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幕間・マリナとフェンリル

 「さて、と……」


 ルイが出発してすぐに、マリナはベッドから起き上がると、おぼつかない足取りでデスクに歩み寄り、真紅のきらめきを放ち続けるペンダントへと手を伸ばした。


 ──あの子たちが帰ってきたら、ちゃんと話そう。


 手に取ったそれを宝石箱の中へしまい込むと、すぐに彼女はベッドへと戻った。まだ魔力は戻ってきておらず、体力もかなり消耗している。ルイの手前「大丈夫」と強がってみせたものの、頭痛と共に目が眩む。横になり目を閉じると、マリナはフェンリルが現れた時のことを思い返していた。


 ケイコを捜索するために荒れ果てたルーシュの街を飛び出したルイたちに合流しようとしていた時のことを──


* * * * *


 「二人はフィリスが拠点にしていた場所に着いたら、たとえそこにケイコ先生がいなくても私がそこに着くまで待っていること。いい?」


 手のひらに乗せたボタンに声をかけて、マリナは椅子から立ち上がった。異常事態。胸騒ぎが彼女を襲った。ただの魔狼(ファング)の群れが、このような事態を引き起こすはずはない。思い返せば、フィリスを襲撃した魔狼たちの執念も異常だった。


 ──魔狼たちを指揮している奴がいる……?


 杖を強く握りしめ、テオ山へと繋がる木の根のアーチを最大限に警戒しながらマリナがくぐり抜けた次の瞬間、「待て」という威圧する声と共に、彼女の頭上より銀色の毛並みをきらめかせ、まるでマリナに立ち塞がるように、フェンリルが正面へと軽やかに着地した。


 ──慌てていたとはいえ、無警戒ではなかったのに。それなのに何故、こんなに接近されるまで気がつかなかったの。


 思考と同時に杖を構え魔法の矢を放ったマリナだったが、銀狼の分厚い毛皮をそれが射抜くことはなく、勢いよく放たれた矢はポロリと地面に落ち、すぐに霧散した。


「待て、と言っている。契約者よ」


 続けざまに魔法を放とうとしていたマリナだったが、「契約者」という単語を聞くと動きを止め、人語を操る巨大な狼を睨みつけた。


「……何者なの」


「答えるつもりはない」


 返答を挑発と受け取り、マリナは杖を銀狼に向けると瞬時に火炎を放った。しかしその魔法がフェンリルに触れることはなく、まるで蝋燭の火が立ち消えるように散っていく。自分の魔法が一切通じない。マリナが呆気にとられていると、フェンリルはその場に悠々と腰を下ろした。


「勘違いをしているな。貴様が今から関わろうとしている件と我とは無関係だ。貴様が敵対すべき者は今、狩りをしている」


「誰が、一体何のために」


「黒き魔の者はまず集落を襲わせ、そこに目当ての物が無いとわかると次に森の中へ入り込んできた人間を襲うようにしたようだ」


 「だから一体なぜ」と言いかけてマリナは口をつぐんだ。「契約者」と自分を呼ぶ狼が目の前にいる。であるならば、この巨狼は自分の過去を把握していることになる。


「っ……」


 「目当ての物」について察したマリナの心の内を読んだかのように、フェンリルは頷いた。


「そうだ。貴様の持っているあれ(・・)だ。貴様の身に纏わりついてしまった微かな魔力の香りを嗅ぎつけたのだろうな。そしてそれを欲するということは必然的に──」


「二人ともっ! 早く逃げて!!」


 彼らの危機を察知し持っていたボタンに向かって叫んだマリナだったが、彼女の声が彼らに届くことはなく、また、向こう側からルイたちの声が聞こえることもなかった。


「悪いが繋がりは断たせてもらった。契約者よ。貴様の使命はあの者たちを助けに行くことか? いいや違うはずだ。貴様の使命は、俗世と隔絶したあの場所で封印を守ることにあるのではないのか?」


「……」


「使命に殉ずる覚悟を決めろ。あれは今、人間を追い込み騒ぎ立てることで、真の獲物である貴様をおびき寄せようとしている。だがそれは、狩人を気取る者が不用意に目立つという愚かしい行為でもあるのだ。貴様は引き返し大人しく身を潜めていればいい。いずれあの者は討ち取られるだろう」


「……わたしの代わりに、あなたがルイたちを救ってくれるとでも言うの」


「いや。我は観測者。あの者らを救う気など微塵もない」


「だったら、どきなさい!」


「いいのか? 同胞を救いに赴くのであれば必ず後悔することになる。貴様があの者を打ち倒せるという確証もない。今から駆けつけたところで、救いたかった者たちは既に殺されているかもしれん。そしてあれに一度関われば後には引けぬ。ずるずると戦いの場へと引きずり出され、貴様が今まで俗世を離れていた努力が水泡に帰すやも知れぬのだぞ?」


「あの子たちを見捨てて一人になる方が、もっと寂しくて悲しくて、後悔することになる。あなたの言う通り、わたしの使命はあのペンダントを人知れず守ることにあるわ。……たしかについこの間まではそれだけだった。でも今は、それだけではないの。大切な仲間を失うわけにはいかない」


「まだ会って数日といったところだろう。浅い付き合いの情を優先するのか?」


「自分の気持ちに嘘はつきたくないから」


「助けたところで、感謝などされぬかもしれんぞ? むしろ『お前のせいで』と恨まれ、見捨てられるかもしれん。結果として孤独になるのならば、助けに行かない方が賢明ではないか」


「だとしてもよ。もう一度言うわ。どきなさい、白銀の毛を持つ魔狼。わたしの望みはあの子たちを救うことだけ。その後どのような結果になったとしても、わたしはそれを受け入れる」


 決意の言葉とは裏腹に、マリナの瞳には再び孤独な生活に戻るかもしれないことへの恐れやためらいが映っていた。フェンリルに向けている杖も、彼女の震えを微かに伝えている。だがそれでも彼女は一歩も引くことなく、毅然としてフェンリを見据えていた。


「……そうか。ならば好きにするがいい。これ以上貴様の邪魔はするまい」


 フェンリルは目を伏せ「間に合うといいが」と呟いた。それと同時に、山の遠く離れた場所で轟音と共に爆炎が起こる。緊張が緩みかけていたマリナの背筋を悪寒が駆け抜けた。


「ルイっ! フィリスっ!」


 彼女は血相を変え、迷うことなくその方角に向かい駆け出していた。マリナは目の前の巨狼の言葉をすべて信じたわけではなかったが、少なくとも自分を害するために現れたわけではないと理解した。一体何が起ころうとしているのかわからない。それでもマリナは、ただひたすら二人のもとへ向かおうと、細い脚で懸命に地面を蹴った。


 ──お願い、二人とも無事でいて……!


 遠ざかり木々の間に消えていく彼女の背中を、フェンリルはただ静かに見つめ続けていた。

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