言付け鳥
翌朝、俺は窓際にある机で目を覚ました。昨夜は結局あのまま本を眺めながら眠ってしまっていたのだった。うつらうつらになりながらもよだれでもつけて汚してはまずいだろうと、閉じて脇に置いていた本の背表紙と目が合った。
「ぐ……あ、あ」
あくびを噛み殺しつつ座ったまま椅子の背を利用して体を伸ばすと、みしみしと己の体の軋む音がした。こんな感じで自分の魔力を実感できたらいいのに。まだのんびりと燃えているまどろみ焔を見上げて、俺は大きく息を吐いた。火をつけてもらった時のように、あとでフィリスに消してもらわなければ。
***
三人起きてきたところで揃って朝食を食べていると、フィリスの様子が少し変なことに気がついた。
「──村長の爺ちゃんはもちろん、俺が村から出るのに最初はみんな反対していたんだ。それでも俺の幼馴染のバレットっていう奴がさ──」
話しながらフィリスの様子をそれとなく観察していると、どうやらマリナ先生に何か言いたいことがあるらしい。フィリスは何か言いたそうに口を開こうとしては、ためらっている。
「フィリス?どうかした?」
最初はもじもじと最初の言葉を言いあぐねていたフィリスだったけれど、ようやく先生に切り出した。
「あ──マリナあのね?……あの、あたしがもうテオ山にいないことをケイコ先生に報告したいなって思っているのだけれど」
予想外の言葉には驚いた。マリナ先生も面食らった様子で、食事する手を止めてフィリスを直視している。
「ええと、ケイコという人にここや私のことを報告するのはちょっと」
「うんわかってるよ。マリナが自分のことを他の人に知られたくないってこと。でも先生にあたしが山の中にいないって教えておかないと、きっと探しに来ちゃうから……。だからマリナやここのことは伏せたまま、あたしがテオ山から出て行くって嘘をついて先生を誤魔化そうと思って」
「黙っておけばいいんじゃない?」
俺が横から口を挟むと、フィリスはやんわりと首を横に振った。
「あたしからしばらく連絡がなかったら、先生、きっと言付け鳥を飛ばすから」
ああ、とマリナ先生はため息とともに頷いて、止めていた口を再び動かしてパンをかじっている。
「──でもどう嘘の報告をするつもり?」
「どう言えばいいかなあ、それで困ってるの」
「……あの、ごめん二人とも。言付け鳥って?」
魔法の一種なんだろうとは想像がついたけど、どんなものなのか気になった。
「言付け鳥っていうのは、その名の通り鳥を使って伝えたい言葉を遠方にいる相手へ届ける魔法。基本的には親しい魔法使い同士でやり取りするのに使われているの」
軽く吐息して先生は続ける。
「正確には人ではなく場所に宛てて飛ばすもの、だけどね。フィリスとケイコ先生の場合は……一昨晩、貴女が倒れていたあたりが言付け鳥の設定地点?」
「うん。先生の方は学園の研究室」
まだいまいち飲み込めていない俺がわかるようにと、フィリスも補足してくれた。
「言付け鳥は役目を──つまり手紙を渡せなかった場合、差出人の元へ帰っちゃうの。だからもし先生があたしに鳥を飛ばして受け取り損ねた場合、鳥は先生の元へ帰って行っちゃう。そうなると先生、きっとあたしに何か起きたと勘違いして心配しちゃうから。そうなる前に、あたしからケイコ先生へ手紙を出しておく必要があると思うの」
そういうことか。もしケイコ先生がフィリスに手紙を出してそれが届かないとなれば、心配したケイコ先生がテオ山までフィリスを探しに来るかもしれない、と。そうなれば最悪の場合、ここの存在が露見するかもしれない。
「……もしかして結構面倒な事態?」
「うーん、ちょっとだけね。マリナのことは隠しつつ、あたしが山から出ていくって信じてもらえればいいわけだけど……」
フィリスは髪をかきあげるとに俺をちらりと見た。
「何かいい案ない?ルイ」
いきなりそう尋ねられても、妙案など出るはずもない。
「……国に帰ることにした、とか。どう?」
「あたしも最初にそれを考えたけど、いまいち説得力がないのよね。散々無理言って山にこもったのに、『やっぱり帰ります』だなんて真似、あたしらしくない気もするし」
