酸っぱいスープ(4)完
コトコトと厨房の鍋から静かな音が響いていた。スープの鍋だ。ルイスは、そこから深めな皿に盛り付け、藤子の目の前に置く。パンも薄く切り分け、皿に盛り、置いた。チョコレートカラーのテーブルの上には、赤いスープがあるのは、見た目は映える。
ふわっと湯気もたっているが、冷え性の藤子にとっては、心地いい。
ただスープの匂いは確かに癖がありそうだった。酸味が強そうツンとする匂いだった。具はトマトやにんじんがゴロゴロと野菜がいっぱいで、健康には悪くないだろう。店内のオレンジ色の照明に照らされ、スープは少し透けて見えていた。そういえばルイスは短髪の茶髪だが、光の加減で金髪にも見える。この店内は、柔らかな優しい陽だまりのようだ。今が夏という事を忘れそうだ。
パンは逆に匂いは良かったが、色は黒い。生命地からにある土のような色だった。生地はぎっしりとしていて空気感はない。むしろ雑穀などが入っているようで、確かに硬そうだ。半月型に薄くスライスされているが、皮はパリッとしていそうで、それは気になる。
二つとも初めて食べる料理だった。ちょっとした冒険気分で、食べるのに勇気がいる。
「どうぞ、召し上がってください」
「いいの?」
「ええ。なんでしたっけ、日本の諺で清水の舞台から飛び降りる気分ってなかったですか?」
「あなた、詳しいわね!」
こんなに日本語を勉強してると思うと、藤子は嬉しくてなってしまった。
「あと、可愛い子には旅をさせろっていう諺も勉強しましたよ。たまには、冒険もいいですよね?」
ルイスは藤子の気持ちを読んだかのようの言う。ルイスの深い茶色い目を見ていると、本当に自分の気持ちを読まれている気分になってしまった。
確かに夏帆には、厳しくしすぎた。もし自分が冒険する気持ちを奪っていたとしたら、毒親と言われても仕方ない。
本当に夏帆が可愛いのなら、旅に送り出す事も必要かもしれない。
この珍しいスープを眺めながら、そんな事を思ったりした。
「いただきます」
藤子はスプーンをつかみ、スープを飲んでみた。確かに酸っぱいが、野菜の甘みがジワジワ滲み出ていた。何より温かいスープなので、身体も温まってきた。以外とパンともあう。このスープに硬いパンを浸すとちょうど良くなるとルイスに言われた。
行儀は悪いと思いつつも他に客もいないので、言われた通りにやってみた。硬いパンを千切り、
スープの浸す。ジワジワと染み込み、パンは少し柔らかくなって食べやすかった。それでも噛みごたえはあり、食べていると満腹感がすごい。こんな満腹感を持てるパンを食べたのは初めてだった。いつものフワフワな白いパンは、あまり食べごたえは無い事に気づいた。
少し勇気を持ち、冒険気分で食べたスープもパンも美味しかった。味わいは素朴で、お腹を壊すような要素もない。むしろ身体は温まっていた。心もジワジワと染み込むような感覚も覚えていた。
「そうね。可愛い子には、旅をさせた方がいいわね」
「でも、可愛い子が怪我したり、困った事があったら戻ってこれる場所も必要です。お母さんは、きっとそんな存在でしょうね。そんな場所を提供できたら、藤子さんは、毒親ではないですよ」
そんな風に言われたら、もう今までの子育ては間違っていたと思う。悔いる気持ちもあるが、問題はこれからの事が肝心なのだろう。
気づくと、もう皿はすっかりと空になっていた。思い切って冒険して良かったと思わされた。もう、夏帆については今までのような態度は必要ないだろう。むしろ、今が子離れする時に思えて仕方ない。
「美味しかったわ。今度は娘と二人で来ていいかしら」
「ええ。お待ちしておりますよ」
藤子は料金を払い、店を後にした。身体はまだポカポカと温かい。
しばらく夏帆とは距離をとる生活になるだろう。ただ、たまに二人でこの店で食事する事を想像したら、それも悪くないんじゃないかと思い始めていた。