第50話, 王立都市中央区
コツコツ書き始めてついに本編50話まで到達しました。これからも本作を読んでくださると幸いです。
陽はとうに暮れ落ち、夜闇が街を覆い尽くしてオレンジ色の街灯が通りにポツリポツリと明かりを落とす正子。
道行く人もほとんどおらず、酒に溺れた老人や若い男女が時たま連れ立つのみ。
そんな人々の意識から逃れ、夜闇に紛れ込むように二つの人影が建物を屋根伝いに飛び跳ねていた。
「まさかこんな形で中央区に足を踏み入れることになるとは…」
「…悪かったよ、一人で勝手に決めて」
図書館でサーニャに別れを告げて屋敷に戻り、マリウスに今日あったことを全て打ち明けた。
その結果、互いに一月独自に動くという取り決めを一週間早く破棄し、賢者との約束である零時前に二人して屋敷を抜け出していた。
「まあ仕方ないでしょう。彼女も【到達者】なだけあって人の弱みにつけ込むことに長けていますから」
「ほんと質が悪い」
賢者とのやり取りを思い出しては今でも少し怒りが湧いてくる。
まさかあんなやり方でおれの動揺を引き出してくるとは…
「歳を経た人間ほど、また多くの戦場を経験したものほど己の矜恃や誇りなどは捨て去りますからね。こうして私たちを思惑通り呼ぶことができた、という結果だけ見れば彼女の勝ちです」
「合理的…とも言えるんだろうけど、釈然としないな」
隣を駆けるマリウスにちらりと視線をやる。相変わらず無駄のない清廉された動きで着地の時でさえ物音一つ立てていない。
マリウスも二千年を超える時を生きているだけあって同じような経験をしている、もしくはしてきたのかもしれない。
そこでふと思い出したことを問いかける。
「そういや今日の決闘前、賢者と何を話していたんだ?賢者の方はだいぶ驚いていた様子だったけど」
「中身が賢者と分かっていたので、私が悪魔であることを明かしていました」
「え、それって大丈夫なのか?」
「まあ向こうの私に対する心象は悪いものでしょうが、一応昔馴染みですし」
「…またあっさりと重要そうなことを言いやがって」
「賢者もアスラが興した革命軍の初期メンバーですから」
「なるほど、何となく把握した」
つまりは何だ。マリウスだけでなく賢者もアヤトの父親であるアスラが率いた革命軍に属していたと。
この世界の強者は軒並みおれの父親と縁があるのか?って、十一年前に世界を巻き込む大戦争の中心にいた人物なのだから寧ろその方が当然なのかもしれない。
「それと、今日の会合ですが話を聞く限り何事もなく終わるとは考えづらい。……それこそ場合によっては戦闘の可能性も」
「…分かってるっての」
昼間の決闘をマリウスも観客席からのぞいていた。だから薄々勘付いているのだろう。
おれが自分に課した信条のせいで破滅してしまうかもしれないことを。
「もう今日みたいなヘマはしない。約束する」
「アヤト…人はそう簡単に過去を割り切れるものでは…」
「っと、それより結界前に到着だ」
「…この話はまた今度にしましょうか」
街の端。目の前には淡い光を放つ水色の結界が行く手を阻んでいる。
結界の表面では立体的な幾何学模様が絶えず動き回り、結界が持つ性質を常に入れ替えることで解析困難なものとなっている。
「ウェル姉の『<凍朽>』を使って無効化…って今はできないんだったか」
ウェル姉の術を行使するための宝石はサーニャに預けたため手元には無い。
「…気は進みませんが私の闇魔法を使いましょうか。『闇よ 我が意に従い 暗途を記せ <維影>』」
マリウスの身体から溢れ出た黒い靄が一つの道を形成する。そこを潜り抜けると、目の前にはいつか見た、天も地もありとあらゆるものが水晶で形作られた都市中央の景色が広がっている。
…はずだった。
「これは…」
「何だよこれ…」
かつて芸術作品と見紛うほど綺麗に切り出されていたガラス細工の建築物は見る影もなく砕け、軒並み蜘蛛の巣状に窪んではバラバラに崩れ落ちている。
「アヤト、今すぐここを…」
ー-ドゴーンッ…!
