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まずは掃除から

「──よいしょっ……と」


 居間で空にした本棚を先生の部屋まで運ぶと俺は一息ついた。本棚の一つや二つ、魔法でちゃちゃっと動かしてついでに掃除もサササッとできそうなものだけど、先生曰く、


「魔法は己が楽をするためのものではないからね」


 だそうだ。


 先生の部屋は生活感が薄く酷く殺風景だった。ここにベッドも机もあるのに、わざわざあっちの居間を生活の拠点にしていたんだ。だからまあ、掃除をするにはとても楽だった。窓を開け放しベッドも机も箪笥も窓も床も、先生と一緒に埃を払ったり拭き掃除をしたりして目につく所は全部きれいにした。


「レディの部屋を掃除できるなんて幸せだねえ」


 なんて、何故か先生は得意げに頷いていたけれど、物が無さすぎて掃除をしていても誰かの部屋という感じは全然しなかった。そんな先生でもさすがに箪笥や机は触られたくようで(わざわざ抽斗(ひきだし)を開けるようなマネ、もちろんしないけど)、そこら辺は後で自分で整理するとのことだった。掃除を終え本棚を運んできても棚はまだ空だからどこか寂しい雰囲気を漂わせている。


 俺は部屋の入口に立ち腰に手を当てて本棚を置く位置を細かく指定していた先生の方を振り向いた。


「じゃあ、次は本を持ってくればいいかな」


「うん。本というのは読んでいる場合じゃない時に限って読んでもらおうとする引力を放ってくるから気をつけなきゃね」


 冗談を言って笑う先生が先に立ち廊下を抜けていく。そんな先生の背中を見送ってふと廊下を振り返ってみた。


「あれ……?」


 廊下の中ほどにあった、最初に見た時にはあったはずの、地下への階段がただの壁になっていることに気がついた。階段があったはずのあたりの壁に寄って撫でてみたが、何の変哲もないただの壁だ。気絶する前にチラと見た程度だけど、でも間違いなくここには階段があったはず。先生の部屋や奥の部屋のドアは変わっていないようだ。ただ階段だけが無くなっている。


「何してるの」


 居間から先生がこちらを覗いていた。


「あ、いや。先生、ここ壁じゃなくて階段じゃなかった?」


 そう言いながら俺は指で壁を叩いてみた。壁はコンコンと乾いた音を返すだけだ。


「……気のせいじゃない?さ、本を片付けるわよ。ぼやぼやしてると日が暮れちゃう」


 先生はそう言うと顔を引っ込め、


「ルイも早くおいでよ」


 と、有無を言わせぬ感じで俺を呼んだ。


「……はーい」


 この家の主である先生にそう言われると仕方がない。俺は首をひねりながらも、居間へと足を向けた。


 「──次はこれ。はいこれは一番上の段。こっちはさっき持って行ったやつの隣」


「待って、待って、早い。早い」


 先生の手伝いもあって本の収納は手早かった。先生が元々散らかしていた本の山と俺が本棚から取り出した本を先生が仕分けし、それを俺が部屋まで運んで本棚に収める。何度も往復している内に数冊をのぞいて居間の本はきれいに片付いた。それでもやはり全部は本棚に収まりきらず、最後の方は本棚の脇の床に直接積み重ねる形になった。


 「はい、残ったのはルイのね」


 残されていた本は俺用のものだったらしい。一冊は小さな子が読むような挿絵付きの本で、可愛らしい絵柄で微笑み合っている子どもとドラゴンが表紙を飾っている。


「もうこういう本を読む年齢でもないんだけどなあ」


「わがまま言わないの。それに全部が全部子ども向けの本じゃないよ。実用書だってあるんだから。こっちは『幼児期から魔法を学べる』がウリの『親子で学ぶ魔法事始め』、こっちは『初学者のための魔法理論』。そしてこっちは──とにかく、簡単なものを読みながら文字の読み書きと魔法の勉強を同時進行でやるからね」


