疑念のケイコ先生
片手に持っていた捻れた角を自身の手荷物にしまい、ケイコ先生は俺と向き合った。ただどちらかというと不審な目をこちらに向けているのが気にかかる。
「初めましてケイコ・リー先生。フィリス様がお世話になりました。フィリス様の兄君からも厚く御礼申し上げるとの言葉頂戴しております」
結局、俺はフィリスから兄の名前を教えてもらえなかった。偽るのなら必要だと俺も先生も口を揃えてフィリスを説得しようとしたのだけれど、フィリスは頑として譲らず。だからぼやかした言い方をするしかない。
ケイコ先生はと言うと、俺の言葉を聞いているのかいないのか、何か記憶の底を探るような目つきで俺の頭のてっぺんからつま先まで、じっくり見ている。
「……」
「ケイコ先生?」
俺もそうだがフィリスも不思議そうにケイコ先生を見た。少なくともあいさつは練習通りにやった。噛まずに言えた。不審に思われるようなことは何もしなかったはずだ。それなのにケイコ先生は、
「んんん~~?」
と、今や何か思い出そうと必死に、俺の顔をじっと見つめていた。
「あの……」
「すみません。あなたの容姿をどこかで見聞きしたような覚えがありまして……ええっと何だったか……以前お会いしたことは……ありませんよね?あなたはまだ成人されていないようですし……申し訳ありませんがお名前を伺っても?」
「ルイ──」
「ルイ!?」
「あっ!」とケイコ先生は何か閃いた反応を見せた。本名を名乗るのは絶対にまずいと察知した俺は慌てて名前を付け足す。
「ルイ──えーー、ルイバンと申します。ご賢察の通り歳は十五です。フィリス様と歳の近い人間の方が二人でいて怪しまれないだろうと、フィリス様の兄君はお考えのようでした」
「……」
ケイコ先生の沈黙は長かった。下手を打ったかもと助け舟を求めるつもりで横目でちらりとフィリスの顔を見るが、彼女もケイコ先生が何をここまで訝しんでいるのか理解できないようで困惑の表情を浮かべている。
再びケイコ先生と目が合った。いや、目が合うなんてものじゃない。これはもう確信を持って不信を抱いていて、疑惑のその人の内側まで覗こうとする時の目つきだ。
「……疑うようなことばかり訊いて申し訳ありません。もしよろしかったら、どういったルートでいつ頃ここに?」
これは予想して練習していた質問だった。
「はい。フィリス様の御学友であらせられるクラーラ様のお力添えで、エスレパールよりこの国に。エスレパールの北東にある町、サランカから警備の薄い山岳伝いに忍び込ませていただきました。密やかに移動しつつこの地へ向かい、たどり着いたのは今日より五日前になります」
「『密やかに』、ねえ……」
よどみなくスラスラ答えられたのに、怖い。明らかにケイコ先生はもはや隠す気もなく、俺に対して絶対の不信を抱いている。
「あの……先生?」
「フィリスさん」
ケイコ先生がそう言った瞬間、俺はケイコ先生に杖を向けられていた。幸い、いきなり魔法を放たれるということはなかったけれど、不意に動きでもしたら即座に攻撃する──一言も喋らずただじっとしていろ、と眼前に杖が突きつけられている。
「ちょ──先生!?」
ケイコ先生はフィリスの身を俺から隠すように立ちはだかっている。
「フィリスさん。貴女は騙されています。この人は貴女の兄君からの使者などではありません」
「な──何を言っているんですか。この人は、間違いなく兄からの遣いの者です」
フィリスは動揺を隠せず、あたふたとしながらケイコ先生に抗議をするけれど、ケイコ先生はきっぱりと首を横に振った。
「いいえ。最初に見かけた時から、何か聞いた覚えのある背格好だなと思っていたのですが、名前を聞いて完全に思い出しました。きみ、名前はルイバンではなくルイというでしょう」
まずい。なんでバレた。
「いいえ、私の名前はルイバン」
「ほう……あくまで白を切ると。ではフィリスさんに聞きましょう。彼は魔法を使えますか?」
「い、いいえ……」
「それならば、貴女と彼はどうやってこの広い山の中で出会ったのですか?」
この問いへの答えも練習した。「偶然」では駄目だとマリナ先生に言われて、「狼煙を上げてフィリスに『母国から使者が来てた』と知らせた」ということにしていた。先生からはそれでもツッコまれる恐れがあると言われて三人で考え直そうとしたけれど、他にいい案は思い浮かばなかったのだ。
「狼煙で……」
「それは嘘ですね」
ピシャリとケイコ先生はフィリスの言葉を遮ると、彼女の身体を自分に密着させるように片腕で引き寄せた。
「安心して、フィリスさん。私が必ず貴女を守ってみせますから。怖がらないで。貴女が正直に言ったことでたとえこの人が暴れ出しても、貴女には指一本触れさせません」
