第一部 3 間引く者
「嗚呼、降臨の地において皆様の祈りを捧げることが、天使様をお慰めになることでしょう。皆様、もっと天使様に祈りを捧げるのです。不浄の大地を浄化された天使様に感謝を。腐敗した世界に降臨された天使様に感謝を……」
神父らしき男がそう高らかに告げると、教徒たちはより一層祈りに力を込めたようだった。それと同時に、数人の教徒たちが倒れていく。まるでその天使とやらに生命を捧げているかのように。
イカれてる。俺は苦虫を噛み潰したように目を細める。ミハイル教会というのは、こういう連中なのだ。第一級汚染区域を聖域と名づけ、自らの生命を賭して祈りを捧げに来る。それは祈りと言うより呪詛であり、まるで自分自身を呪い殺しているかのようだった。これまでの道中、連中の死骸に遭遇しなかったのは幸か不幸か。もし遺体に気が付いていればミハイル教会の奴らが来ていることがわかったのだが。まぁ連中に俺の存在が露見していないだけマシだと言えるか。
しかし、この調子だと中央ブロックに入ることはできない。このまま真っ直ぐ中央ブロックに入りでもすれば、ミハイル教会の連中に袋叩きにされるだろう。奴らは銃器の類を持ってはいないが、束になって襲い掛かって来られては太刀打ちのしようもない。こちらも弾薬の数は限られているし、もしかしなくてもリロードのタイミングで接近を許してしまうだろう。
俺は舌打ちして思考に沈む。どうやっても中央ブロックに入ることはできない。そう考えるともう先には進めないわけで、それ以上にミハイル教会の連中に勘付かれるわけにはいかない。そうなるともう帰るしかないわけだが、本当にそれで良いのだろうか。可能性の話だが、この研究施設の中枢は間違いなくあの中央ブロックに当たるだろう。この施設の秘密を探るなら、確実に調べておきたいところだ。どうにかしてミハイル教会の連中が全滅するのを待つという手もあったが、長時間爆心地の中心部にいれば、いかに防護服を着ていようとも危険だろう。このような状況下においては、迅速かつ冷静な対応が求められる。そうして俺は二秒考えて、すぐさま撤退することを決めた。
ミハイル教会の連中を単独で退けることはできない。しかし奴らが全滅するまで待つことも不可能。そうなると撤退しかないわけで、バレンティーナとしても俺という人材を失うことは痛手だろう。だからこういう場合は素直に撤退する。このような世界において長生きするコツは、引き際を間違えないことだ。下手に成果を望んで戦闘にでもなれば、生命を散らすのは自分だ。臆病過ぎてもいけないが、臆病であることに越したことはない。特に現在のような状況では。
静かに中央ブロックに続くドアを閉めて、ゆっくりと立ち上がった。長居は不要だ。連中に気付かれていない今のうちに、この研究施設から脱出する。そう思って、最後に中央ブロックの様子を確認した時だった。
ミハイル教会の教徒たちが祈りを捧げている横――中央ブロックから隣のブロックに続く扉の窓のところに、人影が見えた。そちらの構造もこちらと同様に窓ガラスが設置されていて、隣のブロックの様相が窺える。
人影と言っても、一人ではない。恐らく四人編成の分隊だ。人影は四つに分かれていて、影を見る限り小銃で武装している。黒塗りの戦闘服に身を包んでいるから、ミハイル教会の連中ではない。奴らは油断なくミハイル教会の教徒たちの方を見据えていて、見るからに友好的な関係ではなさそうだ。そう考えると、想起されるのは――
ふと、教徒の一人が顔を上げて左を見た。その方向は黒塗りの部隊がいる方であり、その教徒は違和感に気が付いたようだった。
「――神父様! 神聖な聖域に銃器を持った輩がいます!」
その一言で、場の空気は凍り付いた。祝詞を唱えていた神父は顔を上げて、教徒の指さす方を見据えた。存在が露見した黒い部隊の方は少し慌てているようで、どうすれば良いか決めかねているようだ。
