マレイェンでのひととき
店を出ると俺たちは、目抜き通りに並ぶ店先を眺めながら街の中央を目指して歩いた。先生が先程言った通り店の並びは混沌としている。衣料品店と衣料品店の間に食事処があったり、富裕層しか来ないだろうという貴金属を扱うお店が日用雑貨のお店の隣にあったりして、キョロキョロと外から見回すだけでもとても楽しい。
「魔法関係の物を扱うお店はないんだ?」
「そういうのは国が、貴族が厳重に管理しているからね。基本的にガラリア以外で見ることはないわよ」
含みのある言い方だ。先生は語らなかったが、おそらく闇市場のような──裏社会では取引されているということなのだろう。もしかしたらこの街でも、奥まった所では日の下に晒せないような物が取引されているのかもしれない。
「──ホラ、見えてきたよ!」
マリナ先生が見えてきた広場を指差した。広場にある円形の噴水の中央の高台には女神と思しき女体の像が三体並べられており、その足元から水が滾々と流れ出ている。先生は俺の手を引いて噴水の脇まで駆け寄ると、水面を覗いた。
「見てみて、硬貨が沢山入ってるでしょう?」
先生の肩越しに覗いてみると、噴水の底に沈んでいる無数の銅貨が日の光を反射していた。少ないが金や銀の硬貨も見ることができる。
「元々はここで商いをしている人たちが特に儲かった日に女神様に感謝するために投げ入れていたらしいんだけどね、今では色んな人が女神様に感謝を捧げに硬貨を投げてるんだよ」
「へえ……俺たちも投げる?」
「女神様に感謝することなんてないけどね。せっかくだしやっとこう」
妹のふりなのか素なのかわからないけれど、先生は上機嫌で財布から銅貨を取り出すと手に乗せて、噴水の縁から少し離れて、親指で弾いて硬貨を水に落とした。俺もそれに倣って先生から受け取った銅貨を一枚放り込む。「入ったあ」と、先生ははしゃいで水の中を覗いているが、沢山ある硬貨の中にあってはどれが今俺たちの投げ入れたものだかわかるはずもない。
「あれかなあ?」
「もうちょっと右側に落ちなかった?」
「あっ!じゃああれかも──」
噴水の縁の石組みに腰を下ろして、俺は広場を眺め回した。人々は三々五々、この円形の広場でゆったりと過ごしていた。楽隊の演奏があるということだったが、今はお昼時の休憩時間らしい。広場の南側に設けられている舞台の上には誰もおらず、裏手を関係者らしい人たちが行き来している。
俺たちのように適当な場所を見繕って座り、街を眺めているのは観光客だろう。その横を慌ただしく駆けていく従者の格好をした男女の二人は、貴族に命じられて何かを買いにでも来たのだろうか。店先で店主と談笑しているのはきっと、知った顔同士の住民に違いない。
色々な人がいて、皆、好き勝手に過ごしているのに、不思議とどこか落ち着いたものを俺は感じた。ぼんやりと上空を見上げると、ここからも北西の尖塔はよく見える。晴れた空と点在する雲の間に悠然と立っているそれは、この街をどこまでも見守っているのだろう。
「……いい街だなあ」
「でしょ?」
水面に飽きた先生は俺の隣に座ると、脚をぶらぶらとさせた。
「毎日賑やかだけど、特に年越しの日はすごいのよ。街全体を飾り付けて祝うんだけどね、この広場なんかもうこれ以上無いってくらいのお祭り騒ぎ。それでね、年が移る前後に、あの塔の鐘を打ち鳴らすの。過ごしてきた年に別れを告げて、新しい年を迎えるためにね。あれはすごかったなあ──」
先生の横顔が一瞬翳って、また普段通りの澄まし顔に戻ったのを俺は見逃さなかった。
「……そうなんだ」
暫し俺たちは噴水から出る水の音を、広場の喧騒を、ただ黙って聞き入っていた。
「じゃあさ、今年の年越しはこの街に来ようよ。ただ年越しの瞬間を楽しむためだけに、この街に来ようよ。それで、美味しいもの食べたり楽しい音楽聴いたりしてさ」
「──いいね、それ」
先生はそう言いながらも意地悪そうにニヤリと笑うと、
