幕間, ある昼下がりの二人
そよ風が若草の香りを運んでくる昼下がり、おれはここ最近昼休みの時間を過ごす定番となった、学院内のはずれにある小高い丘へと訪れていた。
丘の頂上にある一本の木の真下には整然とした修道服を身に纏い、顔を仮面で隠した女の子が一人、先客として座り込んでいる。
この都市内での二大派閥である教会側の中核を担わされている『聖女』様。
そんな仮面の下に隠された彼女の素顔をおれはおそらく知っている。
祭りで偶然出会った世間知らずな女の子…のはずなんだけど彼女はそれを頑なに認めようとしない。
何か込み入った事情があるのか、おれに心を開いていくれていないのか、そんなことを考えながらいつものようにおれは彼女とは木の幹を挟んで背合わせになるように座り込む。
「……お待たせ」
「時間通りですよ。いつも通り」
「………」
「………」
それ以上会話が膨らむこともなく、互いに無口のまま学食の購買で買ってきたサンドイッチやおにぎりなど手軽につまめるもので腹を満たしていく。
『その……明日も明後日も、またその次の日も…ここで待っています』
この場で彼女にそう告げられて以来おれはその本心をいまだ聞けぬまま、それでもここに毎日足を運んでいる。
心の安らぎと彼女の見えない本心がいつか知れるのではないかという期待を込めて。
「あ…」
「え?」
「いえ、えっと小鳥たちが…いたので…」
「…ああ、ほんとだ」
つがい…なのだろうか。お互いに芝生の上で身体を寄せ合っていて仲睦まじい。
「可愛いな」
「ええ、とても………アーウェルンは、空を飛びたいって思ったことあります?」
「えらく急な質問だな」
彼女の他人行儀(名字)な呼び方に何故かチクリと少し胸が痛み、けれどもすぐさまその問いかけの答えを探す。
「うん、小さい頃はよく夢見たかな。それこそ縦横無尽に空を飛び回る夢を」
本当は<竜化>すれば翼が背中に生えて空を飛ぶことができるけど彼女はそんな答えなど求めていないだろう。
だからおれは自分がまだ小さな子供だった頃、『あやと』ではなく『綾斗』の記憶を引き出してそう答える。
「私は今でも夢見ます。真っ白な翼でどこまでも、どこまでも、この世界の果てまで飛んでいく夢を」
「それは楽しい夢…なんだよな?」
彼女の声音が僅かながら憂いを帯びていたからおれはそう聞いていた。
「楽しかったですよ。とても」
「そうか」
楽しかった…か。
「…にしても夢の中とはいえそれだけ飛ぶと疲れそうだな」
「………ふふ…ええほんとに、疲れすぎて嫌になっちゃいますよ」
「たまにはどこかで降りて休憩したら?」
「でも折角空を飛べるんですよ?勿体ないじゃないですか」
「確かに、それは勿体ない」
「でしょう?でも段々と一人で飛び続けることの方が味気なく感じて」
「そんなものなのか?空を独り占めできるなんて羨ましく聞こえるけど」
「初めはそうだったかもしれません。でも空から地上を見れば、地上が羨ましく見えるんですよ」
「それは…さっきの言葉と矛盾してるな」
「ええ、矛盾していますね」
「矛盾してるってのに、ちょっと楽しそうだな」
「だってそれはわたしが人間であることの証明ですから」
「なるほど、面白い証明だな」
心地良いそよ風の中、急に吹き抜けた突風に花びらが宙を舞い、風に驚いたのか二羽の小鳥のうち片方が慌てて地面から飛び立つ。
するともう片方の小鳥も後に続くように空へと飛び立っていった。彼らはどこまで飛んでいくのだろうか?
「飛んでいっちゃいましたね」
「え?」
「小鳥たち」
「ああ、そうだな」
「どうやらこの辺に巣があるみたいなので、またここに来ると思いますが」
そう彼女が言い終えると、また静寂がおれたちを支配しようとした。
「ならさ、」
その静寂を打ち破るように、今度はおれから口を開く。
「なら、おれが一緒にその空を飛ぼうか?」
「………」
「一人じゃなくて二人なら、きっと退屈しないと思う」
「………」
「地上に降りなくたっていい。ずっとずっと世界の果てまで飛んで行ればいい」
「……それはきっと楽しいでしょうね。けど、夢の話ですから」
「そう、だったな……悪い今のは忘れてくれ」
「だから、もし」
「…もし?」
「もし夢で出会えたらその時は一緒に飛びましょう。約束ですよ?」
「……もちろん、約束だ」
小指を交える訳でもなく、互いに見つめ合うこともなく、依然と互いに背を向けあったまま、おれたちは一つの約束を結んだ。




