幕間・離れ離れのフィリス
今回はフィリスの過去回です。
「先生!あたしたちがここを追い出されることが決まったって本当ですか!」
昨夜からあたしたちネイリム生の間で流れている噂を否定してほしい一心で、あたしは朝一に担当のケイコ先生を学園の一角で待ち伏せして質問をぶつけた。踏み荒らされた後の地面の雪のように、あたしたちの心はびちゃりと沈んでいた。まだ年が明けたばかりなのに。
ケイコ先生は目を伏せあたしの視線を躱すと、小さく謝罪の言葉を呟いた。
「ごめんなさい」
肯定と同義だった。それで年末からずっと、ケイコ先生は背中を丸めて気落ちした様子だったんだ……。
ここアルデと母国ネイリムの関係が悪化の一途を辿っているのは重々承知していた。けれど、それはあくまで政治上の問題で、あたしたち学生──子どもとは何の関係もないと思っていた。いや実際関係なかったのだ。あたしたちネイリムの生徒はアルデ出身の子たちだけでなく他の国の生徒とも皆同じように上手くやっていたつもりだったし、出自を理由に酷い扱いを受けることもなかった。それなのに。
「……もう決まったことだから、変えられないの」
先生はもう一度「ごめんなさい」と頭を下げて、この場から走り去ろうとした。
「待ってください!」
慌ててあたしはケイコ先生の片手を掴む。先生はちょっと頼りないところもあるけれど、今まであたしたちを導いてきてくれた、大好きな先生だ。あたしたちを放逐することが決まった時も、たとえ小さな声でもきっと反対してくれたに決まっている。それでなければ、今、あたし以上に辛そうで泣きそうな顔をしているわけがない。
「もう日取りも決まっているんですか?」
「……おおよそは。春が来る前には、ということになっているけれど、早まるかもしれない」
もう数ヶ月もない。
ネイリムの他の生徒たちもとても残念がって悔しがっているけれど、彼ら彼女らはまだいい。何といっても貴族だ。本人の都合とは無関係に追い出される以上家柄に傷がつくこともないし、これからの人生設計、魔法にこだわらなくても道はあるだろう。でもあたしは──。
「先生、先生はあたしの事情を知っていますよね。あたしはどうしても魔法にこだわらなければいけない理由があるんです」
「あなたの事情と覚悟はきちんと知っているつもりよ。だけれど……でも……」
「お願いします、どうにかなりませんか」
あたしの言葉にケイコ先生は力なく首を振った。
***
ケイコ先生が学舎の角を曲がっていった後もあたしはしばらくそこで立ちすくんでいた。これからあたしはどうすれば?兄さんはいつでも頼れって言ってくれたし、あたしが頼れば喜んで手助けをしてくれるだろう。故郷に帰ってもそれなりに道はある。でも、それじゃだめなんだ。あたしはあたし自身の力で将来を切り拓いていかなきゃ。
「どうしたらいいかな……」
「フィリスー?」
背後から聞き慣れた声がしたので慌てて表情を取り繕って振り返った。やはり彼女だった。少し離れた場所からクラーラが他のエスレパール生たちと並んで不思議そうにあたしを見ていた。あたしも彼女たちのようにネイリムじゃなくてエスレパール出身だったらこんなことで悩まずに済んだのかな、なんて思ってしまう。
「そんな所でどうかなさったのですかー?」
「ううん、なんでもない!」
あたしは彼女に大きく手を振ると、同郷の学友たちが待つ教室へと走って向かった。今はとにかく彼らに噂が本当だったと伝えないと。
***
魔法学園──正式には『クランヴィッツ魔法学園』。他に魔法の学び舎なんてないものだから誰もが魔法学園と呼ぶここは、王都ガラリアの中心からは大分離れた立地にある。「学園」と呼ぶに相応しく広大な土地を保有し、その空間は生徒や教員、研究者たちが魔法を究めるために惜しみなく利用されている。
あたしたち学生が主に使うのは、学園の中心部にあり他の校舎の棟よりも大きいオスカー棟と呼ばれる外壁がレンガ造りの校舎。その校舎の二階に数段跳ばしで階段を登ると、あたしはネイリムの皆が待っていた教室に駆け込んだ。あたしの言葉を聞くまでもなく、皆はあたしの表情ですべてを察したようだった。
