第36話, もう一人の世間知らず
「えっと、店主さん?どうかされましたか?」
ローブを着た人から聞こえてきたのは、あどけなくも聞いていてどこか安心する鈴の音のような可愛らしい声だった。
フードで顔を隠し、体型もローブで隠れていたために男だか女だか分からなかったが声からしてどうやら女性のようだ。
雰囲気的に年はおれと近いのではないだろうか。
隣の露店のおばさんは差し出された白金貨を受け取らずに困惑した表情を浮かべている。
「お嬢ちゃん、すまないけどこれじゃあうちで買い物はできないよ」
「これだけでは足りなかったですか?でしたらもう10枚程…」
そう言ってローブを着た少女は絹でできた白い巾着を取り出していた。
「ちょ、ちょっと待っておくれ。お金は足りてるんだよ」
「ではなぜです?」
「額がねえ、大きすぎるんだよ。うちじゃあ白金貨なんて出されてもお釣りなんて出せやしない」
「でしたらお釣りは結構ですのでどうかこのブーケを売っていただけませんか?」
少女が手に取っていたのはピンク色のコスモスと白いコスモスが混ざった綺麗なブーケサイズの花束だった。
「て言われてもねえ、魅力的な提案なんだがあたいなんかが白金貨なんか持ってたら余計なトラブルに巻き込まれちまう。悪いけど他をあたっておくれ」
「そう…ですか。失礼しました」
すげなく断られてしまった少女は白金貨を巾着へとしまい、露店を離れていった。
ードンッ…
「おい痛えぞ!」
「す、すみません」
「ちっ」
俯きながら少女が歩いていった先で二人組の男のうち片方がわざとぶつかっているのが目に見えた。
今ぶつかりにいった男とは違う横にいたもう一人の男が…
いや、それよりあの子も気付いてるはずなのに何でそのまま放置してるんだ?
「それで、金貨を持った兄ちゃんはどうするんだ?」
「………」
「兄ちゃん?」
少女とぶつかっていた二人組の男たちがこちらへと歩いてきて、先ほどの少女と同じようにおれへとぶつかってこようとする。
「おっと」
ーヒュッ…
よろめいてきた男を躱し、隣にいたもう一人の男の足を払って首根っこを掴まえて地面へと押さえつける。
「へぶっ…」
「お、おい!俺の相棒に何してやがる?!」
突然自分たちよりも歳が下のおれに組み伏せられて片方は動けず、もう一人の男はそんな光景を見て激昂している。
「あ、兄ちゃん?急にどうしたんだ?」
目の前で急に男を取り押さえたおれを見て店主のおっさんは困惑していたり、周りの通行人も何事かと騒いでいるが今はスルーだ。
「要らない欲を出すからこうなるんだよ」
そうボヤいて組み伏せた男の袖の内を探ると絹でできた白い巾着が出てくる。
「それって…さっきの白金貨の嬢ちゃんの巾着じゃ?」
「大方おれからも金貨を掠め取ろうとしたんだろうな」
自分たちがスリを働いたことが周囲にバレた二人組は途端にしおらしくなった。
そんな彼らにおれはできるだけ、極めて冷静かつ紳士的に話しかける。
「それで?お前たちはスリを働いたことが公衆の面前の前でバラされたわけだがどうするつもりなんだ?」
「…ぅせえ」
「ん?」
「ゴチャゴチャうるせえぞクソガキが!!!」
組み伏せられていない方の男がおれ目掛けて右手を突き出す。
それに合わせておれに首根っこを掴まれていた男が左の掌をおれへと向けて同時に呪文を叫んでいた。
「「『火よ 爆ぜろ <爆炎>』」」
小規模の爆発を思わせる炎二つでおれもろとも周囲を吹き飛ばし、魔法の混乱に乗じて逃走。
という二人組のスリの思惑はあっという間に瓦解した。
何せ炎は奇妙な動きを見せて周囲に微塵も影響を及ぼさず、発動した魔法による炎が直撃したはずのおれは無傷のまま先ほどと何ら変わらない様子で男を組み伏せていたのだから。
「で?どうすんだ?」
「「なっ!」」
通常ではあり得ない魔法の発動結果に二人とも言葉を失っているようだ。
周囲の人たちからすれば魔法が不完全なまま発射されたとでも思うだろうが、魔法を放った当の本人たちは何が起こったのかまるで分からないだろうな。
まあこの一帯の魔力密度をおれが弄ったおかげで魔法の発動結果に指向性を持たせたなんて夢にも思わないだろうし。
