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そして再び山の中へ

 デニスさんとミランダさんが人だかりを宥めようやく街の人たちから解放された時には、別の意味で俺たちはクタクタになっていた。「貴族の天才少年が起こした奇跡」だとか「ローズ様に感謝」だとか人々は好き勝手に盛り上がり、もしデニスさんたちが居なかったら俺とポールはもみくちゃにされてしばらく立ち上がれなかったかもしれない。


 マリナ先生はというと、至近距離で見ていた街の人たちの話を耳をそばだてて聞き、自分の魔法がどうやら想定とは違った形で発動したと知りこっそり首をかしげていた。


「俺もポールも助かったんだから、それでいいじゃない?」


「そうなんだけどね、うーん?」


 やがて俺たちは揃って尖塔から広場へと戻ると、噴水のそばで子どもたちとも別れた。


「じゃあ待たなー!」


「楽しかったよ」


「ええ、皆さんさようなら」


「バイバイ!」


 手を振りそれぞれが家路につく背中を見送ると、あたりはもう薄暗くなり始めていた。とっくに夕刻の時刻で、彼らの家では夕ご飯の支度がされている最中だろう。そう考えると、急にお腹が空いてきた。


 帰りの馬車の手配を終えたデニスさんが、戻ってくると俺たちに向かって頭を下げた。


「本当にお二人には何と感謝を申し上げてよいのか。もしお二人がいなければ今頃ポール様は──」


「いえ、俺たちも鬼ごっこ楽しかったですよ」


 彼が言いたいであろう落下時のことを敢えて無視して俺は答えた。「な?」と兄貴面してマリナ先生を見ると、先生も晴れやかな笑顔で頷いている。


 俺とマリナ先生のその言葉と気持ちに嘘はない。でもデニスさんには悪いけど、勘の良い彼を相手に落下時のことを深く話したくはなかった。先生はいつまで魔法を使えることを周囲に隠すつもりか知らないけれど、今はそれに付き合っておこうと思う。


「ちょっと失礼」


 ポールはミランダさんから金貨を一枚受け取ると、指先でピンと弾いて噴水に落とした。


「ぼくが今ここにこうして立っていられるのは、きっとローズ様の御慈悲があったからなのでしょう。この程度で感謝を済ますつもりはありませんが今日のところはこれで──」


 ポールは俺たちをチラリと見ると続けた。


「ですがこの御恩を忘れることはありません。必ずそれに相応しいお返しを、と考えております」


 女神ローズに向けて告白するような、俺たちに向けて囁くような、そんな素振りでポールは呟くと、やってきた馬車の扉を己の手で開けてすぐさま乗り込んだ。


「デニス、僕たちも急ぎ帰りましょう。父様と母様も帰ってきていて、僕らの帰りを今か今かと待っておられるかもしれません。今日の報告をしなければ」


 ポールがデニスさんを有無を言わせぬ口調で「さあ」と呼び、一刻も早い帰宅を、と促している。


「──は。ポール坊ちゃま。参りましょう。お二人とも、それでは失礼致します」


「今日はありがとうございました」


 ミランダさんも俺たちに向かって恭しく礼をした。


「はい。ポールくんが無事で、それで何よりです」


「もう独りで迷子にならないでね!」


 先生がからかうと、ポールは馬車の中から笑顔で手を振った。


「はい。もちろん!ポールさん、マリナさん!それではお元気で!」


 ***


 馬車に乗り去って行く三人に俺たちは手を振ると、ようやく二人ぼっちになった緩みから、今日の疲れがドッと押し寄せてきた。思わず息が漏れる。


「じゃあ俺たちも帰る?」


「着くのは夜遅くになりそうだけどね。構わないわ、帰りましょう」


 夕闇に包まれゆく中、大通りを下ると店先のランタンに点々と明かりが灯りだした。買い物客たちの波も昼間よりは落ち着いたものになり、中には早くも酒が入って足取りが覚束ない男もいる。俺と先生は手を繋ぎ人混みの中を泳いだ。俺も先生もお腹が減っていたので、耐えきれず買ったサンドイッチを頬張りながら。


