第20話, 愛するが故に
次話にて第一章は完結となります。
明日の朝第2話を割り込み投稿して、夜には第一章の最終話を上げる予定です。
少しでも面白いなあ、と感じていただけたのならブックマーク、評価等していただけると嬉しいです!
辺りは恐ろしいほどの静寂に包まれ、砂煙がモウモウと立ち昇る。悪魔の姿は見えない。
けれども警戒を切らすこともなく、おれとウェル姉は砂煙を睨み続ける。
「『<一刻>』」
ーバチィィィン…
おれとカヤナの目の前で、紫色の閃光が弾けた。
何が起きたのかは全く分からず、ただ気づけばおびただしい数の雪の結晶の残骸が視界を散乱しており、その先ではウェル姉がお腹に小さな風穴を開けていた。
「うっ…」
ウェル姉は傷を抑えてよろめくも、何とか倒れずに踏みとどまる。
「ウェル姉!」「ウェルお姉ちゃん!」
「『忌み子の揺り籠』」
ウェル姉の側に駆け寄ろうとしたおれとカヤナを制止するかのように腕を振るうと、背後の森が蠢き出しておれとカヤナをともに木の幹や枝でできた籠に囚える。
口を塞がれ、身体を拘束されて吊るされ、声を出すことも身動き一つ取ることもできない。
幸い目は塞がれなかったために外の様子を窺うことはできるが、逆に言えば今のおれとカヤナに許された行動はそれだけだ。
砂塵の中で二つの影が揺らめき、微かな傷と土で薄汚れた悪魔たちが出てきた。
(ウェル姉の一撃をまともに食らって、あれだけの傷しか負ってないのか…)
「【到達者】のみが使える殲滅魔法を対人戦用に小規模化、さらに反射、圧縮することで威力を増幅か。けど”レベルⅢ”が”レベルⅨ”に敵う道理は覆らねえよな?」
ベルリナは不敵な笑みを浮かべるとともに自身が召喚した槍を二本手に携えて瞬く間にウェル姉との距離を詰める。
ギリギリのタイミングで反応したウェル姉はベルリナの突き、払いを紙一重で躱し、身体をはじくかのように横方向に移動して固有魔法による樹木操作で何とか体勢を立て直す。
ベルリナが手を振りかぶると背後に携えられた槍が次々と射出され、その全てがウェル姉めがけて飛んでいく。
相対するウェル姉は迫り来る槍を樹木を操作してその圧倒的な物量で迎え撃たんとする。
激しい攻防。
いやそう感じられたのは今この瞬間までで、もはやウェル姉は防戦一方になっている。
やがて全ての樹木を斬り伏せてウェル姉を串刺しにしようと到達した槍が数本。
それをウェル姉は一本目、二本目とかわすも三本目に左脚を貫かれて行動を大きく制限される。
さらには追尾によってやがて全ての槍がウェル姉を貫いておれとカヤナの目の前で空中に磔にされるように固定された。
眼前で傷つき、血を流すウェル姉を前にして見ているだけでいられるはずがない。
カヤナも同じ気持ちなのだろう、木の拘束を抜け出そうと必死にもがく。
「「んーっ、んーーーっ!」」
もう一人の悪魔レヴィは軽い足取りで磔にされたウェル姉の下へと近づき、俯くウェル姉の顎にそっと手を寄せて顔を上げさせる。
「あっけない幕引きですわね舞姫。何か言い残すことはおありですか?」
「…………るわ」
消え入りそうな声で囁くように、けれど確かにおれとカヤナに向けた言葉をウェル姉は呟いた。
「いつまでも…愛してるわ」
一筋の涙が流れた。
拘束から逃れようとすることも忘れ、ただ押しよせる感情に心が潰れていた。
「あら、あなたにも愛を伝えられる方がいたのですわね」
レヴィはクスクスと楽しそうに笑う。
「自慢の可愛い弟と妹にね」
自信のある精一杯の声で応えたウェル姉を前に、レヴィはそれ以上追求せず間合いを取る。
「…元気でね」
「「んーーーっ!!!」」
おれとカヤナは拘束を引き千切ろうと全力で足掻く。
涙を流しながら、うめき声をあげながら、肌が擦れ血が滲もうとも形振りなど一切かまわず、足掻き続けた。
振り上げられた鎌はゆっくりと弧を描き、そして深々とウェル姉の胸を刺して貫いた。
鮮血が鎌を紅に染め上げ、刃から血がつたうように流れ出した。
全身の力が抜け落ち、表情は消え、光を失った瞳は何も映さず、ただただ血の滴る音だけが響いていた。
糸が切れたマリオネットのように、ウェル姉は事切れていた。
(嘘…だろ?)
微塵も動かないウェル姉に手を伸ばし触れようとするも木に阻まれて届かない。
なんで…なんでだよ。
どうしてこうなるんだよ…
死んだ。
ウェル姉が死んだ。
もう二度と話すことも、一緒にご飯を食べることも…あの笑顔を見ることもできない。
ベルリナがレヴィの下へと近づき声をかける。
「ん?おいレヴィ、なんで魂を刈り取らねえんだ?」
「違うわ、刈り取れなかったのよ」
「おいおい、主様と同等以上の加護を舞姫が持ってるっつうことか?」
「そういうことになるわね」
「ちっ、折角【到達者】を仕留めたっていうのに無駄骨かよ。久々にマシな魂が喰らえると思ってたのによお」
何かがおかしい…
どうしてあの悪魔二人はおれたちを見ない?
なぜおれたちを殺そうと行動を起こさない?
