第49話, 乗り越えたはずの過去がちらつく
『賢者』
彼女が今までに手に入れた名声は数知れず、幾たびの戦場を渡り歩いて尚経験した敗北はただ一度。その一度も彼女自身が敗北とみなしているのみで、周りのものはそれを勝利と称えた。また戦場だけではんく、魔法研究の分野においても他の追随を許さない。
魔法を学んだことがあるものならその呼び名を知らぬものはおらず、現存する魔法使いの中で唯一、人が扱い得る四属性全てを極めた稀代の魔女。
されどそんな彼女を『賢者』たらしめたのはそのような功績によるものではなく、図らずとも手に入れた英雄を抑止する力であることを、彼女自身が一番理解していた。
『それで?どうしておれと決闘なんてしようと?』
敗北で終えた決闘の後、おれは幼女先生の手当てを受けながら対面に座る理事長、もとい今は黒髪の女性である賢者に向けて問いかける。
『それは決闘に勝ったら教える約束じゃなかったカナ?』
『……その正体をおれの前に晒してるってことは最初から話す気だったんだろ』
『アラ、これがほんとの姿ダト?ワタシの固有魔法は幻影魔法なんだけドナ』
そう言って賢者は自分の黒髪を指でくるくるといじっている。確かに魔力の痕跡は感じ取れないため、魔法を使っているかいないかの判断はできないがおれにはおれで確信できる点がある。
『賢者様って日本人だったよな?』
『ハテ、何を言ってるのヤラ?』
『さっきからおれたちが話してる言語が日本語だって気づいているか?』
『………あーーー、そういうことデスカ』
「二人してさっきから何を話してんだ?」
何を話してるのか意味が分からないといった様子で幼女先生が横から問いを投げかける。
今更な気もするが話す機会がなかったのでここで説明しておくと、この世界で使われている共通言語はもちろん日本語ではない。
天輪語。わかりやすく表現するなら『天使の言葉』といったところだろうか。
おれの場合は本来のアヤトの記憶を便りに、この世界の言語を日本語に翻訳することができたため、日常生活に支障をきたすことはなくまた日本語と触れる機会もないまま生活してきた。
ただ賢者が今おれに見せている容姿が、久しく見なかった日本人の造形そのものだった。
その上、こうして日本語で会話をすることができている。仮にこれが幻影魔法であったとしても日本と全くの無関係ということはないであろう。
『また引っ掛かっちゃっタ。言語が自動変換されちゃうのも考えものネ』
そうおれに聞こえるよう呟いたのを最後に賢者は言語をこの世界のものに戻した。
「ドーラちゃんが会話に入って来れなくなるカラこっちの言語でお願いネ」
「おっ、やっと知ってる言葉に戻った。おら、手当ても終わりだ」
同時に応急手当が終わり、幼女先生はおれの背中をバシッと叩く。その口調といい態度といい、一々漢らしいんだよなこの人。中身はぬいぐるみ好きで見た目の年相応のはずなのに。
手当が終わったので炎でボロボロとなった制服を上から羽織る。ミリアさんに新しい制服の仕立てをお願いしないと。
「それでどうなんだ?こちらとしては早く本題に入ってほしいんだが」
「君の言う通りコレがワタシのほんとの姿ヨ。日本カラ急にこの世界に召喚されテもう二百年とちょっとカナ。見た目の年齢は26歳で止まってるケドネ」
「二百年って…」
(そんなおばさんだったのかこの人)
「…何か失礼なコトを思ったカナ?」
「いえ何も」
「どうせババアだなあとか思ってんだよ。しれっとした顔しといてこいつの頭ん中は失礼なことだらけだからな。私のことも幼女s…」
「『風よ 捕らえろ <風縛>』」
「ぎゃっ…し、師匠?!何で?!」
あっという間の出来事だった。幼女先生が風でできた鎖で手足を拘束されて逆さまで宙にぶら下げられたのは。
「ねぇ〜え、ドーラちゃん。誰がババアだっテ?」
「ひっ!い、いやさっきのは物の例えというか何と言うか…別にお師匠様のことをババアなんて言ってないのです!ほんとなのです!」
あー…これは逆らえないタイプの人だ。
賢者から滲み出てるオーラが黒すぎて直視できない。幼女先生もあっという間に素に戻っちゃってるし……肝に命じることにしようそうしよう。
「ドーラちゃんはー、ワタシの地雷よぉ〜く知ってるヨネ?」
「存じているのです!それはもう身に染みて!」
「なのにまた踏んじゃったのヨネ。それってまだまだ躾が足りテないのヨネ?」
「し、師匠。ご、後生ですからお許しを…」
ーニコリ…
ーホッ…
「『虫さん 虫さん こちらへおいで 美味しい 美味しい 蜜飴いかが?』」
「ぎゃああああああ!!!!!いやっ、やめっ、アーウェルン!助けっ、にょ、にょわあああああぁぁぁ………!!!!!」
