葛藤と爆発と
ルーシュを飛び出した俺たちは街道から山の中へと入っていた。まずはフィリスが拠点にしていた場所を目指して、草木をかき分け走っている。マリナ先生は当初、ケイコ先生を探しに山の中へ行くのは賛成ではないようだったが、かと言ってフィリスの「どうしても」という気持ちに異議を唱えることもできないみたいだった。
『フィリスが使っていた場所にケイコ先生がいるといいけれど。ファングは大丈夫?いない?』
「今のところはいない」
「いない」というよりも「まだ襲ってきていない」が正確かもしれないなと、ちらり思う。ファングが俺たちを狙っていないという保証などどこにもない。
「フィリスは例の場所以外にケイコ先生が他に行きそうな場所、わかる?」
「先生ならまずはあそこに向かうと思う。でもそれから先は……あたしもわからない」
俺たちがルーシュの街に着いたのは昼前。朝、街に着いたというケイコ先生とは時間にだいぶ開きがある。その上、ケイコ先生がまずは例の場所に行くとしても、次にどこへ行くのか検討もつかない。ケイコ先生は当てもなくフィリスの捜索を続けているのか、それとも一度街へ戻っているのか……。すでに山の中でファングの群れと対峙している可能性だってある。
とにかく、ケイコ先生が今どこにいるのかわからない以上、俺たちも四方八方を無軌道に探す羽目になる。それはもちろん、俺たちが山の中にいるであろうファングの大群とぶつかってしまう可能性を高めることを意味する。
「先生、フィリスを助けた時みたいに魔法でケイコ先生を見つけることはできない?」
『もちろんできるよ。ただ一旦二人と合流するのが先かな。私もそっちに向かうから、それまで待ってて』
先生も出てくるつもりらしく、ボタンの向こうからはバタバタと身支度をする音がしている。
「マリナはいいよ、小屋に居て!あたしたちは大丈夫だから。せっかく隠れて暮らしているのに、外に出てケイコ先生とか誰かに見つかったら、そんなの──」
『フィリス落ち着いて。学園で教師をやれるほどの人物ならファングの群れを回避する方法も身を守る方法も多少は持っているはずよ。すぐに危機的状況に陥ることはないと思うわ。どちらかというと、私が心配しているのはあなたたち。それに私なら、ケイコ先生にもファングにも──誰にも見つからないよう慎重に向かうから。私の心配より自分たちの安全を考えること』
ボタンからは小屋の入口の扉が開閉する音がした。
『二人はフィリスが拠点にしていた場所に着いたら、たとえそこにケイコ先生がいなくても私がそこに着くまで待っていること。いい?』
「……わかった」
フィリスは不承不承だがうなずいた。実際、俺とフィリスだけでは、もしファングの群れに出会ってしまった場合どうしようもない。そこまで考えた時、俺は手持ちの武器を持っていないことに気がついた。ナイフすら今日は持ってきていない。思わず「あっ」と小さく声を漏らしてしまった。
「どうかしたの!?」
「今気がついたんだけど、ファングと戦えるような武器、俺何も持ってきてない」
フィリスは「なんだ、そんなことか」とでも言いたげな、少しほっとした顔をしてみせた。
「武器があったとしてもファングが何十頭もいたらどうしようもないよ。ルイも覚えがあるでしょ。あたしだって、二人に助けられたあの夜は自分の身を守るので精一杯だったんだし……。それにファングと戦うことになるって決まったわけじゃないから」
「そうなんだけど、ないよりはあった方がいいかなって」
「あたしの荷物の中に杖が入ってるから。いざという時はあたしが戦う」
「……うん」
けれども、立ち止まって杖を取り出すようなことはしなかった。自分の不甲斐なさを見せつけられるようで。自分の未熟さの尻拭いをフィリスにさせるようで。俺はただ走り続けることしかできなかった。
ただ一方で、ファングが引き帰ったという割にはテオ山の中は日常通りな感じがした。小鳥がさえずり木々の間を抜け飛び、俺たちの足音に驚いた小動物たちが脇へと慌てて飛び退く。今この山にファングたちが息を潜めているだなんて、ちょっと信じられないくらいだ。願わくばこのまま何事もなく、ケイコ先生を見つけて帰りたい。
***
やはりと言うべきだろうか。目指していた場所に到着して周囲を見渡しても、ケイコ先生の姿はなかった。一方ファングの姿もない。フィリスが大声を出して「ケイコ先生ー!」と呼びかけたけれど何も返事はない。フィリスの大声に釣られてファングが寄ってくることもない。
「どこにいるんだろう……先生。ああもう、こんなことになるならもっと早くに、ううん、昨日のうちに出発してルーシュに着いておくべきだった」
悔しそうにうつむいて、フィリスは唇をかみしめた。
「そもそもあたしがこの山でファングを必要以上に倒しちゃったのが悪いんだ。あんなにたくさんファングが集まっちゃったの、きっとあたしがファングの恨みを買ったからだわ。ルーシュの街を襲った理由もきっとあたしに──」
俺とマリナ先生でフィリスを助けたあの夜、フィリスを取り囲んでいたファングたちの数はたしかに尋常ではなかった。なんとなく俺もあの夜の襲撃はファングがフィリスを恨んでのものだと考えていたけれど、ルーシュの街が襲われたのもそうなのだろうか?
