73.ランのテイマーブック
赤い空と黒い大地。
魔界公爵の執務室兼研究室に僕たちはいた。
たち、というのは僕とシャロン、ニグリーナ、エカテリーナ、ミーニャ。
それに一番重要なランだった。
部屋が狭く感じる。華やかだけど。
執務机に座る公爵は渋い笑みを浮かべつつ、僕の持つ本へと手を伸ばす。
「なるほど。この本の持つマジックバッグ的な状況に、魔界のゲートを組み込みたいというのだな?」
「この本の不思議な力を使えば可能かなと思いまして。僕が毎日世界を飛び回ると、たぶん移動し続けて死ぬかもしれないんで」
「ふむ。まずは見せてもらおうか」
「ラン、やってみて」
「きゅい!」
ランが開いた本のページに手を乗せた。
そのまま水の中へ手を入れるように、ずぶずぶっとページ表面を波立たせて中へ入っていく。
腕が入り、肩が入り、両手が入り、頭が入り。
最後は飛び込むように足まですぽっと中へ入った。
「きゅいっ」
本の中から声がする。
見るとイラスト枠ができており、子供部屋の中でランが手を振っていた。
公爵がドン引きしながら言う。
「な、なにをやっておるのだ、このこわっぱは……っ! 今、普通に魔術の法則やこの世の理を超越しおったぞっ!」
「ですよね~」
僕は呆れて同意するしかなかった。
公爵が本を手に取ってパラパラと呪文のページを見ていく。
「ふむ……! これはいったい……ペット単体ではなく家族全員として使用しているのか?」
「家族?」
「だから家になっておる可能性が……次、誰か――いや、ランと関係性の低いニグリーナが入ってくれ」
「はーい、お父さんっ」
公爵がランのページを開くと、ニグリーナが覗き込んだ。
「ランちゃん、入れてくんない?」
「きゅい!」
ランがイラスト枠へ手を伸ばす。にゅっと小さな手のひらがページの上に出てくる。
ニグリーナが手を掴むと、マントを翻して裸体を晒しつつ本の中へ吸い込まれていった。
覗き込むとランの隣にニグリーナが立っていた。快活な笑顔で片手を上げる。
「やほー! ――あ、ちょっ!」
公爵が娘を無視してページをめくり。呪文のページをぎらつく目で見ていく。
「ふむ、ふむ! なるほど! 属性がサキュバスや公爵令嬢だけでなく『私の義姉ちゃん』と書き加えられている! やはり、一つの関係性によって束ねられておるから、このような不可思議なことが可能になったのか!」
「仕組みがわかったんですか?」
僕が尋ねると、公爵は強い笑み浮かべた。
「もう少しだ! この天才たる我輩に不可能はない、ふはははは!」
「あっ、はい。次はどうします?」
「そうだな……関係性を見るという点で、シャロン女皇に入ってもらおうか」
「わかりました、公爵様――ラン、お願いしますわ」
シャロンが青い髪を揺らして進み出た。
本を開いてランの手を握り、中へと入っていく。
そしてイラスト枠の中、子供部屋にいるランの傍におしとやかに立った。
公爵はすぐさま呪文のページを読むと、眉間に深いしわを寄せた。
「なあ、ノイスよ」
「なんでしょう、公爵?」
「この誰でも中に入れるという状況は、おそらく貴様たち固有の症状だ。マジックバッグのヒントにはなっても応用は出来んな」
「え、そうなんですか?」
「うむ。……ランとシャロンが二人で一つみたいな扱いになっておるのが、そもそもの原因だ。何か知らないか?」
公爵が顔をしかめて尋ねてくる。
そう言われて僕は思い出した。
テイマーとして初めてテイムした時。
思わず叫ぶ。
「そうだ! シャロンとランは一回のテイムで二人ともテイムしたんだ!」
「なんだと! 同時にか! それはほぼ不可能な話だ――姉妹だからか、同じバハムートだからか……いや、ノイスが強いからか」
むぅっと唸る公爵。
「たぶんすごい偶然の条件が重なったんでしょうね」
エカテリーナがツインテールの金髪を揺らして歩いてくる。
「ちょっと、おじさま! あたくしの出番はいつですの? 待ちくたびれましてよ」
「そうだな。残り全員入ってもらおうか」
「はい」
「にゃ」
エカテリーナとミーニャも、ランの手を掴んで本の中に引き込まれた。
公爵が僕を見る。
「何をしている? ノイスも入らんか」
「え!? でも、危険ではないでしょうか? テイマーが本の中に入るなんて……」
「家族と認めているなら、自由に出入りできるはずだ」
僕は本を覗き込んで子供部屋を見た。
まん丸な瞳で僕を見上げるランに尋ねる。
「ラン。僕も入って大丈夫なのかな……?」
「きゅーいー!」
金髪を揺らして大きくうなずいた。
――きっと大丈夫なのだろう。
「じゃあ、僕も入れて」
「きゅい!」
出てきたランの手を掴んで、僕も本の中に入った。
――本の中にはペットの部屋ができる。
いったい僕の部屋はどんなのだろう……?
