第8話, 昏き過去に光あれ
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森の入り口から遠くの空を見ると、そこでは天使の軍勢が地上に向けて無慈悲な殲滅の白光を放っている。
あの無慈悲な光の下でいくつもの同胞の命が消えていることを考えれば胸が強く締め付けられるが、今の自分に課せられた使命は姫君であるリアナ様とそのご子息方を無事に連れてこの場を離れること。それを果たすことでしか仲間たちに報いることができないのだ。
夜の闇をかき消す月の光。
追われている身としては、空に毅然と浮かぶ満月がひどく恨めしい。
だがここから先は自分の領分である森だ。ここなら自分の固有能力も十全に発揮でき、天使どもから逃げ切れる可能性も高まるはず。
「さあ、リアナ様。先を急ぎましょう」
後ろを振り向くとリアナ様がアヤト様をそっと木の根元に下ろしていた。
寝ていられるアヤト様に聖母のような微笑みを浮かべ、そして次の瞬間には戦士としての顔つきで視線を天使がいる方向に定める。
まさか…
「リアナ様!駄目です!向かってはなりません!早く、早く遠くへ逃げましょう!」
咄嗟に伸ばし掴んだ右腕は力強く払いのけられた。
「っ嫌よ!故郷を墜とされ、父上もアスラもあいつらに殺されて、今も大切な仲間たちが傷ついてるこの状況で、これ以上私にどこへ逃げろというのよ!もう私は逃げも隠れもしないわ。竜人族の戦姫として、英雄の妻として、ここで刺し違えてでもみんなの仇をとってみせるわ!」
彼女の碧い瞳には大量の涙が浮かんでいる。
そして強靭な意思。揺るぎない覚悟。
リアナ様の言葉に心がひどく締め付けられ、同時に強く揺さぶられる。
(でも、でもその意思だけは断固として尊重できない!なぜなら、)
「確かに!お父上様とアスラ様はやつらの手によって殺されました!ですが今ここであなた様が死んでしまってはアヤト様とカヤナ様はどうされるのです?!今もあの地で戦い続けている同胞たちの覚悟を無駄にするおつもりですか?!…私はアスラ様に託されました。リアナ様とアヤト様、カヤナ様を守ってほしいと。生きてほしいと。ですからどうか…どうかここは一度引いて生き延びてください!未来のために!」
自分ごときの言葉がどこまでリアナ様の心に届くかなど分かりはしない。でも届けなければ…この想いを今この場で余すことなく伝えることが自分の使命なのだから。
「…」
「リアナ様!」
「ははうえ〜?どこ〜?」
大きな声を出して起こしてしまったのだろうか。
寝ぼけた目をこすりながら辺りをキョロキョロと見渡しアヤト様がリアナ様を呼ぶ。
「あら目が覚めたの、こちらへおいでアヤト」
そう告げる彼女の顔は戦士から聖母へと戻っていた。
そうだ、リアナ様が戦士でいる必要などもう無いのだ。二児の母としてこの先の人生を歩んでいくべきなのだ。血に汚れることなどなく、アヤト様とカヤナ様と日の光の下を真っ直ぐ進んでいけばいい。
「ん、抱っこ」
「はいはい、よいしょっと。アヤトは甘えん坊さんね」
「う…ん」
アヤト様がリアナ様に抱かれてまたこくり、こくりと寝始める。
「ウェルシア、カヤナも抱かせてちょうだい」
「は、はい!もちろんです」
抱えていたカヤナ様を起こさないようにそっと渡す。
雲一つない夜空の下、満月の淡い光のもとで親子3人仲睦まじく佇む。
(ああ、この光景だけは私のこの命に代えても守らねば)
「…そうね。ウェルシア、あなたの言う通りだわ」
「リアナ様…」
「この子たちの未来は何がなんでも私が守らないとね」
届いた…自分の想いがリアナ様に届いたっ…!
感極まって思わず声が裏返る。
「はい!ですから共に行きましょう!」
「『竜姫の銀牢:<戒護>』」
「なっ?!」
突如として銀膜のドームに閉じ込められる、と同時に脱力感に襲われ魔力がうまく扱えなくなる。
「ッ…リアナ様!何を?!」
なぜ?私の想いを分かってくれたのでは、届いたのではなかったのか?