「でも、その前に私がルイを追い出しているかもね。『もう知らなーい!』って」
と呟いた。冗談なのか脅迫なのか、とにかく魔法の勉強の段階を少しでも早く進めていかなければな、と思う。
「はは、朝起きたら山の中──なんてことがないように頑張ります──ッ!?」
一瞬の間だったが、遠くから誰かの射抜くような視線を俺は感じた。すぐさま立ち上がり周囲を見渡すが、こちらの様子を窺う人影はなく広場は俺たちに無関心な雑踏のままだ。
「──どうしたの?」
「ルイ?」と小声で聞いてくる先生の隣に座り直して、同じく小声で先生に答えた。
「いや──。一瞬視線を感じたんだけど……気のせいだったみたい」
俺の言葉を聞いた先生も慌てて行き交う雑踏を入念に眺めていたが、何も感じることはできなかった。
俺たちがそうやって広場を観察している間に、聴衆や奏者が集まって楽隊の演奏が始まった。きらめくラッパが歌い出すと、呼応するように打楽器奏者が太鼓を乱打している。
「あ、始まった」
「しばらくこのまま聴いていきましょう」
始まりは華やかで賑やかな演奏だったものの、すぐに曲調はおどろおどろしいものへと移った。先生によると「狩りに向かう者は自身が狩られる者になり得ることを認識せよ」という警句をテーマに曲は展開しているらしい。弦楽器のわななきは猟犬に追われ逃げる子鹿や小動物だろうか。それとも──。
やがて十数分ほど続いた演奏は、再び冒頭の賑やかさを取り戻すと大団円を迎えた。ひとしきり喝采が広場を包み、奏者たちが笑顔でそれに応えている。やがて拍手が収まると、次は緩やかにステップを踏むような、落ち着いた曲が演奏されだした。
「そろそろ行こうか」
いい塩梅だろうと、俺たちは広場から離れ目的の一つである食材を買い求めに店を見て回ることにした。
***
「そういえばさ、肉でも野菜でも、買ったものはどうやって運ぶの?いくらあの床下に保存ができるとはいえ、あそこまで運ぶ間に傷んだりしたらいけないわけだし──」
先生は俺を裏路地まで引っ張ると、懐から革の袋を取り出して口を広げてみせた。
「全部、これに仕舞うわ」
袋の中を覗くと床下の貯蔵庫のようにわずかにひんやりとした空気が漂っている。何より、袋の外観よりも中はとても広く見える。たしかにこの大きさなら問題なさそうだ。
「床下貯蔵庫と仕組みは同じよ。携帯版ってとこかしら。あんまり沢山入れてパンパンにすると破裂して大変なことになっちゃうんだけど、今日買う予定分くらいなら全然問題ないから。あ、でもお店の人とか他人に中を見られないように注意して。こんなもの持ち歩いているなんて知られたら、ちょっと面倒だしね」
食材を一度に大量に買って店員さんに怪しまれないように、俺たちは店を変えながら食料品を買い集めた。あちらこちらに食料品店が散らばっているから、俺たちは色んな店を覗き歩くことができた。無論、店員さんやたまたま居合わせた他の客に、さり気なくテオ山の魔法使いのことを聞き出しながら。だが飯屋のお姉さんから聞いた話ほど目新しいものはなく、またその話かあ、と思う場面も少なくなかった。
それでも、行く先々で見かける見知らぬ土地の果実や珍しい生地の服。それに奇抜なアクセサリー……それらは俺にとっては新鮮なものばかりで、噂話を収集するついでに店先を見て回るだけでもとても楽しいものだった。
「これなんか、どう?見てお兄ちゃん!」
夫婦で営んでいるという服屋で、先生は上質な麻で作られているという深みのある青のスカートを試しに着けて、柔らかにスカートの裾を広げながらくるりと回ってみせた。
「うん、似合ってるよ」
「可愛いよ」と言うべきか俺がちょっと逡巡したのを、先生の服を見繕っていた奥さんに見抜かれていたらしい。
「そこは素直に『可愛い』って言ってあげるんだよ、お兄ちゃん」
「──だっはっは!男なんてのは、身内に限って素直になれないもんなんだよ」