少し期待しながら子供部屋に降り立つ。
小さいけれど暖かな部屋。
おもちゃや絵本が散らばっている。
「ありがと、ラン」
「きゅいっ」
ランが撫でて欲しそうに頭を差し出してくる。
金髪を優しく撫でながら、辺りを見回す。
「なかなかいい部屋だね」
「きゅい」
そして片方の壁には青い扉、もう片方には黒い扉があった。
「青い方がシャロンだよね」
開けてみるとプールと大きな温泉がある浴場だった。
シャロンが温泉に足を付けていたが、僕を見て出てきた。
「まあ、ノイスさま! 中に入ることができたのですね!」
「うん。出られるか不安だけど……ところで僕の部屋はどこだろう?」
「ここが繋がっているのはランの部屋とダイニングキッチンの部屋ですわ」
「案内してもらえる?」
「はい」
シャロンに連れられて本の家を見て回った。
ミーニャの寝るリビングダイニングキッチン、エカテリーナのいる歓談室、ニグリーナのいる寝室。
……僕の部屋がない。
「どこだろ?」
「ここ以外には……」
「ランの部屋から黒い扉があったけど、それかな?」
「行ってみましょう」
ランの子供部屋に戻って黒い扉を開ける。
そこは廊下でリビングダイニングに繋がっていた。
そして廊下を通り抜けると、玄関に出た。
シャロンが青い瞳を丸くして驚く。
「まあ! 扉ですわ! こんなのなかったですのに」
「と言うことは僕の部屋の変わりはこれか。……部屋が良かったと思うけど、テイマーが扉替わりってなるほどそうかも」
本からペットを出し入れするのはテイマーの指示だから。
シャロンが不安そうにつぶやく。
「でも、この扉、どこにつながっているんでしょう?」
「庭の向こうは草原が広がってたんだっけ。そこじゃないかな? まあ、開けてみよう」
「はい」
僕は玄関のドアに手を伸ばして開けた。
草原の続く家の外に出るのかと思ったら、ただの壁だった。
「え? どういうこと?」
隣にいるシャロンが首をかしげる。
「外には出てはならない、ということでしょうか?」
「でも、さっき庭までシャロンが――うわっ!」
ドアノブを持って扉を開いたまま、シャロンの名を読んだ瞬間だった。
扉の色が青色になるとともに、壁だった向こう側に空間が広がった。
見たことのある部屋。巨人用かと思うぐらい巨大なベッドがある寝室。天井も高い。
シャロンが目を見張った。
「こ、これは! 私たちの寝室!」
「名前を呼ぶとそこへ行けるのか! だったらやフランソワやマハスティも」
名前を呼ぶたびに扉の色が変わって、ドアの向こうに見える景色が変わる。
フランソワの名に反応してドアは緑色になり、木の壁や床の寝室が広がった。
マハスティはドアが黄色でメルヘンチックな寝室。
ニグリーナは桃色、エカテリーナは赤、ミーニャは黒。
僕は扉をいったん閉めつつ、声を驚きで震わせる。
「僕はテイマー、ペットたちの主人。だからみんなを迎え入れて繋ぐ、という扉の役目なのか?」
「すごいですわ、これでみんなどこへでも……」
「これ……ランを指定したらどうなるんだろ? ――あ」
「あ……」
扉が金色に光った。眩しいぐらいの光。
僕とシャロンは顔を見合わせる。
「ランだと、どこに繋がるんだろう……?」
「あの子供部屋かもしれませんわ」
目を開けていられないぐらいの光を放つ扉を開けると、真っ白い部屋が広がっていた。
上下左右、地平線の果てまで白い。
僕とシャロンは異様な空間に息をのんだ。
次話で終わりです。




