第13話 ダ・カーポ
エイプリルフールのための嘘は、今年は張り切って考えないといけない。
今年は、いつもと違って、嘘をつく相手がいるから。
正確にいうと、嘘を言っておどけあえる相手がいるから、だ。
先日済ませたプロポーズの返事は、とある事件によって有耶無耶になってしまったように見えるが。これに関しては問題なく進んでいる。
ブタ体内で培養したヒト心臓のヒトへの移植実験の論文は、世界最大と言われる医学雑誌に投稿された。現在、査読中である。その間、我々は、結果を待ってそわそわするだけである。亡くなった鈴木助教は、セカンドオーサーとして名前を連ねている。どうやら、死人でも、オーサーシップはあるようだ。
一方、私が書いた、『心房と心室の小心臓の三次元培養』に関する論文は、それなりに大きな雑誌に投稿された。これも現在、査読中である。もちろん、私も、そわそわしながら待っている。
鈴木助教が亡くなり、佐々木研究室の助教のポストが1つ空いた。そのため、4月着任に間に合うように、すぐに助教のポストの公募がかけられた。そう。病院と研究室からしてみれば、いなくなれば、新しく雇うだけである。
何通もの応募があったらしいが、どれも丁重にお断りしたようだ。こういった期限が迫った公募は、おおよそが形式的なものである。言ってしまえば、ただの出来レースだ。
その出来レースで、公募の助教ポストを運良く勝ち取ったのは、私の先輩ポスドクの山口研究員である。
ポスドク研究員から助教へ、めでたく昇進だ。しかし、1年契約が3年契約になったことと、給料が雀の涙ほど上がったこと以外に、大きな変化はない。契約の延長は、同時に、3年いなければいけない、という捉え方もできる。まぁ、私には、そうとしか捉えられない。この研究室で、奴隷として働く期間が、延びただけだ。
私と山口研究員は、研究室の居室で、実験の合間のコーヒーブレイクを楽しんでいた。
実験サンプルを遠心機にかけている30分。これが我々の唯一の休み時間だ。
「僕は助教になるから、ここに残るけど、篠原くんも、来年度もここに残るの?」
山口研究員は、コーヒカップを手にする。
「ええ。他に行くところもありませんし……。」
私は、重力に任せて、うなだれたように、首を縦に振った。私は既に、研究室と教授によって心胆を奪われてしまっている。
「そうだよね……。」
そう。私には、まだ論文がないので、就職活動はできない。この研究室で何か成果を出すまで、私は、研究室は移動できない。たとえこの研究室が、ブラック研究室と陰口を叩かれる場所であっても。
これがポスドク研究員なのだ。
「まぁ、私は、ポスドクだから仕方ないです。一応、契約更新をしてもらえるだけありがたいと思います。今、査読中の論文さえ、うまくいってくれれば、その次の年には、なんとかなるかもしれませんし……。」
私は、作り笑顔で答えた。
思い起こせば、この研究室では、私は、いつも笑顔を作っている。他人を不快にさせないように、自分に嘘をついて。
亡くなった鈴木助教の机には、まだ花瓶が飾られている。その横には、彼の実験ノートが高く積み上げられていた。彼が成し遂げた実験がいかに誇らしいものであったかを示すように、高く、ずっしりと積み上がっている。
そして、その横には、小さなブタのガラス細工が転がっていた。
居室が、少し広くなったと感じる。
さて、一年ぶりの契約更新である。
私は、雇用契約の手続きのために、人事部に来ている。1年前と同じ場所だ。
私は、「篠原陽介」と、雇用契約書に書いた。そして、印鑑を押す。
雇用契約の書類は、我々ポスドク研究員にとっては非常に大切なものだ。
次の契約期間は、2031年4月1日から2032年3月31日までの1年間である。
「よろしくお願いします」
私は、雇用契約書を事務のお姉さんに渡した。
「はい、じゃあ、手続きしておきますね」
彼女は、1年前と同じように、笑顔でそれを受け取った。
彼女は、人事部の篠原かすみさん。
私の妻である。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
いかがだったでしょうか? 真面目で暗い話になってしまったかもしれませんが、楽しんでいただけたのなら幸いです。
初めての長編ということもあり、完結させることに重点をおきました。改良すべき点は多々あると思います。ご意見、ご感想、ご指摘等、書いていただけると幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
幸田遥




