第25話, スパルタ修行
大きな岩場の陰に身を隠し、オリシディアが追いかけてくる気配がないことを確認してから竜魔法による<竜化>(といってもまだ不完全なもので、人に竜の形質が掛け合わさった正しく竜人という様相であるが)を解除する。
鋭い爪や牙は元通りに、角張っていた手足は丸みを帯びていく。
人の身体には本来ないはずの尻尾や皮膚の表面を覆っていた白銀の鱗は光の粒子となって剝がれるように綺麗さっぱりと消えていく。
岩を背もたれにするようにして座り込み、束の間の休息を取り始める。
「はぁ…はぁ…」
竜魔法は恐ろしいほど膨大な魔力を消費する。
今のおれでは竜化状態を数分ちょっとしか維持することができないが、その反面に得られる身体能力は桁違いであった。
音速を超える速さで地を駆け抜け、その爪は岩をも易々と引き裂き、縦長に切れた瞳孔を持つ眼は遥か彼方の一切を見通すことができる。
だというのにオリシディアはそんなおれを瞬く間に見つけ出しては追跡を再開するのだ。
それも竜魔法も使わず素のままで。
今行っている訓練は、制限時間を設定して、追いかけてくるオリシディアからおれが逃げるという単純なものだ。
要は鬼ごっこをしているのである。
ただその実情は和気藹々としたものではなく、鬼に捕まってしまったらその日の飯のおかずが削られていくというペナルティが設けられている。
そのおかげでここ数日はまともな食事をとることができていない。
最近はもっぱら洞窟の泉の水で腹を満たし、空腹を紛らわせるという極限状態だ。
こんな訓練方法を思いつくなんてオリシディアは正真正銘の鬼なのではないだろうか。
絶対そうに違いない。
ーグゥ〜〜〜…
回らない頭の中で幼稚な悪態をつきながら、食べ物を寄越せと訴えかけてくるお腹を押さえる。
「腹減ったなあ…」
返事など微塵も求めていない独り言。
「では早くご飯がいっぱい食べられるよう、頑張りましょう」
ギギギ…と錆びた機械のようにぎこちない動きで首を横に動かすと、そこには鬼が座っていた。
そう鬼だ。
鬼に捕まったおれは、今日も今日とておかずが0品の夕食が決まったのだった。
一日の訓練が終了を迎え、オリシディアの後ろについて彼女の住処に戻る道中、力が欲しいとオリシディアに訴えかけたその後のやりとりを思い出していた。
時は少し遡る。
〜〜〜
墓場を離れてオリシディアに連れられ、たどり着いた目的地は岩も都市の残骸もない見渡す限り白砂の砂漠であった。
「もう少しこちらでしょうか?」
オリシディアは辺りを見渡しながら独り言ち、何かを確かめるように立ち位置を調整している。
満足がいく場所であったのかおれの方へと向き直り、手をパンッと合わせて目を瞑る。
「『終獣の楼閣:<時重>』」
オリシディアを中心として青藍の魔力で形取られた塔が出現し、全方位に魔力の波紋が広がっていく。
水面に水滴を一粒落としたかのように広がっていった波紋は、逆再生でもするかのように再び円の中心に位置するオリシディアへと戻ってきた。
閉じていた瞼をゆっくりと開き、合わせていた手の平を離して下ろす。
高くそびえるように構築された塔は展開されたまま消えることはなさそうだ。
「始めましょう」
幻想的な光景に言葉を失っていたおれにオリシディアは鍛錬の開始を告げる。
「…は、はい!」
緊張していたおれにはそう答えるのが精一杯だった。
そんなおれの様子を気にすることもなくオリシディアは言葉を続けていく。
「まず私がこれからあなたに教えることは二つ。一つは竜魔法の扱い、もう一つは『魂の刻証』の引き出し方」
竜魔法についてはステータス欄にも書かれていたから理解できるが、『魂の刻証』とやらはまるで聞いたことのない単語だ。
「オリシディアさん、『魂の刻証』って何ですか?」
「『魂の刻証』は人の魂に刻まれた情報を魔力で実体化させたモノのことを言います。この世界の上位者なら必ず身につけている魔法とはまた違った術の一つ。記憶にないですか?」
魔力で実体化させたモノ…
「ウェル姉が、それに襲撃してきた悪魔も使っていたと思う」
「私のこの楼閣もそう。この楼閣を中心とした結界の中は、結界外より時間の進みが早いから修行にうってつけです」
…あれだ、願い玉を集める物語に出てくる修行部屋と一緒だ。
「効果範囲は私が支配する領域の約8割、拠点も含まれてます」
「それってどれくらいの広さなんですか?」
「そうですね、大体半径500km圏内といったところですね」
ちょっと広すぎやしませんか?
