目覚め
翌朝、バタンとドアが開き再び閉じる音がして俺は飛び起きた。まぶたを擦っている内にバタバタとした足音がこちらに向かってきたかと思うと、廊下から昨日助けた女の子が銀の長髪と共に顔を見せた。彼女の動揺を浮かべた碧の瞳と目が合う。
「あ──その──」
「おはよう」
何から言おうか言葉を選んでいるらしい彼女のために、とりあえず挨拶をした。するとその子は、俺を見たまま目を見開いてしばし硬直してしまった。どう会話を切り出そうか悩んでいたのに俺が先んじてしまったせいで、彼女の思考が一気に吹き飛んでしまったらしい。やがておずおずと彼女は口を開き俺に頭を下げた。
「────おはようございます。昨夜ファングの群れから助けてくれましたよね。ありがとうございました。──あの、不躾で申し訳ないんですが、あの時あなたの背中から魔法が出ているように見えたのだけれど、何か魔導具でも背負っていたんですか?」
フィリスはどうやら俺が一人で助けたと勘違いしているらしい。実際俺がやったことといえば、マリナ先生をおんぶして走って、次に彼女をおんぶして走っただけだ。今こうして皆が無事なのは先生の魔法があってこそだろう。
「いや、俺は大したことはしていないよ。お礼なら先生に言ってあげて。あ、それにさ。前に俺をファングから助けてくれたのはきみだろ。俺もお礼を言わなきゃ。本当にありがとう」
立ち上がり頭を下げた。彼女はすらりとしていて、身長は俺とそれほど変わらない高さだ。
「え、うん……どういたしまして──先生?」
急に出てきた「先生」という単語を聞いて彼女は不思議そうな顔をした。
「うん、先生。多分もうじき起きてくるんじゃないかな。あ、俺ルイって言うんだ。きみは?」
「えっと、あたしの名前は──じゃなくて、あの、その──」
状況に戸惑っている彼女にどこから説明するべきか俺も戸惑っていると、先生の部屋のドアが勢いよく開き、手には杖をしっかり握ったマリナ先生がでてきた。だがどう見てもいま起きたばかりですという感じだ。昨日はかなり過酷な一日だったからなあ。どう見ても寝巻きな格好に、髪も手ぐしで直しただけらしく少し跳ねている。……俺もだけど。
「えっ!?えっ何!?こども!?」
更に驚き慌てふためいている彼女に杖を向けると、マリナ先生は厳かに宣言した。
「これから私が幾つか質問する。下手な嘘はつかないでね」
あ、これ既視感あるぞ。
「先生、何もいきなり……」
「いいから。で」
「ほら、返事をしなさい」と言わんばかりに、彼女に向けた杖を上下に振って先生は仁王立ちしている。
「こ、子どもが魔法を使えるふりをしてもお姉さん騙されないかなあ──」
瞬間、ヒュンと杖から矢が放たれた。矢は小屋の壁に突き刺さると、一拍置いて消えた。
「冗談じゃないわ」
先生は杖を今一度彼女に向けた。可哀想に彼女は、蛇に睨まれた蛙の如く杖を突き付けられて凍りついたように固まってしまった。
「……はい」
やや間を置いて、首だけをちょっと動かしてコクコクと彼女は頷いている。
「まず名前」
「フィリス」
「家は」
「……」
先生の質問にフィリスは口を真一文字に結び押し黙った。
「どこの家の者かと訊いているのよ」
「…………あたしはネイリムの出なの。アルデ国にいるあなたたちが知る由もない、小さな小さな家よ」
フィリスはどうやら自分の家のことを仔細に言いたくないらしい。それ以上は答えず、再び口を閉ざしている。
「──ネイリム出身だと証明できるものはある?」
先生もそれ以上聞き出すのを諦めたようで、ため息とともに話題を変えた。
「あるわ。学園生としてこの国へ入ることを許された入国許可証……だけど、それ、あそこに置いてきちゃったから……」
たしかに昨夜、俺たちはフィリスを助けるのに手一杯、というより彼女の荷物が重すぎて運ぶのを断念していた。あの荷の中に彼女の必需品が色々入っていたのだろう。
次に何を聞き出そうか迷っているらしいマリナ先生の横にいそいそと立つと、俺は耳打ちをした。フィリスは俺の命の恩人でもある。できればこの居心地の悪い雰囲気を改めたい。