「開いてもいい?」


「どうぞ」


 先生から渡された『初学者のための魔法理論』を広げてみたけど、なるほど、何が何やらわからない。本を開いたまま硬直している俺を先生は意地悪そうにほくそ笑んだ。


「フッフッフッ……。後悔してももう遅いよルイ。私は『やる』と決めたら徹底的(・・・)に『やる』女だからね」


「……お手柔らかにお願いします」


***


 それから、マリナ先生の部屋の掃除の仕上げをしながら、俺はふと気になっていたことを訊ねた。


「先生、魔法学園ってなんで大陸に一つしかないんだ?」


 「んー?」と、机を拭いていた手を止めず先生は返事をした。


「だってそうじゃないか。あちこちに魔法学園があれば庶民でも誰でも魔法について学べるようになるんじゃないの?」


「確かにルイの言う通りかもね。でもルイは三つ見落としている点があるわ。見落としている、というより知らないだけね」


「何?」


「まず学園の卒業証書。卒業証書はそれそのものが価値を持つの」


「……?ごめん、よくわからない」


「うーん、なんて言えばいいのかな。つまりね?」


 よっと掛け声をかけて先生はベッドの端に腰を掛けた。


「入学から卒業まで学園での学びっていうのはそりゃもう大変なわけ。希望者全員が入学できるわけではないし、学生全員が卒業できるわけでもない」


 ──ま、金の力でどうこうしている()貴族様もいるらしいけど──と、先生が小さく呟いたのを俺は聞き逃さなかった。よっぽど先生は貴族に対して思うところがあるみたいだ。


「そういえば、レオハルトも中退したって言ってたな」


「それ本当?ミラリウの人間が学園を辞めることができるなんて、驚きね」


 眉を持ち上げて先生は訝しんでいる。たしかに、先生の言う通り立場のある貴族の息子ならそういう選択肢は許されないような気がする。でも本人が辞めたと語った以上その通りなんだろう。


「多分。火花を出すのが精一杯だとかなんとか……あ、そういえば杖はどこに置いてあるんだ?さっきも言ったけど、あれ、レオハルトから譲ってもらったものなんだよ」


「杖は台所に放り投げたわ。ナイフもね。後で皿洗いついでに探しなさい」


「はぁ」


 それで、と先生は話を戻した。


「卒業生たちは自分たちがそういう大変な学生生活を送ってきたことを誇りに思っているわけ。ま、大げさかもしれないけどね。でも自分たちは大変な思いをしたのに、下の世代が、楽に誰でも魔法を学べま~す。なんて状況になることを受け入れられると思う?」


「う~ん……」


 掃除止めその場にあぐらをかいて、ちょっと考えてみた。


「魔法を学べるならそれでいいと思うけどなあ」


「それ、それがルイの見落としてる二つ目の点。学園は魔法の学び舎であると同時に貴族たちのプレ・社交界でもあるのよ」


「プレ……?」


「前段階ってこと。要するに、ただ魔法を学ぶだけの場じゃないわけよ。学園は。私も直接見聞きしたわけじゃないけど、海千山千集う社交界に嫌気が差したり恐れをなしたりして学園を去る生徒もいるらしいわ。レオハルトって人が学園を去った理由、案外こっちかもね」


「そんなに繊細でヤワな人には見えなかったけど」


「まあ、あくまで憶測よ」


 くるくると指で空気をかき混ぜると先生は話を終えた。三つと言っていたはずだが、まだ二つしか話してもらっていない。ちょっとの間互いに沈黙した後、俺はベッドに座っている先生に尋ねた。


「──先生、三つ目は?」


「ん」


 コホンと咳払いすると、改まったようにしてマリナ先生は語りだした。


「単純に、魔法を教えられる人間は限られている」


「えっと……つまり?」


「極端な話、学園を卒業した程度では教師になれないのよ。せいぜい入学試験までの基礎理論をまだ魔法を知らない子どもに教えられる程度」


「それは法とか規則とかの問題?」


 先生は首を振るとベッドから腰を上げ、本棚から一冊の本を取り出した。本は数十ページほどで、それほど厚みのないものだ。


「これは──この本はこの国の家庭料理の中でも特に簡単なもののレシピ集。ほい」


 先生が投げてよこしたその本をキャッチする。


「いじわるしたいわけではないけれど、ルイ、きみはその本をまだきちんと読めないのでしょう?」


「?ああ」


 パラパラとページをめくりながら俺は答えた。図柄や知っている単語でなんとなくわかるものの、具体的に何をどうするのか細かい部分がわからない。見慣れない、使い慣れない固有名詞が並ぶと特に厳しい。


「これから文字の読み書きを学べば、その程度すぐに読めるようになるよ。もとい、なってもらわなければ困る。で、なんだけど」


「うん」


「仮にその本を読めるようになったとして、ルイは料理人を名乗れると思う?」


「本を読めるだけじゃ料理人じゃないよな」


「そうね。それ(・・)が入学試験。じゃあ、その本に載ってるレシピを一通り作れるようになれば?どう?」


「うーん、よくわからないけど『特に簡単』な部類なんだろう?ならまだ足りないんじゃないか」


「そういうこと。でもそれ(・・)が卒業試験」


「えっとそれはつまり……」


 俺が察したのを確認して先生は頷いた。


「そういうこと。学園で教えるのは魔法を使う基礎の基礎の部分なの。教わった範囲が一通りできれば卒業はできるし、それは十分胸を張れることよ。でもね、それだけでは他人に教えるには程遠いの。中途半端な実力で学園の教壇に立とうだなんて、何より本人が己の未熟さを痛感して居た堪れなくなるわよ」