腕を組んでうーんと唸り、フィリスはしばし黙り込んだ。
「下手な嘘をつくと余計不審に思わせちゃうし、難しいね」
マリナ先生もフィリスと同じく腕を組んで悩んでみせた。己のことを世間に対して秘密にしておきたい先生にとって、ケイコ先生を上手く欺くのは喫緊の問題なことに違いない。
「じゃあさ、ケイコ先生にこれ以上迷惑をかけたくないから、と言って連絡を断つのは?」
「これはあたしのわがままになるから申し訳ないのだけれど、ケイコ先生には心配してほしくないの。嘘をつくならせめて先生が安心してくれるような嘘をつきたい」
たとえ嘘をつくことになるとはいえ、恩師であるケイコ先生を無闇に心配させるようなことは彼女の心情として無理な話らしい。そりゃそうだ。それにいきなり姿をくらませたら、結局テオ山を念入りに捜索をされてしまう。それじゃあ意味がない。
「──じゃあやっぱり『国に帰ることにした』とするのが一番かもね」
沈黙を破って先生はそう言うと、俺をじっと見据えた。
「詳しい理由付けが必要なら、家人がフィリスを連れ帰りに来たってことにしたらいいんじゃない?ルイがその役で」
「えっ!?」
先生からの突然の指名に驚きの声を上げてしまった。俺と目が合ったまま、先生は平然と言葉を続ける。
「そ。一人山にいるフィリスを迎えに家の者が来て、それで安全に母国に帰還できるとなればケイコさんも安心でしょう?フィリスはどう思う?」
「うーん……」
天井を見上げて悩んでいるフィリスに俺は口を添える。
「あ、ああ。驚いたけれどフィリスが構わないなら俺ももちろん協力するよ。……フィリスの家の人のふりをするには練習が必要そうだけどさ」
「ありがとう。でもあたしの家の人間のふりなんて、それは、別に……うーん…………そうね、家の者というか兄さんからの遣いとしてなら……いけるかも」
フィリスはそう言うと俺の方に向き直った。
「頼んでもいい?」
「もちろん」
「よし決まり!」
先生は手を叩くと、「ごちそうさまでした」と呟いた。
***
よく考えたらケイコ先生と対面をしないのであれば俺がフィリスの関係者の振りをする必要はなくて、ただケイコ先生に「迎えが来て帰らざるを得なくなったので帰ります」の一報を入れるだけでいいんじゃないかと思ったのだけど、フィリスはケイコ先生に対面する必要があったらしい。
「魔法書を借りているからさ。国に帰るならきちんと返さないと不自然でしょ?」
「ははあ……なるほど」
俺たち三人は今、言付け鳥に使う鳥を捕まえに、小屋のある空間を出てテオ山の中を歩いている。先生は当初、鳥を捕まえるくらい自分が行く必要ないと主張をしていたのだけれど、もしかしたらファングが出るかもしれないからと頼んで着いて来てもらった。だが実際のところはファングの気配などはなく、のどかな朝の山の中だ。
「結局今日もファングいないじゃん」
「変だよね。あたしが山にいた時はちらほらとは見かけたんだけど。あ、でも夜が多かったか」
ファングの不在をむしろ不服気に先生はぼやいている。それでもまあ、出不精の先生にはいい散歩の機会になったんじゃないかと一人で勝手に満足して頷いていると、先生から杖の先で小突かれた。
「まーたろくでもないこと考えてるでしょ」
「……いいえ何にもございません。ところでフィリス──言付け鳥に相応しい鳥とかあるの?」
「話をそらさないで」先生の攻撃をかわすと、俺は二人の二、三歩先を歩いた。
「特には。あ、でも、あんまり大きな鳥だと目立っちゃうから基本的には小鳥かな。あたしの場合は特にね。できればそこら辺で見かけても気にも止めないような鳥がいい」
そう言うとフィリスは「ああいうのはパス」と俺たちの頭上高くを飛ぶワシを見上げた。羽を広げ飛ぶ姿は勇ましいけれど、たしかにあの大きさだと街中では嫌でも目立ってしまいそうだ。
「あれはあれでいかにも『魔法使い』って感じでかっこよさそうだけどなあ」
「目立つのはちょっとね。人によっては使う鳥の種類を限定することで自分の言付け鳥だって主張したりするらしいけど」
先生はフィリスに同調すると「でもいくらなんでもワシはない」と呟いた。
