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山中捜索

 宿屋を飛び出すと俺は、一目散に前方に見えている山へと向かった。まだ夜だが月も星もある。きっといる、きっといる、と自分に言い聞かせながら、街道を進んだ。山の麓に着く頃には夜ももうだいぶ更けていたけれど、ここらで野宿をするつもりにもならない。街道を進み続けてやがて、ここらへんかというところで道を外れて山の奥へと俺は足を踏み入れた。


「たしか中腹くらいで煙を見たって話だったな……」


 何か明かりでも見えないかと目を凝らして四方を見るが、そんなものはまるで見えない。こうして山を一人で歩き回るのはあの時以来だ。あの時を思えば、夜の闇の中というのは全然怖くない。とにかく歩き回ろう。


 しばらく獣道を進み山の斜面を上ったり下ったりしていて、俺は言葉にできない程度のわずかな違和感を覚えた。小さい頃からずっと山の中で育ってきた、という環境のおかげだろうか?妙な、誰かいるような気配がじんわりとする。その誰かが魔法使いかどうかはわからないし、夜のせいかどうかもわからない。でも心がざわつくような、何か威圧感のようなものを感じた。


 夜行性の鳥の鳴き声も遠くで流れてかすかに聞こえる川の音も、俺を落ち着かせてはくれない。風に揺れる木々のざわめきでさえ、繰り返し繰り返し俺に何かを訴えているようだった。


 茂った木々の葉の隙間から夜空を見上げると、薄くかかった雲の向こうに星が散らばっている。星空は、村にいた頃と少し見え方が違ったけれどやはり同じ星空だ。うっすらと赤く光る山査子(サンザシ)星が瞬いてる北の方の空をよく見ると、山査子星が中心となって春の夜空に大緋筒鳥(オオヒツツドリ)座を形作っていた。


 そうやって山の中をうろうろしていたが、一向に誰かに出会う気がしない。仕方ないので、少し拓けた空間を見つけると俺は荷を広げ火を起こし焚き火にすると、持っていた寝袋を取りだしてそれに潜り込んだ。まだまだ眠れそうにもないけれど、今はここで眠ろう。そして日が昇ってから探索を続けよう。そう思って枯れ木の爆ぜる音を聞きながら目を瞑った矢先だった。がさがさと音を立て近づいてくる複数の気配がする。魔法使いでも人でもない。──魔物だ。


「ファングか」


 どうやら俺が身を休めて緊張を解くのを待ち構えていたらしい。低く唸る鳴き声を隠そうともせずゆっくりとゆっくりと近づいてくる。俺は枕にしていた荷からナイフを取り出して素早く静かに起き上がった。万一に備えてそばに置いていた松明に火を灯すと唸り声の方を照らしてみた。ファングは魔物とはいっても、ただの狼に少し程度の知能が加わったくらいだ。村にいる間も何度か相手をしたことがある。だが、それは村の仲間がいて各々が武器を持っていたからこそだった。暗闇の中な上俺一人でという状況は初めてだ。


「一、二、……五頭か。ちょっとまずいかも……」


 ファングの方も俺が松明とナイフ以外にろくな武器を携帯していないことを把握したのだろう。リーダー格と思しき、少しだけ群れの後ろの方にいる一頭が一声吠えると、他の四頭も一斉に吠えだした。五頭の咆哮は松明の火さえ吹き消しそうに轟いて、近くにいた鳥が音を立て逃げ出していった。緩やかな春の夜風に乗って、ファングの吐く生暖かい息がそばまで臭ってくる。


 そして「行け!」と言わんばかりのリーダー格の力強い吠えを合図に、まず二頭が飛びかかってきた。荷を蹴り飛ばし一頭に当て牽制しつつ、身を捩りもう一頭を切り払う。致命傷にこそならなかったようだが、松明を身を焼くほどに勢いよく押し当てようとすると怯んで身を引いた。すぐさま、もう一頭の喉元を狙ってナイフを走らせるが、それは躱されてしまった。そいつは軽やかに地面を蹴ると俺の空振りした腕を狙い、ギラリとする牙で噛み付いてきた。──この牙だけはまずい。すんでのところで松明で殴りつけて避けるが、爪が脇腹や太ももを掻き散らす。殴りつけた松明が照らす視界の端で、最初に切り払った一頭が背を向け逃げ去っていく様子とリーダー格ではない残った二頭がそれぞれ俺のやや左右に周りこんだのを捉えた。