「……街を襲った理由はフィリスとは関係ないと思うよ」
少し考えて出てきた答えは否だった。
「もしファングたちがフィリスを恨んで──つまり人間を恨んで街を襲ったのなら、恐ろしい話だけど、街の人たちがたくさん犠牲になっていたはずだろ。でもファングは街の人には目もくれず『何かを探しているみたいだった』って。だからルーシュを襲った理由はフィリスとは無関係だと思うんだ」
「じゃあなんであの街は襲われたの」
「それは……わからないけれど」
そうこうしている間も、間延びした時間だけが過ぎていく。俺以上にフィリスがそう感じているだろう。今は一秒ですら長く、そして虚ろに流れているのを感じる。俺たちの気も知らないで、去っていく時は焦燥感だけを助長させる。
「──マリナはまだ来れないのかな。ねえ、やっぱり待ってないであたしたちだけで探そうよ。マリナが来るまで待ってて先生に何かあったら、あたし」
「ちょっと休憩していればマリナ先生もじき到着するから」
フィリスの言葉を遮ってわざとらしく俺は深呼吸をしてみせた。しかし休憩といっても完全に気を抜くわけにはいかない。今も遠巻きにファングが俺たちを窺っていないとも言い切れないからだ。見える範囲ではそれらしい姿はないけれど、山の中を駆けてきた俺たちを見つけて、尾つけてきていてもおかしくない。
フィリスはひざまずいて、俺の足元に下ろしていた荷から杖を取り出した。
「ごめん、マリナが来ればちゃんとケイコ先生を探しだせるってわかってはいるの。いるんだけど」
「うん──」
しばらく待ったけど、フィリスはその言葉の続きは語らなかった。
「……休憩がてら、ケイコ先生がどこに行ったか考えてみる?」
マリナ先生が着くにはまだ時間がかかるようだ。俺の提案にフィリスは近くの木に背中を預けてうなった。
「この山で先生が行きそうな場所……先生に手紙を出す時、ここよりも安全な場所に移動したって嘘を言っちゃったでしょ。だからもし、次に行くとしたらそこを探すと思う。とすると……」
頭を抱え込んで少しでも可能性がありそうな地点を思い出そうと考えているフィリスに、思いついた言葉を俺はぽつりと呟いた。
「……川沿い、とか?」
もし俺がケイコ先生だったら次にフィリスを探すなら川のそばへ向かうんじゃないかと思う。ただそれは俺の無根拠な想像で、ケイコ先生がどう考えて動いているかなんて実際のところはわからない。
「せめて先生が向かった大体の方角だけでもわかれば」
「そうだね──」
地面に這いつくばってケイコ先生の足跡でも残ってないかと目を凝らして見てみたけれど、何も見えない。フィリスなら魔法でケイコ先生の痕跡を見つけられるんじゃないかと一瞬考えたけど、即座に頭の中で否定した。そんなことができるなら今こうして頭を抱えてなどいない。
「ねえルイ、あたしやっぱり──」
フィリスが言いかけたその時だった。地面を揺らすほどの轟音と共に、ここからかなり離れた場所で爆煙が上がった。鳥たちが驚いて一斉に空へと羽ばたいていく。
「先生!?」
思わず俺たち二人は同時に叫んでいた。マリナ先生かケイコ先生か──。どちらの先生の仕業によるものかわからないけれど、魔法が使われたことは間違いないと思う。
「──ケイコ先生はあんな派手な魔法を使わないような……先生が得意なの器用な魔力操作による魔導具の作成だし。マリナ……かな」
「……」
たしかに俺も最初は一瞬マリナ先生だと思った。でも落ち着いてよくよく考えてみると方角が違う。小屋のある空間の出口からここまでを結ぶ直線上に、あの噴煙が上がっている地点はないはずだ。大きくずれている。
それに疑問なのが小屋を出てからマリナ先生がずっと静かなことだ。さっきから俺たち二人の会話に口をはさむことも、今の轟音に何か反応を示すこともない。あれほど規模の大きい音なら服のボタンを通さずとも聞こえただろうに、全くの無反応。先生らしくもない。
「──マリナ先生?」
おそるおそるボタンに呼びかけてみても反応が返ってこなかった。慌てて指の腹でボタンを拭って再度呼びかけてみる。
「先生?」
「マリナ?」
俺たちが交互に呼びかけても反応はない。胸元を引っ張って、ボタンから聞こえてくる向こうの音を拾おうと耳を澄ましてみたけれど、まるで無音だった。ただのボタンに戻っている感じがする。俺たちの声が向こうに届いているのかどうかすらわからない。
「えっ──?」
