第一部 2 爆心地にて
そんなこんなで、俺はバレンティーナ直々の依頼を受注して、遥々爆心地を訪れていた。何でも屋として生計を立てて数年経つが、爆心地にここまで近づいたのは初めてだ。円形の大穴が穿たれていてとても壮観だということは話に聞いていたが、それが冗談にしては笑えないということをようやく理解する。過去の人類が犯した罪。そのあるがままを双眸に収めているようで、胸の内がざわめくのを感じる。
前提として、過去の人類――数百年前に生きている俺たちの祖先が核兵器などという馬鹿みたいな兵器に頼っていなければ、このような状況にはならなかったのだ。物資不足が深刻な今のこの世界でも、戦争がなくなることはなかった。闘争というのは俺たちの遺伝子に刻まれた拭えない真実のようで、それを否定することはしない。しかし行き過ぎた力というものは、敵だけでなく自分自身の首も絞める。結果世界そのものがおかしくなって、このような惨状が広がってしまったのだ。今の地球に、核兵器を運用できるほど潤った国はない。過ぎた繁栄は滅びに繋がるということを、身をもって体験しているわけだ。
俺は再度防護服越しに息を吐いた。プラスチック製のフェイスガードに白い呼気が張り付く。急激な寒冷期のお陰で、防護服の下にも大量の衣服を着こまねばならないが、そのせいで身体中がかさばって動きにくい。ないとは思うが、ミハイル教会の“巡礼”に遭遇すれば戦闘に発展しかねないので、なるべく動きやすい服装にしたかったのだが。爆心地を訪れるうえで防護服は脱ぐことはできないので仕方ない。
かさばった身体をほぐすように軽く肩を回すと、そのまま爆心地跡に視線を移した。
爆心地の掘削具合は尋常じゃなく、その場に存在したものを全て穿って消し飛ばしたようだ。だから円状のクレーターの中は空洞で、別段特別なものはない。今回の調査は爆心地跡の様子を確かめて来いとのことだった。そもそも連合同盟の関係者がここまで訪れたのも初めてだろう。だからここまでの記録を報告するだけでも結構なはずだが。
そんな風に思っていると、クレーターの中心、一番へこんでいるところに、何か空洞のようなものが見えた。視線を凝らすと、確かに小さいが何か構造物があるように見える。
クレーターの中心だ。何か残っているとは思えないが、一応確認しておく必要があるだろう。実際に何か見えているわけだし。一人頷くと、取り敢えずそのクレーターの中心まで向かってみることにする。
クレーターにそのまま降りるのは危険かと思ったが、掘削角度がそこまで急じゃないので、降りたら最後戻れなくなるといったヘマは起こさずに済みそうだった。俺は爆心地を単独で訪れているわけだし、遭難したら救助は絶対に来ない。このように救出不可能な任務だからこそ、バレンティーナは俺に頼んだとも言えるだろう。しかし本当に帰って来られないことになったら困るので、保険として金属製のフックが付いたロープをクレーターの縁に引っ掛け、それを掴みながら降りることにした。
しかしそんな用意自体も不要だと思わされるほどに、傾斜は緩やかだった。ほぼ階段を下りるかのイメージでしばらく進むと、爆心地の中心部まで到達することに成功する。
爆心地の中心に到着すると、すぐに目に入ったのは階段のようなものだった。その階段は地下に続いているようで、暗闇がこちらを誘っている。ここまでは月明りを頼りに来られたが、地下へ降りるとなると明かりが必要だろう。
だけど、爆心地の中心部に階段があるなんて聞いたことがない。前提として、暫定政府が情報統制を行っているから一般の人間は知りようもないのだが、もしかしたら何か新しい情報を掴めるかもしれない。クレーターの中心部にある階段など、地下に何かあると言っているようなものではないか。
