第42話, 金色の鎖
-キーンコーンカーンコーン…
「うっし、午前の授業はここまでだな」
チャイムが鳴るとともに、フワフワと浮いていた幼女先生は床へ着地し、大量の魔導書を小さなポケットへと収納していく。その様は青猫の四次元のポケットを彷彿とさせた。
「授業なんか微塵もしてねーくせによく言うぜ」
アルゴノートがボソッと悪態つく気持ちも分からないでもない。現状では課題をクリアする条件も不明でヒントは先ほどの『聖女』様の一言のみ。彼らからしたら無理ゲーもいいところだろう。
どうやらおれは問題なく『魂の起源書』とやらを開くことができるようだが、その条件までは分かっていない。
後でこの本の中身を読み込めばその手がかりも得られるだろうか。
「ああそうだ、伝え忘れていたがここの施設なら何を使っても構わん。条件を満たせてないお前たちは死に物狂いで課題に取り掛かるといい。でなければ期日までにクリアすることは到底不可能だぞ?」
幼女先生は不敵な笑みを浮かべて教室を出ていく。死に物狂いで…称号ねえ………
まあ今は昼休み、とりあえず腹を満たしてから気長に考えることにしよう。それに確認しておきたいこともあるし。
席について個々人の魔法書と睨めっこをしていた面々はそれぞれおもむろに席を立ちそれぞれ休み時間に入る。
だが窓際の席に座っているメビウスに至っては『魂の起源書』を見つめたまま微動だにしていない。
「マリウス、任せていいか?」
「お任せを」
そう告げると隣にいるマリウスも席を立ちメビウスの元へと向かっていった。
異なる魔力を身に宿しているメビウスの調査はマリウスに任せ、おれも席を離れて教室を後にする。
さて、おれも自分の為すべきことを進めるとしますか。
と、数分前までは考えていたのだが、今は第二階級を示す黒服の生徒十名ほどに囲まれて行方を遮られている。
第三階級である青服の生徒二人が第二階級の連中に絡まれているところに何となしに割って入ったらこうなった。
初めは数人しかいなかったのにいつの間にかワラワラと湧き出てきて今では十数人、制服の黒色とあいまってまるでGみたいだ。
話には聞いていたが、実際に目の当たりにすると第二階級と第三階級の溝は思っていたよりもずっと深刻なものなのかもしれない。
そしてその中でもリーダー格と思しき男がおれに話しかけてきた。
「第三階級という卑しい身分出身にも関わらず、学院内で第一階級という身に余る地位を手にし、あまつさえ五侯貴族であるユイガ様とマリウス様を差し置いての序列三位。恥を知るがいい!」
開口一番にそんなことをのたまう男に連中は続いてそうだそうだと、自分たち貴族の地位が絶対である的なことをおれに向けて口々に揃えて主張している。
何これ…すごくめんどくせえ…
「おれこの後用事あるからどいてくれないか?」
「ふっ、我ら貴族に指図とは無礼であるぞ平民」
この上なく失礼な態度だ。苛々しすぎて自分の額にあのマークが浮かんでいるのでは、と思うほどに。
「………さっさとどけ。これは指図じゃなくて命令だ」
「ハハハッ!序列三位様は冗談が大層お上手のようだ。しかし身の程を弁えなければ痛い目を見るのはそちらだぞ?」
おれの周りに立つ全員がどうやら魔力の循環状態に入っているようだ。魔法を使って仕掛ける準備は万端だと主張している。
「さしもの第一階級とは言え、これだけの第二階級を相手に無傷ではいられまい。さあ!知恵の浅い猿を我々で調教してやるとしようではないか!」
ードゴンッ!!!