奥さんに命じられてマリナ先生に合うサイズの服をいくつも選び持ってきた旦那さんの方が、笑って応じた。
「兄ちゃんも大変だろう、小さいとはいえ女の子の買い物に付き合うのは」
「いやあ、それがそれなりに楽しいよ」
「へえ?そうかい。大したもんだ」
「ここに置いておくぞ」と奥さんに声をかけ持ってきた服たちを用意されていたかごの中に置くと、旦那さんは俺に向き合った。
「さて……。じゃあ兄ちゃんの方も何か見ていくか?靴なんかどうだ。うちは靴屋じゃないから品揃えはそんなにないが──」
たしかに俺の靴はお世辞にも格好のいいものではない。村にいる間からずっと履き潰していた上に、村を出て今に至るまでずっと履きっ放しだったからかなりボロボロになっていた。店のカウンターの内側にしゃがみ込んで俺の足の大きさに合う靴を探しているらしい旦那さんに俺は声をかけた。
「そうだな──安いのでいいんだけど、ある?」
「最初から安いのにしようなんて駄目だぜ、兄ちゃん。足元こそバシッとキメておかないと。ほら、こんなのはどうだ」
顔は上げずに靴を掴んだ右腕だけをカウンターの上に乗せ、旦那さんはまだゴソゴソと他の靴を探している。カウンターに置かれたその靴は素人の俺が見ても上等な品質の革を使っているように見えた。手にとって確かめてみると、とても出来の良い代物だとわかる。作りも余計な装飾がなく、俺の好みに合っていた。正直なところ、ほしい。
「良い革使ってるだろ。靴職人のとこに弟子入りに行った息子がさ、作ったものを『適当に売ってくれ』って時々送ってくれるんだよ」
「へえ……こんなに立派に作れるようなら、もう息子さんは独立をしてるんだ?」
「いや、それは学ばせてもらっている職人が作った物だ。ははっ、『比べてみてくれ』って自作と師匠の分を両方送ってくるのさ」
ほら、と今度は一見ほとんど同じに見える靴を取り出してみせた。だがよくよく見てみると、後からカウンターに並べられたそれは同じ革を使っているようなのに1ランク以上落ちる印象を受ける。おそらく職人が作ったものをなんとか模倣しようとしたのだろうが──。
「な?今ひとつだろ。まだまだだろ。真似て作った、って感じだろ。でも、あいつが一生懸命作ったものには違いないからよ、こうやって売り物として扱ってやってるのさ。出来がいまいちだろうが不完全な模倣品だろうが、靴は靴だからな。ま、買ってくれる人なんてほとんどいないんだが」
だはは、と幸せそうに笑う旦那さんに向かって、奥さんが呆れた調子で言葉を投げた。
「あんたねえ、売り物なら商品棚に並べるんだよ!隠すようにそんなとこに仕舞っちゃっててさあ……。お客さんに聞かれた時だけ取り出したって、売れる物も売れないよ!」
「いいだろお?別に」
マリナ先生はというと、半ば奥さんの着せ替え人形と化したように目一杯おしゃれに着込んでいた。その様はまるでお貴族様かお姫様。
「おおマリナ、麗しの姫よ」
「ばかっ」
からかうと、胸元にフリルのついた藍緑のチュニックを着せられている先生はべえっと舌を出して見せた。
「──で、どうするね。この店で一番安い靴だと、俺の息子の作ったこの靴になるんだ。大きさは合うと思うんだが──本当にぴったり合うか試しに履いてみないか」
旦那さんに言われるままに履いてみると、靴は、俺の足にぴったりとはまった。
***
「──やられたあ。あの夫婦、本当商売上手」
結局服屋で、似合う、似合うわよお。とおだてられ、先生は服を三着買うはめになった。普段着るのにもいいわよ、一緒に買うなら安くするから。と押しに押されて俺たちは根負けしたのだ。それとついでに俺の靴も一足。予定外の出費だった。
だが俺たち子ども二人だけで、そんなに予算はないだろうと見てくれていたのは幸いだった。もし手元に使えるお金がまだまだあると知られてしまったら、もっと服を買うように勧められていたかもしれない。
