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白き翼のセレナーデ  作者: 柚月 ぱど
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第二部 2 こころの隙間

「おい、いつまで寝ているつもりだ。もう朝だぞ」

 面倒臭くなって俺はそうぶっきらぼうに告げる。しかしマリィは未だ気持ちよさそうに寝息を立てたまま、起きる気配はない。

 ますますうざったくなって、俺はさっさと叩き起こそうと彼女に寄っていく。そしてその肩を掴んで、乱暴に揺すった。

「早くしないと外にほっぽりだすぞ。良いのか?」

 少しだけ脅すように呟いてみると、それが効いたのかマリィは薄目を開けた。そしてその視線を窓の外へ移していく。

「……まだ夜中」

「外周区では常に夜中だ。時間的にはもう朝だ」

「……嘘」

「嘘じゃない。一日生きていれば誰だってわかることだ」

 適当に吐き捨てると、俺はマリィの傍から離れた。すると彼女はつられるように上体を起こして、瞼を擦り始める。

「……おはよう」

「ああ。取り敢えず起きてくれ」

 それだけ告げると、マリィの部屋を後にする。その後ろをブランカがついてきて、開けっ放しのドアを閉めてくれた。マリィを見ていると、どうしても思い出してしまって堪らない。なるべくならあまり居合わせないようにしたいのだが、一緒に暮らす時点でそれは困難だろう。この状況を作り出したバレンティーナが恨めしかった。

 しかし、マリィをただで居座らせるのもいただけない。流石に家事の一つはできるだろうし、家のことは彼女に任せてしまいたいものだ。昨日の口ぶりだと、自分の存在価値を認めて欲しいようだし。

 小さく溜息を吐いて、そのまま教会のリビング――もといキッチンルームへ向かった。最低限の食事は自分で作っているが、今後はマリィに作らせた方が楽で良いだろう。流石に自分で飯くらい作れるはずだ。

 キッチンルームに入って、ダイニングに配置してあるテーブルの椅子に腰かけた。それと同時にブランカが俺の足元に寝転ぶ。すると間もなく目を擦ったままのマリィが現れた。彼女は俺が適当に買ってきた寝巻を着ていて、やはり年下の少女といった雰囲気が拭えない。

「マリィ。お前飯は作れるか?」

 マリィにそう尋ねると、彼女は緩慢な動作で顔を上げた。

「……シリウスは、私にご飯を作って欲しいの?」

 理解が早くて助かるが、なんとなく違和感を覚える。彼女の言い方はまるで、指示されなければ何もできないといった風に感じられるのだ。

 しかし、俺の意図が伝わっているのならば結構である。小さく頷いてやると、マリィも了承したのか大きく頷いた。

「やってみる」

 そこで彼女の言い方に若干の不自然さを感じたが、無視して取り敢えず朝食を作らせることにした。

 マリィは意気揚々といった感じでキッチンへ向かっていき、俺はその様子を眺めている。あの様子だと心配しなくても大丈夫そうだ。とちょっとした安心感を覚えると、急に浮遊感を伴った睡魔が襲ってきた。昨日の疲れがまだ取り切れていないようだ。まぁマリィに任せても大丈夫だろうから、ここでひと眠りしても良いだろう。俺はそう思うと、全身を包み込む柔らかさに身を委ねた――


 どのくらい眠っていただろう。身体を包む温かさを知覚している中、俺はそれ以外の熱源を感知した。熱源と言っても、なんだか少し離れたところから熱気が伝わってくるのだ。それは暖炉の前でまどろんだ時のような感覚で、少しだけ違和感を覚える。それにブランカの唸り声と、手を噛まれている感覚。暗殺者時代からの警戒心が警鐘を鳴らし、俺は優しい睡魔から覚醒して――


「おい、何やってるんだ――」

 俺はダイニングの椅子から飛び起きて、キッチンの方へ向かった。キッチンには天井まで炎が燃え盛ったフライパンと、それを呆然と見つめるマリィの姿があった。ブランカがそれに対して唸っていて、俺の右手を噛んで知らせてくれていたようだった。

 俺はマリィを背後に下がらせて、近くにあったキッチンタオルをガスコンロに覆いかぶせた。本来ならば水をかけたいところだが、料理用の水や飲料水は配給制で無駄遣いできない。火事の類は初期段階であれば布を被せれば収めることができる。天井まで火の手が回っていることで不安要素はあったが、やってみる他なかった。ここで諦めては、自分の寝床を失うことになるのだから。

 大きめのキッチンタオルを、携帯型のガスコンロに覆いかぶせる。火が強すぎるとタオルごと燃えてしまうだろうが、今回は大丈夫だったようだ。タオルを被せると、炎は酸素供給を失いすぐさま沈静化した。荒い息を吐きながらガスコンロを見つめるが、再発火の兆しはない。どうやら完全に消し止められたようだ。

