第37話, 祭りの終わり
夜を迎えて街灯にオレンジ色の光が灯り、街は昼間とは違う幻想さを帯びていた。
初代英雄様の誕生を祝う祭りは益々熱狂し、通りに行き交う人々は皆笑顔で思い思いに祭りを楽しんでいるようだ。
もちろんこんな夜には欲を持て余した男女が情熱をぶつけ合うこともあるわけで。
少し人目のつかない路地に目をやると少なくないカップルがくんずほぐれつ抱き合っていたりする。
そしてそれはデートをすることになった彼らにとっても例外ではなかった。
「ほら、早く」
「でもっ…これ以上は限界で…」
「おれだって限界…あとちょっとだから」
「うう…往来でこんなあられもない姿を晒してしまうなんて…」
「アオイがどうしても欲しいって言うから始めたんだから。責任持って最後までやってよ」
「分かりました分かりましたから揺れないで………えいっ…きゃっ」
「うおっ…ぐげっ」
「「「あーーー」」」
周囲の落胆の声。
アオイの可愛らしい掛け声とともに、ブリッジの姿勢から伸ばされた右手は緑色の円を空振り、そのままバランスを崩しておれの上へと落ちてきた。
肘を鳩尾に食い込ませて。
「鳩尾が…鳩尾が…」
「あわわわ、ごめんなさい!だ、大丈夫ですか?!」
「だい…じょぶ」
いくら身体を鍛えて強くなったと言ってもこういう急所へのダメージは健在らしい。
この前も弁慶の泣き所を強打して悶絶したしな。
それはそうと、おれとアオイは一つの店のスペースで複数の客が同時に参加するゲームに挑戦していた。
出された指示に合わせて両手両足を色のついた円に置いていくあれだ。
いやこんなゲーム何で露店でやってんだよ、などと初めに見た時は思っていたが存外観客も含めて盛り上がるみたいだ。
出されたお題を二人で合計100回クリア出来たら豪華景品を選べるらしい。
アオイが景品の中に欲しいものがあるそうで一度挑戦してみたが結果は94回ともう少しだった。
「もう少しだったなお二人さん。残念だがゲームオーバーだ」
恰幅のいい店の店長が安心しきった顔で話しかけてくる。あと少しでクリアされそうで内心冷や冷やしてたんだろうな。
見たところまだクリアした組は出てないし、景品は採算取れなさそうだし。
後半の指示なんかイカサマを疑いたくなるくらい鬼畜なものだった。
「おかげで大盛り上がりだよ」
「あの!もう一度挑戦させていただけませんか?」
アオイが食い気味に店主に再挑戦を申し出ていた。
「悪いが後がつかえてるんでな。また出直してくれ。じゃ、祭り楽しんでな」
店の店長はそそくさと次に挑戦するペアたちの対応へと向かってしまった。
「うう、また手に入らなかった」
「そんなに欲しいものがあったのか?」
「あのコスモスのブローチが欲しかったです」
景品が並ぶ真ん中にピンク色の宝石が散りばめられた綺麗なブローチを指差してアオイはガッカリしてる。そういえば露店でもコスモスのブーケを買おうとしてたな。
「アオイはコスモスが好きなのか?」
「大好きですよ。世界に二番目で好きです」
「一番は?」
「それはもちろん両親です」
…いい子だ。こんな素直におれも前世で両親に感謝の気持ちを伝えられたら良かったな。
「アヤト?大丈夫ですか?」
昔のことを思い出して少し気が沈んだのが顔に出ていたらしい。
「ごめんごめん。ちょっと死んだ両親のことを思い出してね」
「あ…ごめんなさい。わたし知らなくて…」
「いやいや、本当に大丈夫だから。もう何年も昔のことだし今は新しい家族もいるからさ」
「そうですか」
変な空気のままゆっくり歩き出す。
「あーーー、アオイの両親は何されてるの?」
「えっ、えっとですね。花農家をやってる…はずです」
「はず?」
「わたしは幼い頃に教会に修道女として引き取られたのでよく覚えてないんですけどね。確か王立都市の外周に位置する島でそこでしか咲かないコスモスを育てていたと思います」
「なるほど」
「ではここで案内人らしく祭りの豆知識を。この祭り、露店や屋台でコスモスの飾りや小物を売ってる店が多いとは思いませんか?」
そう言いながらアオイは近くの露店にある小さなコスモスを形どったネックレスを見せてくれる。
「ほら」
「ほんとだ」
「この祭りの主役である初代英雄様の出身がわたしと同じ村なんですよ。初代英雄様は花の中でもとりわけ故郷に咲くコスモスが好きだったらしく、今でも彼女の墓には毎年コスモスが捧げられているそうです」
「へー、道理で景品やら街のデコレーションにも多いわけだ」
というか初代英雄様って女性だったのか。祭りを楽しむのに夢中でそういったことについて全然知ろうとしなかったな。
「わたしにとってコスモスは両親との唯一覚えている思い出。なのでコスモスは世界で両親の次に大好きです。と言っても教会に身を捧げるものとして、手元に残る物は何一つとして持てていないんですけどね」
「それなら、………いや」
「?」
それなら、これが欲しいとねだってくれたら一つくらい買ってあげるのに。