「そんなに警戒する必要ないんじゃない?」
「ルイは簡単に他人を信用しすぎなの」
同じく小声で、こちらを見ずに返事をする先生。すぐにフィリスへ向けて次の質問を飛ばした。
「なぜこの山に隠れるようにいたの。というかいつから?あ、待って、あのファングの大群は何なの?たった一人でどうしていたの?本当は他にお仲間はいるんじゃないの?いえ、山の中にはいなくても連絡を取り合ってる誰か──学園の誰かとか──ファングに襲われていたのも何か原因があるんでしょ?あ、あと歳はいくつ?」
先生、質問が衝突しあってます。
きっと寝起きのせいだろう。俺たちは──フィリスも含めて──お互いに何から話して何から聞けばいいか狼狽し、視線を泳がせ手混ぜをしていた。なんだこの空気。
「あたし今年で十六で……。えっと、一人ではあるんだけどその──」
フィリスは先生の混み合った質問にどう答えるべきか言葉を詰まらせていた。と、そこにフィリスから空腹を告げる鳴き声が。
「…………」
「──よし!」
俺はパン、と手を叩くと、「朝食にしよう」と宣言した。マリナ先生はそれでも黙って杖をフィリスに向けたままじいっと顔を真赤になった彼女を見つめていたが、やがて手を下ろすと小さく頭を振った。
「私もお腹減ったわ」
***
台所のテーブルを囲んで、俺たち三人は黙々と朝食を口に運んでいる。何か会話を、と思うのだけど、先生はフィリスが不審な動きをしないか一心不乱に見つめながら食べているし、フィリスはそんな先生に監視され居心地が悪そうにモソモソとパンを食んでいる。
「先生、ちゃんと手元見ながら食べないとスープとかこぼしちゃうよ」
「大丈夫だから」
「……フィリスさん、スープの味どうです?俺、ここからずっと北の方の出で、ネイリムの味付けと全然違うかもしれませんけど」
「大丈夫」
「……」
これは困った。気まずい沈黙が場を支配して、俺たちは互いに立てるわずかな食器の音で会話しているみたいだった。
「──あの」
そんな沈黙を破ったのはフィリスだった。彼女は食器を置き俺たちに向き直ると、質問を切り出した。
「あなたたち、何者?」
なかなか根源的な質問だ。さてどう答えようかな、と思っているとフィリスが言葉を続けた。
「えっときみはルイ……だったよね?あなた、名前は?」
フィリスは先生をまっすぐに見つめ返している。
「私はマリナ。さっきの質問そのまま返すね。フィリス、あなたこそ何者なの?」
「……昨日、あたしを助けてくれたあなたたちには本当に感謝している。そんなあなたたちに更にお願い事をするのは悪いと思っているのだけれど──。私のこと、私が話したことは、街の他の誰にも言わないでほしいの。これはあたしの大事な人も関わることだから。約束してくれる?」
先生は黙って頷いている。
「俺も、もちろん誰にも言わないって約束するよ。だからフィリスさんのことを教えてください」
「フィリスでいいよ。あたしの名前は……ただのフィリス。順を追って、あたしたちネイリムの学生が学園から放逐されることが決まった時から話せばいいかしら──」
フィリスはぽつぽつと語り始めた。
「ネイリムの学生を追い出すと知ったあたしは、担当の先生──ケイコ先生っていうんだけど、その人になんとか魔法の勉強を続けられないか相談してみたの。出身を偽って学園に残るとか、先生の住まいに隠れさせてもらって、そこで学ぶとか色々話し合ったけれど、どうしようもなくて……」
事情は違えど、彼女も俺と同じ様に魔法をなんとしても学びたい人種だったらしい。
「それで、先生にお願いして二つのことをしてもらった。一つは噂を流すこと」
「噂?それってテオ山に魔法使いがいるって噂?」
「うん。そう。先生にデタラメな噂を広めてもらって。先生によると、テオ山には誰かいるんじゃないかって根も葉もない与太話が昔からあったんだって。それに肉付けして本当っぽくした噂話を先生と創作して、色々な人に流してもらったの」
フィリスたちが流したのは根拠のない作り話だったけど、実際は先生がいたわけだ。偶然の一致というやつか。
「……」
先生は黙って話を聞いている。