「げっ」


 体勢を整えようと後ろに飛び退くのと同時に、四頭が息を合わせて襲いかかってきた。


 いよいよまずい状況になった。初手で二頭とも退治できなかったのが痛い。ナイフじゃなくてもっときちんと武器になるものを持ってくるべきだった、などと愚痴が湧いてくる頭の一方で、俺はこのジリ貧の状況の打開策を探していた。四頭の猛攻をなんとかいなしているそんな中で、俺はこの四頭の攻めが俺を特定の地点へと押し出すかのような指向性を持っていることに気がついた。最初のやけにバカでかい咆哮、俺の横に周っても背後は取らない徹底ぶり、まさか──。


 感づいてすぐに背後を警戒したが遅かった。こちらが本当のリーダーなのだろう。一頭のファングがそこにいて、「ようやく気がついたのか」と言わんばかりに唸ると、松明を持つ腕を狙って飛びかかってきた。腕の肉に爪が食い込み、裂いた。


「がっ」


 ナイフを使いなんとか払い落としたが、耐えきれず松明を落としてしまった。武器を一つ落とした俺をあざ笑うようにファングたちは息を吐き、距離を詰めてくる。噛みつかれ引っかかれて傷ついた腕で、何か他に武器になるようなものはないかと懐を探ると、レオハルトから譲ってもらった杖があった。


「一か八か……」


 勢いよく、魔法よ出ろ!と念じながら、俺はファングたちに向け杖を振ってみた。


「……」


 しかし、当然というべきだろうか。何も出ない。風切り音が山中に虚しく鳴る。だがファングたちを怯ませる効果はあったようだ。以前に魔法使いにやられたことがあるのだろう。五頭のファングは瞬時に俺から距離を取ると、杖の様子を警戒して身構えていた。まるで魔法が使えるような素振りで杖をファング突きつけつつ、俺は松明を拾うとジリジリと焚き火のそばへと戻った。


「さてどうするかな……」


 この状況も長くは続かないだろう。やがてファングたちは俺が魔法を使えないことを察しまた襲ってくる。息をなんとか整えると、俺は賭けに出る決心をした。この杖のハッタリが効く今のうちならファングの隙を作れる。狙うはリーダー格一頭。統率者がいなくなればこいつらは烏合の衆になるはずだ。俺は大きく息を吸い込むと威嚇のつもりで叫んだ。


「うおおおおおっ!」


 更に警戒を強めたファングたちに向かって、勢いよく杖を振りつつ俺は猛ダッシュを仕掛けた。


「っだあああ!」


 ひゅんと鳴る杖の風切り音に反応して回避行動を取るファングたちを後目に、俺はリーダー格一頭に狙いを付けて全速力で近づいた。もう一振りくらい騙せそうだと、思い切り杖を縦に振り下ろした、その時だった。杖が空振りする風切り音ではない、闇を切り裂くような鋭い音がしたかと思うと、杖の先にいたファングのリーダーは右前脚の付け根のあたりを矢で射抜かれていた。そしてそのファングを射抜いたその矢は、樹に突き刺さると、蒸発するようにスッと消えていった。木や鉄で出来ているような普通の矢じゃない、魔法の矢だ。


「えっ俺!?」


 戦闘中にも関わらず、思わず杖と両手をしげしげと眺めるが全然魔法を使ったという実感がわかない。だが、これは好機だ。突如リーダーが射抜かれて怯みまくっているファングたちに向かって俺は、「シッ!シッ!」と杖を振り、ファングたちを追い払うことができた。不意打ちの一発がよほど堪えたらしい。リーダー格のファングは文字通り尻尾を巻いて射抜かれた脚を引きずるようにしてそそくさと退散してくれた。これでもう大丈夫だろう。