「へ…?」
リーダー格の男は自分の取り巻き全員が視認できぬうちに壁か床、もしくは天井とキスする羽目になった現実にどうやら理解が追いつかないらしい。
「誰が、誰を調教するって?」
一人残ったリーダーに対しておれはゆらりと視線を向ける。
「ひっ!」
貴族様は座り込んでその場を動かない。どうやら腰を抜かして動けないようだ。
そんな相手に一歩ずつ距離を詰めていく。
「わ、我は七臣貴族が一つ、へ、ヘルティア家の三男であるぞ!」
「だから?」
「我に手を出せば父上と兄者達が黙っていないぞ!」
男の目の前にしゃがみ込み、おれは頭を鷲掴みにして再度問いかける。
「だから?」
「お、お願いします。手を出すのはどうかご勘弁を」
「…これに懲りたら二度と手を出してくんな」
男を放置してその場から立ち去ろうとすると、背後から魔力の高まりが感じられた。
ため息を吐きたくなるの堪え、床を蹴ってバク宙の要領で魔法を放とうと伸ばしていた腕を上から蹴り落とし、そのままもう一発後頭部に食らわせて床とめでたくキスをさせる。
「お前みたいな小物に竜を調教できるかっつーの」
変な連中に絡まれたせいで貴重な昼休みの時間を無駄にしてしまった。
これでは昼休みの間に行動を起こし始めることはできないかもしれない。
「『風よ 我が意に従い 顕界を調せ <風鈴>』」
目的の人物の居場所を探査魔法を用いて調べる。
(いた。それも案外近くにいる)
場合によってはこの広大な校舎を歩き回る必要もあったので非常に助かった。
賑やかな食堂に向かうと、その一角だけ誰も近づこうとしないスペースがある。傍目から見たら極めて異様な光景。
そこに座る人物に話しかけようと近づくと、それよりも先に別の人物に遮られてしまった。
「なあ『聖女』さんよ。ちょっといいか?」
「…なんでしょうか?…ええと、」
「同じ第一階級のアルゴノートだ。単刀直入に聞く。『魂の起源書』の開き方を教えろ」
「お断りします」
「ちっ、即答かよ。まあ教会側の人間が王族側の人間に馬鹿正直に教えてくれるたあは思ってねえから別にいい。それにここに来た本命は別にある…」
そこでアルゴノートは『聖女』様との距離を詰め、耳元でこう囁いた。
「てめえがいるせいでこの都市は今めちゃくちゃだ。分かってんのか?」
「・・・」
「……宣戦布告だ。お前たち教会側の理想と人間はどいつもこいつもおれが塵も残らず消し炭にしてやる。覚悟しとけ」
憎悪混じりに放たれたアルゴノートの言葉に『聖女』は幾分も動じることはなかった。否、表面上はそう取り繕っている空気がした。
「じゃあな、操られ人形の『聖女』さんよ」
言いたいことは言い終えたとばかりにアルゴノートはその場を素早く後にする。後には『聖女』が一人、ポツンと空間に置き去りにされていた。
アルゴノートとのすれ違いざまに視線が交わる。
「あ?ちっ…」
一瞬目があったかと思うとすぐに視線を切ってアルゴノートはこの場を去っていった。
(なんか、こうムシャクシャするな…)
今話に聞いた教会側と王族側の対立の件を『聖女』一人を敵視して押し付けるアルゴノートもそうだし、彼女が一人でいることを当然としている周りの連中にも若干苛立ちが募っている。
皆飛び火を受けないように『聖女』と極力接しないようにしているのだろう。
(『聖女』だって一人の人間なんだから、いくら術者として強くても心は傷つくってのに)
おれは『聖女』の元へと向かう前に食堂で三十人前ほどの大量注文をし、その全てを抱えて誰も座っていない『聖女』の向かいの席へと座る。
「…良かったら食べる?」
「いえ、結構です。それよりどうして向かいの席に座るんですか?」
「空いてたから」
「誰も私のもとに近づこうとなんてしませんのに」
「それにこういうのは誰かと一緒に食べた方が美味しいから」
「…それはそうかもしれませんね」
(おっ、ちょっとだけ雰囲気が柔らかくなった。)
「それで?本当の用件は何ですか?」
「というと?」
「何かしらの意図があって私の前に現れたのではないですか?と問いているのですよ、アーウェルン」
「おれの名前は覚えてくれてんだ」
「…別にたまたまです。あと話題をはぐらかさないで答えてください」
まあ目的はと問われれば、昨日の試験の際に向けられた猛烈な殺意について聞きたかったのだが…
(こうして話してるけど殺意どころか敵意も感じられないな)
今質問しても大した情報は得られそうもない。ここは別の話題について聞くことにしよう。
「『魂の起源書』の開き方について教えてもらおうと思って」
「?…既に開くことのできるあなたには必要ないのではありませんか?」
「え」
「え?」
「「………」」
「何でおれが開けることを知ってるの?」
「いえ、別に知っていたわけではありませんが試験の際に手加減をしている様子でしたのでもしかしたらと思いまして。黒髪の方もそうですが、あなた方二人は王太子殿よりも実力が上であると感じましたから。そしてやはり開けるのですね」
やられた…どうやらカマをかけられていたようだ。あまりにも自然な流れだったからつい答えてしまった。
にしてもやはり、昨日の試験でおれとマリウスが手を抜いていたことが理解できるほど『聖女』の術者としての腕前は相当高いもののように思える。種族が人間にしてはむしろ歪に感じてしまうほどだ。
人として例外的に光魔法も扱えるようだし、これはやはり天使の関与があるとみて間違いないだろうな。
問題はどこまで天使が関わってきているかという点だが。
「確かにおれは本を開くことはできるけどその理屈が全く分からない。皆にヒントを出せるってことは『聖女』様は条件までも理解してるみたいだし。よければ教えてくれない?」
「お断りさせていただきます」
「あー、それはおれが王族側の人間ではないにしても?」
「はい、『聖女』とは相手がどのような立場であれ平等に接するべきものですから」
「ふーん」
中々難儀な役目を押し付けられているようだ。
「もう用はお済みでしょうか?でしたらこの場を離れたいのですが」
『聖女』様はいつの間にやら昼食を完食したみたいだ。対しておれはまだ二十人前ほどの量が残っているため一緒にこの場を離れるわけにはいかない。
「じゃあ最後に一つだけ」
「何です?」
振り返った彼女の胸の内に潜む魂を覗き見ようと右眼を凝らす。
到達者ないし超越者の称号を持つものは意識すれば他人の魂と心を直接見ることができる。魂と心はいわばその人を決定づける核のようなものであるため、相手について知るという点については一番有効な手段であろう。
そうして徐々に見え始めた『聖女』の魂には、か細い金色の鎖が痛々しく締め付けるように絡まっていた。
(何だあれ?)
