歓迎会
俺たちは荷物を抱えて並び三人で小屋に戻ると、早速フィリスが昨夜泊まった部屋を整理し、本格的に彼女のための部屋とするための準備を始めた。部屋の埃を払い掃き出し窓を拭き、空っぽの本棚にフィリスの魔法書を並べ終えると、あとは自分で整えるという彼女を部屋に残し俺たちは部屋の外に出た。
「それじゃあ私たちは出るけれど、何かあれば何でも言ってね」
「ええ、ありがとうマリナ」
部屋の扉を穏やかに閉めると先生はよし、と小声で呟いてこちらを見た。
「今のうちにちゃちゃっとやっちゃおうか。フィリスの歓迎会の準備。なんだかんだと色々していてお昼食べ損なっちゃったし、夜は豪勢にいきましょう」
「いいね。やろう、やろう」
俺と先生は早速準備に取り掛かることにした。幸いなことに昨日マレイェンで買い物を済ませていたから食材は充実している。
「とは言ったものの──」
俺が意気揚々と床下から取り出し机に並べた、昨日買ったばかりの肉や野菜を眺めて先生はちょっと不安気に眉をひそめた。
「大した食材はないんだよね」
「え?そう?結構色々あると思うけどな」
腕を組み頭を悩ませている先生を横目に、俺は先生の部屋から持ってきた料理本を広げた。これだけ材料が充実しているなら、どのページの料理でも作れそうな気がするけれど。
「量や種類じゃなくて質の問題」
「ああ──」
フィリスは結構気安く振る舞っているけれど、貴族であることに変わりはない。きっと魔法学園では貴族の人間たちを満足させるための料理が日夜振る舞われていることだろう。庶民が買える食材を使って俺や先生の料理の腕で彼女の舌を満足させることができるか、となれば確かに不安だ。
「今ここにあるものだけでも、精一杯作ればそれでいいんじゃないかなあ。ほら、この本にも『料理は愛情』って書いてあるしさ。フィリスならきっと喜んでくれるよ」
「そうだといいけど。……ま、無いものねだりをしたってしょうがないものね」
マリナ先生は栗色の髪をかきあげ後ろ手に束ねると、袖をまくった。
「じゃあ始めましょうか。我が弟子よ一切手を抜くことなかれ」
「よしきた」
***
「ルイ、それ刻んで」
「はい」
「これ洗って皮剥いておいて」
「はい」
「盛るから棚から大きな平皿出して」
「はい──えっどれ?」
先日整理したばかりの戸棚の上側を覗き込んで俺は先生を振り返った。
「そこじゃなくて下側。真っ白で縁が黄緑色のやつ」
「あ──あったあった」
俺たちは慌ただしく準備をしている。二人しかいないのに台所は妙に狭く感じて、それが余計に慌ただしさに拍車をかけているようだった。俺たちがあまりにドタバタしているとフィリスも気を遣って部屋から出てくるだろうと、俺たちはあまり騒々しくならないようコソコソと調理をしていたのだけど、さすがに気になってしまったらしい。フィリスが自室から出てきて台所を覗いた。
「ねえあたしも手伝おうか?」
「ありがとう。でもこれフィリスの歓迎会でもあるから……。部屋で待っててくれていいよ」
先生はやんわりとフィリスの申し出を断ったけれど、フィリスははなから手伝うつもりでいたらしく、すでに腕まくりをしていた。
「気持ちは嬉しいけれど、ううん、あたしもやる。どうせ待ってるだけっていうのも退屈だしね」
フィリスはこちらまでやってくると、先生がちょうど調理していた鍋を伺った。
「わあ、今野菜スープ作っていたの?美味しそう!」
「本当は出汁取りからした方が美味しくなるんだけど、そんな時間はなかったから……。ちょっと味物足りないかも。あ、でも出汁代わりってわけじゃないけど鶏肉も入れてるから」
言い訳がましく先生はそう言うとスープを小皿にちょっとすくい、「味見してみる?」とフィリスに差し出した。
「ありがとう。──うん、美味しいよ!」
「よかった」
ほっとして、先生は胸をなでおろしていた。
それから俺たちは三人で台所に立った。気分的に狭く感じていた台所は実際に狭くなって、俺たちはわちゃわちゃしながら調理を進めた。俺はフィリスは包丁も握れないんじゃないかとこっそり危ぶんでいたけれど全然そんなことはなく、むしろ俺よりも手慣れた様子でマリナ先生と並び手を動かしている。
「あ、じゃああたしこれ皮剥いてしまうね。それと羊肉ってある?あたしの国の料理、二人に食べてほしいな」
