パサパサ米(4)完
助けてくれた外国人は、ルイスという名前だった。この近くで異世界キッチンというダイナーをやっているらしい。 異世界というとどこかで聞いた事ある単語だったが、よく思い出せない。もう認知症も疑った方が良いのかもしれないと思うと、憂鬱になってきた。
ルイスは、真実を自分のお店に連れて行ってくれた。
異世界キッチンは、こじんまりとしたダイナーだった。全体的にチョコレートカラーで統一されていたが、ボックス席や椅子は赤色で、食欲を刺激された。死のうとしていたのに、こういう本能は相変わらずのようだった。
今は仕込み中らしく、厨房からスープの良い香りがする。そういえば、真美は外食なんてずっとしていなかった。こういうオシャレな個人店も自分には関係無いと避けていた。それだけでなく、ヘアカットもセルフだ。白髪だらけの髪もずっとカラーをしていない。服も黒いのばかりだった。食べ物も適当。そういえば、だいぶ自分を雑に扱っていたと気づく。綺麗な飲食店のボックス席に座っていると、惨めさが際立ってきた。また泣きたくなるが、今度は全く笑えなかった。
「真美さん、紅茶です」
「ああ、ありがとう」
ルイスは真美の目の前に、紅茶を出してくれた。アールグレイだろうか。ふわっとした湯気とともに良い香りもする。
「もうダメだよ。包丁を悪用したら。料理人として、それだけは許さないからね!」
ルイスは目の前に座り、説教をはじめた。といっても命の大切さなんて言わない。不幸な人の話もしない。自己責任や努力不足の話もしなかった。どれだけ料理を愛しているのか語り、包丁が料理する時に役立っているか語っていた。それを聞いていたら、死ぬ気も失せてきた。少なくとも包丁で自殺する気分にはなれないし、なぜか殺意も消えていた。
あのターゲットが、ルイスのように仕事を愛しているようには見えない。自分の仕事に不満があるから、ネットで炎上するようんし事を言っていたのかもしれない。そう思うと、何だか可哀想にもなってきた。このルイスは、そう言った炎上などは、全く無縁そうだった。何よりも自分の仕事が好きで、他人を悪く言う発想すら無さそうだった。
「もう大切な包丁を悪用しないって約束してくれます?」
「え、ええ」
「わかった。ありがとうございます」
そう言ってルイスは笑う。花が咲くような笑い方だった。堀が深くてちょっと怖そうに見えたルイスだが、中身は本当に純粋そうだった。多くの日本人が忘れた何かを持っていそうだった。そういえば日本人は世界で一番冷たいと言われているが、納得する。特に弱者へに冷たさは「自己責任」「努力不足」と容赦ない。ルイスはどこの国の人かは謎だったが、日本よりは良い場所に住んでいそうに見えた。
もちろん日本は良いところもいっぱいあるが、「日本ってすごい」と自惚れる気分には全くならない。確かに日本はすごい所もあるかも知れないが、無条件に日本人全員がすごいという事にもならない。どこの国に生まれたかなんて自分の努力でも自己責任でもなく、運だ。
「ところで、真美さん、お腹すきません?」
「え?」
「賄い料理、食べていきません? その代わり、お皿洗いと野菜の下処理手伝ってくれる?」
「タダですか?」
「ええ」
そんな申し出に再び泣きそうだった。死のうとしていた。人も殺そうとしていたが、そんな気は全て失せてしまった。
ルイスは厨房の方に行くと、手際よく何か作っていた。油の良い香りもして、炒め物らしい。
ふと、ボックス席の壁側を見ると、写真が何枚か貼ってある。どれもハローウィンのコスプレ写真のようだ。猫耳や魔女がいたりする。彼らは全員堀の深い顔なので、コスプレがよく似合ってる。無邪気な笑顔の数々に、真美もちょっと笑えてきた。
そういえば、こんな無邪気な笑顔の日本人って少ない。「日本ってすごい」と言ってるテレビ番組なども見ているが、笑顔はだいぶ負けている。そう思えば、国同士で優劣をつけるのも馬鹿げてきた。結局、どこの国も一長一短なのだろう。どの国も良いところも悪いところもある。今、真美が日本から逃げても、現実はそうそそう変わらない気がした。現実から逃げた所で理想郷は今の世界には無い。
そんな事を考えていたら、ルイスがお盆を持ってやってきた。良いに香りもすると思ったら、お盆の上には皿に盛られたチャーハンがある。黄金色のチャーハンだった。エビや卵もキラキラして見える。ただ、日本や中華のものとは、ちょっと味付けは違うのか、スパイシーな香りもした。
そして米を見ると、細長い。もしかしてタイ米?
「このご飯ってタイ米ですか?」
「そうです。実は祖国からお米を持ってこよいかと思ったんだけど、冷夏で不作なんだ。うちの国は天候悪くてよく飢饉が起きるんだよね。で、似たようなお米を探していたら、タイという国のお米がピッタリだった!」
ルイスは宝ものを見つけた子供のような無邪気な笑顔を見せ、真美の前に座る。
「タイ米か。日本は昔、不味いって無駄にしてたね」
しみじみと呟く。今、目の前にあるチャーハンは、とても不味そうには見えなかった。
「僕もタイ米について調べました。1993年、日本が輸入したタイ米は、国が備蓄していたお米だったそう」
「え、本当?」
「はい、それで、食べられなくなったタイの貧困層が餓死したとか……」
「そっか……」
初耳だった。
タイ米を不味いと言って捨てた婚約者とは、一緒にならないで本当に良かったと思わされた。
「食べ物無駄にすると、絶対報いを受けるよ」
「そうかもね」
日本は当時と比べて貧困化した。今のタイの人の方が良いものを食べていると思う。タイではコオロギ食なんて全く流行ってないそうだが、日本のメディアはコオロギ食をゴリ押ししてたりする。
ルイスの言っている事も、一理あるかもしれない。だとしたら「努力不足」「自己責任」と言っている人間も、その報いを受ける。人を殺したら、同じようになるのかもしれない。
「私、自分だけでなく、人も殺そうとしてた」
「ダメだよ!」
「うん、もうそんな事はしません」
そう誓った後に食べたチャーハンは、涙が出るほど美味しかった。確かに刑務所に行った方が良いかもしれないが、誰かを犠牲にした上で幸せは手に入らないだろうと実感してしまった。運良く死刑になっても、その後はどこに行くかもわからない。
チャーハンは少し辛めの味付けだったが、今はこの辛さが心地良かった。
細長い米だが、油が一粒ずつコーティングされ、パラパラっとし、チャーハンにはピッタリだった。エビともよくある。パサパサした米もチャーハンでは綺麗にパラパラになるようだ。これはモチっとした日本の米では再現出来ないかもしれない。逆におにぎりは日本の米が合うだろう。
そうか。どんなものでも適材適所というものがあるのか。弱くて惨めな真美だが、少し心に余裕が出てきた。
「美味しかった……」
気づくと、真美は涙を溢していた。感謝の気持ちでいっぱいだった。
その後、時々ルイスの店を手伝うようになり、たまに賄いのチャーハンを作って貰い、常連客とも仲良くなった。もう、自分も他人も殺したい気持ちはなくなっていた。
惨めでも弱くても正しく生きよう。
別に誰も見てはいないが、ルイスのお店にいると、そんな気にさせられた。




