弟子入り志願
「──い、おーい!」
「ん……」
俺が目覚めると、仰向けに倒れている俺にまたがるようにエリナが立っていた。さすがに服は着てくれている。ちょっと安心した。
「さっきはごめん、エリナ。玄関のところで呼んだんだけど、誰も出てこなかったからつい……それにしても、君はどうしてあの頃の姿のままなんだ?それも魔法なのか?」
「……きみ、どうやってここまで入ってきたの?入り口は簡単には見つけられなかったはずよ?」
俺の質問を無視して、エリナが問いかけてくる。頭がはっきりしてくると、彼女は杖を構えて俺に向けていることに気がついた。慌てて敵意はないことを示すつもりで両手をあげる。
「急に動かないで!……質問に答えて」
見せつけるようにして、彼女は杖を上下に振ってみせた。
「えーと……俺、きみに助けられた時から魔法のことを学びたくてそれで──」
「そこらへんはどうでもいいの。いやよくはないけど……でも今は私の質問に答えて」
俺の言葉を遮ると、彼女は杖を更に突き出した。
「どうやって入り口がわかったの?」
「入り口?入り口ってあの木の根のことか?」
「そうよ」
俺から目線をそらさずに彼女は頷く。
「あの木は深月樹といって、俺の故郷によく生えている木なんだ。匂いでわかった。この山の中で一本だけ、その木が擬態するようにあったから、不思議だな、と思ってよくよく見てみたら……」
「見つけたわけね」
「うん」
彼女ははぁーとため息を吐いている。
「これは盲点、まさかあの木に詳しい人間がこの山に入ってくるなんて……」
「なあ、とりあえず、身体を起こしていいかな」
「だめ」
即座に俺の言葉を却下すると、彼女は俺を見下して言った。まだ杖は構えたままだ。
「それで?目的は何?」
「え?」
「悪いけどきみが気絶している間に荷を調べさせてもらったの。荷にしまってあったきみの杖は、簡単には見付けられない場所に隠したわ。それにこのコイン……」
彼女の手にはレオハルトから預かったコインがあった。
「これはミラリウ家の家紋。関係ないとしらを切っても無駄よ。きみはミラリウの家の何なの?その身なりを見れば親族でないことくらいはわかる。それなら、きみは何者なの?それにどんな命を受けてテオ山へ?ここへは偶然?それとも計画通り?当主はどこまで知っているの?他に仲間はいる?」
「待って、待ってくれ!」
矢継ぎ早な質問に俺は狼狽した。どうも俺は疑われてばかりだ。とにかく説明してくれ、させてくれ。
「俺の名前はルイ。ルイ・アルミマリ・シェンゲン!ここからずっと北の方の山の中にある村、ネヴトコ村の出身だ!六年前──エリナ、きみが俺を助けて運んでくれた、あの村だ!」
「丸み有り?」
「アルミマリ」
「……続けて」
「俺は自分を救ってくれた魔法を知りたい、できれば身につけたいと思って、十五になった今年、村を出たんだ。それで最初は王都ガラリアの魔法学園を目指して旅をしていたんだけど──」
「庶民が学園に入れないことくらい幼子でも知ってるわ。下手な嘘をつかないで」
ぐい、と杖に力を込める気配がした。
「違う、本当なんだよ!本当に、俺は、何も知らなくて村を出たんだ。それでこの山のそばの街の宿屋で、今きみに言われたみたいに無理だってことを知ったんだ。そのことを教えてくれた……というか叩き込んでくれたのが、そのコインをくれたレオハルトって男の人で、杖もその人に譲ってもらった」
「この国を統べる大貴族が一つ、ミラリウ家の者がきみのような庶民の泊まる宿屋にいたですって?」
エリナはふふと鼻で笑った。
「下手な嘘はつかないで、と言ったはずよ」
「本当なんだよ……信じてくれエリナ」
厄介なことになったな、と俺はちょっとレオハルトを恨んだ。エリナとミラリウ家の間にどんな因縁があるのか知らないが、それにしてもこれほど警戒することなのか。何をやらかしたんだミラリウ家。
「そう。下手な嘘でも繰り返せば真実になると思いこむタイプなのね。それならもう一つ、きみに聞こうか」
エリナは顔をぐっと俺の顔面に近づけた。
「きみは繰り返し私を『エリナ』と呼ぶけれど、何を根拠に、これまで会ったことも話したこともない私を『エリナ』だと思いこんでいるの?」
「え」