「ね。形から入りたくなる気持ちはあたしもわかるけど」
「そんなものか」
語らいながらぶらぶらしているとすぐに、小鳥のさえずる声が聞こえて俺たちは注意深く周囲を見回した。少し離れた木の枝の先にツグミが止まっている。
「あの子にしようかな……マリナはどう思う?」
「うん、全然問題ないと思うよ」
小声で「どうやって捕まえるの?」と訊くと「魔法で」とフィリスは即答した。杖を持ってきてはいるものの先生は今回何もするつもりはないらしく、フィリスが杖を構えるのを黙って見ている。
おもむろにフィリスが「ほい」とツグミに向け軽く杖を振ると、小鳥は羽を忙しく動かせてフィリスの肩へと飛んできて止まった。
「魔法ってずいぶんあっさりだよなあ」
村を出る前は魔法はもっと仰々しく使われるものだと思っていたから、内心物足りない気持ちがないかと言えば嘘になる。
「まあそう思うよね」
「もっとこう、『調伏せよ~~』とか『神々の名において汝に命ずる~~』とか、そういう呪文って何かないの?先生もすごい魔法使うのに杖振ってハイ、みたいな感じだし情緒というか趣というか……」
杖を振る身振りを混じえて思っていたことを口にすると、ツグミが肩先に止まったままのフィリスはこともなげに教えてくれた。
「ああ……大昔はそういう呪文ってちゃんと口に出していたらしいよ?でもいつの間にか使われなくなったみたいで、昔に使われていた呪文は全部失われてるの。それに今はもう呪文は集中を欠くってことで全然誰も興味なし。呪文を唱えることで気分が乗るなら自分で考案するのもアリだとは思うけど……まあないかな」
「なんだか拍子抜けだなあ」
肩を落とした俺を先生が励ます。
「そんなことを気にしてたの。道理で魔法、魔法、っていう割には私が魔法を使っても妙に涼しい態度だったわけだ。あのね。もし呪文があったら魔法を使うときにいちいち唱えるの鬱陶しいなあって、ルイもそうなると思うよ。どのみちルイが魔法を使えるようになるにはしばらくかかるんだから、使えるようになった先のことなんて、今は気にしなくても全然いいの」
……うーん、やっぱりあんまり励ましになってないです。先生。
***
小屋へ戻ると早速、フィリスは言付け鳥の準備を始めた。俺が使っている机の上にまっさらな白紙を広げて四隅を杖で突くと、連れてきたツグミをそっとその紙の中央に乗せる。
「マリナに見られながらやるの緊張するなあ。失敗しなければいいけど」
「大丈夫、大丈夫。鳥捕まえた時もめちゃくちゃ手際良かったよ。だけど私たちここに居てもいい?手紙の内容を聞いちゃうことになるし、部屋を移ろうか?」
「あ──ごめん、できればここにいてほしい」
紙の上でひたひたと歩き回っていたツグミを指先で軽く遊ぶと、すぐに俺の指から逃げるように距離を取る。しかしツグミは飛ぶ気はないらしく、相変わらず紙の上にいてまばたきをしながらうろうろとしていた。
「俺もフィリスが魔法を使うところ見てみたいかな」
「そうね。ルイは勉強になるからちゃんと見ておくといいよ」
そう言うと先生はソファに無造作に横になった。どうやら自分がくつろぐ姿勢を見せることで、フィリスにも心を落ち着けて魔法を使ってほしいと考えているらしい。ちょっとわざとらしすぎるけど。
「じゃあ俺はここで──かなり近いけどいい?」
「うん。全然平気。でも始まったらその間はちょっと静かにしててね」
「お、はい」
「それではいきますよ」
深呼吸したフィリスが再び杖を二度三度と振ると、広げられた白紙の上を歩き回っていたツグミは中央まで行きそこでぴたりと立ち止まった。
「えー……こちらフィリスです。ケイコ先生」
フィリスが予め「静かに」と言ってくれていて助かった。というのも、フィリスが語りだすと白紙の上のツグミはフィリスの言葉に合わせて、まるで踊りを踊るように軽やかな足取りで白紙の上を進みだしたのだ。喉元まで出かかった驚きの言葉を飲み込んで黙って見守り続ける。