おれのそんな心の声を感じ取ったのかオリシディアは補足を入れてくれる。
「これから行う訓練のことも考慮に入れればこのくらいの広さは必要になります」
改めて魔力によって構築された楼閣を深く観察してみる。
おれが今使える初級魔法や中級魔法とは比べものにならないほど、精緻な魔法陣が効率的に配置してあり、さらには月や星との位置関係をも加味されているのだ。
もはや芸術的な作品として完成されているのではないかと見紛うほどの美しさだ。
(これが『魂の刻証』…!)
あまりの美しさにオリシディアに畏敬の念を覚えるとともに、こんな術式を自分も生み出せるのかと思うと心が震えた。
「お気に召しましたか?」
「はい、とても!」
「『魂の刻証』を扱えるようになるには、今のあなたではまだまだ力不足です。ですのでまずは竜魔法をモノにするところから積み重ねていきましょう」
「はい!」
どんな時でも新しいことに挑戦する時は心躍るものだ。
そのための一歩をおれはこれから踏み出していくのだろう。
「ではまず服を脱いでください」
「はい?」
踏み出して…
「服を脱いでください」
「………」
「………」
気まずい沈黙が場を支配する。
いや気まずいと思ってるのはおれだけか?今服を脱げって言われたよな。
二回言われたし聞き間違えではないはずだ。
おれ心は19歳でもまだ身体は10歳だからそういう一歩を踏み出すには早いと思うんですが…。
「竜魔法で人の身から竜に変身すると、そのままでは服が破けてしまいます。その対策として服に魔法を施すので一度脱いでください」
あーそういうことですか。
初めからちゃんと説明してくれたらいいのに。
ていうかこの人勘違いさせるような言い回し多いな。
それともおれの心が汚れてるだけか?
「分かりました」
最初の治療の際に裸を見られているわけだから気にするのも今更か。
そう思い直してパパッと服を脱いで折り畳んでいく。
オリシディアは懐から魔法陣の描かれた紙を取り出しおれに手渡してくる。
「この紙にあなたの魔力を流し込んでください」
言われた通りに紙に魔力を流し始めると、紙に描かれた魔法陣がおれの青白い魔力で空中に構築される。
すかさずオリシディアは呪文を唱え始めた。
「『水よ 混ざれ <水練>』」
衣服と魔法陣が重なり同化していく。
ボワーっと青白い光を発したのち、そこには見た目が全く変わらないままの服が置いてあった。
「成功?」
「これで問題ないはずです。もう着ても大丈夫ですよ」
身体が冷えてきたので是非そうさせてもらおう。
素早く服を着込みながら後学のために今の魔法の原理を聞いてみる。
「今の魔法ってどういう原理なんですか?」
「原理としては魔道具による刻印と一緒です。道具に魔法陣を彫って特別な効果を付与するのが刻印。その魔法陣を彫る過程を魔法で行うというある種の裏技ですね」
「へぇー」
世の中にはおれの知らない知識がまだまだ溢れているようだ。