いや待て。色々言いたいことはあるけど、どうして狼煙のことを嘘だと即座に見抜いたんだ。結構いけると思ったのに。
「あの……」
「なんですか」
おそるおそる口を開いた俺に、容赦なくケイコ先生の視線が刺さる。
「どうして狼煙を嘘だと決めつけるのか、伺ってもよろしいですか」
「まだ使者のふりを……いいでしょう。わかりました。狼煙なんて不特定多数の人間に見つかる可能性があるものを、どうして隠密行動しているきみは使ったのですか」
「……他に方法はなかったのです」
これも万が一の時のために考えておいた奥の手──もとい、フィリスに助け舟を求める合図だった。とにかくこれ以上詰め寄られると、手がない。
「あ、その、先生。彼は魔導具の狼煙を」
フィリスが補おうとして言うが、俺でもそれは無理だろと思うくらい下手な嘘で、逆効果だった。
「一体どれほど言葉を弄して、フィリスさんを騙しているんですか?いえ、脅しているのですか」
これ以上嘘を積み重ねても、ケイコ先生が俺を使者でないと看破している以上無駄なことだ。
大きく息を吸うと、俺は降参の宣言をした。
「……フィリス、全部話そう。これ以上は無理だよ」
***
何もかもが上手くいかなかった場合、俺たちはマリナ先生のことだけは隠してそれ以外は正直に全部話そうと決めていた。
「フィリスさんには話しかけないで!」と最初は杖を突きつけられていたままだったけれど、フィリスがとりなしてくれたおかげでとりあえず杖は引っ込んだ。
「本当に脅されたりしていませんから」
俺の方を注意深く見張っているケイコ先生にフィリスは「大丈夫です」と繰り返しているが、まだ俺のことは完全に信用してくれていないらしい。
「あの……話す前になぜ俺がフィリスの兄からの遣いではないとわかったのか、訊ねてもいいですか」
「……きみは私を教師だと考えているようですが、私の役職はそれだけではありません。私、この国に流れる情報を扱う部署にも所属しているんです」
「はあ」
いまいち何を言おうとしているのかわからない。ケイコ先生は続ける。
「向いていないんですけどね。……それはそれとして。最近、『異邦人っぽい、身なりの若干怪しい少年が学園について聴き漁ってきた』という情報が、地方の街から入るようになったんです。要注意対象。そして先日、レオハルトという人物がその少年──つまりきみを見極めに行きました。きみも覚えているでしょう。彼からの報告もわたしは受けています」
「あ」
すっかり忘れていた。横でフィリスも呆れたように「それはバレて当然だわ」とため息をついている。
「そうです。10代半ばくらいで深い茶の髪、筋肉質で同世代と比べて身長はやや高め。聞いていたものとだいたい一致します。レオハルトと出会ったきみは魔法使いを求めており、それでテオ山に踏み入った。そうですね?ルイくん」
「はい……」
肩の力が自然と抜けた。うなだれた俺に代わって、フィリスが続けた。
「えーと……。その夜、あたしたち本当に偶然出会ったんです。ルイがファングに襲われていて。それであたしが彼を助けて」
「なるほど」
「話しをすると、ルイは魔法を学びたいって気持ちがあって。立場は違えどあたしと似たようなもの感じて。それでまあ、あたしが勉強を見つつ二人で協力して山にいたんですけど、ルイがこんな山の中じゃなくて自分の村に行かないか、そこなら辺境の田舎だから落ち着いて勉強できるって言ってくれて」
半分本当で半分は嘘だ。だが俺はフィリスの言葉には嘘がないと言わんばかりにうなずいてみせた。
「……なぜ私に国に帰ると嘘を?正直に言ってくれれば良かったのに」
「それは、その……先生ならきっと、ルイが本当に信用して良い人物か見に来て、なんなら場合によっては村まで来たりして、先生にいらない心配で迷惑をかけると思ったから……」
「あたりまえです」
もう、とケイコ先生呟く。
「教師が生徒を心配するのに『いらない』も『迷惑』も、ありませんよ。それが仕事なんですから。たしかにルイくんは悪人ではないかもしれません。レオハルトの報告の印象と、実際に見た私の印象に違いはないと思います。少し無用心すぎるかもしれませんが」
ちらりと俺を見てケイコ先生は続けた。
「私もフィリスさんが一人で山の中にいるより、村でも街でも安全なところで生活をしているほうが安心します。ルイくんの村に向かうというのも反対はしません。ただ──」
「ただ?」
「一つだけ聞かせてください。大事なことです」
ケイコ先生はフィリスを見つめて、「大事なことなんです」と繰り返した。
「は、はい」
「フィリスさん。『解除』したのは貴女ですか?」
