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白き翼のセレナーデ  作者: 柚月 ぱど
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第三部 1 モミの木の下で

 熱を持った両頬を、若干の冷たさを伴った夜風が優しく撫でていく。夜風と言っても、このノクターンではほぼ毎日が夜に包まれているから、そういう表現は適切じゃない。しかし現在時刻は昼間でありながらも、なんとなく俺はぼんやりとしていて夜風にあたっているような気分だった。きっとそれは、この場所を訪れているからだろう。いつまでも過去に縋りついていたくはないが、どうしても思い出してここを訪れてしまう。それは人間が生来的に持ちうる愚かさなのかもしれないが、無駄なものとして安易にかなぐり捨てることもできない。

 旧東京外周区の郊外。寝床としている廃教会のもっと奥地に、それはあった。この辺りは建築物の風化がかなり進行していて、植物による還元が進んでいる。廃教会の周囲に比べたらどちらかと言うと自然化していて、寒冷地に自生する植物が多く茂っていた。そんな中で一つ、目を惹く植生がある。それはある一本の樹木であり、モミと呼ばれる木だ。その木は周囲の樹木よりかなり大きく一本だけ良く成長しており、遠目から見てもシンボルとして扱いやすい代物だ。周りに他にもモミの木は自生しているにも関わらず、その一本だけが何故か突き抜けて大きかった。

 俺はそのモミの木に近づいて、その足元を見やる。そこには一本の木の棒が立てられていて、盛り土のような形状になっていた。

「久しいな。変わりないか?」

 あてもなくそう呟いてみるが、もちろん返事はない。俺は一人薄く笑って、その木の棒に書かれた文字を読んだ。

『マリア ここに眠る』

 お世辞にも綺麗だとは言えない字面で短く書かれた言葉。俺はそれを目でなぞって、小さく溜息を吐いた。

 マリアが死んでから、もう数年だ。彼女がいなくなってから、俺は暗殺者をやめて何でも屋に転向した。それはきっと彼女の死が俺に多大なトラウマを植え付けたからで、少なからず俺の精神を今でも縛っている。過去に囚われ続けるのが決して正しいことだとは思はないが、どうしても彼女のことは忘れられなかった。それくらいマリアという女は俺の中で存在感を放っていたし、消そうともそう簡単には消せない存在なのだ。

 本来ならば外周区の外れにある共同墓地に埋葬するところであったが、俺の勝手な都合でこのような場所に墓を建てることになった。それはこの場所がマリアとの思い出の場所であるからで、彼女の墓を作るのならばここ以外考えられなかったのだ。

 俺は墓の前でしゃがんで、手を合わせた。詳しい歴史などは知らないが、旧世界ではこうやって手を合わせるのが屍者を弔う作法らしい。俺は手を合わせながら、マリアのことを想った。

 すると、脳裏にあの少女の顔がよぎる。マリィという少女。マリアと似た顔立ちの女の子。俺はマリアのことを考えているはずなのに、どうしてかマリィのことを想起していた。俺は首を振って、思考を切り払う。確かにマリィはマリアに似ているが、完全な別人だ。だから何か期待したってしょうがない。マリィはマリィ、マリアはマリアなのだから。だけど、俺は何かをマリィに期待しているようだった。それは恐らく、マリアの影をマリィに見出しているからで。それはマリィにもマリアにも失礼であることをわかっていながら、それでも俺は望んでしまうのだ――

 ――この思考は危険だ。その事実を認識して、俺は今回こそ確かに思考を払拭する。わかっている。とても単純なことだ。

 人は、決して他人の代わりなどにはなれないのだから。


 廃教会に戻って来ると、すぐにブランカとマリィが出迎えてくれた。基本的にこの二人(厳密に言うと一匹と一人だが)は外出しないので、この廃教会の留守をしてもらっている。ブランカはともかくマリィが役に立つのかと言われると確かに疑問だが、まぁいないよりかはマシだろう。

「お帰り、シリウス」

 マリィの声に手で答え、俺はダイニングに向かった。墓参りの件もあって、少し疲れていたのだ。何か軽いものでも食べて気を紛らわせようと思ってダイニングまで来たが、目ぼしい軽食は見当たらない。買いに行くのも面倒なので、今回は我慢した方が良いか。

 俺は軽く溜息を吐いて、ひと眠りしようかと自室に向かおうとした。しかし部屋から出ようとすると、何かに服の裾を掴まれてしまう。振り返ると、そこにはマリィが佇んでいた。

