袮々、地上に現れるの事(その二)
続いて起こった事に、頼義はじめ傍観することしかできなかった者たちはただただ呆然とするばかりだった。魔方陣に吸い寄せられた「袮々」がその円陣の中心にいた人物を光で包み込んでいく。だがその中心にいたはずの影道仙は何者かに突き飛ばされて魔方陣の外に弾き出され尻餅をついていた。
では今袮々が取り憑こうとしているものは誰だ?
「Neeh...Neeeeeeeeeh...」
不気味な鳴き声と共に、半身を百目鬼の目玉に食いつかれながら必死の形相をした国定が光の繭からかき出でるようにして姿を現した。
「国定さん・・・!」
尻餅をついたまま影道仙が呆然と呟く。その声に応えるるように、目玉に埋もれていく国定が言葉を発した。
「どうも・・・これはなかなか不快なものだ、はは・・・このような役目をお嬢さんのようなお方には、任せ、られ・・・やせん・・・な・・・」
「そんな、そんな・・・!!」
半狂乱になって影道が泣き叫ぶ。自分の身代わりになってその身を袮々の依代とすべく魔方陣の中に飛び込んだ国定は、もはや顔の半分まで百目鬼の目玉に飲み込まれながら最後の力を振りしぼって声を張り上げた。
「下ではない、上だ、地上へ上がれ!袮々を・・・切り離せ!!」
国定の断末魔の叫びである。しかし頼義にはその意味がわからなかった。上へ?袮々を地中深くにある異界の穴にではなく、地上へ出せというのか?
「切り離せ、とは・・・?」
頼義が倒れた影道を助け出しながら「袮々」へと化していく国定を注意を向ける。国定は飲み込まれてもなおいまだに抵抗を続けているのか、目玉の集合体はその場で釘付けになったままである。
「火炎隊、火を放て!!」
頼義の背後から誰かの声が響く。まだ少年の面影を残したその声に呼応して百足党の兵士が松明を投げる。続いて素焼きの瓶子のようなものが次々と投じられる。それは地面に叩きつけられると一斉に液体をまき散らし、その液体は瞬く間に燃え上がり、周囲の温度を急激に膨れ上がらせた。
「囲め!奴を、袮々を下に逃がすな!地底湖の入り口を閉じよ、『中禅寺滝』へ追い込め、慌てるな、手筈通りにやれば良い!!」
頭目を失った百足衆を指揮していたのはまだ年端もいかぬ少年だった。少年は涙をこらえているのか、震える声を必死になって押し留め、勤めて冷静になろうと声を張り上げている。周囲の大人たちに支えられながら少年は健気に一党の指揮をとって袮々を地上へ追い詰めるべく奮闘を始めた。
まだ元服前ぐらいの年頃だろうか、髪を短く切りそろえたその少年は業火が吹き荒れる地下世界の中で煙にまかれぬように厚手の布で口元を覆いながら頼義に近づく。
「ねーちゃん!えっと、頼義さま?父上が言ったように、アイツを下に逃がしちゃあダメだぜ!奴を上に、地上に追い出して、そこで『深淵』とアイツとの繋がりを断ち切るんだ、父上はそう言っていた!!」
「父上!?では・・・!」
「頼むぜ、ねーちゃん!」
「しかし、地上に追い出したとしてどうやってその『繋がり』を断つと・・・?」
「知らねえ!でも父上がそう言ってた。だからやるんだ!」
「坊!奴が逃げる!!」
百足衆の一人が報告に来る。「袮々」と化した国定の身体が火に追われて逃げ場を失い、ずるりと音を立てながら唯一道に開けた「中禅寺滝」を這い上がって行く。
「逃がすかコンチクショウ!!父上と、兄ちゃんの仇、覚悟しやがれーっ!!」
少年が叫びながら小刀を抜いて果敢にも目玉の集合体に向かって飛びかかっていった。果敢、と言うにはあまりにも無謀である。少年の刃は袮々に深々と食い込んだが、袮々はそのまま少年ごと上へと逃走を続ける。
「危ないっ!刀を離して!連れて行かれる!!」
「やだーっ!!死んでも離すかーっ!!」
なんて無茶な事をする子だ。父と兄の仇と言ったか?ではあの少年は国定のもう一人の息子どのという事になる。目の前で兄が魔物に取り憑かれ、それを実の父が斬り殺し、今度はその父が同じ魔物に取り憑かれたというのに、この気丈な少年は嘆き悲しむよりも怒りで頭を沸騰させて見境も無く自分の倍もある鬼に向かって飛びかかっていったのだ。しかしこのままでは少年の身も危ない。
「影道仙、御坊をお守りして!」
「へ?」
呆然としたままでいた影道に向かって、頼義は両手で抱えていた誐那鉢底法師を放り投げた。
「にょほーっ!」
ヘンな声を上げて法師が宙を舞い、ストンと影道の懐に収まる。
「ほっ、これは良い乳。というわけでお世話よろしくじゃ陰陽師のお嬢ちゃん」
影道の手のひらの中で誐那鉢底法師は相好を崩してニヤけた声を出す。影道はどんぐり眼をまん丸に見開いて法師の姿を凝視する。
「え?え!?あなたがよっちゃんの言ってた誐那鉢底法師さま!?」
「そうじゃ、偉いんじゃ。エロいのとはわけが違うぞい」
「・・・・・・」
隣にいた佐伯経範も同じく目を見開いて法師を凝視する。
二人が呆然とその小さな法師に気を取られている間に、少年を連れ立ったまま逃走する袮々に向かって頼義も七星剣を突き立て、上を目指して這い上がろうとする袮々に必死になって食いついていた。