「何はともあれ、ここで舞姫を仕留めることができたのは僥倖だったわ。これで残りのイレギュラーは三人。主様から受けた命令の完遂に一歩近付いたわ」
「まあそれもそうだ。んじゃまさっさと引き上げるか」
「そうね、魂を刈り取れないんじゃここに残る意味もないわ。早く主様の下へ帰りましょ」
そう言い残して二人の悪魔は黒い翼を広げてこの場から去っていった。いともあっさりと。
まるでおれたちの存在を忘れてしまったかのように。
ああ、そうか。そういうことか。
違和感の正体がはっきりと分かった。
ウェル姉はこの檻でおれとカヤナの存在を消したんだ。
自分の命を犠牲に捧げて。
おれとカヤナだけが必ず生き残るために…。
ープツン…
その答えに自分の中でたどり着いた瞬間、前世で幾度となく聞いていきた心にヒビが入る音ではなく、完全に心が途切れる、おれの中で何かが根本的に変わってしまうような、そんな音がした。
ウェル姉の檻に囚われ吊るされて、どれほどの時間が経ったであろうか。
その間おれもカヤナもずっと無言だった。
泣きもせず喚きもせずただ淡々と時を過ごしていた。
いつのまにか空が青みがかり始め、朝を迎えようとしていた。
朝日がゆっくりと差し、木の檻がボロボロと崩れ落ちていく。
長い夜が明けたというのにひどく物悲しかった。
自由になった身体でゆっくりとウェル姉の骸に近づいていく。
途切れた心のどこかで期待していた。
ウェル姉はまだ生きているのではないかと。
またいつものように優しい微笑みを見せてくれるのではないかと。
だがウェル姉の頰に触れてもそこに体温は感じられなかった。
ウェル姉の身体を貫いている槍と鎌を一本ずつ丁寧に抜いていき、最後の一本を抜き取って身体を地面にそっと横たわらせる。
感情が凪いでいる。
荒れ狂うどころか、さざ波でさえ立っていない。
おれの心の内は完全に止まっていた。
(…これが普通なのか、おれがおかしくなったのか、どっちが正しいんだろうな)
今際までの出来事は全て夢で、目が覚めればいつも通りの日常が、カヤナとウェル姉との三人で笑い合う日々が待っているのだと信じたかった。
ウェル姉の手をギュッと握りしめる。
「ウェル姉、好きだよ。一人の女性として、ウェル姉のことが好きになったよ。初めて、誰かを好きになれたよ」
今の自分を認められた時に伝えようと思っていた言葉が不意に零れた。
できればこんな形では伝えたくなかった。
けれどもおれがおれでいるために、前に進んでいくためには必要な言葉だった。
「カヤナと『アヤト』の人生は、これからはおれが守るから安心して」
涙は出てこなかった。
後ろを振り返るとそこではカヤナが座り込んでいた。
その目は虚ろで空を彷徨い、腕は力なく地面に投げ出されて自分を見失っているようだった。
おぼつかない足取りでカヤナに近づき、膝をついてカヤナの手を上から添えるそうにそっと手を伸ばす。
カヤナの手に触れた瞬間、何かに怯えるようにおれの手から逃れて後ずさった。
「カヤナ…?」
おれの呼びかけに反応して顔を上げたカヤナの表情は恐怖で染まりきっていた。
カタカタと震えだす身体を抱きかかえてうずくまる。
「また、カヤナは…カヤナが…カヤナの…せいで………?」
「落ち着けカヤナ、これはカヤナのせいなんかじゃない」
距離を詰めて両手で肩を持ち、言い聞かせようとするもカヤナは一向に聞く耳を持とうとしない。
「いっ、いやっ、来ないで…来ないで!」
カヤナの強い拒絶と共に眩い銀色の粒子が凄まじい勢いで立ち昇り、カヤナの意思に応えるかのようにおれをカヤナから強引に引き離すよう吹き飛ばした。
「ぐっ…」
地面に叩きつけられうめき声が漏れる。
銀色の粒子は尚もカヤナから溢れ出し、フワフワと空中を漂っている。
その光景はとても綺麗で幻想的で、けれどもとてつもなく悲しいものだった。
(これは一体?)
銀色の粒子が一箇所に集まり出し、そこには月の光のように白銀の淡い輝きを放ち、幾筋ものラインが丁寧に描かれ細部まで意匠の凝らされた、まさしく鍵と呼べる代物が顕出していた。
(あれが『月の鍵』なのか?)
鍵を顕現させた当の本人は何かに魅入られたように、熱に浮かされた様子で恭しく鍵を手に取り、その胸に抱く。
「カヤナが消えれば…」
その言葉を聞いた瞬間、マリウスの言葉が脳裏に蘇った。
『月の鍵』は所有者の求めに応じる、と。
「アヤ兄を失わずに済む、守ることができる」
いつの間にかカヤナの瞳には光が戻っていたが、そこには自責と恐怖とがごちゃ混ぜに感じられた。
「スー…ハー…、スー…ハーーー………」
カヤナは鍵をナイフに見立て、先端を胸の中心に狙い定めて振りかぶる。
「やめろぉぉおおお!!!」
叫びとともに伸ばしたおれの制止の手は間に合うはずもなく、鍵はカヤナの胸へと突き刺さる。
カヤナの姿は白銀の粒子となって、その粒子全てが『月の鍵』へと吸収されていき、後には何も残らなかった。
持ち手を失った鍵が地面に落ち、一時遅れて世界が銀色に爆ぜた。