「もう一つの頼み事は、その作り出した魔法使いの調査にあたしを連れて行ってもらうこと。噂話はあたしたちがテオ山に向かうための口実ってわけ。学園を追い出される前々日に、あたしたちネイリム組をケイコ先生が引率して、この山に来たのよ。それであたしだけ帰らずにこの山に残って今に至る……というわけ」
マレイェンの街で聞いた、学園の生徒が消えたという話はその時のフィリスたちだったのだろう。実態のない噂話だけが先に広まった理由はわかった。おそらくそれは噂好きの人たちの口に乗って、あちこちへ運ばれていったのだろう。
「一ついい?追い出すべき学生が一人消えたのなら、学園で問題になると思うけど」
「あたしに同情してくれたエスレパールの生徒がいてね。彼女にあたしのふりをしてもらったの。国に帰ってあたしの身内に会えばバレると思うけど、他の同級生たちと一緒に、あたしの気持ちを伝えてくれるようお願いしてあるから多分大丈夫よ」
「あの俺もいい?エスレパールって?」
二人にとっては常識レベルの単語なのだろうけど、仕方ないじゃないか。俺は知らないんだから。
「エスレパールっていうのは、ここガラリアから見てネイリムの更に西の方にある国よ。──でフィリス、あなたはなぜそうまでして魔法を学びたいの?」
「やましい目的のためじゃないわ。あたしは魔法をきちんと学び終えるまでは国に帰りたくない。それだけよ」
再び、朝の静寂が戻ってきた。フィリスの答えに先生が満足したかどうかはわからないけれど、俺はなんとなく彼女の気持ちがわかる気がした。
「あのもう一ついいかな。フィリス、一人で山にこもって、どうやって魔法を勉強していたの」
俺は興味本位からフィリスに尋ねてみた。
「学園やケイコ先生から借りた魔法書を読んで、自分で試しての繰り返しよ。時々ケイコ先生が来てくれているんだけど、最近先生が忙しくなってからは直接会えてないなあ」
魔法書をまず読んだことがない俺にはまず無理な勉強方法だ。学園でそれなりに学んだ彼女だからこそできるのだろう。それにしても彼女を教えているというケイコ先生、きっと立派な大人なのだろう。
そうやってフィリスの話を聞いているうちに、三人とも食事を済ませてしまっていた。
「──あたしのことはもうこれでいい?次はあなたたちの番」
食べた食器を片付けて終えると、再びフィリスが切り出した。
「えっと……実は俺たち兄妹で──」
「いや、さすがにそれは嘘だってわかるから。なんか『先生』って呼んでいるみたいだし」
俺の嘘は即座にフィリスによって切って落とされた。
「そもそも本当に兄妹なら、兄妹であることを『実は』なんてもったいぶって言わないわよ」
ぐうの音もでない。先生も呆れたようにため息をついていた。
「ルイ……嘘っていうのは使う時と場面を選ばないと。はあ……。私の名前はマリナ──ってさっき名乗ったわね。私がこの小屋の主。こっちのルイはつい先日やってきた居候」
「マリナ──。あなたね?あたしをファングから助ける時、魔法を使ったのは」
「そう」
「あの、助けてくれて本当にありがとう。ルイも。言葉だけじゃ返せない恩だけれど……とても感謝している」
黙って頷いているけれど、先生は彼女をどうするつもりなのだろうか。俺の時のように、記憶を消すとか脅して彼女を追い出すつもりなのだろうか。
「その上でマリナ、あなたのことを教えて。あなたは一体何者なの?見た目十歳を過ぎたあたりに見えるけど……そんなに小さな子が魔法を、それもあんなに高度なものを使えるなんて、あたし信じられない。一体誰に魔法を教わったの?」
「──私は今度十七歳になる」
先生はフィリスの質問にすべて答えず、ふっと息を漏らして席を立つと、この場を離れようとした。
「えっ」
「それ以外のことはルイに聞いて。それと私に恩を感じているのなら、私のことは忘れてこの家から──テオ山から出て行って頂戴。ケイコ先生とやらにも、もちろん私のことは内緒でね。それがあなたにできる、私に対する唯一の恩返し」
俺たちに背を向けたままマリナ先生はそう告げると、自室に戻って行った。
