第32話, 竜と悪魔
クリスマス用に短編小説も投稿したのでそちらもよければどうぞ!
短い式句と共に放たれた一閃は少女を、マリウスを、そして世界を捉えていた。
だが少女やマリウスには剣撃による傷などどこにも見当たらない。
不発で終わった。
そんな考えがすぐに否定できたのは、街を覆っていた黒濁りが跡形もなく消えて街は元どおりの様相を取り戻し、目の前の少女が穏やかな寝顔をしているのを見れば一目瞭然であろう。
役目を終えた白銀の城と刀とが解けるように魔力の粒子を霧散させていく。
そしてその全てが搔き消えたところでおれは視界に違和感を覚えた。
「?…ああ、そういうことか」
左眼が失明している。
手で右眼を覆うと外の様子を認識することができなかった。
まあ代償なしにこれほどの力を行使できるとは思っていなかったから想定内といえば想定内だ。
割り切るしかないだろう。
おれの左眼一つで救われない人たちを救うことができたのなら安いものだ。
失われてしまったものには早々に見切りをつけ、おれの力を目のあたりにして半ば茫然自失気味となっているマリウスに声をかけることにする。
「今のは『王の瞳』の力?…いや波長は同じだが………」
「マリウス」
「…私にも同じことができる…のか?」
「マリウス!」
呼びかけで放心状態から戻ってきたマリウスは我も忘れておれに詰め寄り胸倉を掴んでくる。
「竜皇子殿!今の力は一体何なのですか?この世の理に干渉するなんて生易しいものじゃない!あれではまるで………」
「まるで?」
「まるで…理そのものを改変するかのような…」
マリウス自身も言葉にしてはいるが納得ができないのだろう。『月の鍵』の例を見る限り、神の力を有するものでさえ理への干渉でとどまっているのだから。
「あなたは…何者なのですか?」
まあだからこんな質問が口をつくのも当然なのだろう。だが残念ながら今のおれにはこの疑問を満足させるだけの解答を持ち合わせていない。
なのでこう答えるしか無かった。
「転移者で竜皇子、そして自分の道を歩むために世界に真っ向から刃向かう存在だな」
「………あなたは眩しい人ですね。それでいて救いを求める人に手を迷わず差し伸べられるほど優しい。………とても私とは違う」
目の前で俯くマリウスはもはや悪魔などではなく現実に打ちのめされ、弱い心を晒した人のそれだった。
そして以前のように取り戻した人としての感情を再度奪われることももう無さそうである。
「マリウス、お前にも誰かかけがえのない大切な人がいたんじゃないか?」
「急に何の話ですか?」
「いいから答えてくれ」
「…ええ、確かにいたのだと思います。けれどもこの身を悪魔に堕として以来、一度も思い出せたことが………」
そこでマリウスは言葉に詰まり、そして大粒の涙を流し始めた。
「レイ…ティア………」
狂気でも盲信でもなく、人としての意思を宿した瞳からは涙が溢れ続けて頰を伝っている。
「そうだ…レイティア………レイティア………レイティア………」
何度も何度も、その名前を二度と忘れないよう心に刻みつけるかのごとく繰り返し呟いている。
「私は二千年もの間、あなたのことを忘れていたなんて…」
取り戻した過去の記憶に胸の内で浸っているのか、はたまた大切な人を忘れていたことへの謝罪の気持ちで嘆いているのか。
「最後に一つだけ聞いてもいいか?」
「…何でございましょう?」
「お前は何のために、誰のために、これから戦う?」
自らの心の奥底を他人に曝け出すことほど、恐ろしいことはない。
けれども、一度壊れた心を取り戻すにはそれ以外に道は残されていないのだ。
マリウスが亡霊のように突き動かされるのではなく、再び人として心を機能させて歩くためには。
