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袮々、地上に現れるの事(その三)

百目鬼(どうめき)」が、いや「袮々(ねね)」が・・・いやそれも違う、もはや「百目鬼」と「袮々」と「国定」とが渾然一体となったソレは目玉の集合体と化した身体に頼義と国定のもう一人の息子であるらしき少年とを引きずったまま地底の大滝を遡って駆け上がる。その凄まじい速度に二人とも何度も振り放されそうになる。こんな所で弾き飛ばされてしまえば二度と地上には戻れない。二人は必死になって互いの体を掴み合いながら振り落とされまいと「袮々」にしがみつく。


地底を流れる大滝は初めのうちは切り立った斜面を舐めるようにして流れていたが、上へ向かうに連れて空間はどんどん狭まっていき、ついには天井の注ぎ口とでも言うべき部分に到達すると袮々はその狭い穴をこじ開けるように潜り込んで行った。


穴の向こうは細く長く続く筒状の空洞が湖水で満たされている。このまましがみついていてもいずれ二人とも息が続かなくなり溺れ死ぬことは必定だった。それでも二人は袮々の身体から離れない、というよりしがみつく以外の選択肢はなかった。時間にしてみれば百を数える程もない長さであったが、頼義にはそれが生涯で最も長い百の間に思えた。


湖底の水道は縦に横にうねうねと這い回りながらいつ果てるともなく続く。所々にできた隙間で辛うじて息を継ぐが、その先は全く見渡せない。このままではいずれ息が切れて脱落するのは必至だった。少年の方が先に意識を失いかけ、やがて頼義も頭に霞がかかったように朦朧としてくる。


いよいよ限界が近づいたその時、衝撃とともにあれだけ激しい抵抗を見せていた水の流れが不意に消え去り、蒸し暑い夏の空気が二人の肺いっぱいに入り込んだ。


頼義と少年が袮々の身体を離れ、空中に舞う。すでに気を失っている少年を抱きかかえて頼義はどこに向かうとも知れぬまま受け身の姿勢を取った。


水しぶきを立てて頼義と少年の身体が跳ねる。水面に激突した二人の身体はそのまま横っ跳びに地面に投げ出されてゴロゴロと派手に回転し、ようやく動きを止めた。


衝撃で頼義はまだ身体を動かせない。辛うじて痺れる右手で少年の居場所を探る。手は届かなかったがすぐそばで「ぶはあっ!」と大きな声を上げて少年が息を吹き返すのを聞き、頼義はようやく安堵の表情を見せた。



(ここは・・・?)



あの深い地下世界から袮々にしがみついてきた二人はどうやらそのまま地上まで飛び出してきたようだった。動けぬ身ではここがどこかもわからない。頼義はうめき声をあげながら必死に周囲の様子を探ろうとする。わずかに木の焦げるような匂いと煙のくすぶる音を感じ取る。



「ここは・・・女人堂か?」



わずかに回復した上半身を少しだけ持ち上げて頼義は状況を確認しようとする。やはりここは地上の中禅寺湖に面したあの女人堂であった。まだ焼け落ちたばかりの焦げくさい臭気が鼻をつく。すると袮々はあの地底深くきら一瞬のうちに地上まで飛び出した事になる。頼義たちが地底に潜った行程を考えると到底物理的に理の叶う速度ではあり得なかった。袮々には一瞬にして千里を跳躍する異能でも備えていたか、あるいはこの女人堂自体に地底と地上を結ぶ霊的な直通路を形成していたか。


周囲の確認を終えたその瞬間、己の真上から発せられる凄まじい殺気を感知して頼義は反射的に身体を動かした。軋む身体を押して少年を抱えて横っ跳びに転がる。その直後、二人が先程までいた場所に焼け焦げた女人堂の柱の破片が鈍い音を立てて地面に突き刺さった。