「ちっ」
「あっ、おい!俺を置いてくなよ!」
おれに捕まっていない方の男の判断は早かった。目の前のおれが自分の手に負えない相手だと分かるや否や、仲間を置いて一目散に逃げ始めたのだから。
「合理的だけど、もーちょい情とか仲間意識があってもいいんじゃないか」
ーゴキッ…ゴキッ…
「いっっってえええ!!!」
とりあえず組み伏せている男の肩を両方とも外して放置しておく。
「後ですぐ嵌め直してやるからちょっと大人しくしといてくれ。おっさん、こいつのこと少し見てて」
「あ、ああ」
すぐさま通りに並ぶ建物の屋根に飛び乗り、逃げていった男を探す。
「いたいた」
人の流れをかき分けながら走って通りを抜けようとしているのが目に映る。
右手の人差し指と中指、親指を立てて拳銃の形を作る。
「『風よ 集え <風弾> <充填:5%>』」
ビー玉ほどの大きさの風の弾が発射され、瞬く間に逃げた男へと迫ってその脳天を撃ち抜く。
「命中っと」
頭を衝撃で揺さぶられた男はその場で気を失って倒れ込んでいた。
「貴殿の早急な対処感謝いたします」
「はあ、どうも」
スリ二人組を取り押さえていたおれは今、王立都市の警備隊に男二人を引き渡しているところだ。
もちろん先ほど外してあった片方の男の肩もキッチリ嵌めてあげている。
今おれが話しているのは警備隊のリーダーっぽい人なんだか、少し周りにいる警備隊の人たちとは雰囲気が違うような。
多分結構な手練な上にめちゃくちゃイケメンだ。それも王道の金髪爽やか系。特徴といえば前髪に一房だけ燃えるような赤髪があるくらいか。異世界だとこんな人も現実に存在するんだなあ。
「やはり祭り時はどうしても羽目を外したりよからぬことを企む輩も多いですから。証言によるとこの二人は火魔法まで使っていたようですし、被害を抑えられたのは君のおかげだとか。この都市に住うものとして深く感謝いたします」
「いえ、別に大したことはしていませんので」
ここまで感謝されると何だかむずかゆい気持ちになる。たまたま金が盗まれそうになって返り討ちにしただけなのに。
「こちらが報奨金の銀貨です」
「えっ?お金が貰えるんですか?」
「それはもちろん。都市の安全を守ったものに対する正当な報酬です。…無駄遣いしないようお祭りを楽しんでくださいね。では」
イケメンスマイルにウィンク発動。
このお兄さんめっちゃいい人だ。
おれが女だったら絶対にフラグ立ってたやつだわこれ。
イケメン兄さんは銀貨をおれの手に握らせ、スリ二人組を連れて他の警備隊の人たちと颯爽と何処かへ消えていった。
「お疲れさん。兄ちゃん強いんだな」
おれが警備隊とのやり取りを全て終えたところで、始終を見ていた露店のおっさん店主が話しかけてきた。
「まあちょっと鍛える機会があってな。それよりおっさん、これならいけるか?」
そう言っておれは手元にある銀貨を差し出す。
「まあギリギリってところだな。そいつでなら売ってやるよ」
「ありがとおっさん!」
羅針盤を形どった金属細工のアクセサリーと銅貨9枚、銭貨5枚をお釣りで受け取る。
これなら他の露店でも買い物できるだろう。
「じゃあな、祭り楽しめよ!」
「おっさんも頑張って稼げよな」
「余計なお世話だ」
ニカっと笑った露店のおっさんに見送られて次の店を求めて歩き始める。
ーぐうぅぅぅ…
そういえばまだお昼を食べていなかった。
先ほどの騒動を経て警備隊に引き渡すなどして何やかんや15時を回っているのではないだろうか。
「よっしゃー、食べるぞー!」
焼きそば二人前、たこ焼き24個、フランクフルト5本に焼き鳥のタレと塩を10本ずつ。
通行の邪魔にならないよう通りから少し離れた路地に入った。
「あー美味しい」
屋台の食べ物って本当暴力的なまでに美味しいんだよな。
ごめんなさい警備隊のお兄さん。今めちゃくちゃ無駄遣いしてます。
「次はどうしようかな〜」
ーきゅるぅぅぅ…
次に向かう露店を吟味していると何とも可愛いお腹の鳴る音が聞こえてきた。
…いやいや、けしておれのお腹が犯人ではないぞ?