幼女先生は突然叫び出し、手足をジタバタと暴れ出したと思ったら最終的には口から泡を吹いてガックリと気を失った。
「孫弟子君も一回視てミル?」
「え、遠慮しとく」
幼女先生が賢者にどんな光景を幻視させられたのか、想像したくもない。
ウェル姉が昔、お師匠様のことを好きになれないと言っていた気持ちもこの状況を見ていれば頷ける。幻影魔法って嫌がらせに特化しすぎてるよな。
「サテ、どこまで話したカシラ?」
気を失った幼女先生は放置する方向らしい。
「賢者様が日本人ってところまでだな」
「アラ、まだそこまでしか話してなかったカシラ」
まだこの部屋に来て進んだことといえば、その話と幼女先生を気絶させただけだからな。
「ていうか、おれが日本のことを知ってる点については驚かないんだな?」
「その傍若無人な態度は後で矯正するとシテ。二百年も生きてるトネ、色んな事があるノ。それこそ転生者に会う機会だってそれなりにあったワ」
なるほど、過去に同じ経験があったのなら先ほどの『また引っ掛かっちゃった』という言葉も頷ける。
テーブルの上に用意されていた紅茶を一口啜って軽く息を吐き、賢者は本題を切り出してくる。
「ダカラそんなコトはどうでもいい。大切なのはあなたが術者として優秀か否か、それだけヨ」
「ならお役御免だな。さっきの決闘でも分かったようにおれは自分の力を満足に振るえない臆病者なんだから」
「いいえ、優秀な術者として据え置くだけなら孫弟子君で問題ないワ」
「…おれに何を求めてるわけ?」
「今都市内部で内々に二つの勢力が衝突してイルのは知ってル?」
「噂くらいには…『聖女』が存在するせいで王族側と教会側が険悪な関係だって」
「それそれ、話が早くて助かるワ。その対立問題の一番のポイントはまさしく『聖女』の存在。あれは一般人から見てモ、一目で分かるほど飛び抜けた力を持ってるからネ。困ったコトに天使と同じ信仰対象になっちゃってるワケ」
「みたいだな。だから王族側が主張している王権天授説の効力が薄れてるって」
「それは正直どうでもいいのだケレド、じゃあこの問題を解決するには『聖女』を特別にしなケレバいいと思わナイ?」
段々と賢者が言わんとしている事が見えてきた。『聖女』を民衆に特別視させない。そして勢力間のバランスを取りたい。そのために、
「おれに抑止力としての役目を果たせと?」
「そういうコト。よく分かってるじゃナイ」
「おれを王族側として立たせるつもりか?」
「いいえ、それだと王族側内部で軋轢が生じるカラだめ。教会側でも王族側でもナイ第三勢力、ワクワクしない?」
「全くしません」
つもりはあれか。新しい勢力を擁立するために都合の良い相手を探していて、その品定めのために決闘に付き合わされたと。
まあ、自分が今克服すべき課題が見えたからいいんだけどさ。
「ていうか、それなら賢者様が直々に先頭に立てばいいのに。実力も十分過ぎるほどあるみたいだし」
「それができないカラこうして頼んでるのヨ」
「その理由は?」
「ワタシがウェルシア=テラストと同じ【到達者】で常に悪魔に付け狙われているカラ」
賢者が紅茶の湯気をフーっと吹くと風景が変わる。
白い満月が煌々と照らす荒地。
そこに広がるのはおれにとっての絶対的な悪夢。
渇き切った冷たい空気に辺りを紅く塗りつぶした鮮血。全身を串刺しにされて磔にされ、力なく垂れ下がる腕に光の無い瞳。そして温かさがストンと抜け落ちたウェル姉の骸。
死
死
死…
「っ…ぁあああああああ!!!!!!!」
乗り越えたはずなのに、前を向くと決めたはずなのに、幻影だと分かっているのに…それでも思い出さずにはいられなかった。
あの日の空虚な朝を、思い出さずにはいられなかった。
「そう、これがあなた自身のトラウマ。ウェルちゃんはこんな最後だったノネ…」
「ふざっ…けるな!!!!!」
我を忘れ、テーブルを飛び越えて向かいに座る賢者へと拳を突き出す。
魔力も魔法も使用していない純粋な一突き。
そんな拳が無防備とはいえ歴戦の術者に届くはずもなく、顔の手前に展開された魔法障壁で容易く受け止められていた。
「今すぐこの幻影を消せっ!!!!!」
でなければおれの理性が保たない。自分の内側に潜む破壊衝動に身を任せて何もかもをぶち壊してしまう。
賢者が腕を振るうと幻影はすぐに掻き消え、もとの部屋の様相を取り戻した。
「何が目的だ…どういうつもりでこんな…」
「半分は自分の可愛い弟子の最後を知りたかったカラ。もう半分はこれからの交渉のためネ。ワタシはおそらくあなたの問いに答えられる唯一の人間ヨ」
全て見抜かれている…のか?この人は、マリウスでさえ知り得なかった、あの日起きた出来事の訳を知っているのだろうか?
