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幕間・宣戦布告

 業火で黒狼を燃やし尽くしたマリナがルイの背中で雨に打たれている同時刻。王都ガラリアのとある貴族の邸宅で、一つの()が悲鳴を上げた。


「ぎゃっ」


 影の一部がじゅうじゅうと焼かれ焦げた臭いが室内に充満する。異臭を放つ漆黒の水たまりにも似た影は、磨きあげられた床にへばりつき震えていた。だがそれは痛みや屈辱、恐怖からくる震えではない。影は、心の底より歓喜し歓声を上げたくなるほど打ち震えていた。


 自身の魔力を七割ほど使いファングに模した大型の分体を作ったかいがあったと影は思う。元々はそれを利用してファングたちを大量に従え、時期がくれば王都を襲撃し混乱させる予定だった。しかし今回の件でせっかく従えていたファングたちには逃げられてしまった。分体である黒狼と自身を強く繋げていたため、先の戦いで黒狼が受けた傷も幾ばくかフィードバックされ返ってきた。魔力は大幅に削がれ、手駒はすべて失ってしまったに等しい。完全に回復するには時間を要する。


 しかし、失ったもの以上の収穫がある。満足感に満ち溢れ、悪意渦巻く影の中で彼の者はほくそ笑んだ。


 彼の者は不定形だった。長い年月を経て魔力が淀み邪悪な意識を持ち、人でも魔物でもないモノとして自意識を持った。


 彼の者はすべてを嘲り憎んだ。唯一、ヴィクトル・ザラトゥスという男を除いて。


 彼の者は長く名前を持たなかった。同族などはいなかったため誰かと区別する必要はなく、「影」と呼ばれればそれで充分だったからだ。


 彼の者はただ、浅ましくも貧弱な人間たちが大地の支配者として君臨していることが許せなかった。それ故に人間たちが築き上げた社会というものを破壊したかった。それこそが己の存在理由だと証明してやりたかった。


 敬愛するヴィクトル・ザラトゥスという男がやろうとしたことに比べれば迂遠的なものであるにせよ、方向性に違いはないと彼の者は確信している。


 ──この世界は間違っている。そうですよね。


 ヴィクトル・ザラトゥスの志を継ぐ者と自認し、彼の者は行動を起こしていた。名も無き影だった彼の者が今では「ヴィル」と名乗っているのも、そのためだった。


 ヴィルは今、ヴィクトル・ザラトゥスという男が完全に死んではいないということを知り、震えていた。もし人であったのならば、諸手を天に上げ滂沱の涙を流し嗚咽を漏らしただろう。己の魔力を分けた分体が切り裂かれ灼熱の火焔で燃やされたことなど、大したことではない。


 だが今は喜びに浸っている場合ではない。片付けなければならない喫緊の問題がある。


 ヴィルはそばで怯え情けない顔をして震えている一人の貴族の頬へとその黒い影を伸ばし、ゆっくりと撫でた。


「お前にはまだ仕事をしてもらうぞ」


「ハ……ヒイィっ」


 ガタガタと震えている男に二言三言指示を出すと、ヴィルは部屋の隅にじわじわと染み込み姿を隠した。


 ヴィルの魔力が戻るまで2週間ほど。最低限戦えるようになるまではそれくらい待つ必要があった。だがヴィルは今、残された己の魔力のほとんどを使い、己の姿を模した新たな分体を生み出した。


 ──綱渡りになるが……俺ならやれる。


 もう本体に魔力はほとんど残されていない。本体であるヴィル自身は、ひと月以上動けなくなる状態になってしまった。しかしヴィルにはそれを行う必要性があった。もし策を講じなければ、魔狼たちを使った王都襲撃計画を成功させるために巧妙にこの地から遠ざけた彼ら(・・)が1週間もすると戻って来てしまう。そのようなことがあっては絶対にならない。早急に手を打つ必要がある。


 ──それにしても、あの娘は俺のことを少しも知らないようだったな。


「ククッ……ハハハ……!」


 たしかにそれ相応の力は持っていた。だがそれだけだ。そうであるならば自分を脅かすような存在にはなり得ない。ヴィルは独りで再びほくそ笑んだ。


 ──ああ、魔王様……そこにいらっしゃるのですね……! 必ず、必ずやお迎えに上がります……!