「さあ、得意の嘘で答えてみせて?」
彼女の杖が俺の顎に突きつけられて、慎重に言葉を選べと暗黙の内に警告を発していた。
***
本当にまずいことになった。どういうわけか知らないけれど、この子はエリナではないという。そう言われると俺は少し自分に自信が持てなくなる。六年前に一度だけ、それもほんの僅かな時間だけ出会った人間を少しも違わず記憶しているか、というと、いくら命の恩人とはいえちょっと怪しい。それに、その六年前の姿のまま彼女が現れるというのは異常だ。この子がエリナではないとする根拠はいくらでもあるだろう。でも俺は──。
「六年前エリナが俺を救った日──彼女は少し紫の入った黒の三角帽子とマントをしていた。帽子はつばの広くて丸いものだ。それに髪を後ろで束ねていたな。ああ、髪は栗色だった。……きみと同じ色の」
「……それがどうだっていうの」
「あの日は、俺の父親の葬式だったんだ。……父は生前、まだ若いのに村の長をやっていて。その心労のせいだったのかな、原因不明の病に半年ほど前から罹って、伏せていたんだ。でも結局亡くなって……俺は葬式の途中、こっそり抜け出すと一人で、吹雪くフェリエリという山へ向かったんだ。──きっと、父親がいなくても大丈夫だ、俺は強い男だ一人で何でもできるって母親やみんなに証明したかったんだと思う。馬鹿だよな、余計な心配かけただけなのに」
「……」
「それで、案の定雪山で進むことも戻ることもできなくなった。そんな時、彼女が俺の目の前に現れたんだ。ちょうど、今のきみと同じくらいの背格好で。ぼんやりとした明かりが暖かかった。それで俺が驚いていると彼女はこう言ったんだ。『ねえ、きみ大丈夫?』ってな。……おかしな話だよな。子どもが一人、吹雪いている山の中に立ちすくんで死にそうなのに、呑気な顔して『大丈夫?』って」
顎に刺さるほど突きつけられていた杖が、少し緩んだ気がする。
「あの時俺は安心から気を失ってしまって彼女の問いかけに答えることはできなかったんだけど、魔法の力で彼女に村まで運ばれたことはうっすらと覚えている。エリナ、という名前は後で村の人から聞いたんだ。それ以降彼女とは会ったことも話したこともない。だからもしかしたら、俺を助けてくれてエリナと名乗った女の子ときみは別人なのかもしれない。でも」
「でも?」
「俺が雪山で出会った子はたしかにきみにそっくりだった。それは髪とか声とか見た目だけじゃない。……雰囲気って言えばいいのかな。でもその雰囲気が、きっと大事な部分なんだ。俺の直感はきみがたしかにあの子と縁のある子だと言っている」
「……それが私をエリナと呼ぶ根拠?」
ふっと彼女の腕の力が抜けて、杖が下ろされた。
「しょうがないだろ。実際俺はまだ、きみの名前を知らないんだから」
俺はちょっとだけ笑った。どうやら、危機的な状況を脱したようだ。
「……そうね。私の名は──」
「うん」
「私の名前は、マリナ」
エリナとほとんど同じじゃないか……と思ったことが気が緩んだせいかそのまま口に出ていた。
「ほとんどエリナじゃん!」
「そのちょっとが大違いなのっ!」
ばしっと何かが弾けて、俺はまた気を失い意識は暗闇へ飲まれていった。
***
目が覚めると今度は入口から入った時に見たソファの上に横になっていた。彼女──マリナが運んでくれたのだろうか。
「目が覚めた?ごめんね、ちょっとカチンと来たから一発打っちゃった」
振り向くと、窓際の机でエリナは本を広げて、俺の方を振り向くことなく呼びかけた。背を向けたままということは、とにかく害意や敵意がないことをわかってもらえたらしい。
「ああ……」
まだ少し頭が痛むが、それはこの際どうでもいい。どうしても彼女に、今、聞いておかねばならないことがある。
「なあ一つ、俺から聞きたいことがあるんだけどいいかい?」
「何?」
「ここらへんの人間は、頭にくることがあるとすぐに殴ったり魔法で攻撃したりする習性でもあるの?」
「?何言ってるの」
「いや、なんでもない……」
ソファから起き上がると俺は室内をよく見回した。やはり、彼女以外の気配や生活感はない。
「マリナはここで一人で暮らしているの?」
「……質問は一つじゃなかった?」