「どうした」

 ぶっきらぼうにそう尋ねると、マリィは少し逡巡するような表情を見せた。どうやら、俺に何か言いたいようだが、言っても良いか悩んでいるようだった。マリィを匿ってから二週間ほどは経過する。お互いに警戒心と言うものは抜け始めているが、それでもある一定の緊張感は存在していた。それは恐らく俺が一方的にマリィを突き放していることに由来していて、マリィ自身は俺に良く懐いている。少し可哀そうな気もするが、どうしても過去のことを思い出してしまって堪らないのだ。

「あの、ちょっとだけ、外に出たい」

 マリィは言いにくそうに呟いた。まぁマリィが最後に外出したのは市場に行った時だから、流石にストレスが溜まってくる頃だろう。そろそろガス抜きが必要かもしれない。しかし俺はマリィを外に出すことを渋っていた。それはこの前のガブリエルの依頼があるからで、もしかしたら連中がマリィの存在を感知している可能性があったのだ。暫定政府の連中がどこまでこちらの情報を掴んでいるかはわからないが、下手なことはしたくない。爆心地で眠っていた少女を匿っているというニュースが流れたら、すぐさま暫定政府はマリィを奪取しようとするだろう。だからこそ迂闊なことはできなかった。

「――そうか。だけどな、今少し情勢が不安定なんだ。お前の記憶が戻るまでは、もう少し我慢できないか?」

 マリィに尋ねかける口調ながらも、その声色は有無を言わさぬ圧を放っていた。我ながら汚いことをするなと思いながらも、今回ばかりは仕方ない。もしマリィの存在が露見すればバレンティーナも危険だ。もう俺一人の生命ではない。

 俺の言葉を受けて、マリィは顔を伏せた。少しキツい声色になってしまったかもしれない。そう思って内心若干後悔していたが、しかしマリィはふと顔を上げた。

「じゃあ、今度ピクニックに連れてって」

 予想外の返答に、俺は言葉を詰まらせた。ピクニック。久しく聞いていなかった言葉。しかしそのピクニックという単語がマリィから出てくることに、俺は驚いていた。“彼女”が生きていた頃、気が向いたらピクニックに出かけていた。マリアが弁当を作ってくれて、それを食べながら色々なことを話した。そんな過去を想起して、俺は心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。違う。マリィはマリアじゃない。落ち着くんだ――。そんな風に自分を落ち着かせていると、不意にマリィがこちらを心配そうに覗き込んでいることに気が付く。

「……シリウス?」

 俺は我に返って、心配ないと首を振った。今日は墓参りに行ったからか、いつも以上にマリアのことを意識してしまっているようだ。マリィに自分の過去を勘付かれるのは本意ではないので、少し気を付けた方が良いだろう。

「――しかし、ピクニックなんて言葉、どこで知った? 自分の名前以外記憶がないんだろう?」

 話題を変えたかったため、俺はそのように尋ねた。マリィは今現在も記憶を失っているはずで、彼女が過去にどんな人生を送っていたかわからないはずだ。するとマリィは上着のポケットに手を突っ込んで、何かを取り出した。それを注視してみると、どうやらそれは書物のようで、ポケットに入るほどのサイズ感のものだ。どうやらこの前マリィのために買ってやった本らしい。自宅待機が続いて鬱憤を溜め込まれても面倒なので、憂さ晴らしに与えたものだ。

「これに出てきた。外で景色を見ながら食事をする。楽しいって書いてあった」

 マリィは頷いて、こちらの顔を見据えてきた。どうしてもピクニックに行きたいらしい。まぁ二週間も家に閉じ込められたら外出したくもなるだろうが、やはり危険性もあった。どうしようか悩んでいると、俺はマリィの横顔に懐かしさを感じ取ってしまう。

 やはり、似ている。マリィの顔立ちは初めてマリアと会った時と同じようなあどけなさを残していて、どうしても俺の胸をかき乱していく。そんなマリィが、懇願するかのような視線をこちらに送っていて、俺はどうしても直視することができない。マリィは、マリアじゃない。そんな当然のことはわかっているはずなのに、どうしてもそんな馬鹿げた思考を取り払えない自分がいた。

「……ダメ?」

 気が付くと、可愛らしく小首を傾げるマリィの姿があった。その所作も彼女に似ていて、俺は胸を鷲掴みにされたような感覚に陥る。怖い、怖いんだ。マリィが彼女に似ていることが。だから俺は、逃げるようにマリィから視線を逸らした。

「――一つ、条件がある。ピクニックには美味い飯がつきものだ。だから、お前がしっかりと飯を作れるようになれたら、喜んで行ってやるよ」

 最大限の譲歩のつもりだった。本当はマリアのことを思い出してしまうので行きたくなかったが、このように達成条件を設定しておけば時間稼ぎになる。それもガスコンロを使わせただけで火事を起こしかける少女に、まともな飯が作れるようになるとは思わなかった。こうしておけば、マリィも納得せざるを得ないだろう。

