風邪の時(3)
電話注文してから三十分ぐらいたった頃だろうか。家のチャイムがなり出てみると、六十歳ぐらいの女性が立っていた。シャツにジーパン、上着にジャンパーを着ていた。顔や体つきは初老の女性だったが、この人が異世界キッチンの女性従業員らしい。もっと若い人を予想していたので久美は驚いた。
「こちらが注文のお品です」
従業員の女性は袋に入った注文した品を久美に手渡した。ニコニコとした笑顔の女性で、体つきよりも顔は若く見えた。
そして代金を支払い、従業員の女性は帰るかと思ったが、一言残していった。
「風邪だと店長から伺いました。どうぞ暖かくしてお休みなさい」
ルイスと全く同じ台詞を言い、従業員の女性は自転車に乗って帰ったいった。
「あ、ありがとう」
もう誰も居ないのに一人でお礼を言ってしまった。風邪をひいている今は、何だか人の優しさが身に染みる。今は特に風邪も引けないような世の中だ。そう思うと余計にルイスや女性従業員の最後の言葉が身に染みてしまった。
こうして久美は一人家に戻ると、食卓に注文した品を広げた。持ち帰り用の使い捨ての器にミルク粥、スープがある。どちらもまだほんのりと暖かかった。Lサイズの大きめな紙コップには、ドリンクも入っていた。少しツンと生姜の匂いもする炭酸水のようだった。見た事もないドリンクだが、一口飲むと生姜やレモンの味が広がる。何という名前のドリンくかは不明だが、風邪の時はピッタリな飲み物でゴクゴクと飲んでしまった。甘味はなく、爽やかな飲み物だった。
「いただきます」
久美は手を合わせてスプーンを持って食べ始めた。スプーンも使い捨てのものがついていた。
まずスープの方を飲んでみる。濃いトマト味のスープだった。ビネガーが入っているのか酸っぱめだが、玉ねぎやにんじんなど野菜がゴロゴロ入っている。野菜の甘みが後から広がり、口の中が暖かくなってきた。久しぶりに昆虫食以外の食卓。目の前に母もいない。それだけで自由な気持ちになってくる。
スープはまだ暖かかったので食べていると、おでこに汗が浮いていた。このまま汗が出続ければ、風邪は治りそうだった。
次にミルク粥。上にネギがトッピングされ、乳臭くない。ミルク粥というと、あまり得意な料理では無いが、意外とあっさりとしている。味噌の味もした。ルイスはどこの国の人間かはわからないが、もしかしたら祖国の料理を日本風にアレンジされたものかもしれない。他国の文化を理解しようという心遣いが感じられた。見た目は洋風のお粥なのに、そこには日本人ならではの和の心が宿っていそうだ。ある意味日本食よりも日本っぽい料理に見えた。日本のナポリタンやあんぱん、カレーライスなども海外の料理をどう理解しようかと創意工夫した日本人の努力の形跡が感じたれる。このミルク粥hsその逆バージョンといったところだろうか。
久美はスープもお粥も夢中で食べ、あっという間に器は空になってしまった。
「ご馳走さまでした」
食べ終わり熱を測るともう平熱まで下がっておた。これで風邪薬を飲み、暖かくしていれば治るだろう。
電話でのルイスの声や女性従業員の声が身に沁みてきた。確かにステーキやオムライスのようなご馳走ではない。味だけ見れば特別美味しいとは言えない。それでも風邪の時に食べるこの料理は、食べていると心が休まった。
ふと、母との食事を思い出す。辛い思いしてまで昆虫を食べる必要があるがあるのか分からなくなってきた。
今は母がいないから良い。でもずっと食べたくも無いものを我慢して摂取し続けているのは、正しい事なのかわからなくなってきた。
「美味しいご飯が食べたい……」
今までずっと封じ込めてきた本音が溢れ初めていた。
ずっと母に逆らわず、良い子でいた久美だが、「それで本当にいいの?」と誰かに問われている気がしていた。




