄様の元へと飛んでいく──そんな自分をコレットは想像しては、「だめ」とまたため息をつくのだった。
その日の夜のこと。家族揃って晩ごはんを食べていると、出し抜けにコレットの父親がルイの話題を振った。
「今頃ルイはどうしてるかなあ」
言い終わってから、父親はしまったと顔をちょっと歪ませた。一家団欒の空気が張り付いてしまった。母親は繊細なコレットの心情を慮ってあまりルイの話題にならないよう努めており、彼も妻の努力を感じていた。なので極力ルイの話題を避けようと心得ていたのだが──酒のせいだな、と一人、彼は心の中で酒に責任を押しやる。
「お、母さん、今日も赤空豆のスープ美味しいね」
などと下手にごまかすが、良くも悪くも愚直なバレットが話題を引き継ぐ。
「あいつ、魔法、魔法、って魔法のことしか眼中になかったけれど、街に行けばきっと色々楽しみがあるだろ。案外別の──」
「お・に・い・さ・ま・?」
ぎぎぎ、とこわばった笑顔でコレットは兄にすごむ。
「ルイお兄様がそういう人ではないことはお兄様が一番よくご存知ではないのですか?たとえ冗談でも、そのようにしてルイお兄様を貶すような言葉が親友であるお兄様の口から出ると、たとえ出鱈目であっても他の方々を『そうかもなあ』という気にさせてしまうものです。私もルイお兄様のことはよおく知っていますから、もちろん、今のお兄様の言葉を冗談として受け流せますが?受け流せますが、もしルイお兄様が今の言葉を聞いたら、きっと傷つきます。いいえ絶対傷つきます。でもルイお兄様はお優しいからきっと『そんなことないよ』って笑ってくれるのでしょうね。でもいいですかお兄様?ルイお兄様の優しさに甘えてちょっとした悪口を冗談として当たり前の様に口にしていると、いずれは──」
「……あなた、明日の天気はどうかしらね」
兄への小言が止まらないコレットを横目に、母親はスープをスプーンで掬いながら元凶の父親をチクリと睨んだ。
「え?あ?うん、うん、そうだね。晴れ、晴れるんじゃないかなあ」
酒へ伸ばしかけた手を引っ込めながら、父親は適当な相槌を打つ。
「わかった!わかったよ悪かった!」
両手でコレットを押し留めるようなポーズをしながら、バレットは妹に謝った。
「そうだな、人を悪く言うような冗談はよくないよな」
「そうです」
もう、とコレットは水を一飲み。それに追従するように父親も酒をあおった。
「ま、あいつ本当に魔法のことしか頭にないからな。他のことに目移りするわけないか」
と、バレットは話を締めくくった。──はずだった。
「いやあでも、ルイはもう十五だろ?」
酒を飲んだ分だけ口が軽くなっている父親である。
「見た目は悪くないし、素直で良い子。案外、街の女の子と仲良くなっちゃってるんじゃないの。ああいうタイプは放っとかれないでしょ。ルイの方も生真面目だから相手の気持ちに応えてそれで今頃──」
父親はハッとして口をつぐんだがすでに遅かった。母娘が揃って彼をにこやかに睨んでいた。
「あ・な・た・?」「お・と・う・さ・ま・?」
父親は震えて揺れる己の視界の片隅で、息子のバレットがこの場を緊急離脱するのを目撃した。