「ああ、そんな。嘘でしょ」
「ふざけるなよ!俺たちがやってきたこと全部無駄だったって言うのかよ!」
「私たち何も追い出されるようなことしていないのに。どうして……」
戸惑い。怒り。悲しみ。負の感情が渦巻く教室で、一つ歳下のカティアも目をうるませている。
「何とかここに留まることはできないのでしょうか」
黙って首をふる。追い出されると知って、泣き伏せる子、物に当たる子、反応はそれぞれだけど、あたしたちは皆一様にがっくりと肩を落とした。
どうやらあたしは皆のことを誤解していたらしい。皆はすぐにこの事態を「まあ仕方ないか」とあっさりと飲み込んで、これからの人生のためにキャリアをどう積んでいくか前向きに考え出すだろうと勝手に思い込んでいた。でも実際は皆沈痛な面持ちでふさぎ込んで、悔しさで涙を流し唇を噛んでいる子もいる。いくら選択肢が山程あるとはいえ、彼らは彼らの決意でもって今この学園にいるのだ。それを自身とは直接関わりのない理由のせいで排除されようとしている。誰でも悔しくなって当たり前だ。そんなことに、今更気がついた。
「皆──ごめんなさい」
「フィリスが謝ることなんてないよ」
「そうです。フィリスお姉様」
謝罪の言葉と涙が自然とこぼれていた。
「まだ、帰りたくないよ……」
あたしの呟きは沈黙の教室に飲み込まれる。視界が滲む。どうしてこんなことになったのだろう。ここにきたばかりの時のあたしは、意気揚々と自分で自分の将来の第一歩を踏み出せたと感動していたものだった。それから仲間たち。皆が皆あたしと気が合う人ばかりというわけではなかったけれど、あたしは家柄とか旧来からのしがらみとかとは無縁だったおかげもあって、かなり自由に交流を持てた。同郷の仲間たちだけでなく、国も家柄も全然違うクラーラという親友を持てたのはとても幸せなことだと思う。
不意に、カタリと教室後方から物音がした。あたしたちが驚き振り返ると、そこにいたのはクラーラだった。彼女も自分が立てた音に驚いて慌てて並ぶ椅子の陰に隠れようとしたけれど、あたしたちはばっちり彼女の姿を捉えていた。
「クラーラ」
急いであたしは目元を拭う。でも涙は完全には止まらない。あたしの呼びかけに観念したように彼女は姿を見せた。
「……盗み聞きするような真似をしてごめんなさい。フィリスの様子が変に思えたから、後をつけたの。それで……」
ふわふわにカールした金髪を揺らして、クラーラは近づいてくる。その瞳はあたしに何と言えばいいのかわからない、戸惑いの色を浮かべていた。
「聞いての通りよ。あたしたちネイリム出身者は近いうちにここを追い出されるの」
無理に作った笑顔は自分でもわかるほど引きつっていた。つくづく、あたしは貴族に向いてないなと思う。貴族としての一通りの所作は学んだけれど、あたしの中にどっしりと居座る「あたし」という自我を押し殺すには至れなかった。
「いつお別れになるかわからないから、言える時にちゃんと言っておくわね。今までよくしてくれて、ありがとう。クラーラ」
近づいてきたクラーラは決心したようにあたしの震える手をそっと包むように掴んだ。
「フィリス、そんなこと言わないで。あなたの本心が違うこともちゃんと聞いてたよ。だから一緒に考えましょう。ここを去らずに済む方法を」
彼女の手も震えていたけれど、それでも何より彼女の手は「諦めるにはまだ早い」と温もりを伝えていた。
***
それから気を取り直したあたしたちは、クラーラも混ざってこれからどう動くべきかを話し合った。あたしたちに追放の原因があるわけではなく、政治や外交の問題の帰結として決定が下された以上、子どもがこれを覆すのは不可能だ。ならばここを離れても魔法を学び続けられる方法は何かないかとあたしたちは膝を突き合わせて悩んだ。
「とにかく導いてくれる魔法書がないことにはなあ」
