袮々、絶体絶命の事(その二)
全てが決したと思われたその瞬間、その場にいた者はみな一様に目を見開いた。
袮々にとどめを刺したかと思われた少年の身体が頼義たちの遥か後方にまで吹き飛ぶ。植え込みに叩きつけられた少年はそのまま気を失ってぐったりとしている。一度大きく咳き込み、大量の血を吐き出した。
「な・・・!?」
予想外の事態に誐那鉢底法師すらも狼狽の色を隠せないでいる。国定の仕掛けた「上州百足党」の拘束は間違いなく袮々に効いていた。それなのになぜ・・・?
「なあーんちゃって。効かぬ効かぬ効かぬ効かぬ・・・!!これしきの児戯、破れぬと思うたか。ほんのちょおーっぴり遊びがてらそちらの策略に引っかかった演出をして見せてやっただけのことよ。本当はね、ぜーんぜん効いてまっしぇえん、あははははは!」
勝利を確信しているのか、異様なまでに高揚した口調で袮々が下品な笑いを高らかに響かせる。頼義は影道仙に命じて少年の救出と応急処置に向かわせる。その彼女を袮々から守るように頼義が少年と袮々との間に立ちはだかり、袮々の歩みを牽制する。
「六百年の間、ようもここまで我の事を研究したものよ。その労力は褒めてつかわす。だがな、お前たちが代を重ねて研鑽を怠らなかった間、我もいたずらに惰眠を貪っていたわけではないぞ。百目鬼は実によう働いてくれたわ。多くのものを観察し、多くの命を献上してくれた。百目鬼が一つ世界を見、命を持って帰ってくるたびに我は力をつけ、法力をつけた。ほれこの通り」
袮々がかりそめの顔として使用していた国定の顔がめくり上がる。その下からは先程まで化けていた天陣和尚を名乗った誰かの顔が現れた。かと思うと再び顔がめくり上がり、その下からさらに常陸国に帰った綾の顔が浮かび上がった。
「・・・きさま!」
頼義が歯軋りする。目は見えなくともこの鬼が何をして自分らを挑発しているのかは十二分に伝わった。怒りで七星剣を握る手が震える。何という侮辱、何というおぞましさ。この鬼は百目鬼が持ち帰った命の「情報」を蒐集して弄ぶことを無上の愉悦としているようだ。
「うふふ、今までに何人の人間を食らったのかしら?綾、頭悪いからわかんなーい」
綾の顔で、綾の声で袮々が笑う。
「ふざけるな、綾はそんな頭の中身が空っぽのような喋り方などしない。むしろそれは影道仙の専売特許だ」
「ちょおっ!!」
大真面目な顔でそう言って袮々を睨みつける頼義の後ろで影道が少年の手当てをしながら抗議の声を上げる。
「あらそーお?じゃあこんなのはどうかしら」
綾の顔のまま、袮々の身体がグニャリと捻じ曲がる。生身の人間にはとうてい不可能な姿勢になりながら、袮々の全身がボコボコと異様な形に膨れ上がって行く。国定が着ていた衣服が破れてもなお膨張を続けていく。袮々の身体に貼り付いていた百目鬼の目玉に合わせるように人間の顔が浮かび上がって行く。ようやく膨張が止まった頃には袮々の身体は無数の目玉から無数の顔が張り付いた異形の姿と化していた。
醜悪な顔の柱となった袮々が貼り付いた顔で代わる代わる嘲るように笑う。
「見よ、この素晴らしい我が姿を。この顔から、目玉から得た知識と情報はことごとく我が物となる。無限に知識を吸収し、無限に力を増殖していく我こそはこの世全ての生命の頂点に立つ究極の者であるぞ。百足党如き小者の技なぞ通じる道理もなかろう。貴様ら如き虫ケラが我が尊顔を拝する機会に恵まれた事を光栄に思え!」
自分に酔ったように勝ち誇る袮々を頼義も誐那鉢底法師も呆れ返ったように苦い顔で眺める。
「なんつーかアレじゃの。バカ?」
「あー言っちゃった。私も思ったけど言わなかったのに」
容赦無い法師の断言に頼義が思わず相槌を打ってしまう。
「お前アレじゃな、本で読んだ知識だけで何もかも理解したつもりでいる引きこもりのオタクそのものじゃのう。余所から斜め読みした知識で粋がったところで恥を書くだけじゃぞい。そもそもお前さん、その得た知識で何を成し遂げたと言うんじゃ?まったく夜郎自大とはまさにこの事よ」
さらに追い討ちをかける法師の言葉に袮々は初めこそポカンとした顔をしてしせたものの、次第に怒りの度合いを増してくる。
法師の言葉は頼義の耳にも痛かった。自分を省みるに、確かに金平にせがんで多くの書物を読んで聞かせてもらった知識だけは人並み以上に得たつもりでいたが、それで物事を知った気になってはいまいか?自省するうちにこっちまで恥ずかしくなってくる、実地調査は怠らないようにしよう。
「ク・・・クククク、それで我を挑発したつもりか?言葉でいくらあげつらおうと、この圧倒的な力の前には何の意味もなさないと思い知れいっ!」
口とは裏腹に明らかに挑発に煽られて怒りを隠せないでいる、無数の顔が貼り付いた人柱がさらに膨張を続ける。伸び続ける肉塊はさらに顔の数を増していった。そして頼義は気がつく。
「まさか・・・貴様!?」
人柱の頂上にいた顔がニンマリと下品な笑顔を浮かべる。あれが袮々本来の顔なのだろうか?しかし今はそんな事にかまけている場合ではない。頼義は気がついたのだ。新しく現れた顔、その顔はみな
「なんと・・・これは」
誐那鉢底法師もネズミの身体をめいいっぱい伸ばして肉柱を凝視する。根元に新しく生えた肉柱の顔はその悉くがつい先程まで見知った顔だったのだ。
「そんな、やったのか!?百足党の方々を!?」
苦悶の表情を浮かべて「NeeehNeeeeeh」と鳴くその顔は、紛れも無く地下に置き去りにしてきた上州百足党の兵士たちのそれだった。
「HAHAHAHA!そうでーす!お前らが地上で調子こいている間に残してきた目玉の方でキレイさっぱり美味しくいただきましたあああ。ざんねーん!!」
頂上にいる顔がまさに勝利宣言とでも言うような調子で叫ぶ。口からよだれを流しながら長い舌をチョロチョロと出し入れして袮々の本体らしき顔が言葉を続ける。
「おい源氏の小娘、お前の部下は何だ、アレだな。不味かったぞ」
みなまで言わなくとも頼義にはその言葉の意味が理解できた。血が滲むほど歯噛みする。その様子を見て袮々はさらに勝ち誇る。
「では感動のご対面と行こうか。ほれ、お前の頼みの大男もこの通り」
ズルズルと音を立てて再び肉柱が伸びる。その動きが止まった時、頼義の真正面に相対した顔は
佐伯経範の顔だった。