「うん皮剥きお願い。えーっと羊肉は……」
すかさず先生に代わって俺が返事をする。
「あるよ。昨日買ったばかりのやつが」
「あとで使っていい?」
「どうぞ──ルイ、こっちで洗い物しておいて。私が先に焼き物の準備をするから」
「はいよ」
俺たちは狭くなった台所で身をよじり立ち位置を入れ替えながら、支度を整えた。
***
俺たち三人が席につく頃は、もうすっかり夕暮れの気配になっていた。まだ夕飯の時間には早いかもしれないけれど、空きっ腹の俺たちにはちょうどいい時間帯だ。
「えー、それではフィリスが新しくここに住むことになったのを祝しまして……」
先生が席から立ち上がり勿体ぶって杖を振ると、テーブルの真上で「ようこそ、フィリス」の文字がきらめいた。
「これからよろしくね」
「よろしく」
特に何か用意があるわけではないけれど、先生と俺で改まってフィリスに挨拶をした。
「こちらこそよろしくお願いします!二人ともありがとう!」
「それでは早速──」
「いっただきまーす!」
テーブルの上には俺たち三人で作った料理が湯気を放って皿の上で食べられるのを待っている。フィリスの国の料理だという香辛料をふんだんに使った羊肉の料理はピリッとする辛さを香りで伝えていた。
「結局フィリスにも料理を手伝わせちゃったね。でも意外だった、フィリスって結構料理に慣れているんだね」
「まあね」
先生の褒め言葉に食事をしていた手の動きを止めて、得意げにフィリスは答えた。
「学園だと自分で料理する必要ないんじゃない?」
「うん、普段は自分で作る必要ないんだけどね。夜食や間食を食べたくなった時なんかは自分で賄うしかないから、寮でも時々作って余分な分とか仲間に振る舞ったりしてたわ。自分で作ろうとする人少ないんだもの」
俺は黙ってスープでほろほろになった芋と鶏肉を口に運んだ。作っている最中に先生が言っていたように、たしかに味が少し物足りない感じはする。でも味の濃い料理は他にあるしこれはこれで乙なものだと思う。
「これも結構人気の一品だったんだ」
羊肉を一切れ取ったフィリスに倣って、俺も自分の皿によそった。
「俺もいただきます。フィリスの国の料理に合う香辛料が揃っていてよかったね」
羊肉を頬張ると予想していた通りの香りが喉や鼻を抜け、腹の底からグツグツと熱が湧き上がるのを感じた。咀嚼して飲み込むと、慣れてない辛味のせいか汗がじわりと滲み出る。でもこれがなかなか美味しい。またすぐにもう一切れ取りたいという誘惑と腹の中で発火している辛味がせめぎ合う。
「本当はあと3つ4つほど使うんだけどね」
フィリスは指を折って使わなかった香辛料を数えて、肉を頬張った。
「うん、それでも悪くないわ。……って自画自賛になっちゃったけど」
「そんなことないよ、美味しい。辛さには慣れが必要みたいだけど、俺も好きだなこれ」
「本当に?」
やった、と右腕でグッと握りこぶしをしてみせると、フィリスはマリナ先生の方も期待して見やった。
「マリナはどう?」
「……お、美味しいね……」
明らかに嘘だ。目が泳いでいるし、先生は一切れを半分だけ食べたところでフォークを置き、水を飲んでいる。辛すぎるのは苦手だったようだ。フィリスもすぐにわかったのだろう。マリナ先生をからかうようにニコニコとしながら、
「本当は?」
と尋ねた。
「うう……辛すぎてよくわかんなかった……」
「ふふ、ごめん。辛すぎるならこっちのドレッシングをかけたサラダと一緒に食べると味変でちょっと楽になるよ」
懸命に残ったもう半切れも食べようとしているマリナ先生にフィリスはドレッシングの入った器を勧めた。柑橘系の、おそらく酸味のあるドレッシングで、こっちは香辛料以上に俺にとって未知な味の気配がしている。
「ありがとう」
ドレッシングをたっぷりかけた葉物で肉を包むと、先生はそれをパクリと食べた。
「あ、まだちょっと辛いけどこれなら私でも美味しく食べられるかも」
「でしょう?」
「先生、俺にもドレッシングちょうだい」
「ん」
先生から手渡された器から匙でドレッシングをサラダにかけて、俺も先生の真似をして新たに取った肉を野菜ごと食べてみた。
「おおこっちもなかなか……」
先生の視線を感じたのでそっとドレッシングを返すと、すぐさま先生も追加で肉を取っていた。