「「!!!」」
辺りを揺るがすほどの衝撃音が響き渡る。交戦しているのか遠くの空では建物が割れ落ち、そこで桁違いに質の高い魔力が複数交錯しているのが分かる。
そのうちの二つは賢者と幼女先生のものだ。
「マリウス、あそこに向かうぞ!」
「仕方ありませんねっ!」
全速力で目的地へと駆け出していく最中、上空から六つの光の矢がこちら目掛けて飛んでくる。
おれは左へ、マリウスは右へと回避行動をとるが光の矢は追尾機能があるのか三本ずつに分かれてなおも仕留めようと迫ってくる。
「こんのっ…『銀月の白臨刀:<絶刀>』」
顕現させた刀で矢を斬り落とすことで問題なく追捕は振り落とせたのだが、手応えに違和感を感じる。刃を確認すると刃毀れが生じていた。
(魔力で作った刀に刃毀れ?…それに分解の力が削がれたような)
走る勢いはそのまま、追加攻撃の気配もないのでしばしの思案にふけるも芳しい答えは見つけられない。
建物の間を縫うように走り続け、大通りに出たところで停止を余儀なくされた。
「ッ…!何だこいつら…」
道を無造作ながら塞ぐように立ちはだかるのは二人…と表現しても良いのだろうか?いや人と表現するには無機質すぎる。二体と表現しよう。
その得体の知れない二体は全身を白一色で統一し、羽はないが頭の上には天使の輪とでも言うべきものを浮かべている。
だが何より注意を引くのはその顔の造形。目もなく口もなく、鼻もないのっぺらぼうであり、形容し難い不気味さを放っている。
ユラリとその姿がブレたかと思うと、次の瞬間にはおれの左右を挟み込むように位置取り、弓を引いていた。
「!」
咄嗟に刀の腹で片方の鏃を下から上へと叩いて射線をずらし、もう片方には射線を逃れながら頭に蹴りを入れて吹き飛ばす。そのまま回転する勢いを上乗せして最初に射線をずらした方の敵の腹には拳を叩き込んで後方へと吹き飛ばした。
だが二体ともダメージが無かったかのように平然とその場を立ち上がってまたも行く手を遮る。
「薄気味悪いことこの上ないな…」
この先では賢者と幼女先生が何者かと戦闘している。それを邪魔させないことがこいつらの目的なのだろうか?
「「『* * * * *』」」
二体の敵が耳障りな甲高い音を五音発した。すると片方は魔力の保持量が倍増し、もう片方はというと…
「ぐっ…」
真正面から躊躇いもなく突き出された拳を両腕を前面でクロスして受け止める。
(こっちは身体能力が倍増ってか?)
目の前にいる敵の腹に膝蹴りを入れ、再び蹴り返して距離を取るも、もう一体の方がそこで生まれた死角を利用したのか、数秒後には直撃する位置まで四本の光の矢が迫っていた。それも先ほど切り落としたものよりも数段威力が伸びている。
だが矢の到達までに数秒も残されているのだ。対応するには十分すぎる時間である。
「『風よ 阻め <風壁>』っ……」
呪文を唱え終わったところで、賢者にやられた火傷が疼く。思わず前傾姿勢になって硬直してしまい、次手をすぐに繰り出すことができなさそうだが仕方ない。
眼前に展開した障壁が矢を受け止めてくれるはず。そう信じて動きを止めてしまったおれはすぐに後悔することになる。
ーヒュッ…
(すり抜けっ…!)
身体を横に投げ出しながら、二本の矢は刀で咄嗟に薙ぎ払うことができたが残り二本は対応が間に合わず、左足の太腿と甲を貫かれてしまう。
「っ……『始竜よ 其の貴き姿を 彼の威光溢れる御身を 今ここに一部再編せん <部分竜化>』」
地面を転がりながら呪文を唱え、手足を白銀の鱗が覆いそこに竜の力を顕現させていく。
その隙を目の前の敵が逃すはずもなく、身体強化された方の個体が肉迫してくる。だが怪我(火傷)と虚を突かれて一時的に防戦となっただけで、今はそれほど形勢は悪くない。
それよりも厄介なのは砲台役の方だ。
前衛を務めるこの個体と魔力の波長が全く同じのため魔法の発動が分かりづらい。しっかりと連携もとれており、カバーも怠らずこちらの死角をきっちりと突いてくる。
そして何よりも問題なのが相手の魔法がこちらの魔法で防御不能であること。
何度か試してみたが普通の属性を司る魔法は軒並み効果がない上に、唯一まともに打ちあえる『銀月の白臨刀』も魔法を払うたびに刃毀れしている。もはや刀というよりもノコギリと表現した方が正しいかも知れない。
(一体どういう原理なんだ…)
ここまでこちらの魔法が役立たずになる術式など聞いたことがない。いや、おれの『銀月の白臨刀』が持つ魔力強制分解の能力も似たようなものだが…根本的に何かが違う。
これ以上長引かせても大した情報は得られなさそうだ。
早々に切り上げて賢者と幼女先生の援護に向かった方がいいかもしれない。あれほどの手練れが容易くやられるとは思わないが、先ほどから徐々に二人の魔力が安定せずに乱れ始めている。
