イギリス料理(3)
翌日、マダムの家でシュークリームやレインボーケーキを作った。クライアントのマダムは大満足で写真を撮り、SNSにあげていた。もちろん茉奈の名前は出さず、自作と言っている。これでフォロワーを稼ぎチヤホヤされているらしいが、茉奈は何とも思わなかった。これも仕事の一つだった。
「茉奈さん、ありがとう。フォロワーに褒めてもらっちゃった」
「ええ。よかったです」
ただ、こんなチートをしながらマダムのプライドとか自己肯定感とかどうなっているのかは、気になった。そんな事を考えると自分のプライドや自己肯定感も崩壊しそうな悪寒もしたので、すぐにマダムの家から撤退した。
次が夕方から婚活女子の家で仕事の予定だった。彼氏に少しでも料理上手に見せたいと言う依頼だった。こういった依頼は絶えなかった。友達の千花も婚活中の時、料理を作らされた事もあった。千花は運良く結婚できたが、もし本当は料理上手じゃないとバレた時は、どうするんだろう。
こんな意地悪な事を考える自分の嫌らしさにため息をつきながら公園に向かった。マダムの家の近くには中規模の公園があり、ランチ時間になるとフードトラックやお弁当の屋台が出ていた。ランチのピークから時間は過ぎたので、OLやサラリーマンの姿はまばらだった。茉奈はこの公園でランチを買う事にしたが、和風やイタリアンのお弁当は売り切れだった。
仕方がないので他の屋台を探すと、「異世界キッチン」というのぼりが出ている屋台があった。派手なピンク色のパラソルを出して、その下のテーブルには弁当の箱が積み上げられていた。ランチピークが過ぎた時間でもこんなに残っているという事は、人気ないのだろう。その証拠に屋台のそばに人はいない。
異世界キッチン。
そういえば優吾が昨日フィッシュ&チップスを買ってきた店はここか?
しかし異世界キッチンとは、どういうつもりなのだろう。昨日みた異世界アニメでは、料理が不味そうだった。そんな料理を提供していたとしたら、飲食店失格。再び茉奈は意地悪な事を考え始めてしまった。
そんな自分がモヤモヤとし、異世界キッチンの屋台のそばに近づいていた。店主はニコニコ笑いながら、パラソルの側に立っていた。確か優吾は、店主のことをルイスと呼んでいた。
ルイスはアメリカかヨーロッパ人のようだ。堀が深く体格の良い青年だった。若く見えるので年齢はアラサーぐらいかもしれないが。日本に住んでいると外国人など接する機会がないので身構えるが、人懐っこい笑顔を向けてきた。大きな犬のような印象の男で優吾とは正反対な雰囲気だった。
「いらっしゃいませ。お客様、今日はフィッシュ&チップスのお弁当ですよ」
少し鈍っていたが、普通に日本語だった。英語訛りではなさそうで、ルイスは何処の国の人間かは不明だった。フィッシュ&チップスを売っているのでイギリス人かとも思ったが、そうではないのだろうか。
茉奈はさらに屋台に近づいてフィッシュ&チップスをみてみた。パラソルの下のテーブルには、フィッシュ&チップスだけでなく、ケチャップ、タルタルソース、ソースなど色々な調味料が置かれていた。アボカドソースやニンジンソースまで置いてある。タルタルソースとこれは手作りのようで、瓶に入っていた。フィッシュ&チップスからはほんのり油の匂いがした。魚臭さは取り除いているようだった。
「こんにちは。イギリスの方?」
茉奈は英語など出来ないので日本語で質問した。こんなフィッシュ&チップスを売っているという事は、イギリス出身なのだろうか。
「いえいえ。祖国は別です。でもちょっと祖国に料理と似ていて、日本に来てからイギリス料理のフィッシュ&チップスが一番美味しいと思いまして」
「へえ、変わってるね」
イギリス料理が美味しいと感じるなんて、料理人としてどうなんだろうと思ったが、味覚は人によって違うのだろう。それに味覚は子供の頃に育つ。昔から慣れ親しんだ料理に近いものを美味しいと思うのは不自然ではない。
「イギリス料理は日本で人気ないんですか?」
ルイスはテーブルの上にあるフィッシュ&チップスをチラっとみていう。少しショックを受けているようだった。
「まあ、あまり美味しいイメージはない。味が薄いとか、見た目が悪いとか散々な言われよう」
「そっかぁ」
ルイスはシュンとしていた。寂しそうな犬みたいで、ちょっと切なくなってきた。別にイギリス料理なんて好きではないし、昨日の夜も食べたものだが、今日のランチはここにするか。
「いっぱい調味料があるね」
「ええ。薄い味付けですが、お客様のお好みで色んな調味料をつけて楽しんでください」
お客様のお好み……。
昨日は味の薄いフィッシュ&チップスは美味しいとは思えなかったが、自分で味付けを選べるのは、ちょっと楽しそうだった。
茉奈は金を払いフィッシュ&チップスを購入した。フタをあけ、フィッシュ&チップスにかける調味料を選ぶ。少し悩んだがタルタルソースとアボガドソースを選んでかけた。こうして見ると、別に不味そうではない。自分で選ぶのも楽しかった。
そうか。自分で選んでいいのか。
優吾の関係に悩んでいたが、今後の彼との関係も自分で決断して選んでいい。相手がどう思うのかは、擦り合わせる必要はあるが、このまま現状に流される必要は無いのかもしれない。あまり好きではないイギリス料理だったが、こんな風に相手の味を選ばせる所は、紳士ではないか。そんな風に思ってしまった。
「ありがとうございます。また来てください」
「ええ。ところで異世界キッチンってどういう事? 異世界からきたの?」
「あはは。まさかそんな事は無いですよ。異世界アニメが好きなだけです」
「だよねえ」
しばらくルイスと笑ってしまった。まさか異世界から人が来るなんてありえないだろう。
茉奈は公園のベンチに座る。木陰で気持ちいい。チチチと鳥の鳴き声も聞こえる。よく晴れ、爽やかな雰囲気だ。こんな天気の下で食べるフィッシュ&チップスは悪く無いだろう。そういえばイギリスは土壌や気候はあまり農業に向いていないと聞く。水が豊かで米作りに向いている日本とは違う食文化が発展したのだとう。どっちが良いも悪いもないのかもしれない。人それぞれの好みの問題。
そんな事を思いながらフィッシュ&チップスを摘む。昨日は不満を持ちながら食べたものだが、今はタルタルソースやアボガドソースをつけながら食べるのが楽しかった。自分で選んだという事実が、より茉奈を楽しくさせていた。
「ご馳走さま」
食べ終えた茉奈の顔はスッキリとしていた。
その夜、茉奈は優吾に自分の気持ちを告げた。もう愛してないが情は残っているので、仕事が決まるまでは家にいていい。そう素直に言うと、優吾は少し泣きそうな表情をしていた。優吾は最初は不満を言い納得していなかったが、茉奈の決意が揺るがないと知ると、もう何も言ってこなかった。
「茉奈、今まで飯美味しかったよ」
翌朝、朝食を作り終えるとそんなお礼も言われてしまったが、特に嬉しくはなかった。
「優吾ももう大人なんだから、料理ぐらいできないとダメだよ」
優吾はいつもより手厳しい茉奈に苦笑していた。