黒ぶりの部隊を視界に収めた神父は、聖典らしきものを閉じて、大きく息を吸い込んだ。そして、
「――神聖な大地を汚す哀れな愚者に制裁を! 奴らに捌きの鉄槌を! これは天使様を代行する戦いだ!」
その瞬間、大地が震えた。神父の掛け声に合わせてミハイル教会の教徒たちが一斉に立ち上がり、各々が雄叫びを上げながら黒い部隊の方へ駆けていった。奴らにはもう理性というものはない。ただ聖地を汚す不届き者に神罰を与えんとする神の代行者だ。だから誰にも止められない。俺はその様子をどこか傍観するように眺めていた。
しかし黒塗りの部隊の連中――恐らく暫定政府の特殊部隊は、身の危険を悟ったのか小銃を信徒たちに向けて、迷わず発砲を行った。
銃撃音とマズルフラッシュが意識を埋める。規則的な発砲音と視界の明滅。その一つ一つが、人間と言う個の生命を容易く攫っていく。銃弾が放たれ、教徒の脳や腹を抉って貫通していく。脳漿や血液、骨髄液が辺りにまき散らされ、周囲が肉塊と液体で埋まっていった。目の前で、人の生命がいとも簡単に消えていく。その光景はどこか美しくて。生命の最期の輝きというものは、どうしてこうも美しいのか。俺はその光景に美麗さを感じつつも、脳は冷静に動いていた。
この調子なら、暫定政府軍はミハイル教徒の数を多く減らせるだろうが、恐らく相打ちに近い状態になるだろう。ミハイル教会の巡礼に来る連中は信心深く、神父が死ねと言ったら素直に死ぬ人間も多いはずだ。それに異常な忠誠心から理性が欠如している輩も多く、腕や足を吹っ飛ばされたところで止まらない奴も少なくないだろう。だから暫定政府軍も最終的には数で押されて負けてしまうはず。今するべきことは、その均衡が崩れないように、かつ連中の注意を引かないように、両陣営の数を間引くことだ。
素早く判断を下すと、AKにマウントした懐中電灯の明かりを消した。この際フラッシュライトがなくとも、暫定政府軍のマズルフラッシュで視界不良には陥らないはずだ。それに明りでこちらの存在が両者に露見することも避けたい。俺は懐中電灯の明かりを消すと同時に、AKを構えながら身体を乗り出した。
マズルフラッシュの明滅で、中央ブロックの視界確保は問題なかった。AKの銃床に頬を付けると、照準を手頃なミハイル教徒に合わせる。そして何の躊躇もなく、トリガーを引いた。
耳元で破壊的な発砲音が響き渡り、空薬莢がスライドから弾け飛ぶ。放たれた7.62mmの小銃弾が目の前のガラスを突き破り、ミハイル教徒の頭部に吸い込まれていった。
小銃弾はそのまま頭部を破壊しつつ突き抜けて、ミハイル教徒を死に追いやった。彼は頭部が破裂して、上顎が吹き飛ぶ。暫定政府軍の方へ向かおうとしていた彼はそのまま力を失って、地面に倒れ込むようにして死に果てた。
容易く人の生命を奪っておきながら、俺は何ら罪悪感というものを抱いていなかった。そのまま俺は照準を他の教徒の頭部に合わせて、点射で頭を撃ち抜いていく。
一、二、三……途中から数えるのは面倒になって止めた。殺した数を覚えておく必要なんてない。今現在重要なのは、暫定政府軍とミハイル教徒たちの均衡を崩さないようにお互いを間引き続けることだ。まるで両者の生命を司る神になったかのようだった。多い方を殺して、少ない方を生かす。立場が逆転したら、逆の方を間引く。人間の所業ではない。最終的に全員を排除する想定で動いているので、結局は俺以外全滅することになる。家畜を飼いならす遊牧民はこんな気持ちなのだろうか。そんなことを思いながら、殆ど無感情で両者を間引いていく。少しミハイル教徒を減らし過ぎたので、暫定政府軍の一人を負傷させる目的で腕を撃つ。こうすれば生きてはいるものの、戦闘復帰に時間がかかるため、少しの間時間が稼げる。