「え?」
「コインを」
「いやえっと、コイン……?」
隣で聞いていて、俺は顔面の血の気が引くのを感じた。そうだ。レオハルトからもらった、実は追跡用の魔導具だったというあのコイン。あれを解除したのはマリナ先生で、フィリスはそのコインがあることすら知らない。
「やはりそうですか……」
「あの、先生?」
フィリスの方はまだケイコ先生が何を訊ねているのかすら理解できておらず、キョトンとしている。
「ルイくん」
ケイコ先生は俺の方を見ずに語りかけてきた。
「そこに善意があるのか悪意があるのか、判断はまだつけられません。ですがあなたは隠し事をしていますね。そしてこの期に及んで隠し通そうとするほど、それはとても大事な事なのでしょう。秘密にしておかねばならないのでしょう。ですが私は教師として生徒が危ない橋を渡らずに済むよう、彼らの身の安全を第一に守らなければなりません。そしてキカンの人間としても、国に災いを及ぼす可能性があるものは白日の下に晒して見極めねばなりません。つまり──」
ゆらりと杖を俺に向け、再びケイコ先生は身構えた。
「これより、きみにすべてを吐いてもらいます」
***
「先生!?」
「フィリスさん。ルイくんは少なくとも貴女に出会う前に誰か別の人物と会っているのですよ。そしてその人物に私が作った追跡用の魔導具を無効化してもらっているのです」
「っ……!」
「その様子だとフィリスさんもその人物を知っていますね。何者なのかは知りませんが、他人の──それも私が念入りにかけた魔法を解除できる魔法使いなんて、数えるほどしかいらっしゃいません。そのほとんどが、重要な役職について多忙な日々を過ごしているか研究者として学園にこもっている方々です。在野の、それもこんな山の中にいる人物が真っ当な人であるわけがない。率直に言って不審者です」
「そんなことはない!」
思わずケイコ先生に向かって言い返していた。
「先生は──その人は、ケイコ先生が考えるような怪しい人じゃない!」
「『先生』?なるほど、その人物に師事しているのですね。……だいたいわかりました。フィリスさんとルイくんはその人物を守るために、私や他の誰かがテオ山に入ってくるのを避けたい。そうじゃありませんか?ですがその人物が本当に守るほどの人物なのか──信用しても良い人物なのか──あなたたちは確信をもってうなずけるのですか?」
「俺は──」
言いかけたその時だった。ファングが一斉に吠えたて、俺たちはファングたちに取り囲まれていることに今更気がついた。先生とのやり取りに気を取られて、周囲への警戒を怠っていた。フィリスを助けたあの夜のように、大量のファングが俺たちの周りにいる。ただあの夜と違うことが一つ。一頭の、とても巨大なファングが少し離れた場所にいて俺たちを見定めるようにこちらを見ていた。
そいつはまるで夜の闇を身にまとっているのかというほど黒く、そして大きかった。通常のファングの4、5倍はあろうかという異常な大きさで、その黒狼が吠えるだけで地面がビリビリと振動した。
「何あれ……あれもファング?」
「フィリスさん、こちらへ!」
黒狼に気を取られているフィリスを狙って一頭が飛びかかる。フィリスの腕を引っ張り寄せたケイコ先生がすぐに杖を振り、杖の先から出た火炎がファングを退けるが──。
「数が多すぎる」
ケイコ先生が呟く。実際、多すぎた。
「先生、さっき起こした爆発でまた一気にファングたちを吹きとばせませんか?」
「あれは──」
ケイコ先生が荷物から先程の角を取り出して、構える。
「退治と威嚇と両方のつもりで、最大火力だったんです。あれくらい派手にやれば場にいなかったファングたちも恐怖して、しばらく人を襲う気もなくすだろう、というつもりで。つまり正直に言うと……結構魔力を使っちゃって」
ところが実際は大物を引き連れ集まりやってきたわけだ。山の中にしばらく過ごしていたフィリスも知らない、襲われたルーシュの街のダモさんも、いるだけで目立つあの黒狼のことは何も言っていなかった。きっと奥でどっしり構えているタイプの群れのボスなのだろう。
そんなこいつが出てきたということは、ファングたちにとってもケイコ先生の爆発が脅威だったわけか。
「どうします、ケイコ先生」
俺が尋ねるとケイコ先生は複雑そうな顔をした。
「……なんとしてでも、ここからあなたたちを逃します。すべては……すべて終わった後に、あなたたちが隠していること教えてもらいますからね」
ケイコ先生の手足が震えていることに気がついたけれど、それを見て見ぬふりして俺はうなずいた。ケイコ先生は自分を勘定に入れてないみたいだけど、全員でこの場から助からなければだめだ。




