大団円 源頼義、帰路に着くの事(その三)
長話が過ぎた。もうそろそろ出立せねば国府への到着が遅くなってしまう。頼義は誐那鉢底法師に改めて最後の挨拶を済ませた。
「膝枕の約束、忘れるでないぞ。ワシャ楽しみにしとるからのう」
法師がネズミの姿で悪戯っ子っぽく笑う。
「なんですかあ、それ?」
影道仙の問いに頼義は静かに微笑むだけだった。彼女ともここでまた別れる事となる。驚いた事に彼女は京には戻らず、国定少年に付き従って上野国に留まるという。袮々討伐は彼ら「上州百足党」の人々の悲願であった。彼らは影道仙に助勢を頼まれていなくても喜んで頼義に協力してくれたろう。しかしそれでも影道は彼らを死地に追いやったのは自分だという自責の念を拭いきれず、せめてその罪滅ぼしの一端にでもと彼ら百足党の再興に力を貸す所存であるという。
「今回の件で百足党の皆さんは人材激減で大弱りですからねー。ここはポンちゃんの知識と技術とコネが役立つ事でしょう。それにこんな美少年が成長していく姿を間近で鑑賞できるチャンスなんて滅多にありませんからな、にししししし」
なんだか妙に邪悪な笑みを浮かべる影道に、隣にいた次代の「国定」少年が冷や汗をかきながら身じろぎする。
影道は気軽に言うが、しかしそれは帰還して近江にいる自分の元に馳せ参じよという、師匠である陰陽博士安倍晴明の命令に背く行為でもあった。
「あはははは、まあなんらかの処罰は下されるかもしれませんねー。下手したら処断されてしまうかもですが」
「そんな・・・!」
まるで明日の天気でも占うように己の死の予感を語る彼女に頼義が声を荒げる。影道仙の方は変わらず飄々とした口調で言葉を続けた。
「いや、まあ、ホラ私ってばいわゆる『式神』というか、所詮はただの使い魔ですからー。その辺りはもうしょうがないかなーと」
「・・・・・・」
「その辺りの話はまた会う機会があったらゆっくりお話ししましょう。ぶっちゃけお師匠さまに怒って私を斬るくらいの感情があるならばそれはそれで良きかな良きかなという事です」
「そう・・・」
「ほらほら、別れに涙は禁物ですよう。こういう時こそ笑ってグッバイというのが青春ってやつさあー」
「いや別に泣いてもないけど」
「泣かないですかそうですかそれはそれでポンちゃん心中フクザツです」
微妙は表情になってションボリする影道仙を見て頼義は今度は心からの笑顔を見せた。
「じゃあねポンちゃん。いえ、陰陽師影道仙女よ。また貴女と相見える日がありますように」
「個人的には我々が出会うという事はろくなことが起きていない証拠ですからできれば避けたいところですが、私もそう願います。どうかお元気で」
最後に軽くギュッと頼義を抱きしめたこの少しトボけた陰陽師は、国定少年の手を引いて一路東山道を西に登って歩みを進めた。頼義はもう一度最後に誐那鉢底法師に会釈をし、そのまま反転して影道仙たちとは逆に東へ降る道を進んで行った。いずれ衣川に行き着いたところで船を使ってそのまま常陸国府まで進む事になるだろう。人気の無い往来のど真ん中で分かれて旅立って行く二組の旅人たちを見送っていた誐那鉢底法師が、静かな声で誰かに向かって声をかけた。
「会わんでよかったんか?」
法師の言葉は道を囲むように続く樹々の中にひっそりとたたずむ青年に届いていたようで、彼はのそりと姿を現しながら誐那鉢底法師の近くまで寄って来た。
「いい。アイツが生きて帰れるんならそれで十分だろ」
六尺を優に超える巨漢のその男は、もう見えなくなった頼義の足跡を追うように遠くを眺めていた。その顔に浮かぶのは笑みだったか。
「一目ぐらい会っていってやりゃあ良かったろうに。ツレないやっちゃのう」
「いいんだよ。アイツは一人でもう十分にやれる。俺が側にいる必要も無い。ならば、今度は俺がアイツの側にいられる人間であるように気ぃ張らねえとな」
そう言って仁王立ちしている大男・・・坂田金平を茶化すように法師が言葉を挟む。
「ほほ、平素は放蕩無頼を気どっちょるクセに、結局の所根は生真面目な貴族のボンボンじゃのうお前さんは。そうかそうか、それほどまでにあの娘っ子を大切に思うちょるか。あのどーしようもない鬼っ子じゃったお前がのう」
金平の肩に乗り上がって誐那鉢底法師がチチチっと笑い声を響かせる。
「なんだよその親戚のじいさんみてえなものの言い方は。そんなんじゃねえよ。今回の件は俺のご先祖が撒いた種みたいなもんだったからな。借りは返さなくっちゃよう」
「ふふん、まあそうでなくてはワシもお前さんに頼み込まれて手を貸した甲斐が無いっちゅうもんじゃ。元教育係としてはお前さんの精神的成長が見られて嬉しい限りじゃわい。それだけでも今回の足労には十分すぎる報酬じゃよ」
調子に乗って頭の上にまで登ったところをはたき落とされながら、まるで悪びれもせずに法師が言葉を続けた。
「で、お前さんの方はどうじゃったんじゃい?首尾よく行ったのか?」
「・・・ああ、まあ、な」
「さよか。そりゃあ重畳。では我らも参ろうかの、当ての無い流浪の旅へ。できればかわいい女の子がぎょうさんおるとこがええのう」
軽口のやまない法師を無遠慮に頭陀袋の中に放り込んで、坂田金平は最後にもう一度だけ頼義の去った方角に目をやりながら
「じゃあな」
と一言だけ口にして背中を向けて去って行った。
彼がどこへ向かって行ったのか、知る者はいない。