「ああよかった。やっぱり美味しく食べてもらえるのが作る醍醐味よね。自分だけでいただくのもいいけれど……」
故郷へ強制的に帰らせられた仲間のことを思い出しているのだろう。フィリスはふと遠い目をして食べるのを中断した。
「……俺たちもフィリスに作った料理を食べてもらえて嬉しいよ」
「そうね。ほら、私たちばかり味わってるしフィリスも料理の感想教えてよ」
先生はフィリスにスープを勧めると、自分もスープを掬ってみせた。
「味見した時以上に、きっと美味しいから」
俺と先生が少しドキドキしながら見守るなか、フィリスはただ黙ってスプーンを口元に運んだ。
「うん──とっても美味しい」
***
「そういえばさ、俺フィリスに聞きたかったんだけど」
食後に果物の皮を剥きながら、背後で先生と語り合っているフィリスに俺は声をかけた。
「なに?」
「フィリスは幾つくらいから魔法の勉強を始めた?俺今年十五でさ──つまり俺はフィリスの一つ下なんだけど。それで今のフィリスのように魔法がある程度使えるようになるにはどれくらいかかるのかな、と思って」
剥き終えた果実を皿に盛りテーブルに置くと、自分の席に戻り早速一つつまんだ。フィリスが答えるよりも先に、マリナ先生が口を開いた。
「ルイ、貴族は普通幼い頃からね──」
「えーっと……あたしの場合はここ5年くらい」
「えっ!?」
フィリスの言葉に先生は驚いて果物に手を伸ばした姿勢のまま硬直すると、首だけを動かしてフィリスを見つめた。
「すご……」
「へへ……」
フィリスは鼻頭をちょっとかいた。
「ちょっと事情があってね、あたし魔法を学び始めるのが遅かったの。同年代の子に追いつこうと必死に勉強して、今があるって感じ。幸い学びの環境を整えてもらえる余裕があったから、学ぶのに不自由はなかったけれど」
正直ピンとこなかったけれど、フィリスが相当努力してきたことは先生の驚きからも伺えた。
「ルイの場合はマリナがいるしもっと早く上達できるんじゃない?あたしマリナほどできる人知らないわよ」
「ありがとう、そう言われると照れちゃうかも。……とはいえルイはまず初歩の初歩から学ばないといけないからね。もちろんきちんと教えるつもりだけど、本人の努力が一番大事ね」
「ちなみに、フィリスは毎日どれくらい魔法の勉強を……?」
「毎日そうしていたわけじゃないけど、やる時はほぼ一日中」
「……」
まじか。
「だよね。適正とかも大事だけど、努力を続けられるのが一番の才能だわ」
ちらりと先生に見られて、思わず俺は背筋が伸びる。
なんとなくフィリスは自分に近い立ち位置にいるんじゃないのかなと思っていたけれど、全然遠い位置にいたようだ。淡黄色をした果実をサクリとかじって、少し苦い思いごと飲み込んだ。
「やっぱり魔法を勉強するって大変なんだなあ」
「なに他人事みたいに言っているの。ルイもその道に入っているんだから、フィリスを見習いなさい」
曖昧に返事をしたらフィリスがくすくすと笑った。
「あんまり気負わないでね。あたしだって本当に毎日朝から晩まで勉強していたわけじゃないんだから。焦らずにルイの『魔法で人を助けたい』って気持ちを持ち続ければ、必ず魔法を身につけられるよ」
「あんまり気長にやってるとおじいちゃんになっちゃうけどね」
「……精進します」
***
その日の夜、俺は半分自室と化している居間で先生から譲り受けた魔法書を読んでいた。フィリスから借りたまどろみ焔という、魔力で燃えている火を空の燭台に乗せて明かりにして。彼女からは「もう読み終わったから」と何冊か本を借りてもいるのだけれど、軽くページをめくっただけでクラクラと目眩を覚えたのですぐに閉じた。こんな難解な本をいきなり読もうとしたら、きっと居眠りしてしまう。
「『まず大事なことは自分の魔力を知覚することです。』──たしか先生も同じこと言っていたっけ」
『親子で学ぶ魔法事始め』の冒頭部分を指でなぞり読みながら、俺は自分の体内にあるという魔力を捉えようと目を閉じてみた。でも相変わらず、微塵も感じる気配はない。そもそも己の体内を巡っている血液だって普段は感じることはできないのに、魔力を感じるなんてことあるのだろうか。胸に耳を当てれば心臓の鼓動が聞こえるように、体のどこかに耳をすませば魔力の気配を感じ取れるかな。
試しに右腕を持ち上げ、手首のあたりを耳に当てじっとしてみた。