少しだけ期待を膨らませて、サイドポケットから懐中電灯を取り出した。バレンティーナから新品を掠めてきたので、使用感はそこそこに悪くないはずだ。普段はジャンク屋の鹵獲品を使っているので、今回でお別れなのは若干寂しく思えた。爆心地に持ち込んだものは汚染されているので、外周区に戻る前に全て捨てるのが決まりなのだ。
一応何が待っているかわからないので、肩に掛けていたAKを持ち出す。そしてそのバレル部分に設置されているレールに、懐中電灯をアタッチさせた。こうすることで武器を構えながら視界を確保できるのだ。ちなみにこのAKもバレンティーナがくれた使い捨てだ。AKは今の世界でも主流の白兵戦用装備であり、唯一小銃としては在庫が有り余っている品だと言えた。子どもでも扱える武器として多く出回っているため、簡単に使い捨てることができるのだ。
AKを油断なく構えながら、階段に接近していく。階段の作りとしては意外と堅牢であったが、なんだか違和感を覚える。それは階段自体の年季がだいぶ経っているようで、天使の生誕後に作られたとは思えないのだ。しかし件の事件以前に作られていたとなると、それはそれで辻妻が合わない。核兵器の一撃に耐えられるほどの頑丈さは持ち合わせていないだろうからだ。それ以上に気になるのは、爆心地の掘削は深度百メートルを優に超えているはずだ。それなのにそれ以上に深い地下があると考えるのは不自然だ。もしそんなものが存在しているのなら、よっぽど重要な何かの拠点だったと考えるべきだろう。
ちょっとした疑問を抱きながらも、調査のために階段を下りていくことにした。懐中電灯に照らされた階段は朽ち果てる寸前で、自分の体重で崩れてしまわないか心配なほどだった。だがコンクリ製の階段は案外しっかりとしていて、下手に崩落することはなさそうだ。
少しだけ安心すると、AKを構えながら階段を下りていった。周囲に満ちていた風の音が次第に消え去り、自分の足音だけが響き渡る。まるで世界に一人取り残されたかのような錯覚。自意識が過剰になり、段々と自分というものがわからなくなるあの不思議な感覚。その意識を摩耗させる感傷に浸りつつも、警戒は怠らない。前世界の遺跡らしきものに入る以上、予想外の出来事はつきものだろう。不意の接触にも気を付けねばなるまい。
しかし階段は意外と長く続いていて、少しずつ俺に焦燥感を抱かせる。深く潜っていくほど、不安になるのは当然だ。しかしここで引き返すわけにはいかない。ここまで来られた以上、危険を感じる直前までは進むべきだ。暫定政府の連中がどこまで情報を仕入れているかわからないが、彼らとの交渉手段として天使の生誕以前の情報をなるべく手に入れておく必要があった。
流石に階段が長く、少し身の危険を感じ始めた頃。ついに階段の終着点が見え始めた。急に階段の先がなくなり、踊り場が現れたのだ。俺はようやく階段が終わったことに安堵して、そして更に警戒心を引き締める。AKを油断なく構えながら、静かに踊り場に降り立つ。そしてその先にある扉の目の前まで歩み寄って、聞き耳を立てた。
しばらく警戒していたものの、何か物音が聞こえるといったことはない。流石に無人だと思って良いようだ。小さく息を吐いて、扉をゆっくりと開ける。
だいぶ年季が入っているようで、扉は軋みながらぎこちなく開いた。それと同時にAKを扉の先に差し込むが、発砲するような事態にはならない。俺はそのまま扉の中に身体を滑り込ませ、内部に入り込んでいく。
AKの先に付いた懐中電灯で周囲を照らしてみる。そこにはいわゆるコンピューターと呼ばれる機械が多く鎮座していて、よくわからない形の機器があることから、見た限り何かの研究施設のようだった。
「こりゃ、持ち帰れば一攫千金だな」
独り言ちながら、コンピューターの上に降り積もった埃を払う。今の時代、コンピューターのような精密機械は殆ど使われていない。それは電力供給が滞っているからで、文明の利器があろうと使うことができないなら、持っていても意味がないということだ。しかし精密機械の部品は様々な用途で応用できることが多く、高値で売れることが多い。ここが爆心地でなくて、汚染などされていなければ大量に持ち帰ったものの、残念である。
