東亜プラン
究極タイガーと雷電は、その表面上ではほとんど同じゲームプレイを示しているが、背後にあるモチベーションは大きく異なっている。
東亜プランの系統はオルカ末期(スカイランサー、ゾディアック、ドッグファイト、バスター、ホッパーロボ)に端を発している。その後クラックス時代を経てスラップファイトに至るまで、アイデアの継続性こそあるものの、ゲームプレイにはこれといった定式がない。
黎明期ゆえともいえるが、東亜プランはシューティングによって知られるようになってからもスノーブラザーズやTEKI・PAKIなどの佳作を作り出しており、一発アイデアの扱いの上手さを印象づけている。
逆に言えば、ひとつのルールの中で煮詰めるような作業は東亜プランの得意とするところではない。飛翔鮫で完成した縦スクロールシューティングのフォーマットだが、同社はそこから新作ごと次々と新たな要素を追加し、そのバランスを破綻させてしまうことになる。
鮫!鮫!鮫!の極端な難易度は単なる調整不足の産物とも言い切れず、東亜プランのゲームデザインの理屈自体に、不安定さに向かう必然性があったのではないかと思う。
後に雷電を成功させるセイブ開発は、アクションゲームを作っていた時代は今ひとつだったのが、シューティングに焦点を定めてからは高い完成度を示すようになった、ちょうど東亜プランと鏡写しのような会社である。
雷電は徹底して安全運転のゲームで、ゲームを壊しかねない要素は慎重に排除されるか調整によって埋められている。結果的に、奇抜さはすでにあるものを複雑化すること、例えばボスの攻撃パターンや、複雑な難易度計算によって出されることになる。
1989年は時期的に格闘ゲームブーム前夜であり、雷電が支持を得たことは、より同一ルール内での完成度が求められる時代への移行を示していたとも言える。
テーブル筐体からアップライト筐体へ主流が移るなか、シューティングジャンルではスコアアタックの可能性が再び追求されるようになるが、それ以前の最後のゲーム、スコアの形骸化の極地として達人王を見ることもできるだろう。
達人王は前作TATSUJINの成果の上に則りながらも、視覚的なインパクトを重視した結果としてまた異なったゲームプレイを呈している。しかしその可能性を発揮する以前に、すでに時代錯誤になっていた基本設計、つまり引き伸ばされたプレイ時間が、最終的に達人王をますますバランス的に破綻したゲームへと変えてしまった。
テーブル筐体時代のビデオゲームの回転率に対する配慮は比較的ルーズで、上達したプレイヤーに長時間遊んでもらうことは開発者のサービス精神であり、客離れを防ぐ方策でもあった。一度クリアしてしまえばプレイヤーはそのゲームを遊ばなくなるが、ループし続ければそれだけ長く遊んでくれるというわけだ。
しかし、ある時期から(おそらく家庭用ゲーム機の出現と関係して)ビデオゲームにも回転率がより求められるようになった。ストリートファイターIIは内容も両立させた点で前例がないレベルであり、ゲームセンターの景色を一変させるほどの影響を及ぼしたのも意外ではない。
しかし1992年に至っても、達人王は依然としてループゲーム的な意識の上に作られていた。なおかつ当初は間口を広げるために難易度を低く調整していたため、インカム的には大変に効率の悪いゲームになってしまった。
この問題が達人王の高難易度化の要因の1つと思われる。実際にリリースされたバージョンの達人王でさえ、それなりにシューティング慣れしたプレイヤーならば2面後半までは安定して進むことができ、それだけでも15分程度かかる。これは飛翔鮫で1周にかかる時間とほぼ同じという驚異的な長さである。6面クリアはノーミス進行でさえ50分にも及ぶのだから、ゲームセンターとしてはたまったものではない。
当時、すでに実情に合わなくなったループゲームは廃れつつあった。
コナミは1990年のパロディウスだ!からすでに周回数に制限を設けていたが、東亜プランもヴイ・ファイヴでは(コナミファンだったIKD氏の意見もあってか)2周エンド制を採用し、さらに、それまでの同社には見られないレベルでのスコア稼ぎ要素が盛り込まれた。周回制ではない以上、上級プレイヤーには他の誘引が必要であり、スコアアタックはその理由からも必要とされるようになったのだった。
ヴイ・ファイヴとBATSUGUNは、達人王とドギューン!!がそれぞれ異なった方法で抱えていた問題に対処しつつ、なにかしら新しい境地を模索しているようなゲームである。しかし、それが確かなものになる前に、東亜プランは解散することになってしまう。
同社の倒産はゲームの高難度化に絡めて語られることが多いが、どちらかと言えば経営上の失敗だったのではないかと思う。下請けから離れて自社販路に挑戦したり、家庭用の開発を止めてアーケードに注力したりといった決定が裏目に出た可能性がある。
同社の倒産と前後して、1993年には彩京とライジング、翌94年にはケイブが設立され、タイトル面でも雷電DX、レイフォース、極上パロディウスなど象徴的なタイトルが続けて発売されるなど、シューティングは90年代後半の第2の黄金時代とも言える時期に突入していく。東亜プランのメンバーはガゼル、タイトー、タクミ、ケイブと散り散りになったが、ケイブだけが長期的に成功し、弾幕シューティングのパイオニアとして知られることになった。
今日、雷電シリーズや弾幕シューティングの祖先として東亜プランのゲームに触れると、肩透かしを食らうかもしれない。丁寧な攻略パターンの構築やスコア稼ぎといったものは必ずしも期待できない。そこに製作者のモチベーションがないためである。
そこにはおそらくデーターイースト、あるいはNMKやUPLに期待するのと近しいものがある。東亜プランは古い世代に属するメーカなのだ。




