石のように硬いパン(3)
目を開け、異世界キッチンの中に足を踏み入れたが、別に転移も転生もしていなかった。外観通りに小さな店だった。
店の左側に四人がけのボックス席、右側が厨房とカウンター席があった。カウンター席は四つだけで多くは無いようだった。全体的に落ち着いた店で、テーブルもチョコレートカラーだった。ただボックス席の椅子やカウンター席の椅子は、赤色で艶々とした革製らしい。確かに赤色は食欲を刺激される色で、夏帆のお腹は音をあげそうだった。
店の照明は、柔らかなオレンジ色で、ホッと出来る雰囲気だった。ボックス席の方に壁には、写真がいっぱい貼ってある。その写真だけが妙に感じた。猫耳の男性や、マントを着込んだ女性、騎士やお姫様のような格好をしている人物が写真に写っていた。ここだけファンタジー感というか、本当に異世界? 普通のダイナーのようだったが、ここだけ妙だった。ただ、単なるコスプレの可能性があり、本当に異世界にわけ無いだろう。
「いらっしゃいませ、お客様」
カウンター席の奥の方にいる店員に話しかけられた。
「どうぞ。お好きなお席へどうぞ」
「え、ええ」
店員は、外国人だった。たぶんアメリカかイギリス人? 言葉も少し訛っていたが、ずっと日本人として日本で生きてきた夏帆は、祖国がどこかはわからない。三十歳ぐらいの男で、堀がふかい。目の色もチョコレートのような色だった。色も黒く、体格もいい。髪の毛は短めだったが、金色に近い茶色だった。光の加減では、普通に金色にも見える。
外国人のようだが、どうもチャラいパリピっぽい雰囲気はなく、寡黙なタイプだった。声も低めで、料理人というよりは職人に見えた。白いシャツにチノパンというシンプルな格好がよく似合う。ジャラジャラとアクセサリーなどつけない方が良いかもしれない。
とりあえずカウンター席につく。テーブルもチョコレートカラーで艶々と綺麗に磨かれていた。厨房の様子も見える。後ろの方の棚には、お酒や調味料がずらっと並んでいたが、ラベルは見た事も無いものばかり。ラベルの文字はどう見ても日本語でも英語でも中国語でも無いようだった。絵のような文字で、そこだけでも異国情緒がただよう。厨房のコンロや作業台は清潔感があり、何かいい匂いがした。何かの出汁の良い匂いだろうが、和風の出汁ではないようだった。夏帆も嗅いだことの無いような匂いだった。狭い厨房だったが、この店員は堂々と立っていた。まるで自分の庭だと言いたげだった。
「メニューとお水です」
店員はニコっと笑いながら、お水とメニューを渡してくれた。水は普通のものだった。細長いグラスに氷と冷えた水が入っていた。
しかし、メニューは変だ。ちゃんと日本語で書いてあるが、変な料理名だった。例えば硬い石のようなパン、味のないスープ、酸っぱすぎるスープ、肉と塩、臭い牛乳粥、油多めのサラダ……。料理名だけ見ると、とても食欲はそそられない。写真も載ってないので、どんな料理か想像もできない。ただ値段は良心的で五百円から六百円ぐらいだった。お酒は色々あるみたいだが、見た事もない名前ばかりで飲みたい気分ではない。これだけ変な料理名だけ並ぶと、本当に異世界の訳アリっぽい変な料理なのだろうか。確か夏帆が見た異世界アニメでは、魔法が発達し過ぎたり、貧富の差が激し過ぎたせいで料理が不味いという設定だったが。特に石のように硬いパンは、見覚えがある。
メニューの最後には、こんな事も書いてあった。
「食に関する相談承ります。 料金0円」。
これも意味がわからない。某ファストフードのスマイルが0円というノリだろうか。
夏帆はずっと首を傾げながらメニューを見ていた。水を口に含むと、普通に冷たくて美味しい。カランと氷の揺れる音が響くが、どこかもおかしくもない。
「あのー。このメニューってなんですか?変、いえ、珍しい料理ばっかりですね」
「ええ。これは全部異世界の料理ですから」
「え!?」
店員はさらりと言い、夏帆は大きな声をあげてしまった。
「いえいえ、異世界アニメが好き過ぎて、そこに登場する料理をモチーフに出してるだけです」
「へえ。外国でも日本のアニメって人気あるの?」
「ええ」
意外と店員は気さくなタイプで、アニメや日本料理で盛り上がってしまった。店員はルイスという名前で、イギリス人らしい。本当にイギリス人かは謎だった。どうも訛り方は英語ぽくないし、夏帆が気を使って英語を言っても通じなかったからだ。もっとも夏帆のいう中学英語が下手だっただけだろうが。まさか本当に異世界から来て日本でダイナーをやっているとは、あり得ないだろう。
「でも、普通に日本料理作ってみたくないの?」
「いえ。日本料理は難しいですよ。だったらこんな料理で楽しんでもらうのが良いと思ったんです」
確かに店名はインパクトはある。キャラクターカフェなどエンタメと食は相性がいい。味よりもインパクトというか、面白さだ。そう考えれば、このメニューも面白くなってきた。
「ところで、何がおすすめですか? 私はこの硬い石みたいなパンが気になります」
「だったら、生ハムとオリーブオイルでサンドイッチにして食べるのがおススメです。あと、この酸っぱいスープと合うんですよね」
「本当?」
この店では、味よりもインパクトを楽しんで方が楽しそうだ。
今の夏帆は、味はどうでも良くなっていた。少し訛った日本語を使う外国人、異世界風の変な料理。例え不味くても、異世界に行ったような気分が味わえたりして?
「じゃあ、この硬い石のようなパン、酸っぱいスープ。オリーブオイルと生ハムってつけられる?」
「かしこまりました。少々、お待ち下さい」
確かにルイスは鈍ってはいるが、決して丁寧語を崩さず、誠実そうだった。
別に不味い異世界料理でもいいんじゃないだろうか。ワクワクしたエンタメ気分の方が上回ってしまっていた。




