第三話:酒を味わうおっさん
・主人公 : 会社員、男性。
・・一人称 : 俺。
・・呼ばれ方 : 兄さん。
・おっさん : ホームレス(見た目)、男性。
・・一人称 : オレ
・・呼ばれ方 : おっさん
「よう、おっさん。生きてたか」
『おいおい、兄さん。何しに来たんだよ? もう来るなって言っただろ?』
「ほー、なら、この酒、要らねーんだな? 今日はつまみも一緒だったんだが」
『呑む呑む。いただきます』
「その代わりさ、暇潰しにまた面白い話してくれよ」
そのままおっさんに渡せるように、ビニール袋に入れてきたのは、パックの日本酒と、紙コップと、干しいも、サキイカ、小さいサラミ。
これでも、つまみは悩んだ。
チータラや柿ピー、チーズに魚肉ソーセージ。
日本酒に合うつまみはたくさんあるだろうが、おっさんは何が好きか分からなかったからな。
『へへへ、日本酒か……。どれくらいぶりかな?』
1リットル入りの日本酒のキャップを開け、紙コップに注ぐと、両手で持ち、どっか変な方向を向いて頭の上に掲げるおっさん。
神様にでも祈りを捧げたのだろうか?
ゆっくり、少しずつ、舐めるように味わうおっさん。
紙コップ一杯分を、たっぷり十分はかけてようやく呑みきった。
『……はぁ……。うめぇなぁ……』
ずいぶんとうまそうに呑むもんだな。
なんか俺も、呑みたくなってきたかも。
……って、まてまて。昼休憩が終わったら、また仕事だよ。呑んでられるか。
「おっさん、つまみも食え食え。好みは分からんから、適当に買ってきたがよ」
『おお、ありがてぇ……。干しいもうめぇなぁ……』
おっと、真っ先に干しいも行くとは。
しかし、ほんとにうまそうに食うな。買ってきた甲斐があるってもんだ。
『……ごちそうさまでした。今日の酒は、格別にうまかったです』
いい笑顔で、気合いの入った合掌。
楽しんでもらえたようで、俺も気分がいい。
『……さて、兄さん。今日は久方振りの酒を呑ませてもらった分、ためになる話をしようか』
「……うん? ためになる話?」
『おうよ。そうだな……アレを見ろ。中年女性の足元』
おっさんの指差す方向を見てみれば、スーツ姿の女性の足元に1メートルにもなりそうなムカデが、無数の足をキモく動かしながら女性に近寄っているところだった。
駆け寄ろうにも、距離がありすぎた。
悲鳴を上げて倒れ込む女性。
その足には、でかくてキモいムカデが噛み付いて、女性の足に何かを注ぎ込んでいる。
……ムカデの、毒? を注ぎ込んでいる?
『なあ、兄さん。あの中年女性の足にいるの、何に見える?』
「……俺には、ムカデに見える」
『……なあ、兄さん。本当にさ、すぐ帰って、ここに来るのはもう止めな? 既に手遅れかもしれんが、今すぐ去れば、まだ間に合うかもしれんのだぞ?』
憐れみや、申し訳なさ、他にも何か、複雑な感情が混ざっている表情と声。
深刻な何かを、真剣に、冷静に伝えようとしてくれている?
「なあ、おっさん。何が起きているのか、説明できるか?」
『……兄さんはさ、《こっち側》に近寄りすぎたんだ』
ため息吐きながら語るおっさん。しかし、
「……分かりやすく頼む」
俺には、何が何やら。
『例えるなら、そうだな……兄さんは、今駅の地下鉄構内にいるわけなんだが、この状態で、地上の様子を見られるかい?』
「……つまり? おっさんの言う《こっち側》とは、あの、小鬼やムカデが活動する別世界……並行世界とかの話か?」
『本来、兄さんの住む世界は、現世。オレの属する世界は、幽世。現世に生きてる兄さんは、幽世に属するオレの事を見ることなんて出来ないわけなんだよ……本来ならな』
一瞬、おっさんの姿が、ガイコツに見えた。それは、まさに《死神》のイメージ。
ゾクリ、と震えた。
『オレを認識して、長く接して、アレを正しく認識できるとなると……もう、兄さんは《こっち側》の連中に目を付けられる可能性もある。……そして』
一旦言葉を切るおっさん。
そして? 続きを頼むよ。
『そして、オレの言葉を聞いて、アレに意識を向けすぎると、アレもまた、兄さんを意識し出すんだ』
ごくり、と唾を飲み込む。
いつの間にか、喉がカラカラになっていた。
バックからお茶を取り出して、喉を潤す。
『そうなるとな、双方、見えるようになるんだ。聞こえるようになるんだ。認識できるようになるんだ』
また、からだが勝手に震える。
『つまり、兄さん。あんた、アレに狙われるようになるんだぜ? 今すぐ逃げな? そして、二度とオレに近付いちゃ、いけねぇ』
……で、体が震えるからって、だからなんだ?
俺にとって、おっさんは……
「なあ、おっさん。俺、おっさんの事、友達と思ってるんだ」
男の独り身。
会社では仕事と飲み会しか話題がなく。
安アパートに帰れば、一人寂しく飯食って寝るだけ。
そんな時にさ、おっさんに会ったんだよ。
仕事始めてさ、初めて友達と思える人に出会えたんだよ。
おっさんと居れば楽しかったよ。
おっさんの事考えてれば、仕事のストレスも耐えれたよ。
おっさんの事心配してれば、家帰ってからも寂しくなかったよ。
俺が勝手に思ってることだけどさ。
「なあ、おっさん。また来るぜ」
『もう来るんじゃねぇぞ!』
背中にかけられる声に、視界がにじんだ。
駅を出る。これからまた、仕事の続きだ。
明日は、何買ってこようか? 考えるだけで、楽しい。
弾んだ気分で、職場へ向かう。
そして、背中に衝撃。
直後に、焼けるような熱さ。
刺された、と認識する頃には、刃物が引き抜かれ、もう一度刺された。
無理矢理振り向いて、犯人の顔をしかと見た。
その顔は、墨で塗りつぶされたように真っ黒だった。
『…………バカ野郎…………だから言ったじゃねぇか…………兄さん、すまねぇ…………』