「ああ、そういえば野菜の種買うつもりだったのになあ」


「買いそびれちゃったね」


 先生は「でもさ」と付け加えて、


「また近いうちに来ればいいじゃない」


 と笑った。


「そうだね」


「ま、その時は何事も面倒事が起こらないことを祈るわ」


 街の外に出て街道を戻りテオ山からマレイェンの街を見下ろす頃には陽もほとんど沈みかけ、夕闇に呑まれた街の明かりがぼんやり覗いていた。


「ところでさ、ルイ」


「先生、どうかした?」


 辺りに誰もおらず兄妹という設定を解除し元通りとなった先生は何か言いにくそうにしている。


「あ、あのさ……ポールを捜してマレイェンの塔に登っている時『おぶろうか』って言ってくれたじゃない」


「ああ言ったね」


 俺はピンと来て先生に背中を見せ屈んだ。今日はずっと脚を動かしていて、限界だったのだろう。むしろよく保ったなと思う。


「どうぞ」


「ん……ありがとう」


 先生は俺の肩に掴まると、照れを隠すように、


「それでは……発進!」


 とふざけた。俺もそのおふざけに便乗して、立ち上がる時に「重っ」と呟いたら、肩をグーで殴られてしまった。


***


 「なあ先生。結局デニスさんはポールの居場所を最初から知っていたのかな?」


 デニスさん本人に直接聞くに聞けなかったことを俺は先生に訊ねてみた。


「んー、私的には全部わかってたと思うけどね。誘拐を疑いもせず捜し回っていたのもそうだし、私たちにマレイェンの塔がある北西へ向かうよう指示したのもそうだし」


 ガラリアから来る道と合流する頃にはすっかり夜で、歩いている俺たちを陰から見守るようにフクロウが鳴いている。先生が杖の先に明かりを灯し、俺たちは街道を離れて山の奥へと戻っていた。


「俺たちに合流するタイミングもバッチリだったもんね」


「ええ。おそらく、ポールが子どもたちに貸した魔導具とは別に、デニスさんもポールの声を聞ける魔導具を持っていたんじゃないかな。もしかしたらポールの服の全部のボタンがそれぞれ別の魔導具だったりしてね。ポールは知らないだけで」


「……俺だったら全部はちょっといやかも。貴族ってそういうものなの?」


「全部魔導具というのは冗談だけど、子を守るための魔導具が一つだけというのはまずないと思うわ」


 はあ、と先生の溜息が耳元でする。


「子は親の宝だって言うけれど、貴族にとっては子は家を維持する装置という意味もあるからね。財産とか地位とか……。時としてそれが歪んでいる貴族の親もいるわけよ」


「へえ」


「まあポールの場合は単純に可愛がられているんだと思うけど」


 小さなくしゃみをして先生は少し震えた。


「まだ夜は冷えるわ」


「うん。遅くなるなら、何か羽織るものでも持ってきておけばよかったね」


「ルイは大丈夫?脚。休まなくても平気?」


「疲れてきてはいるけどね。まだ大丈夫だよ。それよりもどう、何か気配みたいなの感じる?」


「さてさて──」


 先生は俺に負われながら辺りを窺っているが、俺にもわかるほど山の中は静かだ。


「うん……ルイ、覚えてる?マレイェンに最初に入った食事処でのお姉さんの言葉」


「ああ、学生が一人消えていたっていう……?」


 先生の放つ明かりに熱はないが、右側が眩しいので左側から振り返った。


「私思うんだけどね、その消えたっていう生徒がこの山にいる魔法使いの正体なんじゃないかと思うの」


「うん?でも『山に魔法使いがいるかも』って噂は学園の生徒たちが捜索する前からあったんでしょ?噂が先にできて後から魔法使いが来るって変じゃない?」


 先生は「そうなのよねえ」と唸った。


 先生は俺の背中から右へ左へと向かう先の指示を出している。真っ直ぐに深月樹(アニク)の根のアーチに向かうのではなく、山の中をしらみつぶしにさまようことで魔法使いの痕跡を探す魂胆らしい。