 俺は安堵して肩から息を吐いた。気付くのが少し遅かったら家とマリィを失う一大事だった。何とか最悪の事態を回避できたことに、俺は胸を撫で下ろす。

 と、そんなことをしている場合ではない。俺はこの状況を作り出した諸悪の根源に向き直った。彼女は申し訳なさそうに俯いていて、身体を縮こませている。

「料理できるんじゃなかったのか?」

 そう尋ねると、マリィは少しだけ頭を上げて、

「料理なんてしたことないよ。やって欲しいって言われたからやっただけ」

 俺は呆れてものが言えなかった。先ほど感じた違和感はこれか。そもそも料理をしたことない人間に火元を預けるわけがないだろう。そのような点でマリィは少し浮世離れしていた。

「それと。火事になりそうだったんだから、さっさと俺を呼べ。それか火を止める努力をしろ。どうして何もせずにボーっとしていたんだ?」

 詰問すると、マリィは辛そうに顔を伏せた。

「……家から追い出されると思ったから。私、怖くて……」

 それだけ言うと、マリィは無言になった。

 俺はあからさまに大きな溜息を吐いてみせて、後頭部を掻いた。

「これは仕事なんだ。俺の一存でお前を追い出したりはしない。それと、今度からはしっかり報告しろ。手遅れになってからでは困る」

 そう諭すと、マリィは小さく頷いた。わかっているようなら良いのだが、今後は流石に同じことを起こさないでもらいたいものだ。

 すると、服の裾を引っ張られる感覚を知覚する。下を向くと、俺の洋服を軽く齧ったブランカがいた。恐らく腹が減ったのだろう。予想外の出来事もあり朝食が遅れてしまったが、俺としても早く食事を摂りたいところだ。

「わかってる。すぐに作るよ。ちょっと待ってろ」

 ブランカ用の食事を別に作るということはなく、普段は俺の食事を分けて食べさせている。本来なら狼は肉食なのかもしれないが、ブランカは口に入れても大丈夫なものなら基本的に食べた。こちらとしても楽で助かる。

「ほら、いつまでもしょげてないで、そこに座ってろ。飯出すから」

 そう言うと、マリィは少し申し訳なさそうな表情を浮かべたが、そのままダイニングテーブルの椅子に腰かけた。


 普段の食事は味気ない男飯が多いので、マリィにもそれに慣れてもらわなければいけない。昔はもっと別のものを食べていたのだが、それは過去のことだ。固いパンと小振りなハムエッグ、そしてキャベツだけのサラダを用意した俺は、ダイニングテーブルについて食事をした。

 しかしマリィはこんな味気ない食事ながら、とても美味しそうにメニューを口へ運んでいた。そんなに美味いものでもないだろうが、食えないと言われるよりかはマシか。テーブルの下にいるブランカもベーコンの塊を美味そうに食べている。普段は一人と一匹の食事ながら、今日からは二人と一匹だ。まるで彼女がいた頃に戻ったような感覚に、俺は思考を切り払う。迂闊に思い出すと顔に出てしまう。マリィはともかく、ブランカはそういった俺の表情の変化に敏感なので、あまり不安を抱かせたくはない。ブランカは“彼女”が連れてきた。だからきっと俺はブランカを彼女の代わりだと思っている節がある。それは決してメリットがある思い込みではないが、俺が未だ過去を引きずっている証拠でもある。早いところ忘れ去りたいところだが、話はそう簡単にはいかない。人間はトラウマというものを簡単に忘れられないのだ。

 一番早くに食事を終えた俺はマリィの様子を眺めていた。彼女はまだあどけなさが抜けない純粋な少女のような顔立ちをしている。しかし、本当に良く似ている。栗色の髪も、白く透き通った肌も。そしてその澄んだ瞳も。本当に彼女の生き写しを見ているようで、内心唇を噛む思いだ。

 すると視線に気が付いたのか、マリィが顔を上げて可愛らしく首を傾げた。なんでもないと手を振って答えるが、それと同時にあることを思い出す。

「マリィ。飯食って落ち着いたら出かけるぞ」

 そう告げると、マリィはどこへ? といった風に首を傾けた。

市場バザールだ。昨日弾薬も使ったし、お前の生活必需品もいるだろう」

 昼の間であれば、小規模だが商店街が開く。そこでは貨幣取引で様々なものを購入できるのだ。そもそも市場で買い物できるほど裕福な人間はあまりいないので賑わってはいないが、ある程度の生活水準を維持している者にとっては必要不可欠なマーケットだ。

 俺の言葉を聞いて、マリィが顔を輝かせた。どうやら市場という言葉に反応したらしい。とは言え、マーケットに行ったことがないというのはあり得ないが、どうしてここまで喜ぶのかがわからない。

「まぁいい。とにかく出かけるからな。飯が作れないなら荷物持ちくらいはしてもらおう」

 本来であればブランカに懸架用のサドルを付けて連れて行くのだが、今日は荷物持ちが倍になるので、普段買い損なうものもしっかりと買えそうだった。

 マリィはよっぽど外出できるのが嬉しかったのか、上気した表情でハムエッグに齧りついていた。前提としてマリィは匿っているのだし外出させるのは辞めた方が良いのだが、延々と家に置いておくのもストレスが溜まって思わぬ事故を生みそうだった。今後も定期的にガス抜き感覚で外出はさせた方が良いだろう。

 俺は嬉しそうにサラダを頬張るマリィを横目で見ながら、市場で買うものを頭で想起し始めていた。

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