とんと本を閉じると、マリナは俺の方を向いた。……改めてよく見るまでもなく、彼女は記憶の中のエリナによく似ている。栗色の髪。丸い、くりっとした眼。目が合うと、少しドキリとした。
「それにマリナ──君は、俺が知っているエリナという女の子と何か関係があるの?」
「また増えた。……一人で暮らしているのにはイエス。今の質問にはノーコメント」
指で口元にバッテンを作って、彼女は椅子から立ち上がった。
「さて……じゃあ目が覚めたことだし、きみには出ていってもらおうかな。選択肢は二つに一つ。私のことを誰にも話さないと誓約する束縛魔法か、ここのことを忘れる記憶消去の魔法か、そのどっちを受けるか……選ばせてあげる」
こともなげに言う彼女はまだ杖を構えていない。しかし、冗談ではないようだ。
「ちょ──待ってくれ!さっきも言ったけど俺は魔法を学びたくて、教えてくれそうな魔法使いを探しているんだ」
「そう。私は魔法を他人に教える気は、無いわ」
にべもなく断るマリナ。
「そこをなんとか……お願い。他に行くあてなんて、ないんだ」
俺は両手を合わせてマリナを拝んだ。
「私には関係ない話」
机の隅に置いてあった杖を握ると、彼女は俺に向けた。
「色々考えてみたんだけど、きみに害意が無いことは信じてあげてもいいかなと思うの。多分、ミラリウとは関係なく本当にたまたまここに来たんでしょうね。にわかには信じがたい話だけど。でも、私にはあなたをここに留めておく理由なんてない。だからせめて穏便にここから出してあげる。さあ、選んで?」
よく分からないが束縛魔法も記憶を消す魔法も、どちらも全然穏便な気配がしない。ジリジリとにじり寄ってくるマリナから少しでも距離を取りたくて、俺も後ずさりをする。なんとか説得しなければ。
「お願いします、俺に魔法を教えてください!」
「くどい」
「報酬の問題なら、今すぐには準備できないけれど必ず払うから!」
「お金の問題じゃない」
ずいと近づくマリナ。それに合わせてずりと下がる俺。
「じゃ、じゃあ魔法を教わる代わりに、何か、マリナの手伝いになるようなことをするよ!」
「……」
ぴくり、と彼女が興味を示した気がした。
「そうだ、もし俺をここに置いてくれるなら、料理も洗濯も掃除も俺が引き受ける」
「……ほう」
こんなにも散らかってるじゃないか、とは言わなかった。機嫌を損ねてまた魔法を打ち込まれたのではたまらない。
「見張りだってできる。今日の俺みたいな、不意の侵入者にだって──」
「そういえば」
あっ、とマリナが何かを思い出したように口に手を当てた。
「ん?」
「裸、見られたんだった。やっぱり記憶を消さなきゃ」
迂闊な発言だった。
「い、いや、ほら、きみのような子どもの裸を見たってさ、別に俺はどうでも──いや、ごめんね。そうじゃないよな。俺が悪かった。そんなつもりじゃなかったとはいえ、ごめんなさい」
俺は深々と頭を下げた。
「……反省しているから、杖をおろしてくれ。俺の記憶を消さないでほしい」
「なるほど。私の裸を忘れたくない、と?」
「違う!違う!そうじゃなくて、記憶を全部消されてここから追い出されるのがイヤなんだ。きみの裸を見てしまった記憶だけなら、もちろん消されてもいい」
マリナはじーっと訝しむような視線を俺に向けている。ほんの僅かな沈黙の後、決心をしたように口を開いた。
「……記憶を消す魔法にそんな器用な真似はできないよ。最低でもここ数日の記憶は失う。それに、きみはまだ何か勘違いしているようね。私は見た目通りの年齢じゃない」
「え」
女の子に年齢を直接聞いていいのかどうか逡巡していると、彼女は自分から教えてくれた。
「今年で十七」
「と……歳の数え方が普通と違うのか……?」
「ちがぁう」
たん、と足を踏み鳴らすと手に持った杖をマリナはぐるぐると回した。
「一年を一周期とした『普通』の数え方で十七歳。……こう見えても、ね」
彼女はふぁさ、と髪をかきあげた。身振り手振りも喋り方も、俺の目には大人の女性の真似をするおませな女の子にしか見えない。本当に俺より年上なのか。コレットと同じくらいかそれより下にしか見えないのに。
「だから……『子どもの』という表現を私に使うのはちょっと失礼なんじゃないかな。少なくとも、君より年上の淑女に対して」