「あの?」
『聖女』からの呼びかけにより集中の糸が途切れて視界が元に戻ってしまう。これの欠点は多大な集中力を要するだけでなく、慣れない精神世界に視界を向けているせいかちょっとしたきっかけで元の物理世界へと視界が戻されてしまうことだ。
相手の魂や心全てを知れるほど見ていられることはほとんど不可能に等しい。
「あーごめん。えっと、名前は何て言うの?」
「………生憎とわたしは名乗れる名前を持ちあわせていないのでお答えできかねます。ではこれで」
そう『聖女』様は答えると食器を食堂に返してからどこかへと立ち去っていった。
一人残されたおれの周囲はやがて多くの学生が座り始め、賑やかになっていく環境の中で残りの昼食を胃袋に押し込んだ。
昼休みも終わり午後の授業が始まる時間となったが教室には生徒が四人しかいなかった。
課題をクリアしている『聖女』様はともかく、アルゴノートや王太子も姿が見えない。確かに教室にいても学べることがない現状ではその方が賢明かもしれないが。
ーガララ…
教室の扉を開けて幼女先生が中へと入ってくる。授業らしいことは何もしないのに教室にはちゃんと来るんだなこの人。
「ふむ、アルゴノートとラティスのやつは消えたか」
それだけ言うと幼女先生はまた魔導書を読み始める。あの魔導書ウェル姉の書庫にないくらい貴重なやつだから一回読んでみたいな………っと思考が完全に別方向に向いてた。
いやだって折角久々の学生生活を満喫できるかと思ってたら蓋を開けた途端これだもん。無気力にもなるって。
(アヤト、少しいいですか?)
隣に座るマリウスから念話が送られてきたのでそちらに意識を集中する。
(うんマリウス、そっちは何か進展あった?)
(スレア=メビウスに関してですが少々気になることがありまして、先ほど彼女の魂を覗き見たんですが僅かながら『悪魔の因子』が癒着していました)
(侵食は!?)
(それが全く進んでおらず、凍結されているかのようでした。…むしろ意図的にそうされているのではないかと)
(つまり彼女は『悪魔の因子』を自在に操れるレベルの悪魔、お前たちの表現なら爵位持ちの悪魔と繋がりを持っているってことか?)
爵位持ち。
悪魔が支配する地堕都市イナミィシエルに存在する悪魔の中でも群を抜いた力を持つ五人の悪魔たちの呼称だ。上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵とそれぞれ分けられている。
マリウスはこの公爵に位置するため数ある悪魔たちの中だでもトップだったわけだが、同じく爵位持ちの悪魔に殺された、という扱いになっている。
さらにはその爵位持ちの上に位置する『主』なるものが存在するようだが、その正体は爵位の元トップであったマリウスでも知らないそうだ。
(はっきりとそう断言できるわけではありませんが楽観的でいるべきではないかと)
(心当たりはないのか?)
(ないことはありませんが、確定するにはまだ手がかりが少なすぎます。こちらは私の方で別途、調べておきますので今しばらくお待ちください。それよりそちらの様子はどうでした?)
(ああ、『聖女』様だが昨日向けてきた殺意を今日は全く向けられなかった。それでこっちも彼女の魂を少しだけ覗いたんだが…魂に絡みつく金色の細い鎖に心当たりはあるか?)
(!…それはおそらく『天使の素子』かと)
(『天使の素子』?)
(『天使の素子』は不適合者にはただの毒ですが、適合者ならばその者の種族をやがて天使へと昇格させます。適合者を悪魔へと変える『悪魔の因子』と大きな差異はないので同じ認識で大丈夫です)
(『悪魔の因子』の天使ver.か。それは厄介な代物だな。それに『聖女』の方は様子を見る限り…)
(ええ、間違いなく適合していると思われます)
昨日向けられた殺意についても『聖女』の様子からして『天使の素子』が絡んでるのかもしれない。本人は覚えていなさそうだったし、天使と竜人の間には十一年前の戦争から確執があるからな。何らかの影響を受けている可能性が高そうだ。
(『聖女』には天使、メビウスには悪魔か…人間の都市だっていうのに何かきな臭くなってきたな)
(今後の方針はどうします?)
(…しばらくは互いに別行動にしよう。おれが『聖女』を受け持つ。マリウスはメビウスを引き続き監視してくれ)
(期限は?)
(課題と同じ一月後にしよう。それまでに何か動きがあれば報告は忘れずにな)
(かしこまりました。くれぐれもお気をつけて)
(そっちもな)