あたしたちネイリム生のリーダー格、ドミニクはそう言うと肩をすくめてみせた。彼の言う通りで、魔法を学び続けるにはそれが不可欠だ。ただ問題はこの学園が無尽蔵に抱える魔法書は厳重に管理・保管されている点。許可なく一ページ複写することすらこの国では重罪となる。一応あたしたちはまだ学園の生徒だから好きに借り出して読むだけならできるものの、本を国に持ち帰ることは不可能だろう。
「フィリスお姉様なら魔法書がなくても学び続けられるのではありませんか?」
「あたし?無理無理」
独学で魔法を究められるような天才なら先人の知恵が詰まった魔法書なんて必要ないでしょうけどね。凡人のあたしたちには無理な相談だ。
「いっそ皆さんで魔法書抱えて出奔します?」
ポツリと呟いたその子の顔は冗談のつもりなど微塵もない真剣な面持ちだった。
「……」
「……それはできない」
しんと静かになった広間で、ドミニクがきっぱりと否定した。
「あまりにも横暴な真似をすると、アルデが僕たち排除をしたことに正当性を与えてしまう。魔法書を盗むなんてことを働けば、今は僕たちに同情的な教師陣でさえも遺憾に思うだろう。それに──」
「では仲介者を挟むのはどうですか?私が魔法書を借りて、それをなんらかの手段であなた方に又貸しするならば──」
「ちょ、クラーラ!気持ちは嬉しいけれど、そこまで深くあなたを巻き込むつもりはないわよ!下手をしたらあなたまで居場所を奪われるかもしれないじゃない!」
「フィリスは気にしなくていいのよ。私は自分が後悔したくないだけですもの。友が追い出されようとしているのに、自分は安全圏から指をくわえて眺めていた──だなんて恥ですわ」
ふわふわの髪を持っているくせに、クラーラは妙に頑固な所がある。そういうところも含めてあたしは彼女のことが好きだけれど。
「……魔法書をどう手に入れるにせよ、僕たちはこの国を出ていかねばならない。貴女の申し出はありがたいですが、国を越えて本の受け渡しを行うのは無理でしょう」
「俺たちがこの地に留まることは無理かドミニク。俺たちがどこかに隠れ潜めば本を受け取るくらいなんとかなるんじゃないか」
「これからアルデとネイリムの緊張はもう一段上の段階になります。でもそれはまだ辛うじて『緊張』と呼べる段階を維持し、両国関係の破局には至らない程度で済むはずです」
ピンときてあたしはドミニクの言葉を継いだ。
「極度に不安定な情勢下で、もしあたしたちが姿をくらませたりなどしたら──」
「はい。関係は制御不可能な状況に陥ってしまう。僕は──いえ、僕らを追い出すと決めたアルデの人たちですら、そのような事態は望んでいないはずです。そう信じています」
「魔法書を手に入れることも身を隠すこともできないなら、結局俺たちが魔法を学び続ける術はないってことか」
導き出された結論に皆はため息をついた。
たしかにネイリムの良家の子息たちが敵国で行方不明になったとなれば、事がどう転ぶかわかったものじゃない。でもあたしの場合は違う。兄さんにあたしの言葉を伝えることさえできれば、たとえ出奔が表沙汰になっても大きな騒ぎにはならずに済むだろう。ただこれはあたしのワガママだ。迷惑をかけるのは兄さんだけじゃない。ここにいる皆にも負担を強いることになる。
──それでもあたしは。
「……相談があるんだけれど、みんな聞いてくれる?」
あたしがやろうとしていることは間違っているかもしれない。それでも、魔法を諦めたくはなかった。
***
皆の了承を得たあたしは、ケイコ先生も巻き込み計画を実行に移すための準備を始めた。話を聞いた当初はあたしに考えを改めるよう言葉を尽くしていた先生だけど、あたしの決意が堅いことを知ると最終的には渋々ながらも首肯してくれた。
そしていよいよ正式にあたしたちネイリム出身の生徒を放校に処すと発表され、計画を実行に移す時が来た。ケイコ先生がテオ山への馬車を呼ぶ。あたしにとっては行きだけの片道馬車。あたしたちとクラーラはそれに乗り込み一路、テオ山へと向かった。
普段はずっと学園内で魔法の勉学に明け暮れていたから、馬車から眺める山への街道はとても新鮮なものだった。これがただの観光とか行楽なら本当に良かったのに。
山に到着した馬車から降り街道から外れ、人目の及ばない地点まで来るとあたしは皆に別れを告げた。