* * * * *


 その翌日、深夜のこと。


 王都ガラリアから西へ離れた場所にあるアルデとネイリムとの国境付近。いざこと(・・)が起これば直ちに戦場へと変貌するこの地は、たとえ深夜でも両軍睨み合う兵たちの緊張感が途絶えることはない。彼らの不断の警戒を反映するかのように、松明が静かに音を立て燃えている。


 そんなネイリム側の砦の中の一部屋に、アルベルト・ハイゼという男がいた。彼が机に向かって書き物をしていると、机の上に置かれている携帯用のランプが揺らめいた。彼が「おや」と思った次の瞬間、彼の背後には二人組の人物が立っており、彼の背に獲物を突きつけていた。アルベルトは立ち上がる間さえなかった。ランプに照らされて、三人分の影が静かに伸びる。


「……誰だ?」


「久しいな、アルベルト」


「なんだ、レイモンドか。ということは、今ぼくの背に杖を突きつけているのはソフィアだね?」


「ああ」


「お見事。気配を断って窓から侵入したの? 全然気がつかなかった」


 閉め切っていた部屋の窓は今、開け放たれていた。夜風が静かに流れ込んできている。


(ここ)に忍び込むことすら難しいのに、この部屋まで来ることができるなんて、流石だよ。……で、これはどういうことなのかな?」


「このような真似をしたくはなかったが、相手がお前であればな。隙を突いて一瞬のうちに抑えなければ、我々二人がかりでも到底敵わな──」


 レイモンドは不意に黙ったかと思うと、すぐさま慌てたように言葉を続けた。


「──アルベルト、お前……操られていないのか!?」


 久しぶりに顔を合わせたかつての仲間の言葉に、アルベルトはきょとんとした。


 人目を忍びアルベルトの寝所へとやってきた彼らはローブを深くまとっている。アルベルトが呆けている一方、彼らもまた、目深に被ったフードの内側で驚き開いた口が塞がらないでいた。


「おや本当だ。どうしたことだいこれは……」


 レイモンド同様、ソフィアは驚愕の表情を浮かべたまま彼に突きつけていた杖を引っ込めた。彼女がゆったりとしたローブの内側に杖をしまい込み警戒が解除されたことを確認すると、アルベルトはゆっくりと二人に向き直った。


「操られて……? 何を言っているんだ、二人とも。ぼくはこうして正気でいるつもりですが」


 自身が正常で、かつ、敵意も何もないことを示すように両手をあげてみせて、アルベルトは改めて二人を見つめた。


「あなたたちも正気のようだ。改めて、久しぶりだね。ただこれはちょっとあんまりじゃないですか。来るとわかっていればもてなすこともできたのに」


 やや憮然とした調子でアルベルトはそう言うと、ベッドの方を顎で示しそこに腰を掛けるように二人に示した。二人は互いに頷きあうと、フードを外し、彼を突然襲ったことを詫びた。


「いや、そういうわけには……ああいや、すまなかった。心より非礼を詫びる。ほら、ソフィアも謝れ」


「子供じゃあるまいし爺に言われなくとも謝りますよ。すまないねアルベルト、許しておくれ」


 どちらも年齢に似合った皺が肌に刻まれているが、生気に溢れている。魔王軍との戦いの中で深くつけられたレイモンドの顔の傷も、強固な意思を持ちすべてを見抜くように聡明なソフィアの眼差しも、アルベルトにとっては懐かしいものだった。


「驚きはしたけれど、そこまで気にしてないよ。むしろ会えて嬉しい」


 二人はゆるゆるとベッドの端に腰を掛けると、“剣聖”アルベルトの姿を眺めた。不測の事態にも対応できるよう簡素な格好をしているが、しかしそれはかつて旅していた時の一張羅よりも上質の素材でできている。


「『アルベルト・ハイゼ様』とお呼びした方がいいか?」


「冗談はよしてくれ。アルベルトでいい。それで、いい加減何があったのか教えてくれないか」


「『影』について」


 ソフィアがアルベルトの言葉に被せるようにして答えると、若き剣聖の顔は瞬時に曇った。


「まさか。あれは」


「滅ぼせていなかった」


 苦々しく吐き捨てるように呟くと、レイモンドは頭を振った。


「ここに来るまでも何度か奴の分体を潰したが、いずれも注意して見なければそれと気が付かないほど脆弱なものだった。まるで細い糸で人形を操るようにな……以前とはやり口を変えてきている」


「私たちがトドメを刺す刹那に最低限の魔力だけ持って本体は逃げたんだろうね。おそらくその逃走の過程で、ほんの僅かな魔力でも人間を操れると学習したんだろう。そしてどこかで充分に魔力を蓄えてきて、ジワジワと活動を再開させている」


「それはまずいね……」


 アルベルトは頭を掻くと先程から気になっていた部分を改めて問うた。


「……で、どうしてぼくが影に操られていると思ったの?」


「それはだな……うー……」


 レイモンドが言い難そうに太い指で頭を掻きむしり唸ると、咳払いを一つ大げさにしてソフィアが後を引き継いだ。


「アルベルト。お前は何故ネイリムとアルデの国境に剣を携え現れた。誰よりも人の世の平和を願い剣を握っていたお前が。何故、争いを起こそうとしているこの場にいる。以前のお前ならば考えられない行動だ。それで、私たちはお前が影に操られているのではないかと考えたんだよ。あわよくばこの地に影の本体がいるかもと思ったが……ハズレたようだね」