「ど、どうしよう!?あたし何かマリナの気に障るようなこと言ったのかな!?」
マリナ先生の態度に驚いているフィリスに、山の奥深くでファングに襲われている彼女を発見できた理由を伝えることにした。
「うーん、フィリスには言いにくいことだけれど……。実は俺たち、フィリスたちが流した噂の魔法使いをテオ山から追い出すつもりで山の中を捜索していたんだ」
「えっ!?なんで!?」
「俺たち、というかマリナ先生はフィリスより先にここテオ山に隠れるように住んでいて……魔法使いがテオ山に潜んでいるだなんて噂が真実味を帯びて流れている事を嫌がっているんだ。誰かがテオ山に捜索に入ってくるのを酷く嫌っている」
俺は初めてマリナ先生と会った時のことを思い出しながらフィリスにそう教えた。
「事情はよくわからないけれど、それであたしがお邪魔ってことか──ん、ちょっと待って、ならここテオ山の中で、街の中じゃないの?てっきりあたしはルーシュにでもいるのかと──」
フィリスは窓から身を乗り出して外の景色を見ると、「あれっ」と呟いた。
「でもこんなにも拓けた場所あったっけ?」
再び席に戻ってくると、フィリスは不思議そうな顔をしたままコップの水を飲んだ。
「ねえここ本当にテオ山?」
「テオ山のとある木の根を境にして、山とこの空間が繋がっているんだ。……俺魔法を使えないからよくわかっていないんだけど」
「はあ!?何それ本当!?」
「うん」
俺の返事を聞くやいなや、フィリスは席を蹴って走り出し小屋から飛び出して行った。慌てて俺もフィリスの後を追うと、外からは、
「すごい!信じられない!」
とはしゃぐフィリスの声がする。フィリスはかがんで草や土の感触を確かめたり、空を仰いで雲が流れるの確認している。
「ここ、果てはあるの!?」
「さあ……俺もわからない」
フィリスは再び駆け出し丘を降って行ったが、すぐに息を切らしながら戻ってきた。
「全然果てがある気がしない……す、すごい……どういうことなの……夢?」
仰向けに寝そべってベタに頬をつねっている彼女のそばに俺も腰を下ろすと、「夢じゃないと思うよ」と呟いた。
「そっか……やっぱり世の中広いなあ。兄さんが言っていた通りだわ」
「お兄さんがいるんだ」
「うん、まあね」
俺たちはしばらく、ただ優しく吹く風を浴びていた。その間俺はマリナ先生のことを考えていた。
俺はマリナ先生と出会ってまだ全然日が経っていないから、先生のことを何も知らないと言っても言い過ぎじゃない。さっき先生は自分のことは俺に聞けとフィリスに言っていたけれど、俺からフィリスに話せることなんか、ほんのわずかだ。でも、そのわずかでも、先生が人のことを思いやることのできる人だと俺は知っている。自分が魔法を使えることを秘密にしておきたいくせに、鐘楼から落ちた俺とポールを魔法で救ったこと。はなから追い出すつもりなら、見殺しにする選択もあったはずなのに、フィリスを助けようと尽力したこと。
どんな理由があるのかはわからないけれど、先生がやんごとなき理由があってここにいるのは充分理解したつもりだ。多分それは先生本人の意思で誰かから強制されたようなものでもないのだろう。でも、だからといって先生が独りぼっちでいたいとか、誰とも関わりたくないとか、本心からそう思っているわけでもないことも理解しているつもりだ。
きっと、先生がフィリスを遠ざけようとしているのも──。
「──さてと、じゃああたしそろそろ行くわね。本当は魔法のこともっとマリナさんに教わりたいけれど、命の恩人にああ言われたのなら、寂しいけれど従わなきゃ。ルイもありがとう。マリナさんにもよろしく言っておいてね。出口は──」
起き上がり、この空間の出口を俺に聞こうとしたフィリスを俺は遮った。
「待って。えーと……あっそうだ。フィリスの杖、マリナ先生が持っているんだった。一緒に返しにもらいに行こうよ」
「ああ、それで見当たらなかったんだ。道理で。肌身離さず持っていたはずなのにないから、山の中に落としたのかなって思ってたわ」
俺たちは一緒に小屋へ戻ると、マリナ先生の部屋の前に立った。閉ざされている扉の前に。