「………ずっと…誰かに聞きたかった。なぜ【到達者】は悪魔たちに狙われる?なぜ…」
咄嗟に飲み込んだはずの言葉はすぐさま賢者によって後に続けられた。
「なぜ【始竜の貴血】を継ぐものは悪魔たちに狙われてる?って聞きたいのカナ?」
その返答におれは思わず息を呑む。この人はおれが【始竜の貴血】を継いでいる、つまり竜人の血を引くことさえも知っている。
「教えて…ほしい」
そしてずっと聞きたかった答えを、持っているとするならば…
「さっきの提案、受けてくれるカナ?」
「問いに答えてくれると言うのなら」
「よろしい。なら今日の零時、今はモードランとか名乗ってる裏切者の悪魔も連れて中央区内に侵入しておいデ。そこで役目と引き換えに全部話してアゲル」
今すぐに答えを聞いてしまいという衝動をグッと堪え、賢者の言うことに耳を傾ける。
「侵入後はどこに向かえばいい?」
「王城ヨ。場所ならきっと彼が詳しいワ」
彼…この状況ならマリウスのことだろうか?
「話は以上ネ。後は約束の時間まで身辺整理でもしておくといいカモ。場合によっては王立都市そのものを敵に回すカラ」
縁起でもないことを。まあおれの場合ここに来てまだ一月と経っていないのだから身辺整理の必要は皆無だろうが。
…いや、一つだけあるか。
言いたいことは言い終えたとばかりに、賢者はカップを取り、ソファに背を預けて寛ぎ始めた。
「温いわネ…ドーラちゃん、淹れ直してほしいのだけレド?ドーラちゃん?」
その幼女先生を気絶させたのはあんたでしょうが…
おれは目の前に用意されていた、冷めた紅茶を一息で飲んで場を後にした。
〜〜〜
「叔父様!私も連れて行ってください!」
「……ダメだ。大人しくここで待っていろ」
「叔父様、見て下さい!カタロフ家に受け継がれている魔力もこの通り扱えるようになりました!それに戦力だって数が多い方が有利に決まっています」
「必要ない」
「待って下さい!必ず叔父様の役に立って…」
「ダメだと言っている!!!!!」
ービクッ……!
「すまない、怖がらせるつもりは無かった。いい子だから、ここで帰りを待つんだ」
『叔父様!それより先に行ってはダメです!叔父様!聞いて!お願い、止まってください!そっちはダメなんです!帰れなくなる、お願い止まって……………行かないで!!!』
〜〜〜
「ん…あ………」
「お、起きたか」
「……………アヤ?」
「それ以外の誰に見える?」
「………そっか、全部夢か」
そう言ってサーニャは真上に伸ばしていた右腕を力なく下ろして手の甲を額に当てる。目元に残る水滴をバレずに拭うように。
「調子はどうだ?」
「すこぶる良好よ。清々しいくらいだわ」
「それなら良かった」
「…ってあんたこそ、その格好どうしたのよ?!」
ソファから起き上がったサーニャはおれの現状を見るなりそんな大声をあげた。
まあ理事長改め賢者の上級魔法をまともに食らった後なのだ。服装はズタボロな上に怪我は完治しているはずもなく簡素な応急手当をしただけ。
そんな現状を目の当たりにすれば先程のような素っ頓狂な声を出すのも納得できる。
「ちょっと私用でな。まともに火属性の上級魔法を食らったから」
「っ…まさかアルゴノートのやつがまたちょっかいを出して」
「あー違う違う。相手はあいつじゃないよ」
「なら誰が?」
「理事長に決闘を申し込まれてな、それでこの様だ」
「理事長って……何でわたしが眠っている間にそんなことになってる訳?」
「おれが聞きたいくらいだよ。まあこのくらいそのうちすぐ治るから気にするな」
「そんなこと言われても…」
おれが早々とこの話題を切り上げようとしているのにサーニャはまだ聞き足りないと不服そうな顔をしたがひとまずは納得してくれたようだ。
「痛くないの?」
「痛いことは痛いけど我慢できないほどでもない。それにそんなことを聞いてどうするつもりだ?」
「いや、何か役に立てないかなって…弟子として」
「さっきも言ったけどすぐ治るから心配すんな」
「あ!回復魔法は?確かアヤ使えたよね?」
「あれは術者本人には効果がないんだ。使えるならとうに使ってるよ」
「そっか…」
なぜか落ち込んだ表情を見せるサーニャ。普段のこいつなら絶対にこんな表情をおれに見せたりなんかしない。
もっと勝ち気な態度の方がこいつらしいんだが…
「それより問題はお前の方だ」
「へ?私?」
「称号、ちゃんと手に入ったか?」
「あ、あー…そういえばそうだったわね。きっと大丈夫よ。『ステータス・オープン』」
名前:サーニャ=カタロフ
年齢:15歳
種族:人間
性別:女
適性:風
固有魔法:召喚魔法(低位)
天職:召喚師
称号:カタロフ家の加護、教会の加護、茨姫
「ほら、この通り」
指を振るって自分のステータスをこちらに見せてくる。普段より控えめにちょっとだけ得意げな様子で。
「そうか。ならちょうど良かった」
「?何が良かったの?」
「今のお前の実力ならアルゴノートと互角くらいまでには持ち込めるだろうし、『魂の起源書』だってある」
「だから何を言って…?」
「あとは一人でも強くなれるだろう」
「っ…それってどういう意味で言ってるわけ?」
サーニャは下を向いて拳を強く握りしめている。ここまでにおれの言ったことが意味することを間違いなく理解しているはずだろうに。
認めたくないのだろうか?
