第46話, 聖女の歪み
「サーニャ、ここらの本全部もとあった場所に直しておいて」
「サーニャ、メモ用紙の補充お願い」
「サーニャ、コーヒー」
「サーニャ…」
「サーニャ…」
「サーニャ…」
「ああ!もうっ!いい加減にしなさいよ!」
サーニャが抱えていた紙束を盛大にばら撒く。そんな豪快に撒き散らされた紙を、有能人型マシーンのアイさんが一つ残らず地面に落ちる前に回収してくれる。
ほんとできる助手さんだ。
「急に大声なんか出してどうしたんだ?」
「真顔で『どうしたんだ?』じゃないわよ?!どうしてこんな小間使いな真似を私がさせられているわけ?!しかも…」
「しかも?」
まるで何かとんでもない羞恥に耐えるかのように、小刻みにプルプルと震えるながらサーニャは叫ぶ。
「しかも格好が…ね、ね、猫耳メイドなわけ?!」
そう、今のサーニャの格好は白がメインでピンクのレースをあしらった、ゆるふわ猫耳メイド姿なのである。自前の大きな胸はしっかりと隠されているが、布の量が足りないのか逆に強調されている気がしないでもない。
往来の刺々しさはなりを潜め、とても愛らしい様となっていた。
「大丈夫。とても似合っているし可愛いから」
「かわっ……って似合ってるかどうかじゃなくて理由を聞いてるの!」
「半分はどこまでなら師匠であるおれの言うことを素直に聞くかの実験だな」
「…もう半分は?」
「趣味」
「もう泣いていいかしら」
昨日の決闘の一件が諸々片付いてからサーニャがおれの弟子になりたいと言い出したので、翌朝とりあえずおれが研究を進めている図書館のスペースに連れてきた。
元々図書館は利用者もそれほど多くなく、施設が巨大な上におれたちが居る場所は入り口からだいぶ離れたところのため、もはやおれの研究スペースと化しつつある。
もう少し様子を見て誰の邪魔にもならなそうだったら結界なども張って本格的に研究場として完成させようと考えているほどだ。
ちなみに猫耳メイドの衣装含めてこの場所に置いてあるのはアイさんが持ってきてくれた図書館の備品だ。なぜ備品に猫耳メイドの衣装があるのか………きっと過去に同志でもいたのだろう。
「流石に猫耳メイドは断られるものだと思ってたんだが…」
「だって一応あんたの弟子だし、言うこと聞いておかないと破門にされるかなって」
「サーニャのおれに対するイメージってそんなに悪いものなのか?」
「こんな格好までさせておいて…普通聞くまでもなく分かると思うんだけど?」
当然の反応といえば当然の反応か。反省してもう少しだけ自重することにしよう。
「そうだな、ならお詫びといったらあれだが今から稽古でも始めようか」
「そうしてくれると身体を張って頑張った甲斐があるわ」
「じゃ、まずは『<同調>=舞姫の燐華:<鏡界>』」
おれとサーニャは白藍色のドームで覆われて図書館から隔離される。
「何これ…空間が広くなった?」
「結界の一種だと思ってくれたらいい。ドーム内で何が起きても外には影響が出ないから安心して暴れられる」
「暴れられる…って、アヤはどんなことを想定しているのよ」
「まあ死の危機は感じられるくらいかな」
「えっ…」
「『風よ 渦巻け <旋風>』」
オリジナルの発動句である<充填>による調整なしの<旋風>。つまりはセーブなしおれの本気の初級魔法である。
結界で作られたドームの中央に猛烈な風を伴った竜巻が吹き荒れ、どこに立っていたとしてもその暴風に身をさらわれてしまいそうだ。さらには空気の摩擦によって帯電したのか所々スパークが走りながら放電している。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと!し、死ぬ!こんなの死んじゃうわよ!」
