最後のスイーツ(2)
しばらく気を失っていた。
意識を取り戻した時は、何の音も聞こえず静香だった。とりあえず地震はおさまったようだった。
ここはどこだろう?
怖いが、いつまでも目を閉じているわけにはいかない。メイは思い切って瞼を開けた。
どこかの床の上で伸びていたようだ。背中がゴツゴツと痛い。すぐに飛び上がるように立つ。とりあえず身体はどこにも異常は無いようだった。着ていた白いワンピース、かぶっていた麦わら帽子もちょっと砂埃がついているだけだ。持っていたカバンは行方不明だった。中には悪役女優時代の台本がたくさん入っていたが、紛失してしまったようだ。命が助かっただけでも儲け物だ。カバンはもう諦めた方が良いかもしれない。
何か肉のスープのような匂いがした。ルイスがよく作っていたスープの香りで懐かしい。もう田舎に帰れたのだろうか。
キョロキョロと周辺を見回すと、どうやらルイスの店で伸びていたようだ。チョコレートカラーを基調とした店の様子は見覚えがある。しかし、どうも店が小さくなったというか、ボック席やカウンター席の数が少ない。店は縮小したのだろうか。
ボックス席の方の壁を見ると、写真が貼り付けれあった。メイが悪役女優をやってた時の魔女や魔法使いのブロマイドが飾ってあった。ルイスが王都に観劇に来た時にブロマイドを買っていたのを思い出す。あの時のブロマイドだろう。小さなシールやリボンなどもはり、綺麗にブロマイドは飾られていた。何だか少し泣きたくなってきたが、ここにメイのブロマイドがあるという事は、ルイスのお店で間違い無いだろう。
「ルイス、どこ?」
とりあえずルイスを探すが、どこにもいない。外に行ったのだろうか。店の入り口のドアを開ける。
「ぎゃ!」
思わず悲鳴をあげ、扉を閉めた。鉄の塊のような車(?)が走っていた。国には車はあるが、もっと丸みを帯びたフォルムであんな鉄の塊ではない。それに羽根が生えたように早く走っていてドキドキが止まらない。
歩いている人間も変だった。顔つきも平べったく、ヨタヨタとだらしなく歩いていた。外は夏のようでハーフパンツや短いスカートの女性も多かったが、足が短くO字に歪んでいた。それに顔も下半分を白い布で多い、目の表情も死んでいてちょっと怖い。小さな鉄(?)みたいなものをずっと眺めながら歩いているものもいた。家(?)も天に届きほど高く、そんな建物がごちゃごちゃと並んでいた。メイがいた王都でも最新建築の劇場やお屋敷もあったが、あんな高いものは見た事ない。
落ち着け、落ち着け!
メイは自分に言い聞かせながら、ボックス席に座った。そばの壁には自分のブロマイドがある。外はどうあれ、確実にこの店の中はルイスと関係あるものだ。
たぶん、これは別世界転移かもしれない。たぶんそう。それしか考えられない。
別世界転移とは、元いた世界と全く違う世界と繋がってしまう事だった。なぜか日本という国と繋がり、別世界の人が行き来していたという記録を図書館でみた事ある。劇団でも別世界転移をモチーフにしたファンタジーを演じた事もある。演じた時はファンタジー世界と思い込んでいたが、こうして現実として突きつけられると、あり得そうだった。全く無いとは否定できない話だった。
確か図書館での記録では大きな地震があると、別世界転移ができるとか書いてあった。磁場が歪んで別世界へのポータルが開くと言う。
メイは別世界、日本という国に来てしまったのだろう。信じられないが事実なのだから受け入れるしかない。
問題は一つだ。帰り方法がわからないという事だ。逆にいえば帰る方法がわかれば、この門田は解決する。問題が一本化し、メイはだんだんと落ち着きを取り戻していた。
では、帰る方法はどうやって見つけるか?
ヒントはありそうだ。ここは、少し田舎のものとは違うとはいえ、ルイスの店と言っていうだろう。無闇に外に出るより、この店を探ってみる方が良さそうだ。
何百という感客の前で悪役令嬢をやっていた。時にはその演技力で観客から誤解される事もある。その度にスルーし、全く気にせず稽古を続けていた。あげく、身分差を知り、劇団長や脚本家に汚されそうになったが、どうにか逃げてきた。それを思えば、別世界転移など小さな問題かもしれない。例え帰れなくても女優として生きる道も開かれているかもしれない。あの日本の風景を見た感じだと、国は豊かそうだった。演劇ができる環境もあるかもしれない。
子供の頃は飢饉にも悩まされてきた。こんな所で死ぬわけにはいかないのだ。メイは壁に飾られた自分のブロマイドを見ながら、歯を食いしばる。生きていただけでも丸儲けだし、この空間はルイスと関係がある。まだ希望を捨てるには早い。
そう思うと、あっけなく夢を手放し、田舎に帰ろうとしてうたメイは、何なのだろうか。やはり、根性が足りなかったのだろうか。しかし生理的に無理な男に抱かれる必要はあるのかわからない。思考がマイナスに傾きかけた頃、カウンターの内側の厨房へ行ってみた。
厨房の棚には、見覚えがある調味料やお酒が並んでいた。ザーレナ国のもので、それを見ているだけでホッとした。やはり自分と繋がりがある物を見てうるだけで、心は落ち着く。ただ冷蔵庫やオーブン、コンロなどは田舎でも王都でも見た事が無いようなデザインだった。コンロもどうやって使ったらいいのかわからない。
コンロの上には鍋があったが、出汁だけ取られたスープがあった。スプーンで一口飲む。行儀は悪いと思ったが、良い臭いに逆らえなかった。一口飲むと、ルイスがよく作っていたトマトスープを10倍ぐらい薄めたような味だった。間違いない。この世界にルイスがいるようだ。
例え帰る方法が不明でもルイスに頼る事はできそうで、ホットする。なぜルイスがここにいるかは不明だが、あの幼馴染に会いたい。
こんな状況だから会いたいのだろう。それでもルイスが作ったと思われるスープを飲むと、哀愁を刺激されていた。スープの味だけでなく、お腹が空いて死にそうな時に食べた甘い氷を思い出すと、余計にルイスに会いたくなった。
「ルイス! どこ?」
メイは大声でルイスを呼んでいた。その声は微かに震え、少々頼りない。悪役女優として舞台に立っていた時の声とは全く違った。メイが意識して演じているわけでもないが、迷子の子供のような声でルイスを呼んでいた。
すると、厨房の裏口からルイスが現れた。田舎といた時と来ている服と少し違うが、確実にルイスだった。
「わ、何でメイがここににいるのさ?」
ルイスは手に持っていた泥だらけの野菜を床に落とす。目を丸くし、目の前にいる悪役女優に驚いていた。
「ルイスー!」
メイは半泣きでルイスに飛びつき、抱きしめた。
「ちょ、メイ。落ち着て。どういう事が事情を聞こうじゃないか」
「うわーん!」
久々に再会した幼馴染。幼馴染で、友達だ。恋愛感情も一秒も持った事はないし、弟みたいな男だと思っていたが、今は頼れるのはルイスしかいない。
「わかったよ。わかった」
泣きじゃくるメイの背をさすっていた。