購入した服たちを食材が入っている魔導具の袋に入れるわけにもいかず、先生の服はお店でもらった紙袋に包んでもらい、買った靴は早速履いている。履き心地はまあ、悪くはない。
俺が抱え歩いている紙袋を先生は横からぽんぽんと叩いた。
「物は間違いないからまあいいんだけどね。……押しの強い強敵だったわ。なんだか疲れちゃった」
「先生、俺の靴までありがとうね」
俺は小声で先生に感謝した。俺の全財産のなけなしの路銀は先生の財布に統合されているのだ。正直なところ、ちょっと情けない気持ちもある。先程も会計時に先生が財布を取り出すのを見た服屋の旦那さんに、
『兄ちゃん、あんたが歳上なんだから妹ちゃんに財布を管理させてちゃいけないよ。しっかりしな』
と、からかわれたのだった。
「私の服の方が高いくらいだったし、気にしなくていいよ。それにしても……はあ、冷静に考えたらおしゃれする機会なんてそうないのにね」
ため息をつき早くも後悔を始めている先生を俺は励ました。
「大丈夫だって!先──マリナ、試しに着ていた服どれもめっちゃ似合ってたよ!」
「……『お姫様』って馬鹿にしたくせに?」
「あ、いや、それは……馬鹿にしたわけじゃなくて、ちょっとからかっただけというかなんというかそのですね……あっ、そうだマリナ」
このままでは形勢不利とみた俺は、無理矢理話題を変えることにした。
「野菜の種を買ってさ、家庭菜園で育ててみない?」
ジロリと先生は俺を見据えると、「まったく……」とぼやいた。
「……昨日きれいにしてくれていたもんね。まあ、いいんじゃない」
「ありがとう!じゃあさ、肉屋の次には──」
そうやって歩きながら話しをしていると、前方から駆け足でどこかの貴族の従者らしき人物が走ってきた。俺たちは道を開けようと少し脇にそれたが、彼は俺たちに視線を止めると足も止めた。そして息を整えながら、
「あの──もし、すみません。つかぬことをお聞きしますが、そちらのお嬢様ほどの背丈の男の子が、一人で歩いているのをどこかで見かけませんでしたか?」
と訊ねてきた。そういえばこの人は広場にいる時にも見かけた記憶がある。あの時も何か慌てたように駆けていたっけ。ということはあれからずっと、その男の子を探してこの街を走り回っていたのだろうか?
「いいえ」
先生はやや緊張した面持ちで言葉短く否定すると、「お兄ちゃん、行こ」と俺の手を引きそそくさと立ち去ろうとした。だが俺は──。
「待って、マリナ」
俺は先生の手を掴んだまま、この場に立ち留まった。
「なっ──ルイ……お兄ちゃん!?」
「ちゃんと、話を聞いてみようよ」
マリナ先生を見つめたまま、俺は先生の手を離さなかった。先生は睨んで、腕を引く力を緩めようともしなかったけど、数秒置いた後に、
「お兄ちゃんが聞くだけなら」
と、渋々俯いて、そのまま俺の右横、少し後ろに立った。
「すいません、もしよかったら詳しく教えてもらえませんか?できることがあれば、あなたの力になります」
俺の言葉に安心した表情を一瞬見せ、その従者は自己紹介をした。
「私、サムリヴァー家に仕えております。デニスと申します」
一礼をされたので、俺も慌てて頭を下げた。ついでに俺も「ルイです」と名乗り、先生も横で「……マリナ」と呟いた。
デニスさんは細身で長身な上に豊かな白髪を持ち、顔には苦労を刻んだシワがあった。年齢は俺の祖父と前後するくらいだろうか?だが声のハリやシャンとした姿勢、街中を駆け回る体力を考えると、もっと若いような感じもする、不思議な人だ。そのデニスさんは声をひそめると、
「実は、先程申し上げた男の子、というのはそのサムリヴァー家の長男であらせられるポール様なのです。我々お付きの人間がちょっと目を離したすきに、一人でどこかへ行ってしまわれて……」
と打ち明けた。
「ルイさん、マリナさん。どうか、ポール坊ちゃまの捜索に協力していただけませんか?」
先生は無言だったけど、先生の心中の溜息が俺の耳元で聞こえたような気がした。