空中に飛ばされて竜巻に呑み込まれないよう、サーニャは必死に姿勢を低くして踏ん張っている。メイド服のヒラヒラがすごい勢いではためいているが、ここまで来るとやはり情緒に欠けてしまうな。
「『銀月の白臨刀:<抜刀>』」
こんな状態ではまともに話も出来なさそうであるので、とりあえず自らの<旋風>を『銀月の白臨刀』で一閃してただの魔力に還す。
「し、死ぬかと思った…」
床に四つん這いになって肩で息をしている。これくらいで参っているのなら先はまだまだ長そうだ。
「サーニャ、お前の長所は保有する魔力量の多さとそれらを一度に放出しても負荷に耐えうる丈夫な身体を持っていることだ」
「面と向かって褒められると照れるわね」
保有する魔力の上限は修練次第で伸ばすことができる。だがサーニャの場合、それが天性によるものだという点が一つの長所。
そしてさらには<三百連>などと、一度に馬鹿げた量の魔力を放出しても身体が反動によって壊れることはない。そんな丈夫な身体を生まれつき持っていることがもう一つの長所。
つまり術者としての才能は本来ならばピカイチなのである。
「まあそれが短所に繋がってるから結局は本末転倒なんだけどな」
「どういうこと?」
「一つ目の短所は魔力の質の低さ。サーニャは保有する魔力量が多すぎるのに、それと比べると消費する魔力の割合が少なすぎる。だから魔力の質が向上するペースがこの上なく遅い」
「ようは余力を残しすぎてるせいで魔力が鍛えられていないってこと?」
「そういうこと」
「でも私が魔法を使ったら疲れるし、実技試験でも見せた<三百連>なんか使うと虚脱感に襲われるわよ?あれって魔力を大量消費してる証拠じゃない」
「…魔力欠乏状態における症状は?」
「え、第一段階が目眩や鼻血、第二段階が筋肉の硬直、第三段階が意識の昏倒よね」
そこでおれは顔をずいっと近づけてサーニャを問い詰める。
「魔法を使っていて目眩や鼻血が出たことは?」
「ない…わね」
「筋肉が硬直したことは?」
「ないわ…」
「意識が昏倒したことは?」
「ないです…ごめんなさい」
「これは二つ目の短所である魔法構築の粗雑さ、にもつながる話なんだが…サーニャは大量の魔力を扱うだけの集中力とそれを支える体力が圧倒的に欠如している。虚脱感に襲われたのはその集中力と体力が切れたことによるものだろう」
「なる…ほど。今更だけど私の魔法を数回見ただけでそんなことまでも分かるなんてアヤって一体何者なの?」
「ほんとに今更だな…別に何だっていいだろ」
「えー気になるじゃない」
「そ・れ・よ・り・だ。お前のこの短所を手っ取り早く克服するためにはどうしたらいいと思う?」
「えっと…それは、だから魔力を沢山使って、あとは集中力と体力を鍛えたらいいんだから………えっ、嘘よね?」
「『風よ 渦巻け <旋風>』」
ドーム内に再び竜巻が現れ、その猛威を振るう。
「ちょっ…!待っ…!」
「とりあえず今から昼休みまで二時間だな。今のサーニャなら多分中級以上の魔法で精度が九割超えのものを連発して威力を削がないと…」
「と…?!」
「死ぬな」
「嘘よね?!冗談って言って!」
「死なないことを願ってる」
「全然嬉しくない!…ってあんたはどこに向かってるのよ?!」
「おれはここにいてもやることないし一足先に戻ってるからあとは一人で頑張れ」
「こ、この薄情者〜〜〜っ!!!」
腹から絞り出されたサーニャの叫び声を背に、おれは結界から一人抜け出し元いた図書館のスペースに戻ってきていた。
『あ、お帰りなさいませアヤト様。サーニャ様はどちらに?』
「まだ結界の中にいるよ。今頃必死に特訓してるはず」
サーニャには死ぬ気で特訓してもらう手前脅すように言ったが、実際の設定は少し弱めてある。まず死ぬことはないだろう。
『それにしても凄い完成度の結界ですね。そこにあると言われても全く気付くことができません』