しかし一時的に三人になった暫定政府軍には多すぎる量のミハイル教徒がひしめいているので、面倒臭くなった俺は腰だめ撃ちで教徒たちを殺戮していく。五、六人減らせれば上々だろう。暢気にそんなことを考えながら、AKで人を撃ち殺していった。そこにはやはり特別な感情はない。仕事をする上で、人を殺さねばならないことは多々あった。しかしそれに際していちいち戸惑っているようでは、この世界では生きていけない。自分が生き残るためには、手段など選んでいる暇はないのだ。だから無慈悲に思えるかもしれないが、俺はこうして身の安全を確保しながら、人を抹殺していく。極めて合理的に、かつ機械的に。人殺しに感情は要らない。死者が喋る口を持たないように、死んでからでは何もできないのだ。だから生きるために殺す。任務を成功させるために、人を殺す。昔は暗殺を生業としていたから、人を殺すことには慣れていた。しかし殺人を目的とした依頼は受けないことにしている。それはきっと俺の心にトラウマがあるからで、しかし殺さねばならない状況においては殺す。そこに感情の入り込む余地はない。俺はそのように育ってきたのだ。
暫定政府側の部隊員が戦線復帰してきて、ミハイル教会側が不利に陥る。このままでは教会側が全滅してしまうので、そろそろ暫定政府軍の一人を殺さねばならない。実を言うと、バレンティーナからは暫定政府と揉め事を起こすなと言われているが、ここで見逃した場合、俺の存在が露見してしまうことに繋がりかねない。そして何より、ここにいる俺以外の全員を殺せば、そもそも電信など存在しないので、連合同盟の関係者が暫定政府軍を攻撃したという事実は残らない。証拠がなければ事実は立証されないのだ。
俺は無慈悲に、AKの照準を暫定政府の部隊員に向けた。まだこちらの存在はバレていないようだ。流石に目の前のミハイル教徒たちに集中していれば仕方ないとは言え、誰に殺されたかわからないなんて悲しいものだ。と、悲しいなんて思ってもいないのに、そう感じる。人はある日簡単に死ぬ。それに意味なんて求めても仕方ない。それは俺にも言えることで、自分の死に意味がないとわかっているからこそ、慎重に行動を起こせるのだ。だから俺はいつでも冷静で、冷徹だった。
AKのトリガーに指をかけて、そのまま迷わず引いた。放たれた小銃弾は吸い込まれるように部隊員の頭部に直撃して、脳漿をぶちまけた。ヘルメットらしきものをしていたが、流石に小銃弾は防げない。ヘッドショットされた男はそのままもつれるように背後に崩れ落ちて、速やかなる死を得る。周りの部隊員は驚いていたが、彼ももうそろそろ用済みだ。既にミハイル教会の連中が彼らの目の前まで迫っていたし、暫定政府軍が殺されるのも時間の問題だろう。この後は、残ったミハイル教徒たちを殺し尽くせばいい。
すると、まもなく暫定政府側の防衛線が崩れて、中央ブロックから隣のブロックへミハイル教徒たちが流れ込んだ。彼らは何も武器を持っていなかったが、そのまま噛みついたり殴ったりで暫定政府軍に襲い掛かる。近接戦闘となっては、暫定政府側も分が悪い。ここまで距離が近いとナイフの類の方が戦いやすいが、既に近接戦闘用の装備はミハイル教徒たちに奪われていた。
一人の部隊員が、奪われたナイフで首元を掻き切られていた。彼は咳き込むように血を吐き出して、ガスマスクらしきものの裏を血に染めた。他の部隊員も無理矢理ガスマスクを外されて、口の中にナイフを突き刺されたりして次々と絶命していく。
暫定政府軍が全滅して、残りはミハイル教徒たちだけになった。しかし暫定政府の連中が健気に数を減らしておいてくれたお陰で、こちらの弾消費も少なく済みそうだ。俺は生き残った数少ないミハイル教徒たちに銃口を合わせて、点射でヘッドショットを決めていく。一人、また一人と頭部を破裂させて絶命していった。次第に立っている人間は減っていき、ついには俺一人だけとなった。