8話 優先すべきこと
ほどよい揺れを感じ、クロウは目覚めた。クロウは座っている。そこは、馬車の中だった。
「‥‥‥えっと」
寝ぼけていることもあり、クロウは記憶を探った。――――隣の村に向かう最中、超級魔獣スライムと対峙し――――
「――そうだレナは!?」
半端な記憶に危機感を覚え、そう言って慌ただしく立ち上がるが。
「何なんだ? キミキミ、寝起きはいつもうるさくなる人なのか?」
何事もなかったかのように、その明るい声は返ってきた。隣に、いつも通りのレナが座っていた。その足元ではモッチーが元気そうに跳び跳ねている。
クロウは胸を撫で下ろし、安堵のため息をついた。同時に、自身がレナを救ったところまでを思い出した。
「あぁ、良かっ――」
しかしクロウはレナのいつもと違う様子に気づいた。‥‥‥服がボロ雑巾のように穴だらけになっており、身体中のありとあらゆる箇所で白く艶のある肌が露見していた。
「おまっ、‥‥‥その格好! なんで何も着てないんだよ!?」
クロウはすぐに両手で目を覆い、赤面して問う。レナはきょとんとしていた。
「スライムに溶かされたんだから、当たり前だろう?」
クロウの指の隙間から、両手を広げて自らの格好を見せるレナが垣間見える。
「り、倫理的に当たり前じゃないんだよ! 人には見せちゃいけないものがあるんだよ! 布か何かで隠せ!」
「"リンゴ好き"だか"からげんき"だか知らないけど、クロウだって見せているだろう?」
レナはクロウを指差した。
「? ‥‥‥言われてみればいつもはない通気性を感じるような――――」
クロウは自分の身体を確認してみた。‥‥‥クロウが視界に認めたのは、彼の、縞模様が入ったトランクスの下着であった――。
「見せちゃいけないものがぁぁぁ!!?」
クロウは咄嗟に手で覆った。確かにクロウの衣服はスライム戦で点々と溶かされていたが、そこだけが、綺麗に溶け消えていたのだ。
「キミキミ、布といっても何も持ってないぞ。どこかにないのか?」
レナは辺りをキョロキョロと見渡す。
「――――あります」
クロウはそれまでの会話になかった声に疑問を抱いた。その声の主は、クロウの左側に行儀よく座っていた。
「いつの間に!?」
クロウの左隣に、魔導師の少女が居た。
「私のローブを使ってください」
少女は羽織っていたローブを取ると、レナに渡した。レナはそれを豪快に背に回して羽織った。
「ふむ。これで安全だなっ!」
「安全だなって‥‥‥。ごめんね、大事なものだろうに」
クロウはレナに代わってそう言った。少女は首を横に振った。
「大丈夫です。お役に立てて良かったです。ハンカチーフもあるので、どうぞ」
少女はクロウにハンカチーフを差し出した。
「あ、どうも。‥‥‥って、俺は使えないよ! 汚す訳にはいかないし」
「構いません。私が使うことはないので」
クロウは悩んだが、少女のハンカチーフ以外に当てはない。クロウは決心した。
「百回洗ってお返し致します」
「――――それで、今俺たちはどこに向かっているんだ?」
可愛らしいハンカチーフを腰に巻いたクロウが尋ねた。
「村に帰ってる。その子は歩いて来たらしいから、私の素晴らしい配慮により助けてあげたんだ!」
レナが答えた。クロウはそれに驚くがもう一つ気がかりがあった。
「歩いてって‥‥‥、そういえばもう一人男性冒険者がいたと思うが一緒じゃないのか?」
「ごしゅ――リーダーは村に居ます。私一人で来ました」
何かを"リーダー"と言い直したことに違和感を覚えたクロウ。それに、普通パーティーメンバーが村に残り、単独で超級クエストに挑むというのは考えられない。このパーティーには裏があると、クロウは踏んだ。
「俺はクロウ。君、名前は?」