言いかけたその言葉をおれは飲み込んでいた。
この祭りのデート中、アオイはおれに自分の要望を伝えることはほとんどなかった。
色んな会話を交わせど、どこかで必ず自分を押し殺して接してくる。
まるで自分の甘えを他人に見せることが許されないかのように。
だからこそ先ほどもおれに直接頼るのではなくできる限り自分の手で世界で二番目に好きなものを手に入れようとしていた。
そんな彼女にそんな台詞を伝えたところで断られるのは目に見えている。
だったら。
白いコスモスをガラスで模したネックレスを一つ手にとり、自分の首にかけてみる。
「アオイ、どうかな?」
「凄く似合っていますよ!」
「ほんとに?」
「ほんとのほんとです!」
「そっか、じゃあこれを買おうかな。すみません」
店の奥で事務処理をしていたお姉さんが対応に来てくれた。
「はーい。何か買っていかれますか?」
「この白いコスモスのネックレスと、あとそっちのピンク色のも一つ」
「銅貨4枚になります」
「これで」
「ちょうどですね。ありがとうございます」
これで警備隊のお兄さんにもらった軍資金はほとんど無くなった。
下町で金貨を使うことなどないように、これからは王立都市の常識も身につけていかないとな。
白とピンクのネックレスを店員のお姉さんから受け取り、ピンクの方をアオイへと差し出す。
「はい、アオイの分」
「ふえっ…!」
「まあ」
アオイが驚いた声とともに両手を頬に当てて顔を湯気が出るほど真っ赤に染めてる。
店員のお姉さんに至っては口元を手でおさえながら小さい声で「若いっていいわねえ」などと呟いていた。
「わ、わたしたち出会ってまだ一日も経ってないのにそういうのはいくら何でも」
両手をワタワタさせながら慌てて捲し立ててくる。
…何やら様子が変だ。
こちらからプレゼントする、というのはアオイにとってそんなに受け入れ難いことなのだろうか?
「もしかしてプレゼントするのは何かまずかった?」
「いえ、別にまずいということはないんですけども…」
いまいち煮え切らない返答だ。もしかしたら修道女としてプレゼントされることを禁止されている、と考えたりしたのだがそうでないなら…
「………何かコスモスを贈ることに意味がある?」
「えっ、あっ、そ、そうだよね。アヤトはコスモスを贈る意味なんて知らないもんね」
おれの疑問の呟きを聞いたアオイは胸をなで下ろして、少しホッとしつつ説明を続けてくれる。
「王立都市だとコスモスを送ることに意味があって、白いコスモスは親への感謝、黄色は友情の証、それでピンクがこ、こ、こ、こ…」
「ニワトリ?」
「じゃなくて!恋人に対する愛を意味するんです」
「でもこの場合、アオイはおれの恋人じゃないよね?」
「その時は、だから、その…あ…あなたを愛して…ます、って意味に…」
後半になるにつれて語気を弱めていたがしっかり聞き取れた。
まあ…それは確かに気まずいな。
会って数時間しか経ってないやつに告白まがいのことをされるなんて。
「その…何か…ごめん。何も知らなくて」
「いえいえ!アヤトが謝るようなことじゃないですよ。普通の女の子みたいな経験ができてわたしは嬉しいですよ」
「それなら黄色いコスモスのネックレスに変えてもらおうか?友情の証ということで」
「え…それは………」
しまった。
今のセリフが悪手だというのはすぐに分かった。
………そんなあからさまに落ち込んだ顔されたら罪悪感で押しつぶされそうだ。
「あ、ごめんなさい。うちの店、商品の返品と交換は受け付けておりませんので」
空気で傍観者だった店員のお姉さんがおれの方を笑顔で睨みながらしれっとそんなことを言い出した。
けどナイスフォローです助かりました。
「…交換はできないみたいだからこれをもらってくれないか?意味は違うみたいだけど」
落ち込んだ顔から花が咲くような笑顔に戻ったがそれでも遠慮が邪魔をしてあと一歩足りないらしい。
「けど、わたしばかりアヤトからもらってしまって…何だか申し訳ないです」
ここまで頑なに自分の欲を前面に出さないでいられるなんてアオイは教会でどんな風に育ってきたのだろうか。
埒が明かないのでもう強引にネックレスをアオイにつけることにする。
「はいはい、ちょっと動かないでね」
「ア、アヤト?そんな急に」
「つべこべ言わずに。遠慮は美徳だけど過ぎると不徳だよ」
「そう言われても…」
「おれがアオイにプレゼントしたくてすることなんだから。……ほら、似合ってる」
「わ…」
アオイの上品さを崩さず、白磁のような肌の上で控え目に輝くピンクのコスモスはお世辞ぬきでとてもよく似合っていた。
「可愛い…です。ありがとうございますアヤト」
「どういたしまして」
一時はどうなるかと思ったが気に入ってくれたようで何よりだ。
コスモスを手に取って眺めるアオイを見ていると何だか嬉しい気分になる。
しばし和んでいると前世では割と聴き慣れていた音が急に街に響いた。
ーヒュ〜〜〜…ドーン!