もう一度周囲を照らしてみるが、何かの研究施設という以外は何もわからなかった。用途不明の機械が数多く、それらが何に使われていたのかは窺い知れない。しかし情報としては有用だと思うので、もう少し先に進んでみるべきか。
一人決意すると、俺はコンピューターが陳列されたデスクをゆっくりと抜けていって、先の方へ進んでいく。この施設はいくつかのブロックに分かれているようで、部屋の端から左右のブロックへ移動できるようだった。実を言うと全てを調べ上げて帰りたいところだが、探す場所が多すぎるためそれはできない。局所的に調べたいところなので、とにかく最深部に行くことにした。最深部に行くのならば、区切りとしてはちょうど良いように思えたからだ。
最深部と言っても、これ以上の地下は存在していないようだった。壁に貼り付けられた地図らしきものを見る限り、一本の柱のような場所から枝分かれして各ブロックが構成されているらしい。だからブロックの中枢にある柱のような場所が最深部だと思って良いだろう。ちなみに地図は現在も使われている文字で描写されていたが、文字が掠れていて意味を読み取ることはできなかった。写真を撮りたいところだが、カメラは高級品だし持ち帰ることはできないので持って来ていない。こういう時に過去の電信があると楽なのだろうが。
そのままコンピューターが配置されているブロックを抜けて、中央ブロックらしき場所の前までやって来た。相変わらず文字は掠れていて読めず何が書いているのかわからないが、紅い文字で書かれている以上危険な場所らしい。今も昔も危険をイメージする色は赤のようだ。それは遺伝子に刻まれた共感覚がそうするのだろうか。俺にはわからないが、ともかく注意すべきなのは伝わった。
そして中央ブロックに続くドアを開いて先に進もうとしたが、そこでドアの両隣にガラス窓が設置されていることに気が付く。今は埃が張り付いていて中の様子はわからないが、拭き取れば見えるはずだ。危険な可能性もある以上、先に中を確認しておくべきだろう。
そう思った俺は窓に手を伸ばした。どうしてここから中が覗き込めるようになっているかはわからないが、ともかく使える者は使うべきだ。そして俺は窓に付着している埃を一拭いして――
すぐさまその場に伏せて、懐中電灯を消した。それと同時に息を潜めて、ともかく身体を動かさないようにじっとする。万が一、気が付かれていたらお終いだが、できることはしておきたい。まだバレていなければ、このように電気を消して伏せていれば大丈夫なはずだ。
しばらく呼吸音を殺して待機していたが、連中がやってくる様子はない。どうやら気が付かれなかったらしい。大きく息を吐いて、ゆっくりと立ち上がり窓の先を見つめた。
そこには白い服に身を包んだ何十人かの人間がいて、皆が何かに祈りを捧げるように手を組んでいた。その先には白いローブに身を包んだ男がいて、何かの本を読み説法しているようだ。
間違いない。ミハイル教会の連中だ。恐らく“巡礼”に来ている連中だろう。しかし、噂は本当だったのか。俺は目を細めながら、彼らの服装に注目する。白い服に身を包んでいるのは同じだが、おかしい点と言えば、それは誰もが防護服を着ていない点だろう。ここは第一級汚染区域であり、防護服なしでは放射能で被曝してしまう。まぁ彼らの論理では、ここは天使によって浄化された地であり聖域なのだろうが。しかしその装備では――
俺が見ている中で、祈りを捧げていたミハイル教徒の何人かが倒れた。それはもちろんこんな場所に防護服なしで滞在しているからで、身体のどこかをやられたからだろう。俺は目を細めながら、とにかく彼らの様子をもう少し窺い知るため、中央ブロックに続くドアを勘付かれないよう半開きにした。すると淀んだ空気を伝いながら、彼らの様相が流れて来る。