「ノノン=エスフィリーア」
「ノノンか! 覚えたぞ!。私はレナ=ハイド=ヴィーナス!」
自己紹介が済み、クロウは言った。
「――――この後についてだけどさ、ギルドに行く前に、少し寄っていいかな?」
少女は頷いた。そして、クロウたちはエルドに戻ってきた。
* * * * *
日が傾き始めた頃。クロウらはエルドの商店街を訪れた。小さな村なので人は少ないが、それでもエルドでは最も栄えているところだ。食料だけでなく、小物や武具などを売る店もある。
「キミキミ、こんなところに何の用があると言うんだ?」
「――今、最も優先すべき用がある」
クロウは神妙な面持ちで答えた。ノノンは辺りを見渡している。それを見てクロウは確信した。そして、続ける。
「それは、衣服だ!!」
――それからしばらく沈黙の時間が続いた。
「ノノンから貰ったのだから別に必要ないだろう?」
レナはやれやれと言いたげな表情だった。
「なんだその表情は。まるで俺が意味不明なこと言ってるみたいじゃないか。‥‥‥必要なんだよ。これからずっとこの格好なのは耐え難い」
クロウの現在の服装。それは、所々にぽつんと穴が空いたシャツ、そして下半身は可愛らしい花模様がついたピンクのハンカチーフ。一見変質者である。
実はここに来るまでに幾人もの住人が細めた目でクロウを見ていた。クロウは恥ずかしくて仕方なかったのだ。
「まぁ旅立ちの良い機会だし、新しいのを買っても悪くないだろ?」
「私は服とかどうでもいいんだけどな‥‥‥」
レナはめんどくさそうに言った。彼女はファッションに興味がなかった。そして何より、早く父親を探しに行きたかった。本来ならそろそろ隣村に到着していた頃である。レナがこの時間をめんどくさがるのは無理もなかった。
「ノノン、君もおしゃれを楽しむべきだよ。一緒に見に行こう」
ノノンは少しだけ目を丸くして、頷いた。
* * * * *
「あぁぁっ、いらっしゃいませぇぇぇぃ!」
(なんだこの派手な人は‥‥‥)
服屋に来ると、なんとも派手な見た目の女性店員が出迎えてくれた。泡立つように上に伸びた髪型、星形のサングラス、彩り過ぎて眩しいドレス、踵が高すぎるヒール。それにクロウは一歩引くが、逃すまいと言わんばかりに店員はクロウに接近し、ジロジロとクロウを眺めた。
「な、なんですか‥‥‥?」
「あなた、おしゃれして目立ちたい気持ちはよく分かるわ。でもね、デタラメに派手な見た目を意識したって、ズレた人間としか思われないわよ」
真面目な表情で店員は言った。そしてクロウは思った。
(俺にはあなたがズレてるように見えるんだが‥‥‥)
しかし、店員の言う通り今の自分は周りから怪しまれる見た目だ。クロウは言い返せない。
「ねえちゃんすごい格好だな! 笑われないのか?」
なんとレナは何も躊躇うことなく店員にそう言った。すかさず店員はレナに駆け寄り、舐め回すようにジロジロと見た。
「あなた、女の子なのにファッッッッッッッショーンに興味がないわね?」
「ああ。だって、強くなれる訳でもパパに会える訳でもないからな」
(おまえの興味の価値基準はどうなってるんだ‥‥‥)
クロウは黙っていた。ノノンはそんな会話を気にせず、店に並んだ服を不思議そうに眺めていた。それに店員が気づく。
「あらあらあらあらあらあら!? どうやらそこのお嬢さんは服に興味があるようね!?」
店員の言葉にクロウは驚いた。これまで感情を示さなかったノノンが興味を示したと言ったのだから。クロウは本人に確かめた。
「そうなのか!?」
「分かりません」
「分からない‥‥‥?」
クロウは首を傾げた。
「なら試すのが一番よ!! さぁ、みんなまとめて私が大改造してあげるわ!!」