 マリィの顔を盗み見る。すると彼女は悲しむどころか、すごく嬉しそうな表情を浮かべていた。

「わかった。頑張る」

 それだけ告げて、マリィはキッチンの方へ向かっていた。その後姿を眺めながら、ブランカに危険がないよう見張りをさせようと思うのだった。


 マリィが料理の練習を始めてから数日が経過した。しかし彼女は料理以前の問題を多発させていて、見張り役のブランカの寿命を縮めていた。何度火事が起こりそうになったか数えるのが面倒になったが、それでもマリィは諦めずに料理を続けていた。そこまでピクニックに行きたいのかと疑問に思うが、まぁ半ば家に閉じ込められているわけだし、条件付きとはいえ外に出られそうなら努力はするかと、勝手に納得した。しかし着実に成長はしているようで、こちらとしても内心冷や冷やしている。

 俺は今日もブランカにマリィの面倒を任せて、一人連合同盟を訪れていた。少し休んだし、そろそろ新しい任務を受けても良いのかなという頃合い。こういった職業を生業としている以上、仕事の頻度や時間は不定期だし、任務によって報奨金も異なる。だから場合によっては恐ろしく立て込むこともあるし、逆にすっからかんの時もあった。今はどちらかと言うとスカスカな期間であり、のんびり体調を整えられる重要な時間だった。

 連合同盟の集会所に入って、俺は取り敢えず受付に寄った。掲示板を見れば基本的な情報は載っているが、俺が受注する任務と言うのは重要度が高い任務が多く、受付嬢に直接聞いて受けることがままあった。極秘任務の類では掲示板に掲載することもできないし、俺用に取っておいてくれる例もある。

「これはシリウスさん。ご機嫌はいかがですか?」

 受付に顔を出すと、顔馴染みの受付嬢が笑顔を浮かべてくれた。元暗殺者ということで俺に苦手意識を持っている受付嬢も少なくないが、この受付嬢はいつも笑顔で対応してくれる。

「悪くない。バレンティーナはどうしてる?」

「そのバレンティーナ様から、シリウス様に言伝です。ギルドに顔を出したら、私のところに来るように、だそうです」

 受付嬢の言葉を聞いて、俺はあからさまな溜息を吐いた。どうせロクな話ではないだろう。またこの前のような任務を吹っかけられても面倒だ。そう思って帰ろうかと思ったけれど、この前のガブリエルについての話かもしれないと思い、留まった。

 この間の作戦――ミハイル教会の大聖堂へ進入して、教主の顔を見て来いという任務。かなり不可解な部分が多い作戦ではあったものの、任務自体は成功させたことになっていた。本来であれば教主の顔を見て来なくてはならないのだが、その辺りは何故か不問になった。任務の完了報告を受けに連合同盟を訪れていたガブリエルは、俺に二つの質問をしたのだ。

 一つ。教主の性別はどちらであったか。これは直接教祖の顔を見ていなかったものの、声からして男であったからそのように伝えた。ガブリエルは報告を受けて頷くと、もう一つの質問をした。

 見た限り、教主におかしなところはなかったか。

 俺はその質問を聞いて、どう答えるべきか少しだけ逡巡してしまった。正直に答えるのであれば、背中に何かがあったと答えるべきなのだろうが、やはり自分の見間違えという可能性もあった。しかしガブリエルがこんな質問をしてくるということは、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。それは、まるで教主の背中に異常があることを知ったうえで、確認に行かせたかのような。どう答えるか幾ばくか迷った俺は、バレンティーナの目もあることだし、取り敢えず何ら異常はなかったと答えた。

 俺の言葉を受けたガブリエルはこちらを探るかのような視線を向けてきたが、すぐに目を逸らし、その後ご苦労だったと告げ報奨金を取り出した。そういうことでその場は一応収まったのだが、やはり内なる疑念は拭えなかった。

 やはり教主の背中にあるものが、何か重要な要素になりえるのか。それが、暫定政府が求めている情報なのか。わからないことだらけだが、俺は取り敢えず教主の背中のものについてはバレンティーナにだけ報告した。彼女は渋い顔をしていたが、やはりそれがなんであるかはわからなかったようだ。

 息を吐いて、俺は集会所の階段を見据える。とにかく、念のためバレンティーナの元へ向かった方が良さそうだ。ガブリエルや暫定政府関連で相談があるかもしれないし、マリィのことで何かわかったのかもしれない。俺はそう考えをまとめると、目の前の受付嬢に軽く頭を下げて、バレンティーナの執務室へ向かった。

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