その見た目でレディも何もないだろと吹き出しそうになるのを咳払いで誤魔化すと、俺は頭をもう一度下げた。
「……貴女のような立派な女性の裸を見てしまい申し訳ありませんでした。ごめんなさい。許してください」
「うん、うん」
ようやく俺に向けられていた杖が下ろされた。マリナは椅子を引きずってくるとまたがるようにそこに座り、俺を見た。
「さて、きみはさっきここに置いてくれるなら何でもすると言ったよね?」
微妙に拡大解釈されている気がする。
「私は──やろうと思えばやれるんだけど、掃除も洗濯もそれに魔力を使うのは面倒なんだよね。それでまあ、ご覧の通りな訳。もともと一人の生活。誰かに気を配る必要がなければ誰でも当然そうなるんだけどね?」
いやずぼらなだけじゃないか。と思いながら俺は頷く。
「料理も。いくら魔法が使えても結局作れるのは自分の頭の中にあるレシピだけだから飽きてしまってね。食材もワンパターンで創意工夫の余地がない。楽しくない。それに家の周りの雑草。私は滅多に外に出ないんだけど、窓から外を見た時にあれらが生い茂っているのを見ると、気が滅入っちゃう。それと水路。この家の水回りは川の水を引いてきて、濾過したりしなかったりしたものをそのまま使ったり私の魔法で沸かしたりするんだけどね、この水路が時々調子が悪くなるの。それ、なんとかしてほしい。それに──」
まだあるのか。でもとりあえず魔法習得に一歩前進したようだ。
「わ──わかった。マリナが望むなら、俺に出来る範囲で何でもする。それで、俺に魔法を教えてくれるんだよね?」
「…………うん!私に教わればどこに出ても恥ずかしくない、立派な魔法使いになれるよ!」
と、マリナは小さな胸を張って自慢げに答えるが、ちょっと間があったことに若干の不安を俺は覚える。
「じゃ、まずは掃除から……というか私の引っ越しからか。私は奥の部屋に移るから。ルイ、きみは自分で言いだしたんだから見張り役もかねてここを使って。ま、誰も来ないことを私は心から祈っているけどね」
俺を非難するようにジロリと睨んでそう言うと、マリナは本を五冊ほど選んで小脇に抱え
「ちょっと準備するから待ってて」
と言って奥へと進み、台所の次の部屋のドアの開きちょっと中に入るとそこから上半身だけ少し戻して俺の方を見た。そしてさも今思いついたかのようなわざとらしさで、
「ああ、そういえば。きみは私のことをマリナと呼ぶけれど、きみは私から学ぶ立場でしょ?それに、私の方がお姉さんなわけだし……呼び捨てはよくないと思うなあ」
と言った。む。それもそうか。
「マリナ……師匠?」
「……先生ね。師匠も悪くないけど、『先生』と呼んで」
俺にはわからないこだわりがあるようだ。
「わかったよ、マリナ先生」
「うむ、よし」
にっこりと笑うと、部屋の中に入っていった。そしてしばらくごそごそしていたかと思うと、先生は開け放したままの部屋から声だけで俺に指示を出した。
「よーしとりあえず、本棚から運ぼうかー。本は出してそこに置いておいていいから。あ、でもそこにある本はだいたい魔法書だから、今はまだ開いて読んじゃだめだよー」
棚に並んでいる厚さが色々な本の背表紙を俺は眺めた。魔法が使えない人間が読むと呪われたりでもするのだろうか。まあいずれにせよ俺は──。
「ああ、大丈夫読まないよ。というか俺、田舎の出でちゃんと読み書きを習ってないんだ。だから絵本とか易しいものならともかく、難しい言葉が並ぶ本は読めないんだよ」
「──はあ!?」
向こうで先生の声がしたかと思うと、タタタとこちらへ走り込んできた。
「はあ!?」
先生はもう一度同じことを言った。前髪は走ったせいで散らかり片目にかかっている。その目からは驚きのような焦りのような呆れのような、なんとも言えない感情が滲み出ていた。
「本読めないでどうやって魔法覚える気!?」
「えーと……」
俺は頭をかいて、自分よりも小さな先生に向かって頭を下げた。
「そこからお願いします。マリナ先生」
暖かな日差しが降り注ぐ小屋で俺は、一人の魔法使いの少女に弟子入りをした。春の香りをまとった風が穏やかに窓から流れ込んでいる、この小屋で。