俺たちが戸惑っているとまたもう一発、同じ場所から爆発音がして黒煙が上がった。短い悲鳴がフィリスの口から漏れ、守るように頭を抱えてしゃがみ込む。見ると煙が雲の多い空へ立ち昇っていた。
「フィリ──」
フィリスに話しかけようとしたところで、休む間もなくまた同程度の爆発が起こり、轟音が再び山を響かせた。
「何が起こっているの……」
その場にへたり込んだフィリスの横で、俺も足がすくんでいた。
***
数秒間その場で俺たちは硬直していたと思う。体感では一瞬だったけど、多分何秒も俺はただ黙って立ち昇る煙を見ていた。ようやく我に返ると、俺は深呼吸をして考えを巡らせる。
問題は二つ。一つはあの爆発。誰が何の目的で行っていたのか。もう一つはマリナ先生。なぜボタンから音が聞こえなくなったのか。先生が故意にそうしたのか、それとも事故なのか。
いずれにせよこのままここに立ちすくんでいるわけにもいかない。フィリスが立ち上がるのに手を貸すと、俺はまだ煙が昇っている方を指差した。
「あっちに行ってみないか」
「マリナは──」
「先生なら……きっと今にここに着く、と思う。何が起きているかさっぱりわからないけれど、だからこそ俺たちが先生に先んじて、今この山で何が起ころうとしているか把握しておくべきだと思う。……言いつけには背くけど、わかってくれるさ」
取ってつけたように最後の方は軽く言ってみせたけど、内心、俺は不安で満たされている。「きっと」──。本当にそうだろうか?心の内で俺は自問自答した。マリナ先生が大丈夫だという根拠はどこにある?何か、マリナ先生にすら予測できない不測の事態が起こったんじゃないか?だからこそボタンが不通になって──いや、今詮無きことを考えるのはよそう。マリナ先生の魔法の見事さは俺がよくわかっている。マリナ先生なら絶対大丈夫だ。
俺が自分に言い聞かせている間に、フィリスも決心したようだった。
「わかった」
「うん、それじゃあ行こう」
硬い表情でうなずくフィリスとともに、俺は煙を目印にしてその場所へとやぶを抜け木の間を駆け抜けた。手足が少し震えていたけど、そんなこと気にしていられない。
ほどなくして、視界が拓けた一帯に出た。さっきの爆発でできたのだとすぐに理解する。木々や草花が生い茂っていたと思われるこの場所は、今や、木が折れ飛び消し炭になっており、地面に残っている側の幹も焦げて一部の根は無理やり引っ張り上げられたみたいに地面に露出している。草花は燃え尽き灰になって焦げた臭いの源になっていた。
すっかり焦土と化した地面の上には五頭ほどのファングが倒れていた。先程の強力な爆発によるものだろう。だが数が少なすぎる。ファングの群れのすべてがここに倒れているわけではないようだ。
「ケイコ先生!」
俺の背後でフィリスが一帯の中央に立つ黒髪の女性に向かって叫んだ。彼女だけがこの一帯で唯一立っている人物だった。杖を片手に構えて立っており、杖を持っていない方の手には太く捻れたもの──おそらく山羊の角──を握りしめていた。ゆっくりとその人がこちらを見て、俺たちと視線が合う。やや気の弱そうな視線が揺らいだかと思うと、次の瞬間、その人はぱあっと顔を明るくして叫んだ。
「フィリスさん!」
長身のその人が、俺たちが探しているケイコ先生で間違いないようだった。ケイコ先生は脱力してその場に尻もちをつくと、「よかったあ……」と安堵している。フィリスが走り出してケイコ先生の元に駆け寄ったかと思うと、その勢いのまま抱きついていた。
「先生……!本当に良かった。あたし先生に何かあったらと不安で……」
「フィリスさん──」
「私も心配しましたよ」と、ケイコ先生もフィリスをそっと抱き返している。どうやらこっちはもう安心してよさそうだ。俺もほっとして肩の力が抜けた。本当によかった──。
ふと視線に気がついて目を向けると、ケイコ先生がこちらを見ていた。視線がぶつかる。軽く目礼をして俺は二人に歩みだした。
ここからは俺の演技の質が問われるわけだけど──本当にそんなことをしていていいのだろうか。今すぐにでもマリナ先生を探しに向かうべきではないだろうか。
──────────
──いや、いい。ここでフィリスを連れ戻しに来た従者という役を投げ捨てれば、全てがふいになる。これでいい。いいはずだ。
俺が近づくとケイコ先生は立ち上がった。
「はじめまして」
恭しく一礼をして俺はいかにも下僕でござい、といった神妙な面持ちのままケイコ先生に再度頭を下げた。
「あなたが無事で本当に良かったです。ケイコ・リー先生」
さあ、完璧に偽ってみせるぞ。