 杖を光源にしているとは言え、俺たちの周囲以外はもう夜の闇に包まれている。いつファングたちの息遣いが聞こえても大丈夫なように俺たちは朝山中を歩いた時以上に警戒を怠らなかった。ところが今夜はファングが近づいてくる気配さえない。前回俺が襲われたのはたまたまだったのだろうか。


「朝も全然、気配すらなかったよね。俺の時はたまたま腹を空かせていて襲いかかってきたのかなあ」


「私が以前出た時も何頭か見かけたわ。今日見ないのは魔法使いと何か関係があるのかもね……。注意は解かないで」


「はい、先生」


 だが緊張を保ったまま暗い中を歩くというのはかなり神経に応える。夜の静かな山の中、流れる川の岸辺にたどり着くと俺たちは休憩のために腰を下ろした。岩や石が先生の杖先の明かりで伸びた俺たちの影を映す。


「そもそもこの山に潜んでいるとして、どこに住んでいるんだろう?先生みたいにどこか違う空間を作っているとか?」


「私レベルの魔法使いならそれも可能だけど、まず有り得ないかなあ……」


 岩の上にちょこんと座った先生は杖を左右に振った。それに連れて明かりも大きく揺れる。


「どこか安全な地点を設けて、そこにいるんだろうけど」


 なら洞窟かな、と俺は考えた。だがテオ山にそんな場所あるのだろうか。


「とにかくまだちょっと探し回ってみましょう」


「そうだね」


 静かに流れる川のせせらぎが星たちの瞬きをゆっくりと飲み込んでいる。その川に手ぬぐいを浸し顔を拭くと、ちょっとだけさっぱりした。


「よし、発進」


 てっきりもう自分の脚で歩くのかと思っていたけど、俺の予測は甘かったらしい。フクロウが獲物をその両足で捕まえるために大きな羽音を立て飛び立った。


***


 それからしばらく俺たちは──というか俺は山の中を歩き続けた。だが一向に、魔法使いどころか魔物の一匹にも出会わない。


「これはちょっと──異常だわ」


 先生は俺の背中で訝しんでいる。


「いくらなんでも静か過ぎる」


「うん。襲ってくるかどうかは別にせよ、ファングが遠くから様子を見ている気配すらないのは変だね。どこか一箇所に集まってるのかな。──いや待って、もしかして先生」


「……ルイ、ちょっと降りるわよ。杖貸して」


 俺たちは顔を見合わせた。二人の胸の内に同時に芽生えた疑念を確かめるために、先生は俺の背から急いで降りると杖を受け取り地面に突き立てた。


「ちょっと静かにしててね。あ、私の杖持ってて。これやると隠れているかもしれない魔法使いにバレるからやりたくなかったんだけど──」


 地面に立てた杖の前で両手をかざすと、先生は目を閉じた。手の辺りがほのかに明るくなり、穏やかな風が不自然に吹きだした。それなのに木々のざわめきが聞こえない。先程までも静かだったけど今はそれ以上に静かで、風に揺れる俺たちの服の衣擦れだけが気になるほどだ。明かりはややうつむき加減な先生の横顔を浮かび上がらせている。


「──わかった。だいぶ遠いわ」


 杖を掴み取りそれで山の奥を先生は示した。


「今遠くの音を拾う魔法を使ったんだけどね、ここから東に向かった先、ファングが異常に集まっている地点があるの……どうやらそこに人がいて、襲われているみたい」


 俺は先生の言葉に息を呑んだ。それなら早く行かなければ。でももしその襲われている人物が例の魔法使いならば、先生は助けるのに躊躇するんじゃ──。そう思って俺は次の言葉を発せずにいた。だがそれは杞憂だったようだ。


「ルイ。何ぼさっとしているの!ほら早くおんぶ!行くわよ!」


「──うん、行こう!」


 俺は先生を再びおぶると、ファングたちの群れを目指して駆け出した。

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