マリウスは目を背け続けてきた心に、人の心を取り戻すことに怯えるように、口を開いてはつぐみ、そしてゆっくりと開いて二千年間積み重ねてきた想いを打ち明け始める。
「…私は………私にはどうしても救いたい人がおります。彼女は今も、その全ての穢れを一身に受けて苦しんでいる。二千年もの間、彼女はこの世界の楔として囚われ続けている。そんな彼女を救うために、私は全てを投げ打ってでもこの世界に抗いたい!!!」
その答えを自ら言い出せたマリウスの瞳には、五年前に僅かに見えた、人の意思と覚悟の光が宿っていた。
そしてその光が失われることはきっとないだろう。
彼が彼であり続ける限り。
おれがおれであろうとするのと同じように。
「そうか」
心の内を語り終えたマリウスはしばらくの間その場を動くことはなかった。
そんなマリウスを一人にさせてやるために、おれは目の前で横たわっていた少女を抱えて城の天守閣へと戻っていた。
奥の部屋にあった布団を引っ張り出してその上で寝かせてあげる。穢れに侵されていたときに比べて顔色も大分良くなっているし、呼吸も落ち着いているのだが一向に目を覚ます気配はない。
人柱としての役目からは解放させることができたが長い間、穢れに直で晒されていた過去は変えられなかった。何か後遺症を残させないためにも他の手を打つ必要があるかもしれない。
これからの行動方針を漠然と考えていたおれの元にマリウスがやってきた。
「少女の具合はいかがですか?」
「呼吸は落ちついてきてるし顔色も良いんだけど目を覚ますかが心配だな」
「あれだけの穢れを抱え込んでいたのですから回復までそれなりに時間はかかるでしょうな」
「そうだな」
「これからどうされるおつもりで?」
「うーん、最初はここで『月の鍵』に関する情報を集めたいなって思ってたんだけど」
「けど?」
「ぶっちゃけそういう話はお前に聞いたほうが早いかなって」
何せこちらの悪魔様は二千年もかけて『月の鍵』『太陽の指輪』『王の瞳』を追ってきたのだからこれ以上の情報源は無いのだと思うのだが。
「いえ、そうとも限りませんよ」
「ん?何で?」
「『月の鍵』に関しては私もここ十数年でやっとその存在を掴めたところですので。リアナに『月の鍵』が宿っていたのなら、あの研究気質のアスラが調べずにはいられないでしょう」
「おれの両親と知り合いみたいな口ぶりだな?」
「知り合いも何も私は、かつてアスラが率い革命軍の初期メンバーの一人だったので盟友と言っても過言では無いですよ」
「初耳なんだけど。えっ、それならウェル姉のことも知ってたわけ?」
「彼女がまだ幼いときに一度だけ会ったことがありましたよ。まあその後すぐ私は革命軍から抜けているので彼女は私のことを知らないでしょうね」
「へー意外な接点だ」
「まあそれはともかく、アスラなら何らかの記録を残しているのではないかと」
「なるほど、そっちの方が手がかりとしては有用なわけだ。ならしばらくはここに残ってこの子の看病と調べ物をするかな」
「そうですか」
「マリウスはこれからどうすんの?」
「私は…やはりレイティアを救うために新たな神をこの世界に誕生させたい。そのために全霊をかけようかと」
「ならおれと来ないか?」
「………いいのですか?」
「いいも何もおれには妹を救いたいという想いがあって、それにお前が求める『月の鍵』が関わっている。要は利害の一致だな」
おれはマリウスに右手を出して握手を求める。
「なるほど、そういうことですか」
「竜と悪魔が手を組めばこんな世界軽く蹴散らせるだろ」
「フフ、それもそうですね。やり過ぎないように気をつけなければ」
マリウスはおれの手を握り返し悪魔的な笑みを浮かべる。
竜と悪魔。
相容れない二つの存在がここで交わり、その波紋が世界へと大きく広がっていくことになるのは、もう少しだけ先のお話。




