ミルク粥(4)完
由乃は時々、異世界キッチンへ朝食を食べに行くことになった。こうして別の場所で朝食が食べられると思うと、夫との食事の苦痛もだいぶ軽減されていた。むしろ家での食事を我慢すればするほど、異世界キッチンへ行く楽しみもできていた。
という事もあり、由乃は時々夫に合わせて和食も食べるようになってきた。別々に作るのが面倒くさいというのもあるが、異世界キッチンという別の場所に居場所が出来た事で肩の荷が降りてきたのかもしれない。
元々和食は憎むひど嫌っていたわけでもない。今まで和食と洋食を分けて食事を作っていたのも、意地があったのかもしれない。ルイスもそう指摘していた。
ルイスは異世界キッチンの店主だった。こうして朝食時に通い、時々夫に事を相談していたら、すっかり仲良くなってしまった。
今日は夜にも来ないかと誘われていた。今まで夜の営業時間には来た事がなかったが、新作メニューを開発したので来ないかと誘われたた。しかも新作はミルク粥という。これは由乃の好物だった。風邪を引いた時、母がよく作ってくれた。夫にそう言うと風邪の時にミルク粥なんて信じられないと言っていたが、そういう環境でずっと育ってうた由乃は、疑問でしかなかった。そういえば母も洋食好きで味噌汁とかあんまり作っていなかった。由乃の洋食好きは母譲りだったかもしれない。
異世界キッチンの夜の営業時間に行くのは、初めてだったが、どうせ夫も仕事。この辺りも治安が良いし、特に警戒心も持たずに異世界キッチンへ向かった。
「由乃さん、いらっしゃい!」
店に入るとルイスに暖かく出迎えられた。何か良い香りがするが、どんな料理を作っているかはわからなかった。朝と違って他に客はいないようだ。貸し切り状態でワクワクしてくる。
さっそくカウンター席に座り、厨房にいるルイスに声をかけた。ルイスは鍋をいじっていたが、火加減を見て、一旦ガスコンロを止め、由乃に水を渡した。
「その後、どう? 旦那さんとは食事は?」
最近のルイスの言葉は、訛りがあまりなく。流暢になってきた。おそらく陰で日本語の勉強を頑張っていると思うと、応援したくなる。まあ、この店の料理はすごい美味しいとは言えないが、ルイスの人柄で全部もっているようだ。思えばこうして気軽に相談できる人は、友達以外に一人もいなかった。
「うん。最近は私も諦めてるっていうか、
和食でもいいかなって気もしてきた。ここに行けば美味しい朝ごはんがゆっくり食べられるし、余裕みたいの出来てきかも」
確かに夫と食の趣味が違う事については、まだまだ解決方法は思いつかない。それでも以前より夫に腹立たなくなっていたし、頭から「離婚」の二文字はに消え去っていた。
「そうですか。それは良かった」
「うん。私も一人でこだわり過ぎた気がする。結婚って違う人間が一つの家で暮らす事だったんだね。食の趣味ぐらい違って当たり前かも」
どこかで結婚に過剰に夢を見ていたのかもしれない。完璧に家事をこなそうと肩に力も入っていたのかもしれない。
今は夫と食の趣味が違っても仕方ないという諦めの境地。それでも他で美味しいご飯を食べられば良いかもしれない。この異世界キッチンは、今の自分にとってはちょっとした隠れ家だった。
「さて、新作試食してくれかな?」
「ええ。ミルク粥でしょ、食べたい」
さっそくルイスは鍋からミルク粥をよそり、最後にネギをトッピングして由乃の前においた。意外とミルクの乳臭さがない。それにトッピングにネギがあるもは、和風?
そう尋ねると、ルイスは小さい頷いた。ルイスの出身地の国でもミルク粥は一般的でお客さん何人かに試食して貰ったらしい。しかし匂いや味がだいぶ不評だったので、日本人好みの味に改良したという。
やはりルイスは陰で努力を重ねているようだった。一方自分は夫の食の好みに文句をつけていた。離婚まで考えていた事が恥ずかしくなってきた。目に見える問題は、夫との食の趣味の違いだったが、根底にあるには、妻としての自覚の無さだったのかもしれない。妻として夫に歩み寄る事をすっかり忘れていた。
「いただきます」
スプーンを持ち、まだホカホカと湯気をあげているミルク粥を食べた。味はかなりまろやかだった。母が作ってくれたものよりあっさりとしているが、不味くはない。おそらく隠し味に味噌を入れ、日本人好みのミルク粥にしているようだった。
「おいしい」
思わず呟いた。
本当はそれほど美味しくも無いのだが、ルイスがこんなに工夫してくれた事が単純に嬉しかった。試行錯誤の跡が見える。このお粥は、ルイスの努力の結晶だったのかもしれない。そう思うと食が進み、あっという間に完食してしまった。
「美味しいよ。これだったら、日本人も喜ぶと思う」
「やったぁ!」
ルイスは子供のように無邪気に笑っていた。
「実は僕も日本食の卵かけご飯が苦手だったんだ」
「へえ。でも生卵食べるの日本だけっていうよね」
「でも何度かチャレンジして克服した。最初は温泉玉子でやって見たけどね」
「そっか」
「うん。今は玉子かけご飯大好き。歩み寄るのも大事です。玉子かけご飯が嫌いだって一方的に拒否してたら、勿体なかったかも」
しみじみとルイスは呟いていた。
あ、そうかも。
自分も夫への歩み寄りができてきなかったかもしれない。意地張って頑固になっていた。自分が絶対正しいんだと心を石にしていた。
「私も夫への歩み寄りが足りなかったかも」
「かもしれませんね。このミルク粥だってちょっと味を変えたら和風に生まれ変わりました」
由乃はルイスに釣られて穏やかに笑ってしまった。ふと、この店に夫を連れてくる事を思い立った。
「今度うちの夫をこの店に連れて来ていい?」
「大歓迎です!」
その数日後、由乃は夫と共に異世界キッチンへ訪れていた。異世界アニメや漫画が好きな夫は大興奮だった。
てっきりミルク粥も嫌うと思っていたが、意外と食べやすいと目から鱗を落としていた。
「由乃、ごめん。俺も意地張りすぎていた。うん、もう和風でも洋服でもいいよ。由乃の好きにしていいから」
ミルク粥から何を感じとったか不明だが、夫は軽く頭を下げていた。
「私こそ、意地張りすぎたかも……。私の方こそあなたの好きな料理出来なくてごめん……」
由乃の方も夫に謝っていた。こうして仲直りできた夫婦を見て、ルイスは目尻を下げて笑っていた。