「…今ここで私が逃げてしまえば、この子たちにまでいつか危害が及んでしまうのは間違いないわ」
瞬時に悟った。
自分は伝え方を間違えたのだと。先ほどのように言えばリアナ様は自らを犠牲にこの子たちの未来を守ると容易く想像できるのに。
「違います!そうじゃなありません!そこにリアナ様がいなければ何も意味がないのです!」
届かない。今の私の言葉はリアナ様に届いていない。
「そんな!リアナ様!お願いですから行かないでください!」
アヤト様とカヤナ様も私と同じように銀膜で覆われていく。
「ウェルシア、あなたのことは本当の妹のように大切に思っています。今までありがとう。いつかいい人を見つけて、結婚して、子供も作って、…ちゃんと幸せになりなさい。最後の命令よ」
そういってリアナ様は微笑む。
その微笑みの優しさは初めて会った時と何一つ変わっていない。
「リ…アナ様…」
「あとは頼みました」
かつて戦姫として恐れられていた時期を彷彿させる、凄まじい魔力の奔流。
リアナ様の全身が白銀の粒子で覆われていく。
そして現れるのは気高くも美しい、銀光を纏った一匹の銀竜。
「グゥアアアアア!!!!!」
咆哮一つ、力強くはばたき、一条の白銀光を描いて夜空を駆ける。
遠くの空で銀光と白光が衝突した。
「ダメ…です」
間違えた。
リアナ様に正しくこの想いを伝えることができなかった。
私のせいでリアナ様が…。
銀膜を叩き割ろうと握りしめた拳で何度も、何度も何度も打ちつける。だが目の前にあるのは傷一つつかない薄い銀膜。魔力を封じられているせいで魔法も行使することができない。
(何が…何がこの命に代えてもだ!私が…私のせいで…)
自らの無力感にうちのめされ膝をつく。
(お願いします。なんでも、なんでもしますから…もうこれ以上私から大切な人を、リアナ様を奪わないでください…お願いします…)
祈ることしかできない惨めな自分に嫌気が差す。
虫唾が走る。
それでも祈ることを、縋ることをやめられない。
だが祈りは届かない。
銀光が一粒、彼方の夜空からこぼれ落ちた。
(あ…)
咄嗟に両手を伸ばす。
無意識だった。
その光の粒を下からすくい取ろうとした。
だが一雫の銀光は手をすり抜けて地に落ちていく。
そして次の瞬間、世界が白銀の眩い光で満ちていった。
〜〜〜
「それから意識を失って、目が覚めたときには辺りは荒野で銀膜ごと白砂に埋もれていたわ。リアナ様が最後まで私たちを守ってくれたの」
それからウェル姉はおもむろに立ち上がり自分とカヤナに向けて両膝をつく。
「ちょっ、ウェル姉何して…?!」
ウェル姉の思いがけない行動に戸惑うが彼女の真剣な瞳を見てしまっては止めることもできない。
「七年前、アヤト様とカヤナ様お二方の母君を助けることができず、あまつさえ自分がリアナ様に守られ生き残り、本来リアナ様がいるべき居場所に今日まで私めなどがお二方の側にいたこと。にも関わらずこの居場所を心地よく、幸せだと感じてしまったこと。お二方が大きくなられた際にこの罪を打ち明けようと思っておりましたゆえ、今まで黙っていたこと。誠に…誠に申し訳ございませんでした!」
「ウェル姉…」
額を床に擦り付け声を震え滲ませながらの謝罪の言葉。
悲しみと憎しみの先にあったのは耐え難い自責の念ただそれのみ。
七年もの間、心を苛まれながら砕きながら、壊れて狂いそうになるのを必死に繋ぎ止めて。
(この心のあり方をおれは知っている。心に言葉が届く大切な人が救わなければ、赦さなければ、心はいつまでもズタボロのままそして儚く散っていくのだ。救いたい。助けたい。…だけどもし、もし本当の『アヤト』ではない『自分』の赦しが届かなかったらと思うと…怖くて勇気が出ない)
自分が本当の『アヤト』ではないことをこれほど悔やんだのはこれが初めてだろう。
目まぐるしく追い立てる心のざわつきに胸が苦しくなる。
「いいよ!」
なんの迷いもなくカヤナはそう告げた。
おれとウェル姉は何も言葉を発することができずにカヤナを見つめる。
「ウェルお姉ちゃんをゆるしてあげるの。ねっアヤ兄ゆるしてあげるよね?」
カヤナはそう言っておれの手を握り笑顔で見つめてくる。
「あ、ああ」
「で、ですがカヤナ様、私はあなたの母君を見殺しにして…」
「ウェルお姉ちゃんそのはなしかたきもちわるいからやめて」
「き、気持ち悪い」
カヤナにすげなく断りを入れられて少しいつものウェル姉に戻った気がする。
「カヤナはウェルお姉ちゃんのお話よくわからなかったけど、ウェルお姉ちゃんはカヤナたちが小さいときに悪いことしたんでしょ?でも、ごめんなさいしたからもういいの」
「カヤナ様…」
そんなカヤナの純真な言葉におれの心のざわつきはあっという間に取り払われた。やっぱりこの妹には敵う気がしないや。
「フフッ、そうだな、そうだよなカヤナ。あーーーもう色々考えてた自分がバカみたいだ」
「アヤト様…」
(そうだ、自分は二年前にこの人に心を救われたんだから、何も悩む必要はない。今度はこっちの番ってだけだ)
「許す!だからもうその家来口調やめて」
ためらうことなどもはや無い。
自分の意志を相手に伝える。
『アヤト』ではなく『あやと』の意志をまっすぐぶつけるのみだ。
「でも、そんな簡単なことでは」
「じゃあ、さっき言ってた罪に対する罰として、普段通り振舞うこと」
「そんな」
「…たとえどんな罪を背負っていようと過去があろうと、ウェル姉が僕たちの家族で大好きなお姉ちゃんってことは変わらないよ。だって今まで3人で積み上げてきたものが確かにあるんだから」
「アヤト様…それは」
かつて自分が彼女にかけられた忘れもしない救いの言葉。
この2年間の思い出は間違いなくおれの人生の中で一番の宝物だ。そんなかけがえのないものを彼女に、ウェル姉に否定してほしくない。
これが『あやと』の今の想いだ。
「これからも三人楽しく暮らしていこ、な?」
「うん!」
カヤナは満面の笑みで頷いてくれる。
「はい…はい…」
ウェル姉はおれとカヤナの手をとり両手でぎゅっと包み込んで祈るように何度も何度も頷いた。
窓から差し込む夕日が優しくそして温かく三人を照らしてくれていた。
次話は土曜に投稿しようと思います!