「突然で申し訳ないのですが、あたし故郷に帰ろうと思います。というのも、えっと、迎えが来てしまって……心配した兄がどうしても帰ってこいと遣いの人を密かに寄越したんです。心配はいらない、大丈夫だって手紙には重ねて書いていたのですけど、兄は今の情勢の中あたしがここに留まるのは危険だと判断したみたいで。もう帰らざるを得ないみたいです。それで帰る前に先生に借りていた本を返さなければと思うんですけど──」
フィリスが語り続けている間、ツグミはずっと舞い続けた。時に羽を広げ、時には首をかしげながら。
「──それとすみません、これもわがままになってしまうのですけど、ケイコ先生が返事をこちらにやる時は鳥が正午頃に着くようにしてもらえますか?実は今遣いの人の勧めでテオ山の中の、より安全な地点にいるのです。当初拠点にしていた場所より少し距離があるので、時間を決めた上で鳥が来てないか確認しに行きたいと──」
鳥の到着時刻を決めることなんてできるのだろうか。先生の方を黙って振り向くと頷いている。できないこともないらしい。
やがてフィリスは語り終えた。ふうと息をつぐとツグミを手のひらから肩へと止まらせ、最初にしたように白紙の四隅を杖で突いた。すると白紙はひとりでにパタパタと畳まれていき、どんどん小さくなっていく。そして細長い長方形になったかと思うと、次の瞬間には鳥の羽と見間違うばかりのものになっていた。
机の上でゆらゆらと揺れているそれをフィリはつまむと、ツグミの体にぴたりと貼り付ける。それでもう、その羽はツグミの体に馴染んですぐに他の羽と見分けがつかなくなっていった。
「これでよし」
くるりと俺の方を向くと、フィリスは「無事成功」と安堵してみせた。
「何回か鳥を飛ばしてはいるんだけど、やっぱりできる人に見られながらやるのは緊張するね」
「とても丁寧だったわ」
ソファから見ていた先生が褒める。
「もうこれであとは鳥を飛ばすだけなんだ?」
「うんそう。宛先は学園にあるケイコ先生個人の研究室だからまず他の人の手に渡ることはないわ。万が一鳥がそうなったとしても、足元にあった白紙には魔法で鍵が──あたしとケイコ先生だけの合言葉みたいなものよ──かけられていて、他の人はまず読み取れないってわけ」
「へえ」
「じゃあ離してくるね」と言い残してフィリスは小屋を出て行った。今から鳥を飛ばせば日暮れ頃にはケイコ先生の元に着くという。
「どうだった?」
ぼんやりとフィリスの帰りを待っていると突然、先生が声をかけてきた。
「え?」
「『え?』じゃなくてね。フィリスのそばで魔法を見ていたんだから。彼女の魔力の一端でも感じ取れた?あたしとはまた違ったでしょう」
「……」
鳥が踊るのに夢中でフィリスの魔力を捉える考えなんて微塵もなかった。
「……あ、ああ~~、マリナ先生と違ってひんやりとしてそれでいて上質な木を丁寧に仕上げたようななめらかな質感でかと思えばまるで宝石のようにきらめいて……」
「ルイ」
「……はい」
「勉強、頑張りましょうね」
「へい……」
三下のような返事をして肩を落としているとフィリスが戻ってきた。
「ただいま戻りました──ってどうかしたの」
不思議そうにフィリスは気落ちしている俺を見ている。
「人生とはままならないものだなあと思って」
「?」
フィリスが首をかしげている横で、早速今日の魔法の勉強を始めようとマリナ先生が俺向けの魔法書を運んできていた。
「一番歳下のルイが何人生語ってるの。ほらほらお姉さんが人生も魔法もとくと教えてあげるから座りなさい」
「……魔法だけでお願いします」
フィリスはくすくすと笑うと、自室からいすを持ってきた。
「あたしも一緒に受けていい?復習のつもりで。それに合間合間にルイにはネイリムから派遣されてきたふりをするためのコツを教えたいし」
「もちろん」
飛び立ったツグミは今頃テオ山上空のどのあたりにいるのだろうか。山を越え空を往くツグミの姿を想像して、俺はふと故郷のことを思い出していた。もしいつか言付け鳥の魔法が使えるようになったら、母やバレットたちに飛ばしてみたいな。「元気にやってるよ」の言葉だけでも、きっと安心してくれるだろう。そのためにはまず──。
「どうしたの、ルイ。ぼーっとしてる暇なんてないんだからね」
現実を乗り越えなきゃな。




