頼義、袮々切丸を振るうの事(その一)
「さあ震えろ!絶望に、恐怖に!!」
今や己の優勢は揺るぎないものと確信した袮々が上半身に貼り付いた顔でゲラゲラと笑いだす。下の方の新しく獲得した顔はまだ同調が十分ではないのか、上の方の顔たちとは違い苦悶の表情を浮かべたままである。
「一郎太、笹丸、二郎四郎・・・」
介抱する影道仙の腕の中で朦朧とした意識の中で百足党の少年は肉柱に貼り付いた同胞兵士たちの名を目のつく先から呼びかけている。しかし袮々に取り込まれた彼らには少年の弱々しい声は届かず、ただひたすら「NeeNeeh」という鳴き声を繰り返すだけだった。
頼義は見えぬ目でなお眼前の肉中を力強く睨みつける。
「まったく、全くなんという体たらくよ。一度ならず二度までもそのように取り込まれるとは」
頼義が真正面にいる佐伯経範の顔に向かって怒声を浴びせる。経範の顔は他の顔と違って鳴き声一つあげずに押し黙ったままである。
「吠えろ吠えろ。いくら罵声を浴びせたところでただの人間にできることはそこまでよ。精々声が枯れるまで騒ぐが良い。その音声こそが我が耳に心地よいぞ」
袮々は完全に調子に乗って頼義に冷笑を浴びせ続ける。
ふう、とため息をついて頼義は最後にもう一言だけ経範に声をかけた。
「おい、起きろ経範。月が昇るぞ」
その言葉を合図としたかのように佐伯経範の顔がカッと目を見開いた。それ自体が満月のような黄金の瞳の中で丸い瞳孔が見る見る細くなって行く。完全に「虎」の目となった経範は袮々の出す鳴き声とは違う、大地を揺るがすような号声をあげた。
「主人、我が名誉のために申しますが、此度はわざとですからな。そのあたりご斟酌いただきたく・・・」
「あー、わかってるわかってる。しかし経範よ、死ねない身体というのもそれはそれで難儀なものだな」
「はあーっ!?」
ようやく今更のように事の異変に頂上の袮々の顔が驚きの感情を見せる。そうこうしている間にも「虎」となった経範はブチブチと音を立てながら袮々の本体である肉柱から力任せに離脱して行く。袮々に食われて砕けた骨が、千切れた肉が袮々の本体から離れた先から再生されて行く。完全に袮々から離脱した経範は再び吠えるとひとっ飛びに肉柱を駆け上がって頂上にある袮々の顔に目も止まらぬ速度で爪を一閃した。
「!!!!!!!!!!」
声にならない声を上げて袮々が怯む。爪を立てた後そのままの勢いで経範は空中を反転し、音も無く頼義の近くに着地する。
「虎の爪は毒爪よ。放っておいたらたちまちのうちに膿むぞ、手当てをするなら早い方が良い。もっともお前に手があればの話だがな」
虎の姿から人間に戻った経範が言う。無事に生き返りはしたものの、全身の再生は不完全なのか、まだすっかり元のようには戻っておらず、あちこちから血を吹き出したままでいる。
「なんだ、なんだお前!?虎だと?死なない身体だと!?なんだそりゃあ!?ズルにもほどがあるじゃないかー!!」
「いやそんな事言われてもそれがワシなのであるから仕方なかろーが」
経範がガッハッハと豪快に笑う。満月のハイテンションな時期の彼は言葉遣いまでガラが悪い。
「大丈夫、経範?やはり月が欠け始めては無理は禁物ね」
頼義が白布を経範に手渡ししながら言う。経範は頼義に礼を述べてその布で血糊を拭いてそのまま腰巻きにする。強がってはいたものの一から肉体を完全に再生するのは並大抵の苦痛では無かったようだ。その姿を見て直前までしっかりと経範の全裸を凝視していた影道仙はそうなってから今さら思い出したかのように見て見ぬ振りをした。
「なんだ勝ち誇っていたわりには随分と手応えがないではないか。それではまるで木偶の坊だぞ、袮々よ」
再び形勢逆転して今度は経範が袮々に罵声を浴びせる。
「いや、まこと今のお前はただの木偶の坊であろう。愚かにも百足党の方々を取り込むなど・・・」
「?、?、!?」
どうやら袮々は頼義の言う通り本当にその場から完全に身動きが取れなくなっているようだ。そういえばあれだけ勝ち誇っていたにしては頼義たちにとどめの一撃を浴びせることもしない。思えばそれもおかしな話ではあった。
袮々にはその場で動けない事情があるのだ。
「上州百足党の方々、みなむざむざとお前の餌として身を投げ出したと思うたか。莫迦め、彼らの執念を甘く見たな。その全身に刻まれた刻印に気付かぬか」
そう指摘されてようやく袮々は自分の現状に気がついた。自分の根元、先程取り込んだ新しい顔の部分が隈なく光を帯びている。それは取り込まれた百足党の顔の一つ一つから発せられているものだった。
「なんて・・・見事な六芒星の銀河・・・」
少年の手当てを終えた影道仙が感心したようにその光を眺める。袮々の足元は取り込んだ百足党の兵士の顔の数だけの六芒星が浮かび上がり、その光でもって袮々の動きを完全に封じ込んでいた。
「国定どの同様、この地に赴いた彼らはその一兵一兵一人残らず皆その封印の六芒星を刻んでいたと見える。もとより彼らは生きて帰る事の無い覚悟で貴様との一戦に望んでいたのだ。貴様とはその時点で既に決着がついていたと言う事だ」
「なんだと・・・なんだとなんだとなんだとおおお!!ふざけんなこのクソ雑魚虫ケラどもがああああ!!」
頼義の言葉に追い詰められた袮々の口調が乱れる。もはや先程の鬼の王然とした威厳ぶった物言いから完全に三下のそれに成り下がっている。
「その百足党の決死の覚悟がほれ、呼び寄せたぞいお前の最も嫌うアレを」
誐那鉢底法師がそう言って空を見上げる。釣られて上空を見上げた経範たちの目にも朝焼けと欠け始めた満月とが並び浮かぶ暁の空をかける一条の光芒を認めた。
その光の筋がキラキラと軌跡を描いたかと思うと目にも留まらぬ速さで頼義たちの足元に激突し、轟音を立てた。
「なあっ!?」
頼義も袮々も、誐那鉢底法師以外のその場にいた全員が声を上げた。もうもうとたち煙る土埃がようやく収まるとそこに姿を現したのは
「これは、太刀・・・なのか?」
頼義が今しがた落ちてきたそれの気配を探る。目の見えぬ彼女にはそれがどうやら抜き身の太刀である事である事ぐらいしかわからなかった。しかし、何かがおかしい。
「太刀って、これが太刀ですかあ!?」
影道も素っ頓狂な声を上げて叫ぶ。
「そうじゃ。これがこいつを倒す最後の武器、その名も『袮々切丸』じゃ」
法師が厳粛な声でそう言い放った。