腹の虫の主を探すと案外近くの階段で座り込んでいた。
「あ…」
「えっ、あっ…」
腹を手でおさえた白いローブを着た少女と目があってしまった。
「「………」」
気まずい静寂。
少女は目線を切ってやり過ごそうとするも気まずい静寂の中、自らの存在を大きく自己主張するかのように少女の腹の虫が再度鳴いた。
-きゅぅぅぅ…
ローブを着た少女は慌ててお腹を必死におさえるも時既に遅し。
恥ずかしさのせいか、白磁の肌を赤く染めて茹で上がったようである。
「えっと、良かったら食べる?」
手元に持っていた焼き鳥を塩とタレの2本ほど差し出す。
「いえ、そんな申し訳ないですし…」
「買いすぎて余ってるからもらってくれたら嬉しいんだけど」
「でも…」
「それにこういったものは誰かと一緒に食べた方が美味しいから」
「………でしたらお言葉に甘えて」
ようやく受け入れてくれた焼き鳥を手渡し、おれも少女の隣に座って紙袋の中から焼き鳥を取り出す。
「あ、おかわりもまだまだあるんで遠慮なく」
「…はい」
とりあえず手持ちの焼き鳥を食べ進めること少々。先ほどのスリの件で気になっていたことを聞いてみる。
「さっき二人組の男にスリにあってたとき、盗られたことに気づいてたよな?何で何も言わなかったんだ?」
「なぜわたしが盗みにあったことをあなたは知ってるんですか?」
「現場を直接見てたし、その二人組をおれが取り押さえた時にあんたが持ってた巾着袋が袖の内から出てきたんだよ」
「…そうでしたか。それはお手数をおかけしてしまいましたね。でもわたしが盗まれたことに気づいている、ということはあなたに分かりかねると思いますが?」
「おれ片目しか見えないけど視力はいい方なんで。盗まれてく巾着袋を視線で追ってたの丸分かりだったよ」
「!…わたしの顔が見えてるんですか?!」
「え?もちろん。これだけ綺麗な顔立ちが見えないことはないと思うけど」
素直にそう述べると彼女が少し頰を紅潮させた。
いやだって実際凄い美人だし。
プラチナブロンドの絹のようなショートヘアに白磁の透き通った肌、目鼻立ちも整っていて艶やかな唇。少し幼さは残るが神々しささえも感じさせるその美貌にちょっとドキドキさせられている。
「人間じゃない?」
「…初対面の人に向かってそのセリフは失礼じゃない?」
まあ確かに半分は人間じゃなくて竜なんだけどさ。
「すみません。驚きのあまりちょっと本音が漏れてしまいました」
「顔が見えてると何かいけないの?」
「大したことじゃありませんよ。このローブを着ていれば普通の人には私の顔が見えないはずですから少し驚いただけです。別にあなたには見えてるのならそれはそれで構いません」
「そっか」
この子が着てるローブに何らかの力が働いていたのは気づいていたが違和感程度にしか感じなかった。認識阻害系の刻印が施されていたのか。
「今日はですね、わたしにとって最後の日なんです。だから時間を無駄にしたくなくて白金貨は置いて来ちゃいました。使えないお金など持っていても意味ないですからね」
「…病気か何か?」
「うーん病気ではないんですけどね。ある意味ではそれに近いかもしれません」
そう言い終えた彼女の微笑みの中にはおれがこの世で最も嫌うものが含まれていた。
諦め。
彼女が不意に見せた表情はどうしようもない現実を変えられないのだと悟った時に人が見せる表情そのものだった。
でもこの少女は救いを必要としていない。
おれに救いを求めたわけでもない。
だから…救いの手を差し伸べることはできない。
それが自分自身で定めたルールだから。
「今日この後はどうするの?」
「そうですね。このまま祭りの雰囲気を楽しんで一日を終えた後に教会に戻ろうと思います」
「じゃあおれと祭りを回ろうか」
「え?」
「この街を歩くの今日が初めてなんだ。なので案内してくれると助かるんだけど?その代わりお礼もするから」
「え、えーと。急にそんなこと言われても………」
「さっ、時間もないみたいだし早速行こうか、ほら」
彼女の手首を掴んで立たせ、そのまま屋台が多く並ぶ通りへと引っ張っていく。
「こ、こういうの初めてなのでお手柔らかにお願いします!」
「おれも初めてなんでこちらこそお手柔らかに」
「お名前を聞いても?」
「アヤト。アヤト=アーウェルンだよ。まあ好きに呼んで」
「ではアヤト。わたしは『せ………いえ、アオイ。アオイ=シェルティアと言います。今日一日はアオイと呼んでください」
こうしておれとアオイの祭りデートが始まった。




