味の無いスープ(3)
千花は決してヲタクではなかった。どちらと言えば無趣味だ。流行っている少女漫画ぐらいは読むが、アニメやライトノベルなどは詳しくない。それでも異世界というのは、何を指すのか知っていた。
主にアニメやライトノベル、漫画で描かれるファンタジー世界だ。作品によって異世界の雰囲気は異なるが、剣と魔法のファンタジー世界である事が多い。おそらく中世ヨーロッパあたりをモデルにしていると思われるが、実際のそれとは異なる。別に歴史を楽しみたいわけでは無いので、その辺りは読者も求めている要素では無いようだ。
そんなファンタジー世界だ。なぜ、そんな名前のダイナーが?
規模的には大きくは無さそうだ。全体的にチョコレートカラーの外観で、そこからファンタジー世界は連想されない。むしろ、周囲の背景とよく馴染んでいた。
しかし、異世界は異世界。なぜこの現代日本にあるのか?
もしかしてこの店に入ったら異世界転生か異世界転移が出来たりして。そうすれば料理について悩まなくてすむ。それぐらい千花は料理びついて悩んでいた。
酔いは抜けてきたとは言え、少し頭はぼーっとしていた。足元も浮き足だっていた。お腹も少し減っていたし、この店に入っても悪くないかもしれない。
「もしかして異世界に行けちゃったりして?」
小声でそう言いながら店の扉を開けた。異世界に行けるかとドキドキしていたが、中は全く普通のダイナーだった。むしろ、落ち着きがあるぐらいの小さな店だった。
店の左側は四人がけのボックス席が二つ、右側はカウンター席で椅子が四つ見えた。全体的にチョコレートカラーの落ち着いた店だったが、椅子の色は赤く、そこだけ特徴的だった。いや、ボックス席側の壁が変だ。壁自体は普通だが、貼ってある写真がおかしい。猫耳や狼の格好をした男女、魔法使いや魔女の写真が貼ってある。ハローウィンやコミケのコスプレかと思ったが、全員ホリの深い顔で妙に板についている。髪の色も金色やピンクだったりするが、全くコスプレ感がない。
まさか本当に異世界の写真? 写真からファンタジー感が溢れている。
カウンター席の内側にいる店員も日本人ではなかった。ホリの深い西洋風の顔立ちで、色も浅黒い男だった。年齢は千花と同じぐらいのアラサー男性だが、背も高く体格もいい。いわゆる細マッチョで、白シャツエプロン姿でも様になっていた。店員というよりは、職人っぽい。
顔立ちも不細工ではない。深い茶色の目は印象的で鼻筋も綺麗だ。むしろイケメンと言っていいぐらいだが、もしかして異世界人?
「いらっしゃいませ」
店員に話しかけられたが、少し訛っていた。英語や中国語、韓国語訛りではない。どこの国かわからない訛り方をしていた。ますます異世界人疑惑がつきまとうが、まさかあり得ないだろう。異世界はアニメやライトノベルの中のファンタジー世界だ。現代日本とつながっているわけがない。
それでも一度足を踏み入れた店だ。このまま出て行くには勿体ない。それに店内は出汁の良い香りもする。おそらく牛肉ベースの出汁だ。悪い臭いではない。それにカウンターの奥の厨房には、お酒の棚も見える。遠くの方にあるので細かい文字は見えないが、おそらく外国のお酒だろう。もう一杯ぐらい飲んでも良いと思い、とりあえずボックス席の端っこに座った。
「いらっしゃいませ、お客様。メニューとお水です」
店員はメニューとお水を置いてカウンターの内側の方へ行ってしまった。
メニューは、ファミレスのものとは違い、写真やイラストは一枚もなく、文字だけだった。白地に黒い文字が浮かんでいるだけでシンプルそのものだった。上品ともいえる。きっと高級レストランでは、こんなメニューだろう。
しかし、メニュー自体は全く上品ではなかった。むしろ、おかしい。石のように硬いパン、脂っこい鍋、酸っぱいスープ。それに味の無いスープ。
ふざけているとしか思えない。千花は気が抜けてきた。ふざけたメニューの数々に怒る気分も失せる。そう言えば、異世界ものアニメではご飯は不味い設定が多かった。味の無いスープも出てきた。それで主人公が、美味しい日本食を振る舞って異世界人にも愛されていくストーリーだった。
もしかして、そんな異世界の料理を再現しているダイナーなのだろうか。悪趣味だが、一体どこに需要があるのか首を傾げる。受け狙いで一度ぐらいは食べても良い気がするが。
「は?」
水をちびちびと啜りながら、メニューを最後まで読む。珍しいお酒の名前などは気になるが、最後にこう書いてあり、声をあげてしまった。
「食に関する相談承ります。 料金0円」。
意味がわからないが、もしかして、料理下手について相談できらりする? 藁をも掴む思いだ。
しかもタダ。これは、注文しない訳にはいかない。かと言ってタダのものだけを注文するのは、躊躇う。お酒を飲みながら相談するのも、
やめておいた方が良いかもしれない。
だったらどれを選ぼう?
石のように硬いパン、油っこい鍋などは、だいたい想像がつくが、味の無いスープって何?
受け狙いでもいいか。
「すみません。店員さん!」
千花が呼びかけると、店員はすぐにやってきた。
「あの、注文しても大丈夫ですか?」
「ええ。ありがとうございます!」
店員はニコニコと笑っている。奇妙なメニューを注文するのに抵抗はなくなった。むしろ、エンタメ性が高い。味は不味くても受け狙いで一回ぐらい注文しても良いかもしれない。今はコロナで飲食店が大変だと聞くし、色々な工夫が必要なのだろう。そう考えると、ちょっとチャレンジして人助けをしても悪くない。異国の地で頑張る外国人は助けたくはなる。逆の立場だったら嬉しい。
「この味の無いスープって注文できる? あと、この相談してもいいですか?」
ちょっとドキドキしながら、千花はメニューを指さす。
「ええ。ありがとうございます。少々お待ちください!」
さっきよりも満面の笑みを見せ、店員はカウンターの内側にある厨房の方に行ってしまった。
それにしても、こんなメニューって良いの?
改めて冷静になると、良いのかはわからない。ただ、たまには、珍しいもの良いのかもしれない。思えば日本には美味しいものが溢れている昭和初期や戦後の日本食などを見ると、質素で驚く。いつの間にか舌が贅沢になっているのかもしれない。自ずと料理へのハードルも自分であげていたのかもしれない。
そんな事を考えていると、店員が再びお盆を抱えてやってきた。
「お待たせいたしました!」
店員は千花の前にスープの皿をおいた。