「Neeeeeeeeeeeeeh!!!」



袮々が叫ぶ。息はあるもののいまだに意識を取り戻さない少年を引きずるしてように頼義は袮々から遠ざかろうと身体を動かす。その度に全身に激痛が走り気が遠くなる。以前崖から落ちた時に負った傷も再び痛めたようだ。今度は完全に骨が折れているかも知れない。込み上げてくる痛みと吐き気を堪えて泥まみれになりながら二人は必死に逃げる。その二人を追うようにして袮々が無数の目玉を動かした。



「ま・・・ったく、いまいましい・・・ムカデども、め・・・」



袮々がたどたどしい言葉遣いで声を発する。その声は今までの天神和尚の声ではなく、百足党頭目である国定の声だった。



「ち、ち・・・うえ・・・」



朦朧とながらも意識を取り戻した少年が虚ろな目で袮々を見る。あの忌々しい「鬼」が、父の声を使って話しかけてくる。そんな異様な光景に少年は恐怖よりも怒りが先行した。


パチリと目を覚ました少年は頼義の懐から飛び起きてすっくと両足で立つと大声で叫んだ。



「袮々!!とうちゃん・・・いや、父上と兄上の仇!とうとう追い詰めたぞコノヤロー!!」



息切れで紫色になった顔を今度は紅潮させて少年が叫ぶ。この状況のどこが「追い詰めた」事になるのかさっぱりわからなかったが、少年はいよいよここが最終決戦の場とでも言うように身構える。手にしていた小刀は袮々の身体に食い込んだままですでに手元にはない。それでも少年は無手のままキッと目の前の袮々と相対していた。



「・・・誘い罠にかかっておびき寄せたつもりが、さらに上を行かれるとはな。初めから全てこうなるように段取りを組んでおったという事か。周到な事よの」


「うるさい!父上の声で喋るな、父上を侮辱するなっ!」



取り込んだ国定の肉体が馴染んだのか父の声で話す袮々の口調が片言からしっかりとしたものになりつつあった。と同時にゴボゴボと音を立てて湧いては埋もれていく目玉が再び中心に向かって潜り込んで行く。まるでまるで吸い込まれるようにして体の内側に消えていった目玉の外皮は、あの百足党頭目である国定へと姿を変えた。



「・・・!?」


「どうした、倅よ。父の顔を忘れたとは言わせぬぞ」



慇懃な口調で国定の姿をした袮々が口を開く。見た目からは元の国定と見比べても違いは全くわからない。だが元より目の見えぬ頼義にはその全身から発する異質な気配を十分に察していた。



「違うっ!父上は、父上は・・・」


「違いなぞあろうものか。ほれ、このとおりだ、だから倅よ、父を助けよ。ここから動けぬ父を救ってくれい」


「ちが、ちが・・・う」



頭では目の前にいるモノが本当の父ではないとわかっている。父は死んだのだと理解も覚悟もしている。それでもなお年若いこの少年の心は実際にそこに立つ父の姿をみて心が泳がずにはいられなかった。



「さあ!!」



父の姿をした袮々が迫る。



「なーにが『さあ!』じゃ、ハッタリかますのもいい加減にせえよ鬼め」



動揺する少年の肩を誰かが優しく掴む。その手は声の主とは違ったが、その声もまた同じ方向から響いていた。



「おやおや、これはお早いお着きで。まったく、お前もまた忌々しいネズミよな」



国定・・・の肉体を乗っ取った袮々が顔を歪めて吐き捨てる。その表情はかつての国定が見せるようなものでは到底思えないような下品で歪んだ顔だった。



「ネズミネズミ言うでない失礼なやっちゃな。ワシはれっきとした哺乳網齧歯目リス科マーモット属じゃい、ネズ公と一緒にするでない」



そう言って影道仙に抱っこされた誐那鉢底(がなはち)法師がその()()()()()()を揺すりながら大きな前歯を擦り合わせてチチチっと笑った。

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