少し離れた夜空にオレンジ色の火花が煌めいた。
「おお、花火だ」
「いよいよお祭りもフィナーレみたいですね」
「でもここからだと建物が邪魔で全体が見えないな」
通りの先にある広場で花火を上げているみたいだが立ち並ぶ住居や奥にある時計台やらで微妙に隠れてしまっている。
「人も多いし今から移動するのも無理か」
「花火見たいんですか?」
「うん。花火は『綾斗』にとってアオイのコスモスと同じだから」
「?…なるほど、そうなのですね」
前世で殺された両親と弟、そして祖母と毎年必ず見た花火は『綾斗』に残る大切な思い出だから。
できればこの目で夜空を彩る花火を見せてあげたい。
「アヤト、こっちに来て下さい」
アオイに手を握られて人で賑わう通りを抜けた路地へと入っていく。
「アオイ、どこに行くの?ここからだと完全に花火が見えないんだけど」
「わたしを信じてついて来てください!アヤトに綺麗な花火を絶対見せるので!」
そう言われるとこちらも押し黙るしか無い。
アオイに連れられて狭い路地を歩くこと十数分。何度目か分からない角を曲がった先に広がる景色におれは息を呑んでいた。
「………綺麗だ」
辛うじて出せた感想はそんな語彙のかけらもない一言のみだった。
次々と打ち上げられていく花火は大輪の花を咲かせて夜空を華やかに彩り、消えゆく儚い光が心を無性に波立たせる。
いつか『綾斗』が家族と見たものと変わらない美しさがそこにはあった。
左眼を覆っている黒い布を外し、片方の目は見えないために映すことはないが、それでも両眼にこの景色をしっかりと焼き付けた。
最後に一際大きなピンク色のコスモスを模した花火が瞬いて祭りは終わりを迎えた。
隣にいたアオイに声をかけようと横を振り向くとアオイが心配そうな顔でこちらをのぞき込んでいた
「アヤト、涙が…」
「えっ」
アオイに言われて初めて気がついた。無意識のうちにおれの左眼から涙が一筋伝っていた。
「ほんとだ…気がつかなかったな」
「大丈夫…じゃないですよね。わたしどうしたら」
「そんな、気にしなくていいよ。だって…」
…だってこれはおれが流した涙じゃないから。
ーゴーン…ゴーン…
夜の21時を報せる鐘の音が街に響いた。
「教会に戻る時間が…来てしまいました」
鐘の音を聞いてそう呟いたアオイの顔は浮かないものだった。
教会に戻るということは、彼女にとって最後の日である今日を終えることを意味すると言っていた。
その先に何が待ち受けているのかをおれは知らない。
「アオイ、本当にありがとう。おかげで綺麗な花火を見ることができたよ」
「いえ、わたしこそアヤトに手を引いてもらえたおかげでとても楽しい祭りになりました。このネックレスは宝物にしますね!」
「「………」」
「…また会えるかな?」
「………会えたらいいですね」
「そうだな。会えることを願ってるよ」
「はい。………ではわたしはこれで」
「うん、さよなら」
「さよなら」
こうしておれとアオイのデートは幕を閉じたのだった。
アオイの手を掴もうと無意識に延ばしかけた手を押し留めて…




