第23話, 滅びた世界に新たな火種
第二章二話!
ピチョン………ピチョン………
頬を冷たい何かで打たれている。
朦朧としながらも意識を取り戻すと、それが鍾乳石から滴る水滴であると分かった。
身体が冷たい。
どうやら裸で窪みにたまった水に浸っているようだ。
(死ん…だ?)
頭を左右に動かすと淡白い光にぼんやりと照らされた洞窟が目に入る。
(風情のない天国だなあ…いや地獄かもな)
自嘲気味になりつつ身体を起こすと、ふと気づく。
(あれ、傷が塞がってる?それに魔力もほとんど回復してる…って死んだならそれもそうなのかもな)
ひとまず泉から上がり身体の水滴を払うように落としていく。
泉の冷たい水で顔を洗い、前髪を水に濡れた手でかき上げ意識をはっきりとさせる。
「ふう…」
(これからどうしたらいいんだろう…)
ここが死後の世界であり、今までのことも全て忘れていたのなら悩むこともなかったのだろうが、身体の感覚ははっきりとしており、自分には意識を失う前の記憶がバッチリ残っている。
おれは生き延びたのだろう。
生き延びてしまった。
あの温かい居場所はもう世界のどこにも存在しない。
ウェル姉はおれとカヤナを守るために命をかけ、そして死んだ。
カヤナはおれを守るために、『月の鍵』を使い自らの存在を消してしまった。
おれは?
おれはカヤナとウェル姉のために何をした?
冷たくなったウェル姉の頬と手、カヤナの自責と恐怖に満ちた表情を思い出して吐き気がする。
「うっ…うぇっ…」
口の中に胃液の苦さが広がる。
「はぁ…はぁ…はぁ………」
水面に映る情けない自分の姿。
無力感に押しつぶされて光を失った瞳。
自分にとってかけがえのない大切なものを失った今、一体おれには何が残っているというのだろうか。
「目が覚めましたか」
ふいにかけられた、抑揚は無いがよく通る澄んだ声。
声が聞こえた方に顔を向けその姿を探す。
その声の主の姿を見て思わず息を呑む。
目を向けた先にいたのは黒い光沢を持つ身体に青光のラインが刻まれた人型の何か。
わずかに胸の膨らみがありくびれもあるから女性であろうか。
その存在は稀薄でともすれば見失ってしまうほどだ。
だが息を呑んだのはそれが理由ではない。
その女性の顔の造形にカヤナの面影を見てしまった。
「カヤナ…?」
違うことは分かりきっている。
こんなところにいるはずがない。
そんなことは百も承知だ。
ただ縋るように問いかけずにはいられなかった。
「?どこの誰と勘違いされているかは分かりませんが少なくともあなたが言っている人ではありませんよ」
分かりきっていた答えではあるが、直に否定されて気持ちが沈む。
「そう…ですよね」
いるはずがない。
そう自分自身に言い聞かせている今のおれの顔は、きっと見るに耐えないものだろう。
そんなおれを気にした様子もなく彼女はおれに無機質な声をかける。
「こちらにタオルと替えの服を置いておきますので着替え終わったら表に出てきてください」
そう言い残して彼女は階段を上って行った。あそこから外に出られるのだろうか?
彼女が用意してくれた服を手に取り袖を通していく。
黒で統一された着物のような上着に、袴のようにゆったりとしたズボン。表面に鈍い光沢がある靴を履き、最後に白のローブを身に纏う。ローブの縁は金で紋様が描かれており、素朴ながらも控え目な華やかさがあった。
着替え終えて階段を上り、洞窟を出て目に飛び込んできた空には無数の星々が散りばめられ瞬いており、白く輝く満月が煌々と世界を照らしていた。
しかし満月が照らす世界は夜空とは対照的で白砂に瓦礫に枯れた木、草一つの植物もネズミ一匹の気配もない冷たく静かな世界であった。
少し先の岩場に先ほど服を用意してくれた女性がいたのでそちらに近づいていく。
後ろを向いていたのにも関わらず、近づくおれの気配に当然といった様子で気づいた彼女は振り返ることなく告げる。
「少し歩きましょうか。連れて行きたい場所があります」
彼女に何かを強制されるような義理は何もない。
ただ大切を失い、この世界で生きる全ての目的が途絶えたおれは彼女の後を大人しく付いて行った。
荒廃した世界を彼女と二人、歩を進めていく。
静かで秋のような肌寒さのこの世界は今のおれには少し心地よかった。
少し歩いた先には周囲より小高い丘があった。
丘の頂上へと続く緩い坂道を無言のまま登り進める。
丘を登りきった先に広がる景色の遠くに、無惨に崩壊した都市のなれ果てが散らばっているのが見えた。
そして目の前にはおれの身長の半分ほどの高さの石碑があり、その石碑の前には白い花が一輪だけ添えられていた。
彼女に促され石碑の前で片膝をつき、そこに刻まれた文字を読む。
アスラ=アルゴノート
リアナ=アーウェルン
ウェルシア=テラスト
彼の者たちに安らかなる眠りを
「…ウェル姉はこの下に?」
「はい、安らかに眠れるといいのですが」
「そっか」
石碑に刻まれたウェル姉の文字を指でなぞり、手を合わせて黙祷する。
目を開けると彼女も傍で両膝をついて黙祷を捧げていた。
祈りを捧げ終わると彼女はチェーンの付いた一つの宝石を差し出してきた。
「あなたが持つべきものです。受け取ってください」
両端の尖った翆色の宝石。手に取るとウェル姉の魔力が感じ取れた。
「これって…」
「ウェルシア=テラストの魂が込められています。どうかあなたと一緒にいさせてあげてください」
宝石を両手で握りしめて胸に抱え込む。
涙は出てこない。
叫びも嘆きも嗚咽もない。
それでも絶望に刃向かうための勇気が、新たな火種が、心のうちに確かに芽吹いていることにおれは気づけたのだった。