「アイ さんでも分からない?」
『はい、魔力の探知には人間よりも自信があるのですが、結界どころか中にいるサーニャさんの魔力の乱れさえ感じられません』
「そっか、なら安心して使えそうだ」
アイさんは普通の視覚を持たない分周囲の認識は魔力探知に特化している。そのアイさんが探知できないというのなら、人なら余計に見抜くことはできないだろう。
流石はウェル姉の結界。分野によってはまだまだ力及ばずなことを実感させてくれる。
「さてと、おれも今のうちに『聖女』について調べられるだけのことを調べるか」
アイさんが事前に集めていてくれた『聖女』に関する本を手に取ってその内容を吟味していく。
教会での立ち位置、役割、宗教的な扱い、元になったモデル、さらには関わりのあるとされる四人の大天使についてもくまなく調べていく。
それぞれの天使が持つ逸話に司る属性、方角、星座。
それらを踏まえた上で、天使には何が有効で何が無効か。
その庇護下にあるとされる『聖女』をもしその役目から解放するとするならば…
ーリーン…リーン…リーン…
「もう昼休みか」
砂時計型のタイマーが鈴の音を響かせて既に二時間過ぎたことを伝えてくれる。集中し過ぎてしまうおれのためにアイさんが用意してくれた代物だ。
いつもの調子なら『聖女』の元へと向かい、勝手に目の前に座って勝手にご飯を食べるところなのだが………昨日はっきりと拒絶されてしまったので正直気が引けてしまう。
「とりあえず食堂に向かうか」
ここで悩んでいても仕方ない。昼食を取るためにも食堂へと足を運ぶ。
だがひと目見て気がついた。今日『聖女』は食堂に訪れていない。その証拠に食堂の席が満遍なく多くの生徒で占められている。
普段なら食事を取る彼女を避けるために不自然な空席が生まれているはずなのだ。今日に限って誰も彼女を避けなくなった、などという甘い現実はきっとないだろう。
「……『風よ 我が意に従い 顕界を調せ <風鈴>』」
ーバチッ…
「ーッ…妨害された?」
魔法を強制中断させられた影響でわずかな頭痛と立ちくらみに襲われる。
おれの中級魔法を感じ取って瞬時に干渉して無理やり妨害してくるなんてよっぽど見つけて欲しくないらしい。それに向こうだっておれと同じく強制干渉したノックバックを食らってるはずだ。
この干渉を逆算して居場所を突き止めることもできるが移動されていては元も子もない。
「ふふ……そっちがその気ならこっちにだって考えがあるぞ」
端から見れば邪悪な顔を浮かべたアヤトは自らのプランを実行に移す。
「ふう…」
他人の魔法に強制干渉した反動を落ち着けるため、わたしは大きな木の陰に腰を下ろしていた。
ここは学院内でも少し外れたところにあるため、生徒が訪れることは滅多になく、わたしの居場所として極めて相応しい場所だ。
木漏れ日と頰を撫でる優しい風がわたしに安らぎを与えてくれる。小鳥のさえずりが心地よい。つがいなのだろうか、仲が良さそうで何よりだ。
-きゅぅぅぅ…
腹の虫が鳴いてしまった。今日は彼を避けるために食堂に行かなかったのだから当然だろう。
そういえば、彼との最初の出会いでもこんな風に腹を空かせていたな…
遠慮するわたしに恩着せがましく分け与えるのではなく、余っているからなどと下手な嘘を並べて気を使わせないように配慮していた。
首からかけられたコスモスを形取ったピンクのネックレスを手に取る。
これだってそう。それに今さっきだって、昨日拒絶したばかりなのにわたしの居場所を突き止めようと魔法を使うなんて。
人に避けられ、『聖女』として独りでいることが正しいはずなのに、なぜ彼はこうもわたしのそばにいてくれようとするのだろうか?
「分からない……けど…」
もし、もし彼が『聖女』ではなく『アオイ』を必要としてくれているのなら?