おれの追尾を怠らない身体強化型の個体を引き付けながら背後に飛び退き、水晶の壁に両足をつける。
「『<納刀>』」
距離を詰めてきた敵の懐を掻い潜り、壁を蹴って一気に砲台役の個体との距離を詰める。
「『<抜刀>』」
鋭い一閃。
首を確実に切り落としたと思ったのだが、予想以上に刃が損傷していたのか七割ほどで刀が止まってしまった。
目の前の個体は首を半分以上斬り裂かれてなお魔法を、背後からは身体強化した個体が迫ってくる。
食い込んでいる刀の峰を左足で蹴って敵の首を最後まで切断し、背後から迫ってくる個体には振り向きざまに胸の中心目掛けて刀を突き刺し、身体ごと投擲。
水晶の壁に刀一本で磔にした。
「仕留めた…か?」
ーガシャッズガガガガッッッ………
凄まじい轟音が鳴り響いたかと思うと右手にある建物が真っ二つに裂け、白い物体が高速で目の前を通過して、崩れ落ちた水晶の鋭い破片に串刺しにされるように突き刺さっていた。
そして目の前をさらにもう一体の個体がマリウスの黒い手に顔面を掴まれて地面を引きずられている。
「そっちにもいたのか…」
どうやら計四体の個体がいたらしい。力尽きたのであろうか四体全てが白い粒子となって宙に消えていく。
「その姿は初めて見るな」
「『<悪魔化>』です。久々の戦闘ですし本命前に慣らしておこうと思いまして」
「いや、終末世界で終獣との戦闘の時に使ってくれたら良かったのに」
今目の前にいるマリウスは普段の人間の姿とは少し違い、黒く染まった手足に黒い翼…片翼は魔力の塊で形作られており、瞳は妖しい紅色。確かに悪魔であった時の彼と同等のプレッシャーを感じる。
「まあ今の私とこの体の適合率ではまだ十五分しか維持できないんですけどね」
「おれの『<竜化>』と似たようなものか」
そして漆黒の魔力を霧散させるといつもの彼に戻った。おれもそれに合わせて白銀の魔力を霧散させる。
互いに魔力消費が莫大な術であるから使いどころが求められる上に無駄づがいができない。
「さっきの気味悪い奴らについてマリウスは何か知ってるか?」
「天使の配下である”使徒”ですね」
「光魔法を使うからそんな気はしてたが、やっぱり天使絡みだったか」
「けれど私が知る”使徒”とは少し毛色が違うようで」
「というと?」
「相手の魔法に付与されている効果が歪でした。闇魔法以外の魔法がまるで通らない」
「あの防御不能のやつ…って闇魔法は効果があるのか」
「いえ、正確には『<悪魔化>』している状態での闇魔法ですね。この状態で使った闇魔法は無効化されました」
「そっちが『<悪魔化>』を使った本当の理由か」
どうやらマリウスの方も同じ効果で苦しめられたらしい。属性を司る魔法が全て無効化、弱体化されるとするなら予想以上に事態は深刻かもしれない。
「早く応援に…」
行った方がいいかもしれない。その言葉は目の前の光景を見て呑み込んだ。
ーズシャ……
おれとマリウスの目の前に力無く地面に身を投げ打ち、そのまま横たわる賢者の姿が映る。応援に向かうには一足遅かった。
「っ…避けろぉおおお!!!!!」
危険を報せる叫び。幼女先生の声だ。
咄嗟に上空に注意を向けると、そんな瀕死の賢者を追撃するかのように、真っ白な円環が球を形取るように幾重にも重なって降り落ちてきている。
「『銀月の白臨刀:<絶刀>』」
「『<悪魔化>』『闇よ 呑み込め <黒星> <四連>』」
おれは前線に出て迫りくる円環に突撃し、マリウスは後方で賢者を庇うように立ち、おれを援護するために四つの<黒星>を展開している。
「バカっ!!!…早く避けろ!!!!!」
そんな声が聞こえたのと同時に、おれの手元に顕現したはずの刀とマリウスの<黒星>が跡形も無く消えた。
「「ーッ……?!」」
予想外の事態におれもマリウスも呆気に取られる。慌てて再度刀を顕現させようとするも今度は顕現させることさえできない。マリウスも同じ状況のようだ。
(白臨刀と闇魔法は使えるんじゃなかったのかっ……!)
無手のまま目の前の魔法は容赦無く降り注いでいる。
このままでは三人とも為す術なくやられてしまう。
何か…何か手は?!
どうやら今の状況では魔法どころか魔力を使ったものは根こそぎ無効化されてしまっている。
その原因が分かれば対応できるのだが生憎そう悠長に探している暇はない。
そこでふと気づく、マリウスの『<悪魔化>』は無効化されていないことに。
(いけるかっ…?!)
逡巡する間などない。一か八かの賭けに出る。
「『<竜化>』ッ!」
咄嗟に唱えた詠唱なしの式句により白銀の光が立ち昇り一匹の気高き竜が顕界する。それと同時に白光の円環が竜に衝突してその余波が中央区を余さず照らし、そして収束していった。