「ふーーーっ」


 荷から傷薬を取り出しとりあえずの処置を済ますと俺は再び横になった。それにしても、さっきの魔法の矢はなんだろう。杖を片手に、天を衝くように動かしてみるが何も起こらない。身体は疲れているのに、気持ちの上では興奮が冷めずなかなか眠れずにいた。


「秘められた俺の力が……なんてな」


 俺が窮地に陥っている間も変わらず不規則にパチパチと音を立て続けていた焚き火を眺めている内に、ずるずると睡魔が俺のまぶたを閉じていったのだった。


***


 奇妙な夢を見た。夢の中で幼い頃の姿になった俺は、父が家から出て狩りに行くのを実家の屋根に腰を下ろして飼っていた猟犬と共に見送っていた。


「いってらっしゃーい」


 遠くの峰まで届くような、いい響きだった。すると父は振り返って屋根の上の俺を見上げ、嬉しそうに手を振った。俺を呼んでいる。そんな気がした。だから俺は、夕焼けが変調したような薄いピンク色をした空に向かって屋根から飛んで──。


***


 夢と現実の境目で俺は、ガクンと落下する感覚で目を覚ました。慌てて周囲を見回す。夢の中で落ちそうだったが現実は大丈夫だ。俺が落ちそうな屋根も崖も、そばにはない。昨夜のままだ。空には太陽がうらうらと昇り始めていた。それにしても、夢とはいえ久しぶりに父の顔を思い出した。もう香りはあまりしなくなっていたけどまだ首から下げている、コレットから貰った匂い袋(サシェ)を俺はそっと撫でた。みんな今頃どうしているんだろう?


 ──不意に、胸元の匂い袋がほのかに香った気がした。おや、と思って改めて匂い袋を嗅いでみたけれど、香りはそこからではなかった。しかし周囲を見渡してみても、白芳花(ネスリア)深月樹(アニク)も、どこにもない。落ち着いて深く深呼吸をしてみると、わずかにだが深月樹の香りがする。俺は焚き火の火を完全に消し荷を急いでまとめると、そのわずかな香りを辿って歩きだした。


 日が完全に昇っても山は昨夜までの奇妙な違和感を放っていた。その気配を感じつつもなんとか香りを追って先へと進むと、とうとう俺は雑木に混じって一本だけ周囲とは異なる香を放つ木があるのを見つけた。近寄って匂いを確認すると、間違いなく深月樹の香りだ。姿形は見知った深月樹とは全く異なりこの山の木々に溶け込んでいるが、この香りを間違えるわけがない。


「どうしてこの木がここに……それにこの姿は……?」


 木に手をついて見上げてみたが、木漏れ日が眩しいだけだった。


 木をぐるりと周ってよく見てみると、地表に出ている根の部分がアーチ状になっていることに気がついた。違和感ばかりの山の中で一際その根は違和感を携えているように思えて、警戒しながらその根をよく観察してみた。


 見た目は他の根と変わらない。人一人がかがみ込んでやっと、という大きさのアーチの輪からは普通に向こう側が見えている。しかしその見え方が妙だ。本当に僅かだけど、まるで静かな水面に映る景色を見ているような、別のものを通して向こう側を見せられているような、そんな感覚。落ちていた木の枝を握りそっとそのアーチ部をくぐらせてみると、枝はそこを境にして消えてしまった。驚いてすぐ引き抜いて枝をしげしげと眺めてみたが、特に変わった様子もない。


 次に恐る恐る腕をくぐらせると、腕もやはり消えたように見えた。いや、正確には、別の場所にある(・・・・・・・)。拳を握り締めたり開いたりしても何も問題ない。手探りで地面を撫でると、柔らかな草が生えているようだ。指先で草を摘み腕を引き、確認してみるが、摘んだ指も抜いてきた草も何も異常はなかった。


