風邪の時(2)
久美は風邪を引き、しばらく寝込んでいた。昆虫食のアレルギー反応の結果かもしれないと期待したが、医者によると単なる風邪だった。風邪薬を出されて家に帰された。
だるく、重い身体を引き摺りながら家に戻る。身体の調子が悪い時に昆虫食は嫌だなぁとしか思っていなかった。最近は食卓に登場する度に嫌悪感が増していたが、母はより霊媒師の先生に心酔し、一切否定的な事が言えない状況だった。
最近はカルト二世の事も問題になっているが、親がスピリチュアルにハマってしまった場合、どうすれば良いのか全くわからなかった。ネットで検索してもスピリチュアル被害者の会とか全くで出てこない。大きな金銭トラブルにならない限り表面化しにくい問題のようだった。たちの悪い事に母が心酔している霊媒師が良心的な価格でカウンセリングしているらしい。かえって信頼しているようだった。かえって世間を騒がせるほど金銭トラブルになった方が良いんじゃないかと思ったりしたが、今の状況をどこに相談すれば良いのか全くわからなかった。
そんな憂鬱な思いを抱えながら家に帰る。玄関には母がいつも使っている靴、傘も消えていた。
「まさか?」
何処かに外出してくれたのでは無いかとワクワクしながら食卓へ向かうと、置き手紙が置いてあった。急に霊媒師のセミナー講座が開かれるというので、泊まりがけで出かけてくるという。食事は自分で用意して欲しいと一万円札も置いてあった。
「やった……!」
具合は悪いのに母がいないだけでガッツポーズをとってしまった。今日の夕飯は昆虫食では無いだけで嬉しくて仕方がない。
さっそく自室に戻り、いろいろと近所の飲食店を検索してみた。最近は疫病の影響で宅配をやっている飲食店が多く、気軽に注文出来た。
「何食べようかな」
風邪である事もすっかり忘れ、スマートフォンで飲食店を検索し続けていた。母がいないだけでこんなに自由な気分になるとは思わなかった。気づくと久美の口元は緩んでいた。母の前でするような道化のような顔ではなく、女子高生らしい自然な笑顔になっていた。
普段、昆虫食なんて食べているせいで、どの飲食店も美味しそうで目移りしてしまう。ハンバーガーやフレンチフライ、ラーメン、オムライス、ナポリタン……。どれも美味しそうで久美の目はキラキラと輝いていた。
「うん? 異世界キッチンって何?」
どの店も美味しそうだったが、一つの店が気になった。
異世界というとファンタジーアニメや漫画の定番設定だ。現代日本にそんな異世界とかリアルにあるわけがない。
久美は首を傾げつつも異世界キッチンの口コミなどを調べる。どうやら異世界アニメ好きな外国人が経営しているダイナーらしい。それにしても異世界の料理はまずいイメージがあったが、メニューも硬いパンとか味の無いスープとか酷いものが並んでいた。ただなぜか店主にルイスは愛されキャラで常連客も多いという。ルイスの写真を見ると、アメリカ人かヨーロッパ人だと思われるルックスをしていたが、異世界人?
まさかそんな事はないだろう。異世界なんてファンタジーだ。口コミに書かれている通り異世界アニメ好きな外国人が経営しているダイナーなのだろう。
そうは言っても気になる店名だった。ここの料理を食べたら異世界転移や転生ができちゃったりして。何だか久美は異世界キッチンの情報を調べていたらワクワクしてきた。料理の味は知らないが、客にそう思わせる時点でエンタメ性は十分に成功しているように見えた。
料理は味だけでは無いのかもしれない。汚い部屋で高級ステーキを食べても美味しく無いだろう。今も母との食事が苦痛なのは、昆虫食のせいばかりでは無い気がした。良い子でいたい久美だが、母にはより良く見せたいような心理が動き、余計にストレスだった。
「異世界キッチンか……」
ここでデリバリーを頼むのは悪くないかもしれない。ここの料理を食べたら異世界転移や転生が出来るかもしれないと思うとワクワクが止まらなかった。
さっそく注文しよいと思ったがインターネットやアプリなどでデリバリーは受け付けてなく、電話注文のみだった。少々怪しいと思いつつも、異世界キッチンへ電話をかけた。
「こんばんは。異世界キッチンです!」
スマートフォンから聞こえてくる声は、若い男性のものだった。少し低めで良い声だが、少々鈍っていた。英語訛りではなく、どこの国の人かは不明だった。おそらくこの男が店主のルイスだろう。
やっぱり異世界人か?
そんな事はあり得ないだろうが、ワクワクさせてくる時点で向こうの勝ちだ。久美はさっそくデリバリーを注文しようとしたが、飲食店の情報サイトには、メニューも何も載っていなかった。デリバリー受付可である事や店の住所や電話番号など基本的な情報しかない。その事に気づいて焦っていると、店員、いやルイスと思われる人物は久美が風邪をひいている事に気づいた。
「お客様、風邪ですか?」
「ええ。調子悪くて。疫病ではなかったみたいだけど」
「だったらウチのミルク粥が身体に良いですよ。あと、スープ。生姜のドリンクも注文しましょう」
「え、ええ」
ルイスの営業トークに乗せられ、あっという間注文してしまった。確かに飲食店の情報を見ながらステーキやオムライスも魅力的に見えたが、今は体調が悪い。ルイスのおススメのメニューの方がいいかもしれない。
住所を伝えて、デリバリーしてくれる事になった。配達は店の従業員である日本女性が自転車で持ってきてくれるらしい。会計も現金でその時に渡してくれれば良い事になった。そういえば高校生の久美はクレジットカードを持っていない。現金払いの方が良いだろう。
「では、久美さん、お大事に。暖かくしてお休みなさい」
そのルイスの声は甘やかで優しかった。ちょっと鈍っているので、ときめいたりはしなかったが、十分優しさは伝わってきた。
それに母がいない食事が楽しみで仕方がない。異世界キッチンの料理の味には期待していなかったが、ルイスが常連客から好かれている理由はなんとなくわかる気がした。