 先生は再びベッドに腰を掛けると、ふうと息を吐いた。


「以上、三点が学園が一つしかない理由。アルデのガラリアにあるのは政治的な事情かしらね」


「な、なんだか魔法って俺が思ってたより奥が深そうというか、険しそうというか……」


 ちょっと弱音を吐いた俺を、先生がジッと見ている。


「覚悟しないさい、ルイ。それがきみの学びたい魔法の道よ」


 思わず「ハイ!」と返事をしたけれど、一方で、俺はマリナ先生に対してこっそりと驚いていた。


 ──先生は俺とそれほど変わらない歳なのに、既に他人に魔法を教えられるほど魔法を究めてるってことなのか?


***


 あれやこれやとしている内に、気がつくとあっという間に夕暮れを迎えた。晩飯の時間だ。


「そういえば先生、『ここ』ってどこになるんだ?えーと……テオ山?の中じゃないよね」


 きれいに拭き上げた台所のテーブルに食器を並べて、向かい合って二人でパンとスープを食べながら俺は先生に尋ねた。


「そうね」


 カチカチのパンをかじりながら先生は頷く。


「どこかと言われると、さて何と答えたものか。ここは隙間なのよ。狭間と言えばよりそれっぽいかしらね。テオ山の中ではないけど、同時に、テオ山にあるとも言える。存在しない空間を認識することによって現実に存在させている……みたいな?」


「『みたいな?』って言われても俺にはわからないよ」


「まあルイには二十年早いか」


 先生は微笑みモソモソとパンを咀嚼している。


「二十年か……」


 先生は冗談のつもりだったのかもしれないけれど、具体的な数字を示されると二十年先の自分を想像してみたくなった。でも、そんな先の姿なんて全く想像できない。三十五の自分か、二十年もすればいずれは父の年齢を超える時がくるんだよな。ぼんやりと空想を巡らせていた俺を先生の言葉が現実に引き戻した。


「──ねえ、そういえばどうして魔法を学びたいの。大事な事聞きそびれていたわ」


「ああ、言ってなかったっけ?俺さ、魔法で人助けのできる人間になりたいんだ」


「それはまた曖昧なというか壮大な……」


 先生はテーブルに頬杖をつくとそこに重心を乗せ体を傾けた。


「そうかな?」


「そうよ。目指すべき最終地点が見えているなら逆算して指導の過程を考えられるけど、それじゃあ……うーん?」


 先生は困った様子だけど、俺は魔法を教えてくれることを先生が真面目に考えてくれていることが少し嬉しかった。ここに来てよかったと思えた。


「なぁにニコニコしてるの」


「嬉しくて」


 先生はわざとらしいため息を一つすると、「気楽なものだわ」と呟き、残っていた一欠片のパンをスープと共に流し込んだ。


 食べ終わった食器を片付け終えると、先生は居間から先程のドラゴンが表紙の本をいそいそと持ち出してきた。


「おつかれ。それじゃあ早速これを読もうか。もちろん、声に出してね」


「今から?」


「そうよ。はいそこに座って座って」


 台所のイスにまた座り直すと、俺を本を広げた。正直この歳になってこの手の本を読むのはちょっと恥ずかしいものがある。その上声に出してと先生はおっしゃる。しかしこれが修行の第一歩。腹をくくり咳払いをすると、俺はちょっと緊張しながら読んでみた。


「『レミオーと迷子のドラゴン』。むかし、むかしのはなし。とある村の大きな屋敷に──」


「はい待った」


「何」


 向かい合っていた先生は椅子を引きずりやってくると、俺の横に並ぶようにして座った。


「もっと心をこめて読んで。棒読みじゃ言葉の本当の意味がわからないでしょ。つっかえつっかえでも構わないから。ほら、最初から。ね?」


 何故、とは聞き返さなかった。聞き返せなかったわけじゃない。


 しかし本を心をこめて読むというのはただ読み上げる以上に気恥ずかしいな。


「どうしたの、早く」


 ……そうだ、隣に座る先生に読み聞かせるつもりでやればいいのか。見た目はコレットみたいに幼い子どもだし。子ども扱いして先生には悪いけど、黙ってればわからないだろう。


「えーでは、改めまして。『レミオーと迷子のドラゴン』。これはむかーし、むかしのお話しです──」


 自分の下手な朗読を聞かれるのはやっぱり恥ずかしいなと思う。でも、時折俺の言葉に訂正を挟みつつもニコニコとして本の朗読を聞いている先生の様子を見てしまうと、まあいいかと半ば諦めのような、悟りのような感情も湧いてくる。先生の合いの手に促されるように、俺はページを捲った。

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