「勘違いをしてすまなかった」


「ああそういうことか……うん、二人にはぼくの事情を伝えておくべきだったね。こちらこそ謝るよ」


 アルベルトは申し訳無さそうに目を伏せると、ポツリと呟いた。


「実は妹が──」


「待て!」


 語ろうとしたアルベルトを制し、レイモンドが機敏にベッドから立ち上がった。その次の瞬間には、ベッドサイドのテーブルに置いてあった水飲みコップが部屋の隅へ鋭く投げられていた。


「盗み聞きか? 出てこい!」


 コップの砕ける音と同時に、アルベルトとソフィアも己の武器を手に立ち上がり臨戦態勢を取り、そちらを睨んだ。


「ハハハ……」


 ランプの炎が揺らめき、部屋の一角からヴィル──その分体──が笑いながらゆっくりと姿を表した。


「流石は世界を救った英雄の皆様方、といったところかな?」


「……死んでなかったのかい」


 ソフィアは他の二人の前に立つと、後ろ手で「任せろ」と合図を送った。


「まあな。御存知の通り、(コア)さえ傷つかなければ問題ないんでね」


「あの時、たしかに潰したはずだが?」


「人間の臓腑とは違うからな。核の位置を動かすことくらい容易いのさ、俺にとっては」


「それで逃げおおせた、と」


「転戦、と言えよ。あれからも俺はずっと戦い続けてきたんだ。準備と言ってもいい。お前らも俺の分体を幾つか潰して気づいたろう? なかなか洗練された使い方になったと褒めてくれたっていいんだぜ」


「ハッ、卑怯者め。分体で何人操ってるんだ?」


「おいおい、操ってなんかいないさ。ただちょっと纏わりついて、そいつの魂の薄暗い部分に語りかけてやっただけだぜ。『もっと好きにしな』ってな。(そそのか)す、と言ってくれたほうが正確だな。人間ってのは意外と容易いもんだ。俺が囁けば狙った通りに動いてくれるんだぜ?」


「何のために」


「ハハハッ! 『何のために』!? おい婆さん、何寝ぼけたこと言っているんだ? 耄碌(もうろく)したのか? 俺を誰だと思っている。魔王様に仕え、大幹部に列せられたうちの一人だぞ」


「……人間の真似事をして階級なんか作ったって無駄だったね。みんな死んじまったじゃないか。大幹部とはいえ、その中でも最弱だったお前一人だけが生き延びたというのは皮肉なもんだ。ええ? 手口を変えようがお前は何も変わらない。どうせ今もどこか人目につかない所に隠れて、コソコソと生きながらえているのだろう?」


「挑発しようたって無駄だぜ。お察しの通り、この姿も分体だからな。まあもっとも、この分体ならばお前らを殺すことくらいはできそうだが」


「ふん、この程度で? また逃げる算段かい?」


 ソフィアは影が得意げに語るのを聞きながら、彼の者の意図をその発言から読み取ろうとしていた。


 ──今になって(こいつ)が表立って動き出した理由は何だい?


 ソフィアは今が情報収集の好機だと捉えていた。影は明らかに上機嫌で、必要以上に喋っているように見える。本体が別の地にあり何を企んでいるかわからない以上、引き出せる情報は可能な限り聞き出したかった。


「質問を変えようか。ここへは何をしに現れた」


「まだわからないのか。英雄の諸君」


 ヴィルは更に進み出て部屋の中央まで来るとゆっくりと言い放った。


「宣戦布告だよ。お前らゴミ共が積み上げてきたもの全て──全て俺が壊してやる。改めて仕切り直しといこうじゃないか。俺は、人類という存在を否定する。俺のやり方でな」


「一度敗れたのだから大人しくしていればいいものを。何が宣戦布告だ。もうお前の御主人様はいないんだよ」


「ああ……だが、俺と同じように、お前らの頼みの綱だったあの(・・)女も……ははっ、死んだんだってな? それならば、魔王軍大幹部で最弱の俺と、あの女におんぶに抱っこで魔王様を退けられたお前ら。ちょうどいい組み合わせだと思う──」


 アルベルトが目にも止まらぬ速度で投げた短剣が、分体の内部に隠れるようにあった小さな(コア)へと向かう。体内の核を動かし刃から逃そうとした分体だったが、無駄だった。アルベルトの放ったその刃はヴィルの分体の核を掠め傷つけ、床に突き刺さった。すぐさま、その傷口から分体を維持していた魔力が流出を始めた。


「御託はもういい。さっさと本体でもってぼくらの前へ姿を見せろ。今度こそは完全に滅してやる」


「おお、剣聖様は怖い、怖い。……言ったろ? 『俺のやり方で』ってな。俺は最弱だからな。はは……お前らを打倒するからといって、正面からやり合うようなことはしないさ。お前らが眠っている時、お前らが気を抜いた時……機会はいくらでもある」


 言い終えると、形を保てなくなったヴィルの分体はどろりと溶け出し床の染みへと変貌し始めた。


「影!」


「俺のことは『ヴィル』と、そう呼べ」


 ゴポ……と沼底から湧き上がった瘴気の泡がゆっくりと割れるような音を最後に、ヴィルの分体はその気配を消した。

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