「じゃあそろそろこのあたりで……。みんなあたしのわがままに付き合ってくれて本当にありがとう」
「フィリス、くれぐれも無茶はしないでね」
クラーラは両親の体調が優れないと嘘をつき、外出と出国の許可を得た書類を手に入れていた。ネイリム生を装って学園から出た後はネイリムを経由し彼女の母国エスレパールまで戻り、再び何食わぬ顔で学園に復帰する予定になっている。
「クラーラも。兄さんへの手紙にしつこいくらい詳しく事情を書いたから、絶対に手紙を渡してね。兄さんならきっと貴女を丁重に扱ってエスレパールまで安全に責任持って届けてくれるから」
「ええ。ありがとう」
「あたしの方こそ。ありがとうクラーラ」
抱擁を交わし離れると、春を前にして一番冷え込んだ風が吹くのを感じた。きっと山の中のせいだ。
「僕らからもアルベルト殿にクラーラさんのことをきちんと頼むから安心してくれフィリス」
「何と言ってもあの人は『英雄』ですから。きっと私たちの気持ちも充分斟酌してくださりますわ」
「ありがとう、みんな」
ふと、少し離れた場所に立っていた先生と目が合った。
「ケイコ先生、迷惑をかけてごめんなさい」
「いいえ。謝るのはこちらの方ですフィリスさん。それに皆さん。アルデの決定であなた方をこのような目に合わせてしまったのですから。……先生は──私には大人として皆さんの魔法を学び続けたいという思いを手助けをすることすらできませんでした。それならばせめて、あなた方の──フィリスさんのやりたいことを全力で援助したいと思います」
先生はしかし、「でもこれで本当にいいんですね」とあたしに念押しをしてきた。
「はい」
「こんな山の中で一人でいるなんて、私はもう心配で……」
「あたしはたくましい現代っ子ですからね」
冗談っぽく言って笑ってみせたけど、実際にあたしは山の中に一人取り残されることは全然怖くはなかった。それでもケイコ先生は不安気にしている。
「何かあればすぐ私に言付け鳥を寄越してね?何度も練習したから大丈夫よね?」
「山の中なら鳥はいくらでもいますし、捕まえるのも容易いと思います」
「そ、そうよね。あ、私からも時々言付け鳥を飛ばすから、その時は必ず返事をしてくださいね?」
「はい、もちろん」
「それと、それと──」
「先生、そろそろ帰る段取りに入らないと」
あたしは、なおも名残惜しそうにしていたケイコ先生に帰還を促した。
「皆さん、本当にここまでしてくれてありがとう」
「しばしのお別れですわね。……でもきっと、いずれまた会える時が来ると信じております」
「ええ。クラーラや皆さんと魔法を学べる日が来ることを私も楽しみにしてる」
妹分のカティアは目に涙を溜めていた。
「私たちが学園に戻る頃には、お姉様魔法を沢山学習して、きっと遠い存在になってますね」
「そうね。もしかしたらあたし教師になって皆さんに指導する立場にいるかも」
握った杖を空に突き上げるようにしておどけてキメのポーズをすると、カティアは無理に笑ってみせた。
「はい。その時はぜひ私にも魔法を教えてください」
「それでは──さようなら」
あたしたちは互いに手を振って別れた。クラーラもカティアも時折振り返っては手を振るものだから、あたしは彼女らの姿が見えなくなるまでずっと、手を振り続けていた。
やがてすぐに夜が来て一人残されたあたしを闇が包んだ。まるで世界にはここ以外何もないような、真っ暗闇が。あたしはネイリム生寮の広間にある暖炉からこっそり何粒か持ってきたまどろみ焔を容器から取り出すと、地面の一角を火床として火を点けた。まどろみ焔は普段は椎の実のような種の形をしていて、魔力を注ぐとトロトロと長時間燃え続ける魔導具だ。火力こそ大したものではないけれど、注ぐ魔力がわずかでも長時間燃え続ける上に繰り返し使える優れもの。
周囲に最小限の魔物避けの結界を張るとあたしは、気の緩みからか急激に眠たくなってきてしまった。まどろみ焔自身が放つパチパチという魔力を消費する音を横になって聞きながら、気がつくとあたしは眠っていた。