人々が縋り、心の寄る辺として求める偶像ではなく、わたしという一人の女性を見てくれているのだとしたら…
「そんなこと…ありえるはずがない…」
「見つけた!」
そんなわたしの否定を打ち消すかのように、大きな声が辺りに響いた。祭りの日に路地で座り込んでいたわたしにかけてくれたのと同じ声。
俯いていたわたしが視線をあげるとそこには彼がいた。わたしを決して独りにさせてくれない彼が。
走って探してくれたのだろうか。呼吸は落ち着きつつあるが、いつもは綺麗に整えられているはずの銀髪はボサボサ、額や首筋にはうっすらと汗を滲ませている。
「…どうしてここが?」
そんなわたしの問いかけに彼は少し気まずそうに視線を外しながら答えてくれる。
「あーいや…学院内を探してたら偶々な」
「そうですか…」
「これ、もし昼ご飯がまだだったら食べて」
そう言って彼はサンドイッチをわたしの横にそっと置き、わたしと木の幹を挟んで背中合わせになるように腰を下ろす。
昨日のわたしの拒絶を律儀に受け止めて、わたしの視界に入ることがないように、それでもわたしのそばにいられる位置どりだ。
どうやら彼もお昼はまだだったらしい。自分用に買ったのであろう昼食を頬張っている。
わたしも彼が持ってきてくれたサンドイッチに手を伸ばし、有り難くいただくことにする。考えてみれば彼からはもらってばかりだ。
「………」
「………」
お互いに無言のまま、けれどもわたしは自然がもたらしてくれる安らぎとは別の安心感に浸っていた。
それは長らく人と接することのなかったわたしが忘れかけていた人の温もりだったのかもしれない。
アヤトの温もり。
今はただ、『聖女』ではなく人として心からその温もりに満たされる、この穏やかでいられる時間を大切にしていたい。
そう思い始めた矢先だった…
『ダメよぅ…』
「ーッ…」
不意に女性の艶かしい声が頭に響き、背筋をぞわりと撫でられたようだった。
そして自分のものではない魂の奥底から湧き上がる昏い感情に驚いて慌てて立ち上がる。
「……………アヤ…ト」
「…どうかした?」
わたしから話しかけられるとは思っていなかったのだろう。アヤトの声音には少しだけ緊張が含まれていた。
けれども今のわたしには彼を気遣えるだけの余裕がない。伝えたいことだけを端的に伝える。
「その……明日も明後日も、またその次の日も…ここで待っています」
そのままわたしは、アヤトの返事を聞かないまま走り出していた。大丈夫、こう言えば彼の性格上、後を追ってこないし明日も明後日も来てくれるはずだ。
走って走って、人気のない茂みの中でわたしは嘔吐いていた。
「うっ……おえっ………ぇぇ………」
教会で行われた儀式以降、わたしがわたしでなくなることがある。
自分が何か別のものへと、おそらく教皇様の仰った『完璧な聖女』へと急速的に近づいているようでひどく気持ち悪い。
わたしはその場を駆け出して一刻も早く彼から離れなければ、きっと彼を傷つけてしまっていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
…どうして自分はあんな儀式を受け入れてしまったのだろうか。
わたしは『聖女』になんてなりたくなかった。あの小さな島で、優しい両親との世界さえ守ることができたら他に何もいらなかったのに。
祭りの日、アヤトに答えたわたしが世界で一番好きなものは両親で間違いない。
けれども教会に連れ去られる直前、両親がわたしに見せた表情は笑顔だった。
どうして?…どうしてそんな顔でわたしを見送るの?
わたしが『聖女』になることがそんなに嬉しかった?
自分たちの子供が人々を救う希望になることがそんなに誇らしかった?
わたし自身は泣き叫んで拒んでいたのに…
それでも笑顔でいられたのはどうしてなの?
分かんない…分かんないよ………
『あらあら、可哀想なこと』
頭の中に声が響く。先ほどと同じく悪寒が走るような艶かしい女性の声。それがねっとりと絡みつくように話しかけてくる。
『そんなの、あなたが要らない子だったからじゃない』
「…うるさい」
『邪魔なあなたを教会が引き取ってくれる。しかも『聖女』として人々の救いになる』
「うるさい」
『そんな風に追い出した要らない子が役に立つんだもの。そりゃあ、あの人たちだって嫌がるあなたを見て笑顔にもなるわよ』
「うるさいっ!うるさいっ!うるさいっ!!!」
わたしが叫ぶと声はそれ以上語りかけてこなかった。
「………うるさい」
大丈夫…そんなことあるはずがない…
優しかったあの二人がそんなことを思うはずがない…
頭では分かっているはずなのに、いつか両親が私に見せた怯えるような顔がその思いをぐらつかせる。
「そんなの…わたしは信じない…」
それに彼は…アヤトはわたしを偶像ではなく、人として見てくれている。『聖女』ではなく、『アオイ』として。
自分から一度拒絶しておいてまたそばにいるよう求めるなんて、自分勝手で我ながら嫌な女だが、彼ならきっとそばにいてくれる。
何も言わずに寄り添ってくれる。
今はただ、それだけが『アオイ』に残された頼りだ。