 ここだ。この根の向こう側に、絶対何か──誰かがいる。俺は確信を胸に、ちょっと狭いが根のアーチへと頭から突っ込んだ。


 身を捩りながらどうにかこうにか根の向こう側へと這い出ると、そこは野花が咲くなだらかな丘と穏やかに流れる川がある見通しの良い空間だった。先程までいた山の中のようで、そうでない、ある意味異常な、でもどこか心が落ち着くそんな場所。そして丘の上には一軒の小屋があった。きれいな薄茶色の壁に屋根。それほど長くはない煙突がにょきりとまっすぐに天へ伸びている。


「誰がいるんだろう」


 俺は走り出したいほどの弾む気持ちを抑えながら、小屋へと一歩一歩向かった。


 小屋の登り口をあがり入口の前に立つと、いよいよ緊張してきた。大きく息を吸い込む。震える腕で小屋のドアをゆっくりとノックした。しかし乾いた音がするだけで応答は何もない。思い切り叩いたり大声で挨拶するべきかどうか迷ったが、俺は好奇心に負けた。一刻も早く中を見てみたい気持ちを抑えられなかった。そんな俺の気持ちを汲むかのように、ドアは鍵などかかっておらず押すと静かに開いた。


「……こんにちはー……」


 一歩中に踏み込む。ぎし、と音がするがそれ以外は静かだ。


 小屋の中は外見からは想像できないほど広かった。……これも魔法なのだろうか?入って右手には本棚がいくつか並んでいて、そこから溢れでたような書物の山があった。山のそばの窓際には机があり、開きかけの本が数冊と羽根ペンにインク。それに何か飲み物が入っているのだろう、コップが置いてあった。窓は開いていて風を取り込んだカーテンが優しく揺れている。部屋の左手には丸テーブルと緑色をした大きめのソファ。ソファの足元には毛布が落ちている。そしてそのソファの背の向こうには、奥まで通じている廊下があるようだ。俺は入口に立ったまま、足を動かさず首だけを伸ばして奥の方も覗こうとしたが、さすがに奥までは見れなかった。


「あのー」


 誰も出てこない。


「お邪魔します」


 と少し大きめの声で言ってその場で数秒待ったが、何も変わらない。俺はもう一度「お邪魔します」と言うと、ソファから見えた廊下へと向かった。


 廊下はまっすぐに伸びており左手は一面壁になっていて明り取り用の窓が俺の目の高さくらいにあった。右手側に幾つか部屋が並んでいて、一番手前の台所以外は各部屋ドアが閉じられていた。突き当りにもドアがあり閉じられている。薄暗くて下までは見通せないが、中央には地下へ続く階段のようなものがあった。廊下の入り口に立ったまま台所を覗くと、それはもうごちゃごちゃとしていた。手前の部屋の本の山といい、ここの住人はあまり片付けに頓着しないようだ。


 さて、俺がどの部屋のドアをノックするべきか、そもそもここまで入ってきても大丈夫だったのだろうかと今更迷っていると、突き当り、正面のドアがガチャリと音を立てて開いた。


「はー、さっぱりし──」


 出てきたのは、見覚えのある一人の女の子。でもその容姿は忘れもしない、子どもの頃の俺をフェリエリ山で助けてくれた、あの時の彼女──エリナだ。何故あの時のままの姿なのかはわからないが、だからこそ彼女がエリナだと思えた。……風呂上がりだったのだろう。彼女は一糸まとわぬ姿だった。


「うわああっ!」


 思わぬ再会が嬉しくて、俺は思わず叫び声を上げた。


「ひゃあああああ!」


 驚いたのは彼女も同じだった。慌てている彼女に俺は走って近づくと、


「エリナ、エリナじゃないか!」


 彼女の肩をつかむ。


「ふぇえっ?えっ?」


「俺を覚えているか?ルイだよ。ルイ。フェリエリ山で君に助けられた──」


「き──」


「き?」


「きゃあああっ!」


 瞬間、ぶわっと俺は後方へと弾き飛ばされていた。そして頭を床に叩きつけて俺は気を失った。「これも魔法か」なんてことを呑気に頭の片隅で考えながら。

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