それともはっきりとおれが告げることを望んでいるのか。
「師弟関係は今日で終わりだ」
「……どう…して?」
そう訊ねるサーニャの声音にいつもの彼女はおらず、吹けば消えてしまうような蝋燭の火のように、ただひたすらに弱々しい問いかけだった。
「……悪いけど、理由は言えない」
答えられるはずがない。サーニャはまだただの学生だ。仮におれとの関係から第三勢力の人間であると疑われ、都市内部の抗争に巻き込まれでもしたらひとたまりもないであろう。
「…私が役立たずだから?」
「何言ってんだ?」
「だから…私がっ…役に立てない人間なんだからでしょっ?!」
「落ち着けって、別にお前のことをそんな風思ったこと一度もない」
「っ……だったらどうして…?」
今にも泣き出しそうな顔でサーニャはこちらを見つめてくる。
けれどもその視線におれは応えることはできない。
「………お願い…何だってするから…アヤが望むならメイド服だってまた着るから………だから私を弟子のままでいさせて…」
「サーニャ…」
一体どうしたというのだろうか?目が覚めてからのサーニャは情緒不安定で見ているのも痛々しい。
称号を得るために見た、彼女の原点とも言える記憶はそれほど辛いものだったのだろうか…
「はあ〜……せいっ」
「えっ……痛っ!」
辛気臭いサーニャのおでこにおれはそこそこ強烈なデコピンを一発くらわせる。
「痛いんだけどっ?!」
「そりゃ、痛くしたからな」
「意味分かんない!」
「お前がいつまでもネチネチ、ネチネチ辛気臭い顔してるからだろーが。少しは元気出たか」
「別にネチネチなんてしてないもん…」
「ほー、勢い余って何でもする〜とか言ってたくせに」
「それは…それで弟子でいられるならほんとにするし、ていうか弟子なら師匠の言うことは絶対というか…」
段々と語気がしぼんでいくサーニャにおれは努めて明るい気持ちで話しかける。
「手出して」
「………何これ」
「おれの命よりも大切なもの」
「とても、綺麗ね…」
そう言っておれがサーニャに手渡したのは、ウェル姉の魂が封じ込められた翠色の宝石。
言葉通り、おれの命よりも大切なものだ。
「今だけお前に預けておく。時がくればまた弟子にしてやるから、それまでに今より強くなって、ちゃんと返せよ?」
「うん……うん……」
「……って言っても何も会えなくなるわけじゃないんだけどな」
「え…?」
「明日には教室で顔を合わせるだろ」
「………あっ…〜〜〜っ!」
そうなのだ。ただ師弟関係を解消するというだけで何も会えなくなるわけではない。
課題の締め切りが明日な上に来週からは同じ教室で授業を受けることになる…はず。あの先生(幼女)がちゃんと授業をするのならな。
そして今日の夜、何事もなく事が済めば…だがな。
「え?忘れてたわけ?」
「う、うっさい!あんたが紛らわしい切り出し方するからでしょ!」
「え〜〜〜…」
とはいえ、少しは元気が出たようでよかった。いつもの調子を取り戻している。
「まあそういうことで、しばらくはここに近づかないこと、不用意におれに話しかけないこと、おっけー?」
「分かったわよ。あんたが見ない間に強くなって絶対驚かせてやるんだから」
「その意気だ」
「ふん…」
それからサーニャは拠点を後にし、この場からいなくなった。あとは彼女がこの抗争に巻き込まれないことを祈るしかない。
そのためにも今日の夜、おれに課せられた使命とやらを十二分に果たせるよう努めよう。