「……可愛いポーズでどうしたの」
「げっマリナ先生。いやこれは──こうしていたら自分の魔力を見つけられるんじゃないかと思って」
背後から静かに現れた寝巻き姿のマリナ先生は、まどろみ焔の放つ明かりに照らされて暗がりに影が伸びている。
「『げっ』じゃないでしょ。それで自分の魔力は見つけられた?」
「いや……」
俺は耳を腕から離した。
「全然わかんないからさ、何でも思いついたら試してみようと思って。そうだ、先生が自分の魔力を把握した時ってどんな感じだったのか教えてくれる?」
「私?私の場合は──そうね」
先生は静かにソファに座ると、古い記憶を確かめるようにゆっくりと目をつぶった。
「……正直に言うとね、私はルイやフィリスのように、自分から『魔法を使いたい』って強く思っていたわけじゃないの。ただ他人に望まれてね……うん、だからかな。私が最初に感じた心象は、ずっと向こうまで丸まって転がっている細長い絨毯をこちらにたぐる感じだった。暗闇の中、真っ赤な舌のような絨毯を一生懸命こっちに引っ張って…………あくまでも私の話ね。今はまたちょっと違う感じだし。それに魔力の捉え方なんて十人十色。ルイにはルイの、フィリスにはフィリスの感じ方があって当たり前だから参考にはならないと思うわ」
「そっか……」
「こればっかりは私からいい指南はできないかな。きっとルイの世界観に合う魔力の捉え方があると思うから……。だからこそ色々試してみるのは悪くないと思う。その調子で魔力を探し続ければ、必ずわかる時がくるわ。何といっても自分のものなんだからね」
先生はそう言うとふっと笑った。笑顔が揺らめく明かりに照らされる。
「あ、じゃあ今度は左で聞いてみようかな」
右と同じように左からも何も感じない。強く耳押し付けると、脈を打っているのだけはわかるけれど。うーん、自分の中にあるっていうことは、己の内側に集中しないといけないっていうことで……それなら五感を──目や耳や鼻なんかを塞いでみればいいのかな?
次に俺は息を止めて目をつぶり両手で耳を塞いでみた。静寂の中で何か掴めないかと探ってみるけれど、さっぱりわからない。というか色々考えて己の感覚を掴むという行為自体俺に向いていない気がする。目も耳も鼻も俺の大事な感覚だ。魔力を感じ取るのに、それらが妨げになるとは思えない。……根拠なんてない俺の直感だけど。
耳を塞いでいたせいでよく聞き取れなかったけれど、先生が何やら呟いた気配がした。てっきりすぐに自室に戻るのかと思っていたけれど、どうやら俺がモゾモゾとしている後ろでマリナ先生はソファに座ってじっとしたままだったらしい。
「先生?」
改めて先生に向き直ると、先生はソファの上で膝を抱えていた。
「いや──その──」
何かものすごく言いにくいことなのだろうか。もしかして何年も魔法の勉強の面倒を見ることはできないとか言い渡されるのだろうか。フィリスの5年発言で驚いていたから、彼女のようになるには普通もっとかかるものなのだろう。俺の場合もきっと。ここに何年居続けることができるのかわからない。少なくとも2, 3年は大丈夫そうと高を括っていたけれど──。俺も緊張してじっと先生の次の言葉を待った。
「……ありがとうを言いたくて」
「えっ」
予想外の言葉に、俺は思わず聞き返してしまった。
「ルイが私の背中を押してくれたおかげで、私はフィリスと仲良くなることができた。いや、まだなったばかりだけれど。でもきっと私たちいい友になれると思う。もしフィリスを追い出していたら今頃きっと、私ものすごく後悔していたわ。だから──ありがとう」
マリナ先生は一つ一つ言葉を選びながら、感謝の言葉を述べた。
「……最初にマリナ先生が俺をここに居させてくれたから、今があるんだよ。だから、俺の方こそありがとう先生。俺をここに置いてくれて」
「……うん」
少しの間、俺たちはまどろみ焔が作る互いの影をただ静かに眺めていた。やがておもむろにマリナ先生はソファから立ち上がると、
「よし、言いたいことも言ったし、もう寝るわ」
とひとりで宣言をし、廊下へと向かった。
「おやすみ。あんまり遅くまで無理しちゃだめだよ」
「はい、おやすみなさい」
再び一人に戻った居間で、俺は本に視線を落とすと己の魔力の一端を掴む導き手を探しに、文字の海の中へと飛び込んだ。




